第四章 真の父母の使命 (天聖経 縮約版 - 第二冊 真の父母)

훈독왕 | 20200424134843

天聖経 縮約版 - 第二冊 真の父母 訓読本


四、の父母の使


1)の父母の立場 

 

本然の心を中心として、本然の世界が生まれたら、本然の人がいなければならないのです。

その本然の人は、完全な愛をするの父母です。 


皆さんがレバレンドンをの父母と言います。それで、に代わった立場で皆さんに、すべての良いものをあげようとし、皆さんもいちばん良いものをもらおうとするのを原則として知っているため、このような道を指導するのです。一二七三二九)

 

皆さんには、の父母のバックグラウンドです。 

の父母は、サタンが讒訴できないのです。一一七一六一) 


2)の父母の道 


今、世界はいが起こっています。共産党とって倫理破綻も防御しなければならずが崩れるのも防御しなければなりません。 


父母は、子供よりもっと苦しなければならないという原則があるので、先生はそれを実践しています。

の父母は父と同じ位置で家庭を通じ、氏族を通じ、民族を通じ、家を通じ、世界を通じ、宇宙を通じて行くべきなのです。一一八二四二) 

の願いがと永遠無窮にともに暮らしたいを探すことです。


真の父母は、そのような原則による父子の夫婦係をえようとします。


先生の哲千年万年、あなたと私が暮らしても嫌になりえない、そのようなあなたを見しようとして、探そうとするのです。


世の中でいちばん悲な位置から一級、一級をの僕から上がっていき、の養子から上がっていき、の息子として上がっていき、のカインとして上がっていき、のアベルとして上がっていかなければなりません。 


先生が共産党の前にそのような立場で踏まれ、拷問を受けひったくられたりするときに、「神、私の怨讐たちに雷を落として全部殺してしまう!」と言っていませんでした。体から血が流れる立場で、福を願ってやったのです。一一六一一四) 


3)の父母になる前の過程 

人間の落によって、りの父母が生まれました。それで、先生は、の父母の位置を築くための受難の道を行かなければならなかったのです。ひっくり返ったものを、父母が全部責任を持って蕩減しなければなりません。(一三一六三) 


の父母になるためには、カイン世界を愛さなければなりません。一二四七四) 


地上に体のの父母が立てられなければ、実体世界で勝利の基準が立ちません。いくら界で勝利の件を成したとしても、地上にの父母が立てられなければ、その的世界の足場に該する足場を、この地上に築くことができないのです。 


の父母は、これのために命を捧げ、地と天に代わってっていかなければいけないのです。

一九六年に父母の日が出発しましたは、その日を起点にして、界と肉界で同時に計実践なさることができたということです。


イスラエル民族は、カナン復路程四年をていきながら、初めてサタン世界にしてすることができました。 


年荒野路程以前には、三日路程がありました。そして、イスラエル民族は、カナンに入っては、また四〇数を探して立てなければなりませんでした。 


それで、再びられるの父母が、四年準備期間、あるいは、闘争期間を的に勝利の基盤を築いて、初めて地上に肉を合わせた体的な基盤を築くことができる土台を備えたのです。 


の父母が中心になって七年路程として蕩減復を終結していかなければならないのです。 


この期間に、私とともにっている皆さんは、の父母の個人的な身代わりであり、家庭的な身代わりであり、民族的な身代わりであり、家的な身代わりです。


先生が世界のために、どれほど多く投入したかわかりません。地上世界、天上世界、神を解放するためです。このような人は、史時代にの父母以外にはいないのです。 


4)の父母の限と使命

 

の父母は、皆さんをの父母、小さいの父母にするためにるというのです。(一二五一一七) 


の御父母は地上世界と天上世界とのふさがった道を皆開いて、地上世界から、界の地獄から、天上の位置まで、ハイウェイを作らなければならないというのです(一三四一二九) 


の父母は、界王基盤、蘇生的長成基盤いでこそ、の父母が地上において、完成基準を成したという位置に、界が同することができません。(一四〇・五四) 


先生は、の愛、本の愛つなげうる特を持ってられた父母だというのです。

の父母りの子女たちを率いての子女にする役割をするのです。一四九二八


の父母は人間の先祖の落によって、ふさがった塀を崩すことができる責任的件を立てることができてこそ、の父母になります。

ここに入ってくれば、宗が一つになりうるということです。その次には、五色人種が一つになることができるというのです。(一一八二七 


サタンの血統を受けて落した父母として始まったことを、どのように人類のの父母の位置として復させるか、ということに苦心したのが神の立場だというのです。 


それで、一九六年に父母の聖婚式が、史上に初めて起こったのです。落した父母から復が起こったのです。一三一 


五)の父母の愛


皆さんが本の「私」を見出したというときは、神が自分の心にいて、自分は解放にいるのです。本然の神の愛と、本然のの父母の愛を中心として、本然の血統の史をつないで生まれたのが、本然の自分です。その自分を見出せば、皆入るのです。そこにの父母の愛があります。 


そのため自分を完成しなければならないのです。自分の完成の位置に行くには、結局、神を探し、の父母を探して、接ぎ木しなければならないのです。接ぎ木して完成したアダムの位置に立つので、生まれた目的を完成するのです。 


それゆえ、自分にはの父母の愛が宿り、神の愛が宿るのです。その愛が、自分を完成させることができる調和の根本です。(二八三

 

 

天聖経 縮約版 - 第二冊 真の父母 縮約本


四、の父母の使


1)真の父母の立場 


この世の中を見ると、帝時代、帝王時代、王時代があり、その次には、今の民主主義子女時代、共産主義僕の時代があります。それが皆、愛の法を中心として統治していないことを見るとき、りの世の中だというのです。

 

それなら、本然の心を中心として、本然の世界が生まれたら、本然の人がいなければならないのです。

その本然の人は、の人です。の人は、完全な愛をなす人です。完全な愛をなす人はの父母です。 

 

の愛の代表です。すべての人を愛することができる方です。すべての存在を愛することができる能力を持った方なのです。

それゆえ、大きなものから小さなものまで、愛することができる能力を持った方が神だというのです。(一二四一一七) 

 

百四十七
 

の父母は、えるべきです。これが原則です。そこに新しいものがあり、そこに新しい世界があり、そこに新しい因が生まれるのです。 一四七一四三) 

 

皆さんがレバレンドンをの父母と言います。それで、に代わった立場で皆さんに、すべての良いものをあげようとし、皆さんもいちばん良いものをもらおうとするのを原則として知っているため、このような道を指導するのです。一二七三二九) 

 

皆さんには、の父母のバックグラウンドです。 

の父母は、サタンが讒訴できないのです。それで、身分証をもらうのです。一一七一六一) 

  

2)真の父母の道 


今、世界はいが起こっています。共産党とって倫理破綻も防御しなければならずが崩れるのも防御しなければなりません。 

  

父母は、子供よりもと苦しなければならないという原則があるので、先生はそれを実践しています。

の父母は父と同じ位置で家庭を通じ、氏族を通じ、民族を通じ、家を通じ、世界を通じ、宇宙を通じて行くべきなのです。妻が夫を愛するように人類を愛さなければならず、息子娘を愛するように人類を愛さなければならないのです。自分の父母を愛するように、人類を愛さなければならないのです。一一八二四二) 

 

百四十八
 
の願いがと永遠無窮にともに暮らしたいを探すことです。

 

統一教会(真の父母)は、そのような原則による父子の夫婦係をえようとします。また、そのような原則による家庭を論じ、そのような原則による兄弟を論じようとするのです。

 

 それが、五色人種を通じて実践されてこそ、神の愛のが成され、神が暮らすことができると思うのです。

 

先生の哲千年万年、あなたと私が暮らしても嫌になりえない、そのようなあなたを見しようとして、探そうとするのです。夜を明かしながら愛さざるをえない息子をしがる人です。また、娘をしがる人です。兄弟を探している人なのです。(一二七二八四) 

 

もし、なる人間がいたら、そのなる人間は、「人類よ! あなたたちが行くべきの標準はまさにこれである」とえてあげることができる道を模索するでしょう。一六三八九) 

 

史路程にの父母という言葉をえるためにはそこには、なる僕がいるべきなのです。そして、なる乞食もいなければならないでしょう。なる労働者もいなければならないでしょう。なる迫害者も、十字架についた人もいなければなりません。罪人の中にもなる罪人がいなければなりません。

 

世の中でいちばん悲な位置から始まって、これを越えることができる愛の代表者がいなければなりません。一級、一級をの僕から上がっていき、の養子から上がっていき、の息子として上がっていき、のカインとして上がっていき、のアベルとして上がっていかなければなりません。 

 

僕の僕の道とか、養子を先生は行かなければなりません。先生は、その道を行き、い、生きって、勝利したために、その橋を置いてやるのです。 

 

先生が共産党の前にそのような立場で踏まれ、拷問を受けひったくられたりするときに、「神、私の怨讐たちに雷を落として全部殺してしまう!」と言っていませんでした。体から血が流れる立場で、福を願ってやったのです。一一六一一四) 

 

3)真の父母になる前の過程 

人間の落によって、りの父母が生まれました。それで、先生は、の父母の位置を築くための受難の道を行かなければならなかったのです。ひっくり返ったものを、父母が全部責任を持って蕩減しなければなりません。(一三一六三) 

 

の父母になるためには、カイン世界を愛さなければなりません。

原則的にサタンが長子であるために、神がアベルを愛するには、長子を先に愛したという件を立てるべきです。そのような愛を私に見せずには、次子を愛することはできないのです。

ですから、母が行くべき道は、エバが行くべき道は、カインとアベルを一つにして、アダムにるそのような位置にいるのです。(一二四七四) 

 

先生は、愛の係においては世界的な記を持っています。良心においては、天宙史的な記を持ちうる群が生まれているのです。統一教会の未が希望的でありうるしかないという、このような驚くべき位置にいるという事を、深く深く感謝できなければなりません。(拍手) 

 

の父母が、このを築くために鉄条網を貫いて、かき分けていき、築いてきたのです。そのようは天の父母と血の父母の心を傷めてはいけないです。

 

の父母は、二人の方がいなければなりません。そして、地上に体のの父母が立てられなければ、自体世界で勝利の基準が立ちません。いくら界で勝利の件を成したとしても、地上にの父母が立てられなければ、その的世界の足場に該する足場を、この地上に築くことができないのです。 

 

の父母は、これのために命を捧げ、地と天に代わってっていかなければいけないのです。

 

百五十一
 
の父母は、まず、界で的な試練をなければなりません。その次には、地上で体的な試練をなければなりません。

は、一九六年に父母の日を設定しましたが、肉合わせてなる勝利の起点をつかむ日であり、の父母の理念が出した日です。その日の因天宙史的な因ていくでしょう。 

 

そして、神は、その日を起点にして、界と肉界で同時に計実践なさることができたということです。

 

ところで、このような史過程をていくのにおいて、られるの父母は、個人的な十字架を背負うべき段階から、世界人類の十字架を代わって背負うべきであり、家庭的な十字架を背負うべき段階から、世界的人類の十字架を代わって背負うべきであり、氏族的、民族的、家的十字架を背負うべき段階でも、世界人類の十字架を代わって背負うべきなのです。 

 

イスラエル民族の史を見ると、ヤコブはエサウとの個人的な闘争で勝利したために、個人的な復件を立てることができました。このようにイスラエル民族は、カナン復路程四年をていきながら、初めてサタン世界にしてすることができました。 

 

年荒野路程以前には、三日路程がありました。そして、イスラエル民族は、カナンに入っては、また四〇数を探して立てなければなりませんでした。 

 

帰摂理がのような路程をてきたために、今まで先生も四年路程をた後、三年路程をまなければならず、四年路程をまなければならないのです。三年路程と四年路程を合わせれば、七年路程になるのです。 

 

百五十二
 
このような過程をてこそ、初めて復帰歴史を終結し、天の主を立てることができるのです。イエスも、本は三三から七年路程をんで、四〇歳にすべてを終結して、天のみ旨を成すべきでした。

 

それで、再びられるの父母が、四年準備期間、あるいは、闘争期間を的に勝利の基盤を築いて、初めて地上に肉を合わせた体的な基盤を築くことができる土台を備えたのです。 

 

の父母が中心になっていく三年路程をて、四年路程をて、七年路程として蕩減復を終結していかなければならないのです。 

 

の父母を探すまで三年路程、四年路程、四年路程は短い路程ですが、史的なすべての悲しみを全体的に蕩減復する期間であり、史的な無念さを体的に蕩減復する期間であり、史的な十字架を全体的に蕩減復する期間です。

天に代わって、の父母の因に代わって、み旨に責任を持って、奉ってきた我統一教会は、それでこのような試練を自ら招いて受けていっているのです。 

 

この期間に、私とともにっている皆さんは、の父母の個人的な身代わりであり、家庭的な身代わりであり、民族的な身代わりであり、家的な身代わりです。

は、の父母がこの地に現れれば、神を中心に地上天が成されるべきです。(一三二八五) 

 

先生の父母を宣布するまで、苦をどれほどし、口をどれほど聞き、監獄生活をどれほどしましたか? こうしての父母を宣布したのです。ですから、の御父母であられます。

 

百五十三
 
先生が世界のために、どれほど多く投入したかわかりません。地上世界、天上世界、神を解放するためです。このような人は、史時代にの父母以外にはいないのです。 

  

4)真の父母の限と使命

 

の父母が、人間がいちばん好きなものを作ってあげるためにたのです。皆さんをの父母、小さいの父母にすることです。(一二五一一七) 

 

の御父母は地上世界と天上世界とのふさがった道を皆開いて、地上世界から、界の地獄から、天上の位置まで、ハイウェイを作らなければならないというのです(一三四一二九) 

 

の父母は、界王基盤、蘇生的長成基盤をつなげなければなりません。そうしなくては、の父母が地上において、完成基準を成したという位置に、界が同することができません。(一四〇・五四) 

 

皆さんは先生を真の父母と呼びます。の愛、本の愛をつなげてあげることができる父母なのです。

 

アダムが皆さんの先祖になりうる父母でしたの愛をつなげられなかったのです。それゆえ、皆さんの父母たちは、皆さんをの愛につなげることができないのです。

 

の父母が違うことは何か?の愛をつなげうる特を持ってたということです

 

百五十四
 
の父母が何をする人ですか? りの子女たちを率いての子女にする役割をするのです。それゆえ、の父母は、息子娘を消化して段階的に家庭基準、氏族基準、世界基準まで消化しようとするのです。一四九二八

 

先生は、この時代にすべてを見せてあげるのです。先生についてきて、全部成しておいてこそ、後で神の愛まで行くことができるのです。そうでなければ行けません。(一三五一四二) 

 

の父母は人間の先祖の落によって、ふさがった塀を崩すことができる責任的件を立てることができてこそ、の父母になります。

ここに入ってくれば、宗が一つになりうるということです。その次には、五色人種が一つになることができるというのです。(一一八二七 

 

原理主管と直接主管の間に塀が生じたのを、蕩減しなければなりません。原理主管がサタンに占領されたのです。神が上にいて、人間が下にいれば、サタンは中間に位置しているのです。それで、サタンの塀が生じたのです 

この塀を貫いて、神の位置までもう一度つなごうというのが神理です。それで、史を通じて宗展させてきたのです。それがユダヤでした。そうして、キリストまで下ってきたのが、現在の我況です。 

 

の父母は、この間接主管と直接主管をつなげる責任があるのです。サタンに引っかかっている塀をどのようのすかというのが問題です。サタンはサタンなりに、神継続的なこの史をどのように妨げようかとしています。

 

それで、先生がサタンと神の中間で、いつもサタンを除去することをしてきたのです。それで、蕩減路程が出てきたのです。それが人間の責任分担です。

 

百五十五
 
サタンは、それがメシアの責任であることを知っているのです。それで、すべてのサタン勢力を出動させて、の父母を攻したのです。それで、先生は、サタンの塀をすことを、個人から家庭、氏族、民族、家、世界、界までてきたのです。メシアは、この道をすべてなければならないのです。 

サタンの血統を受けて落した父母として始まったことを、どのように人類のの父母の位置として復させるか、ということに苦心したのが神の立場だというのです。 

 

それで、一九六年に父母の聖婚式が、史上に初めて起こったのです。落した父母から復が起こったのです。一三一 

 

五)の父母の愛

 

皆さんが本の「私」を見出したというときは、神が自分の心にいて、自分は解放にいるのです。本然の神の愛と、本然のの父母の愛を中心として、本然の血統の史をつないで生まれたのが、本然の自分です。その自分を見出せば、皆入るのです。そこにの父母がいますか、いませんか?そこには、の父母の愛があります。 

 

の愛との父母の愛は、宇宙のすべての主管性の核です。主体性の永遠な標準です。愛を中心として、全部主管しようとするのです。 

ですから、自分自身が代表者になりうるのです。

 

自分を完成しなければならないのです。自分の完成の位置に行くには、結局、神を探し、の父母を探して、接ぎ木しなければならないのです。それだからメシアがるのです。 

 

百五十六
 
メシア本然の愛、の父母の愛を、完成した男としてくるのです。 ですから、解放されるのです。サタンから解放、生活から解放、血統から解放されれば皆終わるのです。 

 

魔の代わりに神に仕の父母の生活を形成しなければならないのです。完成したアダムの位置に立つので、生まれた目的を完成するのです。 

 

それゆえ、自分にはの父母の愛が宿り、神の愛が宿るのです。その愛が、自分を完成させることができる調和の根本です。それを言い換えれば、自分には愛があり、生命があり、血統があるということです。三位一体です。(二二八三

 

 

天聖経 縮約版 - 第二冊 真の父母 原本

四、の父母の使

 

1)真の父母の立場 


この世の中を見ると、帝時代、帝王時代、王時代があり、その次には、今の民主主義子女時代、共産主義僕の時代があります。それが皆、愛の法を中心として統治していないことを見るとき、りの世の中だというのです。このように結論づけることができるのです。 

 

それなら、ここで本然の心を中心として、本然の世界が生まれたら、本然の人がいなければならないのです。では、本然の人がどこにいるか?「人」というと、女男が皆入るのです。そういう意味でしょう? 

 

今日、史は、この世界が間違いなくサタン世界であるために、この世の中で本然の人を探しているのだ、こういう結論が出てくるのです。それで今日、四億という多くの人類がいますが、の世界を指導して、天地を指導する指導者を探しているのです。 

では、本然の指導者は、どのようにしてるのか? 落した世界の個人、家庭、氏族、民族、家、世界を越えてるのです。その本然の人は、どのような人かというのです。(トゥルマン(truemanの人)です)。トゥルマンですが、そのトゥルマンが、どんな人か? の人の定義がどういうものかというのです。完全な愛をなす人です。のです。では、その簡な人が何ですか?それは、どんな人を言うのですか?(トゥルペアレンツ(true parentsの父母)です)。なのです。それなのです。 

 

どんな方か?は、の愛の代表です。代表ではないかというのです。それよりも神はどんな方か?(すべての人を愛することができる方です)。それを知るべきなのです。神は、すべての存在を愛することができる能力を持った方なのです。に要約すれば、大きくて小さいもの、すべてを皆愛するのです。小さなもの、大きなもの、皆入れることができるのです。そこには大きいもの、小さいもの、すべてのものが皆入るのです。分かりますか? 

 

それは事なのです。それを整理しなければならないのです。世の中のすべての存在、大小のものが皆入るのです。分かりますか?(はい)。それゆえ、大きなものから小さなものまで、愛することができる能力を持った方が神だというのです。(一二四一一七) 

 

百四十七
 
の目的地は世界のために行くべきです。いくら難しくても、行かなければなりません。世界のために行くべきであり、世界のためにえるべきです。アメリカは、世界のためにえるべきであり、自分が行く所へはどこでもえるべきです。 

の父母は、えるべきです。これが原則です。そこに新しいものがあり、そこに新しい世界があり、そこに新しい因が生まれるのです。私は、アメリカを生かすために韓を捨てました。を捨てたのです。(一四七一四三) 

 

皆さんがレバレンドンを何と言うかというと、の父母と言うでしょう 同じように、に代わった立場で皆さんの前に、すべての良いものをあげようとし、皆さんもいちばん良いものをもらおうとするのを原則として知っているため、このような道を指導するのです。これを知るべきです。(一二七三二九) 

 

皆さんには、バックグラウンドがあります。これは完全なバックグラウンドです。の父母のバックグラウンドです。 

 

の父母は、サタンが讒訴できないのです。それで、身分証をもらうのです。分かりますか? そこには神がサインして、サタンがサインしなければならないのです。(拍手)それだけではありません。天使長がサインしなければならず、その次には、アダムがサインしなければなりません。分かりますか、何の話か?(一一七一六一) 

  

2)真の父母の道 


今、世界はいが起こっています。これを誰が手を着けるかというのです。誰がすべきですか?がすべきでしょう。共産党とってですよ、倫理破綻も防御しなければならずですよ、が崩れるのも防御しなければなりません。 

 

先生が、世界の者と神者たちを集めて議をし、このような問題を深刻に討議しています。アメリカのが夢にも見ないことをしているというのです。皆さんが活動するといいますが、皆さんが難しいでしょうか、先生が難しいでしょうか? 

 

父母は、子供よりもと苦しなければならないという原則があるので、先生はそれを実践しています。何かお金があれば、私がそのお金で食べて暮らすのではありません。未の後孫のために、未の後孫に良い道を開いてあげるのです。未の後孫を愛する心を持って、お金を稼ぐのです。 

 

レバレンドン、の父母は何かというと、父と同じ位置で家庭を通じ、氏族を通じ、民族を通じ、家を通じ、世界を通じ、宇宙を通じて行くべきなのです。これをつなげなければならないというのです。それをカバするのです。そこで、妻が夫を愛するように人類を愛さなければならず、息子娘を愛するように人類を愛さなければならないのです。自分の父母を愛するように、人類を愛さなければならないのです。いつも、それが即座につながらなければなりません。皆さんはそれを知るべきです。(一一八二四二) 

 

百四十八
 
の願いが何かというと、神とともに暮らしたがる人を探すことです。と永遠無窮にともに暮らしたい人、愛する息子娘と額を一度付き合わせれば、千年、万年っても目を離したくない人、そのような人を探すことです。分かりますか?神が愛する息子に指先で一度れたら、千年、万年っても離したくない、そのような愛を持って暮らしたいというのです。 

 

統一教会は、そのような原則による父子のえようとします。そのような原則による夫婦係をえようとします。また、そのような原則による家庭を論じ、そのような原則による兄弟を論じようとするのです。兄弟でも、一度って別れるのではなく、千年、万年ともにいても嫌でない、そのような兄弟のことです。

 

 それが、五色人種を通じて実践されてこそ、神の愛のが成され、神が暮らすことができると思うのです。それが易しいですか?自分がご飯を食べることがあるなら、全部彼らに食べさせてから、その次に皆食べるまで待って、待ってから皿洗いまでして、ることまで皆みてあげなければならない、そのようなことをする父母がいなければなりません。 

 

今日、の父母は、そのような道を行こうとするのです。それが、の父母が行くべき道であると思うのです。ある時には、お母も先生を理解できないときがあります。日人にうようになると、の時も忘れてしまい、話そうとしてですね、夕食の時も過ぎたのにもかかわらず話をして、ご飯がすっかり冷めて、固いご飯になったのですから。また、台所では先生と何人かがご飯を食べなければならいのに、何人かが待っているので大なのです。ご飯を食べる時間になったと、何度も通告を受けても、ただ話をけるのです、「そう、そう」と言いながら。 

 

先生の哲そうです。ご飯が問題ではありません。千年、万年、あなたと私が暮らしても嫌になりえない、そのようなあなたを見しようとして、探そうとするのです。一二時になり、夜明けの二時になり、明け方にが鳴き、空が白んできても、夜を明かしながら愛さざるをえない息子をしがる人です。また、娘をしがる人です。兄弟を探している人なのです。(一二七二八四) 

 

もし、なる人間がいたら、そのなる人間は、今日史を代表して「人類よ! あなたたちが行くべきの標準はまさにこれである」とえてあげることができる道を模索するでしょう。なる人がいるなら、その人は、そのような道を模索するために、人類に代わってむごい牲となっても、その道を訪ねて立ち上がるまで叫び、えてあげ、その道を開拓してあげるのではないかというのです。もし、その道を知っているのにもかかわらず、自分だけ行ったとする人なら、彼はなる人ではありません。(一六三八九) 

 

史路程にの父母という言葉をえることができるたらどうか、考えてごらんなさい。これがか、事か、考えてごらんなさい。の父母まで行くには、何級までなければならないでしょうか? 

 

百四十九
 
そこには、トゥルー・ヴァント(true servantなる僕)がいるべきなのではないか?ヴァントのサヴァント(僕の僕)のことです。そこから始まるべきではありませんか?そして、トゥルー・ベガtrue beggarなる乞食)もいなければならないでしょう。トゥルー・レイバtrue laborなる労働者)もいなければならないでしょう。皆いなければなりません。トゥルー・セキュタtrue persecutorなる迫害者)も、十字架についた人もいなければなりません。そのようなことを嫌だと思えば、トゥルー・ペアレンツというのは、絶出てくることができません。罪人の中にもトゥルー・クリミナル(true criminalなる罪人)がいなければなりません。皆いなければなりません。 

 

その道を行くべきであり、橋を置くべきです。世の中でいちばん悲な位置から始まって、これを越えることができる愛の代表者がいなければなりません。そうするためには、愛の十字架の道を行くべきであるということを知らなければならないのです。それが橋です。その言葉は合うようですか?一級、一級をの僕から上がっていき、の養子から上がっていき、の息子として上がっていき、のカインとして上がっていき、のアベルとして上がっていかなければなりません。 

 

皆さんが統一教会の原理を習うときに、僕の僕の道とか、養子の道とか何とかいう道を誰が行くのか? その道は、先生が行く道です。先生は、その道を行き、い、生きって、迫害するのにして勝利したために、その橋を置いてやるのです。 

 

それゆえ、皆さんが通りでかわいそうな人を見れば、先生がそのような立場だということを知りなさい。私が、共産党の前にそのような立場で踏まれ、拷問を受けひったくられたりするときに、腹が立ったでしょうか、腹が立たなかったでしょうか?そうだと言って「神、私の怨讐たちに雷を落として全部殺してしまう!」と言うと思いますか? 違います。体から血が流れる立場で、福を願ってやったのです。その人たちまでも。レバレンドンを捕まえて行こうとしました。(一一六一一四) 

 

3)真の父母になる前の過程 

人間の落によって、りの父母が生まれました。それで、先生は、このサタンを中心とした世界の上に、これを再び探して、天の父母の位置を築くための受難の道を行かなければならなかったのです。それは、父母が復しなければなりません。ひっくり返ったものを、父母が全部責任を持って蕩減しなければなりません。(一三一六三) 

 

の父母になるためには、カイン世界を愛さなければなりません。このカイン世界が、長男の世界でしょう?カイン世界は、落した長男世界と同じであるために、それが反しても天の愛をくしてやったという件を立てなければ、サタン世界が復できないのです。それを知るべきなのです。 

 

百五十
 
長子を先に愛さなければなりません。原則的にサタンが長子であるために、サタンが「 あなたがアベルを愛するには、長子を先に愛したという件を立てるべきです。そのような愛を私に見せずには、次子を愛することはできない!」そう言うのです。これが原理的だということです。 

ですから、母が行くべき道は、エバが行くべき道は、カインとアベルを一つにして、アダムにことです。それゆえ、母がいくら宇宙的な立場の愛を願うとしても、そのように愛してやれないのです。そのような位置にいるのです。(一二四七四) 

 

先生は、愛の係においては世界的な記を持っています。良心においては、天宙史的な記を持ちうる群が生まれているのです。それは、念にとどまるのではなく、際だということを知るべきなのです。事というものです。史的な事です。サタンにおいては、どれほど脅威であり、神には、どれほど希望的かというのです。統一教会の未が希望的でありうるしかないという、このような驚くべき位置にいるという事を、深く深く感謝できなければなりません。(拍手) 

 

とレバレンドンが、の父母が、この仕事を築くためにどのようにたか? 鉄条網を貫いて、かき分けていき、築いてきたのです。そこには血痕とのあととは言うまでもなく、悲な拷問のむちのあとまでっているのです。そのような過程を開拓したのです。

そのようは天の父母と血の父母の心を傷めてはいけないというのが、統一教会の人たちが持つべき心の姿勢なのです。これが宇宙のの倉庫であるということを知るべきです。ここから地獄をなくし、天を創ることができます。(拍手) 

 

今日、父母の日を迎え、父母の勝利を宣布するのです。父母の勝利魔がどれほど嫌い、神がどれほど待ち望んだか!皆さんの先祖たちと、人類がそれほど待ち望んだ勝利を備えるようになり、皆さんにそのまま相してあげようとするのです。一度も使用してみることができずに、全部子供たちにってやろうというこのみ旨を、皆さんがきれいに受けいで、大きな水晶にはならなくても、結晶石のような、そのような形を備えなければならないということを知るべきなのです。(二一六三二六) 

 

の父母は、二人の方がいなければなりません。二人の方がいなければ、の父母の基準の上に立つことができないのです。そして、的ないに勝利の基準を立てたとしても、地上に体のの父母が立てられなければ、自体世界で勝利の基準が立ちません。いくら界で勝利の件を成したとしても、地上にの父母が立てられなければ、その的世界の足場に該する足場を、この地上に築くことができないのです。 

 

それゆえ、これからられるの父母は、これのために命を捧げ、地と天に代わってっていかなければいけないのです。このようないの期間が四年期間だということを我は知るべきです。 

 

百五十一
 
では、この四年期間にられるの父母は、どのようないをなければならないか?まず、界で的な試練をなければなりません。その次には、地上で体的な試練をなければなりません。そのような中でも、倒れずに中心を持って立ち上がってこそ、初めて肉合わせての父母の因を立てることができるのです。すなわち、六千年の史の希望を成すことができるのです。 

は、一九六年に父母の日を設定しましたが、その日はどんな日か? 肉合わせてなる勝利の起点をつかむ日であり、の父母の理念が出した日です。それで、その日は一日に過ぎず、その日の因部分的な因に過ぎませんが、この因は、天宙史的な因ていくでしょう。 

 

そして、神は、その日を起点にして、界と肉界で同時に計実践なさることができたということです。すなわち、界と呼しうる基盤、初めて神うことができる基盤が築かれたということです。このように勝利の基盤が築かれたために、ここに一致する家庭的基盤、氏族的基盤、民族的基盤、家的基盤、世界的基盤のみ築いておけばいいのです。 

 

イエスが、イスラエル民族の反で、全体的な使命を完成なさることができず、園に行かれて的にイスラエルを拾して、的父母の立場に立っておられたのと同に、世界的な勝利の版を地上に築くことができるときがいつかというと、四年路程であるということです。この四年路程の間に界と肉界が一致して、勝利の起点を立てる日には、全世界の人類が園以上の界で行軍することができる時代的な恵沢圏内に入るというのです。 

 

ところで、このような史過程をていくのにおいて、られるの父母は、個人的な十字架を背負うべき段階から、世界人類の十字架を代わって背負うべきであり、家庭的な十字架を背負うべき段階から、世界的人類の十字架を代わって背負うべきであり、氏族的、民族的、家的十字架を背負うべき段階でも、世界人類の十字架を代わって背負うべきなのです。 

 

イスラエル民族の史を見ると、ヤコブはエサウとの個人的な闘争で勝利したために、個人的な復件を立てることができました。そうしてから、ラバンの家に行き、天が協助する中で、家庭的ないで勝利したために、家庭を見出すことができました。その後、ヤコブの後孫は、民族を形成するため、サタン世界であるエジプトに入りましたが、彼らは、そこで天の協助で救い出されて出てきて、カナンに入ることができ、カナン七族を滅ぼすことができました。このようにイスラエル民族は、カナン復路程四年をていきながら、初めてサタン世界にしてすることができました。 

 

年荒野路程以前には、三日路程がありました。イスラエル民族は、三日路程をた後に、初めてカナン復をすることができたのです。そして、イスラエル民族は、カナンに入っては、また四〇数を探して立てなければなりませんでした。 

 

帰摂理がのような路程をてきたために、今まで先生も四年路程をた後、三年路程をまなければならず、四年路程をまなければならないのです。三年路程と四年路程を合わせれば、七年路程になるのです。 

 

百五十二
 
このような過程をてこそ、初めて復帰歴史を終結し、天の主を立てることができるのです。イエスも、本は三三から七年路程をんで、が願う父母の基準を立て、そこから万物復の基準を立て、〇歳にすべてを終結して、天のみ旨を成すべきでした。これが、イエスの使命でしたが、イエスがこのみ旨を成しえず、十字架に亡くなることによって、このみ旨はそのままるようになりました。 

 

それで、再びられるの父母が、的外的ないに責任を持たざるをえないので、年準備期間、あるいは、闘争期間をいくのです。外的に四年準備期間ですが、的には闘争期間であったのです。こうして、的に勝利の基盤を築いて、初めて地上に肉を合わせた体的な基盤を築くことができる土台を備えたのです。 

 

の父母が中心になっていく三年路程をて、万物復の期間、すなわち、四方性を備えるための四年路程を「て」なければならないのです。それで、七年路程として蕩減復を終結していかなければならないのです。 

 

の父母を探すまで「の」は、史路程についてみると、三年路程、四年路程、四年路程は短い路程ですが、史的なすべての悲しみを全体的に蕩減復する期間であり、史的な無念さを体的に蕩減復する期間であり、史的な十字架を全体的に蕩減復する期間です。史的なすべての悲しみと苦痛と無念さにも屈服されないという、絶的な基準を立てずには、の父母の日、の父母の勝利の日は、迎えることができないのです。 

天に代わって、の父母の因に代わって、み旨に責任を持って、奉ってきた我統一教会は、それでこのような試練を自ら招いて受けていっているのです。 

その過程でサタン世界と分別された自分を立て、の父母が勝利の一つの手本を取って、サタン世界を審判しうるの子女の基準を立てておかずには、氏族、民族、家基準を立てておかずには、の父母にする本然のみ旨を、地上に成すことができないのです。 

 

この期間に、私とともにっている皆さんは、の父母の個人的な身代わりであり、家庭的な身代わりであり、民族的な身代わりであり、家的な身代わりです。

このような父母の身代わりとして、今まで韓各地へ出てっているのです。今は、世界的な舞台に向かって出て、責任を持ってわなければならないのが皆さんの責任であるのです。 

 

このような点から見るとき、今までの界と肉界の悲しみが何か? は、の父母がこの地に現れれば、その日から天地が平和を歌うべきであり、全天宙が幸福圏内に入るべきであり、を中心に地上天が成されるべきです。(一三二八五) 

 

「先生」の父母を宣布するまで、苦をどれほどし、口をどれほど聞き、監獄生活をどれほどしましたか?六回も監獄に出入りし、こうして今年に入っての父母を宣布したのです。ですから、の御父母であられます)。ですから、世界 高のかわいそうな王の中の王が文裁です。お母さん、お父さんが、何、どうのこうのと言いますが、いちばんかわいそうな人が文裁です。(二一一一六一) 

 

百五十三
 
先生が世界のために、どれほど多く投入したか「わかりません。」というのです。血をどれほど注ぎ、汗をどれほど流し、どれほどため息をついたでしょう。私がご飯のために、出世のために、そうなのではありません。地上世界、天上世界、神を解放するためです。このような人は、史時代に裁以外にはいません。の父母以外にはいないのです。 

 

そのような背後の史を持っているのです。それが念だけではありません。実戦舞台でを形成するのにおいて、それ以上の基盤を築いてきたために、世界万然と頭を下げうる段階までたのです。(二一〇・三六四) 

 

4)真の父母の限と使命

 

の父母が、この地上の人間たちの前に何をしようと訪ねてきたのですか? 人間がいちばん好きなものを作ってあげるためにたのです。それが何かというと、皆さんをの父母、小さいの父母にすることです。(一二五一一七) 

 

の御父母がすべきこと何か? 地上世界と天上世界とのふさがった道を皆開いて、ハイウェイを造っておかなければならないのです。それを知るべきです。地上世界から、界の地獄から、天上の位置まで、ハイウェイを…。(一三四一二九) 

 

の父母は界と肉界を中心とした王を持ってられたために、それを界までつなげるためには、界に統一基盤を築いて、界王基盤、蘇生的長成基盤をつなげなければなりません。そうしなくては、の父母が地上において、完成基準を成したという位置に、界が同することができません。それゆえ、その準備をしておかなければなりません。(一四〇・五四) 

 

皆さんは先生を真の父母と呼びます。レバレンドンが、なぜ皆さんの父母ですか? 皆さんを産んであげましたか?(的な…)。(笑い) どのように的な父母ですか? 一つ違うことは何か?の愛、本の愛をつなげてあげることができる父母なのです。それを知るべきです。 

 

アダムが何か? 皆さんの先祖になりうる父母でしたね、の愛をつなげられなかったのです。それをつなげられなかったのです。それゆえ、皆さんの父母たちは、皆さんをの愛につなげることができないのです。何の話か分かりますか?(はい)。 

 

の父母が違うことは何か?の愛をつなげうる特を持ってたということです、を。皆さんが父母の言葉を聞かないで、統一教会の文鮮明の言葉を聞くとは、これが社の正義ですか、ですか?(正義です)。どうして?天宙の原則がそうであるためです。(一一八一四八) 

 

百五十四
 
の父母が何をする人ですか? りの子女たちを率いての子女にする役割をするのです。ですから、サタンはそれをできないようにするために、ぶんり、ありとあらゆることを皆するのです。サタン側は、なる人です。それゆえ、の父母は、息子娘を消化して段階的に家庭基準、氏族基準、世界基準まで消化しようとするのです。このように言いますが、問題は深刻です。(一四九二八

 

先生は、何かというと、この時代にすべてを見せてあげるのです。僕の僕と僕がどのように行くべきかを見せてあげるのです。どのように行き、一つになるべきかを見せてあげるためのことを、今までしてきたのです。先生についてきて、全部成しておいてこそ、後で神の愛まで行く「ことができるのです。そうでなければ行けません。」のであって、それ以外にはありません。それを知るべきです。(一三五一四二) 

 

の父母はどのようになるか? 人間の先祖の落によって、ふさがった塀を崩すことができる責任的件を立てることができてこそ、の父母になります。統一教会を見ると、キリストもそうであり、天主仏教、儒、モスラムが皆入っています。 

 

あの仏教もここに至るでしょう? それが分かりますか? 皆さん、それが分かりますか、分かりませんか?(分かります)。分からなければ恥をかくのです。ここに入ってくれば、宗が一つになりうるということです。その次には、この氏族問題、人種問題ですがね、五色人種が一つになることができるというのです。(一一八二七 

 

原理主管と直接主管の間に塀が生じたのを、蕩減しなければなりません。個人、家庭、氏族、民族、家、世界、天地の塀を全部蕩減しなければならないのです、全部。原理主管がサタンに占領されたのです。ですから、サタンが中間の位置にいるのです。が上にいて、人間が下にいれば、サタンは中間に位置しているのです。それで、サタンの塀が生じたのです 

では、どのようのこの塀を貫いて、の位置まで進むか? これが宗の目的です。そこからサタンは、いつも間接主管を利用するのです、天地創造のときから今まで。ですから、これをもう一度つなごうというのが神理です。それで、史を通じて宗展させてきたのです。それがユダヤでした。を通じて、神のみ旨が今まで流れてきました。そうして、キリストまで下ってきたのが、現在の我況です。 

 

の父母は、この間接主管と直接主管をつなげる責任があるのです。サタンに引っかかっている個人、家庭、氏族、民族、家、世界の塀をどのようのすかというのが問題です。サタンはサタンなりに、神継続的なこの史をどのように妨げようかとしています。このように、二人が決してきているのです。

粘りくサタンが神を相手にしているのです。 

 

それで、先生がサタンと神の中間で、いつもサタンを除去することをしてきたのです。どのようのサタンの讒訴を受けない位置で、この仕事をはかどらせていくか?それで、蕩減路程が出てきたのです。それが人間の責任分担です。今まで、人間が責任分担を成せませんでした。どのようにその責任を埋めていくのかということです。 

 

百五十五
 
サタンは、それがメシアの責任であることを知っているのです。それで、すべてのサタン勢力を出動させて、の父母を攻したのです。それで、先生は、サタンの塀をすことを、個人から家庭、氏族、民族、家、世界、界までてきたのです。メシアは、この道をすべてなければならないのです。 

これが、我教会史です。サタンにして、いつも原理をしっかりとげてきたのです、愛をもって。サタンの血統を受けて落した父母として始まったことを、どのように人類のの父母の位置として復させるか、ということに苦心したのが神の立場だというのです。 

 

それで、一九六年に父母の聖婚式が、史上に初めて起こったのです。落した父母から復が起こったのです。イエスがたのは、アダムエバが落したことを復するためのものなので、イエスができなかったことを全部代わりにしなければならないのです。(一三一 

 

五)の父母の愛

 

皆さんが本の「私」を見出したというときは、神が自分の心にいて、自分は解放にいるのです。本然の神の愛と、本然のの父母の愛を中心として、本然の血統の史をつないで生まれたのが、本然の自分です。その自分を見出せば、皆入るのです。そこにの父母がいますか、いませんか?そこには、の父母の愛があります。 

 

の愛から自分が始まったために、自分を見出したときは、自分の中にはすでに二つの愛の本然相が植えられているのです。それが根になっているのです。自分を神から離してしまうことができず、の父母から離してしまうことができないのです。その肢体ですが、その肢体となった自体を否定できないのです。何の話か分かりますか?  皆さん、細胞のようなものをごらんなさい。細胞は、葉の細胞を切り取っても、根の細胞を切り取っても同じなのです。この頃は、細胞を繁殖して、植物も繁殖するではないですか?同です。葉にも根があり、皆あるということです。 

 

ですから、自分が偉大なのです。神の愛と、の父母の愛を、皆持っているのです。の愛との父母の愛は、宇宙のすべての主管性の核です。主体性の永遠な標準です。愛を中心として、全部主管しようとするのです。 

ですから、自分自身がすべての代表になるのです。神を代表することができ、父母を代表することができ、兄弟がいればお兄さんを代表することができ、弟を代表することができ、お姉さんを代表することができ、妹を代表することができるのです。そのような代表者になりうるのです。そのようになるとき、一族が迎するようになっているのであって、ケンカしません。反が起きないのです。吸されるようになっているのです。言葉は簡でしょう。これは、原理の核です。そうでしょう?(はい)。 

 

自分を完成しなければならないのです。道を修めるのも自分が完成するためのものではないですか? 自分の完成の位置に行くには、結局、神を探し、の父母を探して、接ぎ木することです。すっかり大きくなって、再び産むことはできないので、しかたなく接ぎ木しなければならないのです。それだからメシアがるのです。 

 

百五十六
 
メシア「は」が持ってくるものが何ですか? 本然の愛、の父母の愛を、完成した男としてくるのです。本然の理想的な身代わりがるのです。「私」という言葉を言う度に、これを考えてごらんなさい。ですから、解放される「のです。」でしょう?そういうものです。サタンから解放、生活から解放、血統から解放されれば皆終わるのです。 

 

では、解放されて何をするのですか? 魔の代わりに神に仕え、文化を形成しなければならないのです。の父母の生活を形成しなければならないのです。完成したアダムの位置に立つので、生まれた目的を完成するのです。 

 

それゆえ、自分にはの父母の愛が宿り、神の愛が宿るのです。その愛が、自分を完成させることができる調和の根本です。それを言い換えれば、自分には愛があり、生命があり、血統があるということです。三位一体です。(二二八三