第三章 復帰摂理歴史と神観の変化 (天聖経 縮約版 - 第一冊 真の神様)

訓讀王 | 20190814185749

天聖経 縮約版 - 第一冊 真の神様


第三章  復帰摂理歴史と神観の変化


旧約時代、神様は天使であった


) 旧約時代は僕の時代であった


 人間が堕落することで僕である天使にも劣る世界に落ちました。


 旧約時代は僕の僕の位置にいる人間を僕の位置に復帰してくる時代でした。

 神様は今まで蘇生、長成、完成の三段階を通して摂理してこられたということが分かります。旧約時代の僕の時代、新約時代の養子の時代、成約時代の真の子女の時代を越えて、真の父母の時代になるという復帰路程なのです。


)  旧約時代は天使が神様に代わって役事した


 旧約時代には本来、神様が直々に役事しなければならず、神様の栄光で人間に対すべき時代でした。ところが堕落によって摂理が完成しなかったので、悲しみを抱いて、第二次として天使を通じて人間に対する道を開拓してきたのが旧約時代なのです。


 アブラハムに現れた主なる神も天使の姿で現れました。創世記では三人が神様として現れ、二人はソドム、ゴモラの審判をするために行き、残る一人は神様となってアブラハムと対話する場面が出てきます(創世記一八・一~一八)しかし、彼らも神様の遣わした天使であり、天使を立てて方便として神様のように摂理されたのです。


 )  天使がなぜ人間の救いに加担するのか


 天使はどのような存在なのでしょうか。天使長はアダムとエバのために創造されたのです。


 天使長が堕落してアダムとエバ、人類世界をこのようにめちゃくちゃにしたので、天使がその仕事を代行しているというのです。天使世界がその仕事を代行しているのです。したがって天使世界がサタンと対決しているというのです。悪なるサタンと善なる天使が対決しているのです。その闘いで善なる天使側が勝利してこそ一歩前進するのです。


  主なる神の正体   


) 主なる神の属性


旧約の主なる神の属性を見ると、嫉妬心の強い神として「私」以外の他の神に仕えるならば恐ろしく嫉妬される神様であり、イスラエル民族にカナン七族を残らず滅ぼせと命じた残忍な神様であり、律法と法度に反したイスラエルの民を目の前で倒した無慈悲な神様です。宇宙を創造された愛の神様であるのに、このように嫉妬と復讐と恐怖心とカナン七族を無慈悲にも滅ぼすという、こんな性稟があっていいのでしょうか。旧約時代は天使が仲保となって神様に代わった時代だからです。


旧約に現れた主なる神とは天使であって、神様そのものではありません。神様は息子ではない僕に、父として神様が現れることはできないのです。


 )  宗教には新婦宗教と天使長宗教がある


 神様がアダムを造る前に天使を造ったので、今日の宗教は何かというと、天使世界圏を地上に造ったものです。その宗教世界圏内でアダムを造り出すということをしなければならないのです。 


 堕落した人間を救うために、神様は宗教を立てました。宗教は天使長圏の宗教です。それを大きく分けると四大宗教です。その中心はキリスト教ですが、キリスト教の主たる思想は新婦の思想です。


 神様が真の神であり、その他の存在は神的存在の天使たちです。


  イエス様が「父子関係の神観」明かす


 ) 新約時代は養子の時代


イスラエルという名を得たヤコブが勝利したというのは、神様の息子として勝利したのではなく、神様の前に僕として勝利したということです。こうして僕の僕から僕の立場に復帰し、僕の立場から新約時代には養子に復帰するのです。


 養子になるにはどうしなければならないのでしょうか。サタンは本来、天使長だったのですが、その天使長は僕だったので、その僕にも劣る人は養子になることができません。


  )  養子は父と呼ぶことができる


養子は血筋が違います。しかし来られたイエス様に接ぎ木されることによって、息子の名分をもって神様を父と呼ぶことができるのです。


神様が、目に見える神様として現れた存在がイエス様です。


  成約完成時代は神人一体の時代


真の子女は血統転換、 重生を経なければならない


 復帰途上で僕の僕時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代へと上がっていかなければならないのです。必ず原理によって信仰基台を立て、実体基台を立て、メシヤを迎えなければならないのです。メシヤは神様の真の息子です。養子と真の息子は血統的な関係が異なります。それゆえ血統転換が必要なのです。


 エデンの園で過った結婚をしたのが堕落なので、今真の父母が正しく結婚させることによってひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを、真の父母が清算することによって地獄を撤廃し、数千億の霊界の先祖まで結婚させるようになるのです。


メシヤが来なければ血統復帰がなされません。


 真の父母はサタン世界の根である間違った血統を正し、間違った生命を取り戻し、間違った愛の道を正しく開かなければなりません。


成約時代に先生が中心となり、真の父母という名をもって神様を地上に迎えるためです。そうして神人一体となるのです。


 神様と皆さんは元来父子の関係です。なので、息子のすることは父のすることであり、父のすることは息子のすることです。統一教会が恐ろしいのは、このような父子の因縁を教えるからです。


 旧約時代は万物を犠牲にして息子、娘を取り戻す時代です。分かりますか。新約時代は息子、娘を犠牲にして父母が来る道を築くのです。父母が来て、この地で神様が来ることのできる道を築くのです。縦的父の水平世界を、万民世界を越えてつくらなければならないのが真の父母の使命です。


 堕落した人間が神様の前に出るための方法は、時代によって異なっていました。すなわち、旧約時代は祭物を捧げることによって、新約時代は神様の息子であるイエス様を信じることによって、成約時代は真の父母に侍ることによって神様の前に出ることができるのです。


 神様は三代以後に一つにしようというのです。その次が新約時代と成約時代です。皆さんの息子、娘である二世が結婚して生んだ三代になって、伝統ができることでしょう。 


 成約時代は真の父母が犠牲になることによって縦的な神様を地上に迎えるのです。神様は縦的な父であり、真の父母は横的な父母です。


 成約時代は成就する時代です。個人的に完成し、家庭的に完成し、氏族、民族、国家、世界的に完成するのです。何を中心としてでしょうか。神様の愛と神様の生命と神様の血統を中心として連結されるのです。接ぎ木することによってサタンの血統的因縁がなくなるのです。


  創世以来初めて神様が顕現


初めて神様が姿を現される


 統一教会時代は父母の時代です。神様が地に臨むことができ、神様が来ることのできる道をつくるのです。それで神様が来られて、侍ることによって救われるのです。


 後に残るものは何でしょうか。神様プラス人間、神人、神人の生きる道、神人の生活観です。


 神様は絶対的な父であり、絶対的な真の父母、唯一なる真の父、不変なる真の父、永遠なる真の父なのです。絶対家庭、唯一の家庭、不変なる家庭、永遠の家庭が神様と共に暮らせる地上天国の永遠の基地です。


 神様は、生活的な主体性を備えて、常に私たちの暮らしている生活の主人として共にいるのです。侍られるだけではありません。共同的な愛を中心として共同的な生活をしている神様なのです。 


神様が人間の父母として現れるためには体をまとわなければならないのですが、その体を着た代表が誰かというとアダムとエバなのです。


 無形の神様には実体がないので、その形体を表したのが真の父母です。霊界に行ったのちも、真の父母の形状で神様が現れるのです。


父母様に出会った中で、神様に出会うことのできる道がつながるのであり、神様の国と父母様の願われる祖国を取り戻すための道につながっているという事実を知るべきです。


 成約の侍義時代は、生活の中で直接神様に侍って暮らす時代です。その時が神様の幕屋が人間にある時であり、初めて真の神様の姿が人間の前に現れることでしょう。創世以来、初めてです。


&&&&&&&&&&&


第三章  復帰摂理歴史と神観の変化

 

旧約時代、神様は天使であった

 

) 旧約時代は僕の時代であった

 

 人間が堕落することで無原理圏内に落ちました。どの程度落ちたのでしょうか。神様の僕である天使にも劣る世界に落ちました。主人となるべき、王子王女が僕にも劣る位置に落ちたのですから、再び上がらなければならないのです。それゆえ僕の僕の道理から始めて、僕の道理、養子、庶子、こうして直系子女まで、次に母を通じてアダム(父)の位置に戻らなければならないのです。復帰です。救いの摂理とは病気になる前の健康だった基準に再び戻すのと同じです。病んでいなかった位置に戻らなければならないのです。それゆえ救いの摂理は復帰摂理です。復帰摂理はむやみにするものではありません。とにかく「信じれば救われる」そのようにはなっていません。


 人間は堕落しましたが神様に背くことはできないので、僕の僕の立場から上がっていかなければなりません。それでは「僕の僕」というのは何を意味しているのでしょうか。主人がいないということです。堕落した人間は「僕の僕」の立場から神様に忠誠を尽くさなければなりません。サタンは天使長だったのであり、神様の僕でした。その僕の前に引かれていった人間であるがゆえ、人間が神様の前に戻ってくるには「僕の僕」の立場から神様の前に忠誠を尽くしたという基準を立てなければならないのです。


 旧約時代は祭物を犠牲にして、神様が僕として使うことのできる人を探し求める時代です。それが旧約時代です。人を失ったので反対になったのです。人が万物よりも低くなりました。人が万物よりも悪くなったので、神様の前により近い万物を二つに裂いて、お前の所有物、私の所有物として分けたのです。このように分別的な祭物を立てなければならなかった事実は誰のせいかというと、神様のせいではなく、サタンのせいでもありません。

 

 五十九

 

 人間が責任分担を果たせなかったからです。それを知らなければなりません。サタンの血統を受け継いだのは、人間が責任分担を果たせなかったからなのです。


 摂理的に見ると、旧約時代前、ヤコブ以前は僕の僕の時代であり、ヤコブからイエス様までは僕の時代であり、イエス様以後は養子の時代であり、再臨の時期は息子の時代です。息子の時代が来るので、息子に父母がいなければなりません。それゆえ父母の時代を経て神様のもとに帰るのです。


 旧約時代は僕の時代でした。僕の僕の位置にいる人間を僕の位置に復帰してくる時代でした。それゆえアブラハムも僕であり、息子にはなれませんでした。神様は僕の僕を立てて、忠誠の道理を立てられました。そしてこの歴史的な世界人類を引っ張って糾合させて、世界的な悪の舞台を天の側に占領しながら神様の摂理を発展させてきたのです。ヤコブも神様の息子として勝利したのではなく、僕の立場で勝利したのです。神様がこのように僕の僕から、僕の位置に復帰し、僕の位置から養子の位置へと復帰しながら摂理してこられたのです。

 

 歴史的な復帰路程を総括的に見ると、神様は今まで蘇生、長成、完成の三段階を通して摂理してこられたということが分かります。旧約時代の僕の時代、新約時代の養子の時代、成約時代の真の子女の時代を越えて、真の父母の時代になるという復帰路程なのです。

旧約時代の全人類に対する救いの摂理は僕の立場での救いでした。それゆえこの時代は、初めから終わりまで残って勝利することができる中心を立てなければ、僕としての復帰基台を立てることができませんでした。それゆえ神様はノアやアブラハムなどの中心人物を立てて四千年という歴史を導いてきながら多くの犠牲を払われました。


 旧約時代は何をしたのでしょうか。この世がサタン世界となったので万物を犠牲にして天の側の人を立て、僕を求めました。神様の僕。養子を探すこともできません。僕の僕を探し出すのです。サタン世界の人々はみんなサタンの息子、娘となっているのに、それを奪ってくることができるでしょうか。ですからサタン世界で落胆した人を集めて引っ張ってくるのです。惨めです。廃品を収拾してきます。廃品を収拾してくるので、そのままではできません。犠牲にならなければなりません。祭物の過程を経なければなりません。

 

 天はサタン世界の僕の子にも劣る人間を連れてきて、神様の世界の僕の僕にしようというのです。それが旧約の役事です。ヤコブとエサウを闘わせたのもそれです。ノアもそれです。遠い異国に連れていって、隔離された位置に、疲れ果てたところに天はサタン世界の僕の僕の子を連れてきて神様の僕にするのです。

 

 神様がサタンの僕にも劣る人間を御自身の僕として立てようとされたのが、旧約時代の摂理でした。


60 * 六十       

 

 サタンは一方では人間を怨讐のように扱います。人間はサタンの僕にもなれません。このような人間を神様の僕にする役事をしたのが旧約時代です。ここから再び僕を養子に、養子を直系子女に、子女を兄弟に、兄弟を新郎新婦として祝福して、真の父母の位置にまで行くようにしようというのです。神様を中心とした真の家庭を失ったので、これを取り戻すのが復帰です。イエス様を真の父母の位置に登場させるのが小羊の宴です。


 神様は僕を立てて、私がお前の父だと教えてやりました。僕を遣わし、天使を遣わして教えてあげました。次に息子に役事させました。その時代が新約時代です。その次は聖霊に役事させてきました。


 今まで神様の願いは、人間が万物と因縁を結び、神様と因縁を結ぶことでした。それゆえ神様は堕落した人間を僕の立場から始めて養子の位置を経て、子女の位置、そして父母の位置まで引っ張り上げるということをしてこられました。それは嘆かわしい堕落の因縁を切り捨てて万物と人間と神様が、一体の因縁を結んで神様の喜びが人間の喜びであり、人間の喜びが万物の喜びになるようにしようというのです。神様は息子、娘のために生き、息子、娘を万物世界と天使世界にまで誇り、見せてやりたかったのです。


 考えてみてください。旧約時代はイエス様が来るまでの四千年です。当時、祝福という言葉がありましたか。神様の名で家庭を祝福することができましたか。僕の時代だったので僕である天使長圏内にいるのです。天使長は結婚することができないのです。独身生活をしなければなりません。独身生活です。神様が家庭をもつことができず、神様の息子、娘が結婚できないのに、僕が結婚することができますか。そんなことができますか。


)  旧約時代は天使が神様に代わって役事した


 神様は汚された地を再び回復しようと、天使たちを通じて人間と関係を結ぶ救いの摂理をしてこられました。堕落によって神様に背いた立場にいる人間、万物とも比べられないほどに落ちに落ちた人間に、神様が再び対するために救いの摂理をしてこられたのです。サタンが支配し、サタンが讒訴する人間を神様が主管するために、橋を架けて役事してこられたのが、旧約時代を経て新約時代を経て今まできています。


 旧約時代には本来、神様が直々に役事しなければならず、神様の栄光で人間に対すべき時代でした。ところが堕落によって摂理が完成しなかったので、悲しみを抱いて、第二次として天使を通じて人間に対する道を開拓してきたのが旧約時代なのです。天は天使に役事させる基準を立てられました。天使も神的な存在なので、イエス様が来るまでの方便として人間に神様のように現れて、仲保の使命をなしたのです。

 

 旧約時代を見ると、天使たちをみ使いとして立てて、神様の自由の園、解放の天国を建設してきました。僕の立場から神様の息子へと解放される恩賜圏に入るには、命を失っても喜ぶことができなければなりません。そのような自由の心情をもった人だけが、僕の位置を越えて息子の位置を取り戻して入っていくことができたということを、皆さんは知らなければなりません。

 

六十一

 

 皆さん、聖書を見てください。神様は今まで霊界にいる天使長に、息子に、聖霊に役事させてきました。神様が直接心情を接続させる役事ではありませんでした。旧約時代は天使に役事させ、新約時代は息子に役事させました。旧約時代は天的に見ると、民を収拾するための時代であり、新約時代は子女を収拾するための時代でした。


 皆さん、見てください。イスラエル民族を立てるために、天上世界の天使たちが来て働きました。僕が来て働きました。次に息子が来て働きました。今は父が来ます。皆さん、来たるべき主は父として来られます。真の父母として来られ、真の子女を率いて愛するのですが、その時にはどうなることでしょうか。皆さんは一人を前にしても夜を明かすことでしょう。神様はアブラハム一人を全人類以上に愛し、イエス様一人を全人類以上に愛されました。それゆえ皆さんは神様の愛する息子、娘の一人がどれほど貴いかを知らなければなりません。


 アブラハムに現れた主なる神も天使の姿で現れました。本来、神様は無形の神様であり、目に見えない神様なのですが、創世記では三人が神様として現れ、二人はソドム、ゴモラの審判をするために行き、残る一人は神様となってアブラハムと対話する場面が出てきます(創世記一八・一~一八)しかし、彼らも神様の遣わした天使であり、天使を立てて方便として神様のように摂理されたのです。それを知らなかったのです。


 ヤコブが二十一年間修道して、一日の願いを成し遂げるためにセイルの地、兄のいる故郷の山河を訪ねていくのですが、二十一年間、その一日を待ちわびていたのですから、神様は喜んで「行きなさい、行きなさい」と言うべきなのに、天使を遣わしてヤボク川で「おい、この息子!」と闘いをさせたのです。ここで天使に負けようものなら、二十一年間の苦労が水の泡になるのです。それでヤコブが天使にしがみついて、勝つまで離さないと言ったのです。腕が折れても離せないと言ったのです。どんなに執念深いでしょうか。


 イサクの手を通じて祝福してくださった神様、すべてを捨てて故郷に帰るように命じた神様が、ヤコブの行く道を案内し、平坦にしてやることができず、さらには、ヤボク川で夜を徹して切ない思いで天に訴えるヤコブに勧告のみ言を下さるどころか、むしろ天使を遣わしてヤコブを打たせるという、こんな非情な環境を準備されたのです。


 旧約時代に生まれて死んでいった私たちの信仰の先祖たちは、どのような人々だったのでしょうか。神様は無形の神なので現れても分からないので、神様の形状として、神様に代わって、その時代時代に合うように、その歴史の因縁を再現して因縁を結ぶために送られた人々でした。それゆえ私たちが神様の養子の位置にまで上がるためには、多くの人の歴史的因縁を連結して、個人的世界代表、家庭的な世界代表、また、氏族的な世界代表、民族的な世界代表、国家的な世界代表、このような多くの数を経て、終着点を代表する一つの代表者としてすべて結束させなければならないのです。


 )  天使がなぜ人間の救いに加担するのか

 

六十二

 

 天使はどのような存在なのでしょうか。僕の立場で神様の前に忠誠の道理を尽くして、アダムとエバの囲いとなってやるべき存在です。万世に天の世界に栄光の雰囲気をつくって、神様の愛を中心としてアダムとエバと共に幸福に暮らすべきだったのです。言い換えれば、天使長はアダムとエバのために創造されたのです。アダムとエバの父である神様が天使を創造した目的は、アダムとエバのためだったのです。


 天使長が堕落してアダムとエバ、人類世界をこのようにめちゃくちゃにしたので、天使がその仕事を代行しているというのです。天使世界がその仕事を代行しているのです。したがって天使世界がサタンと対決しているというのです。悪なるサタンと善なる天使が対決しているのです。その闘いで善なる天使側が勝利してこそ一歩前進するのです。何の話か分かりますか。神様の思いどおりにすることができないというのです。原理がそうだというのです。


 神様が堕落していないアダムとエバの前に僕として三人の天使長を造りました。誰にアダムとエバを保育させ、保護して育てさせたかというと、天使長に任せました。なぜそうしなければならないのでしょうか。主体と対象の関係です。地上が主体で天使世界が相対となる主体と対象関係です。二重的な環境を中心として神様の真の愛の前に平衡的な相対圏を拡大させることが、天上天下を創造した神様の理想だったのです。


 アダムは誰が教育しなければならないのでしょうか。神様が教育するのではありません。天使長たちが教育しなければなりません。保護育成しなければなりません。結婚するときまで大切に、傷つかないように管理指導して教育すべき責任が天使長にあったのです。その原則に統一教会も従わなければ蕩減復帰完成ができないので、私は三十六家庭を立てて自分の息子以上に愛しました。


 神様は生命の母体です。父母はその子供の生命を育ててくれるというのです。生命の母体であり、愛の母体であり、保護の母体です。生命を保護してくれ、育ててくれ、愛してくれるというのです。それゆえ、幸福はどこから出てくるのでしょうか。保護圏が成立しなければ命が危機にさらされるのです。命が危機にさらされると愛も成立しないのです。今死ぬというのに愛が成立することができるでしょうか。できないのです。それゆえに保護圏がなければならないのです。それで保護圏を造りましたが、保護するのは誰かというと天使長だというのです。アダムとエバは生命の起源であられる神様から生命を受けて、天使長の保護を受けて愛の教育を受けている途中だったのです。

 

  主なる神の正体   

 

) 主なる神の属性

 

 モーセが愛の神様を紹介することができず、全能の神様、能力の神様、審判の神様を紹介した理由は、イスラエルの民に律法を与え、律法によって天の民を保育するためであり、乳と蜜の流れるカナンの地に連れていくための復帰のみ旨を成就することに、その目的があったということを知らなければなりません。

 

六十三

 

 乳と蜜の流れるカナンは荒野で十戒と律法を受けて契約の箱を担いだ生まれ変わった人だけが行くところです。神様は出エジプトをしたイスラエル民族に、神様の民として再創造するためのみ言を下さったのですが、彼らがみ言どおりに行わなければ、むちで打ち、怖い刑罰を加える恐ろしい神として現れたのです。


 サタンが王になっていた旧約時代は、メシヤが現れるまで悪魔が権勢を握る時代なのです。モーセにとって主なる神は恐ろしい恐怖の神、復讐の神、嫉妬の神として現れ、僕の僕となった人間を律法でむち打ち、法度に反すれば容赦なく刑罰を加えた時代が旧約時代です。旧約の主なる神の属性を見ると、嫉妬心の強い神として「私」以外の他の神に仕えるならば恐ろしく嫉妬される神様であり、イスラエル民族にカナン七族を残らず滅ぼせと命じた残忍な神様であり、律法と法度に反したイスラエルの民を目の前で倒した無慈悲な神様です。宇宙を創造された愛の神様であるのに、このように嫉妬と復讐と恐怖心とカナン七族を無慈悲にも滅ぼすという、こんな性稟があっていいのでしょうか。旧約時代は天使が仲保となって神様に代わった時代だからです。


 命には命で、目には目で、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、傷には傷、殴ったことには殴ることで返せという復讐に満ちた律法主義は、創造主神様の性稟であるはずはありません。神様は愛であり、許しの神様です。


 モーセの前にも神様は何度か現れます。ホレブ山で柴の中の炎のうちに現れモーセを召命し、シナイ山の頂でも現れてモーセに十戒を与えました。今日までモーセの前に現れた主なる神が天使であるとは知らずにいますが、新約聖書の使徒行伝第七章を隅々まで見ると、天使だと記録されています。「四十年たった時、シナイ山の荒野において、み使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。あなた方は、み使いたちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった」。このように旧約に現れた主なる神とは天使であって、神様そのものではありません。旧約時代は僕の時代です。神様は息子ではない僕に、父として神様が現れることはできないのです。


 主なる神は、モーセが神様の名を尋ねたとき、神様は「わたしは、有って有る者」だと答えて、主なる神だと名を教えます。しかし民族の前に出たモーセは、先祖の神、すなわちアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と、主なる神は先祖の神様であることを強調します。主なる神とは天使です。旧約は僕の時代だったので、神様の本当の姿を現すことができない時代です。


六十四

 

 さて、旧約聖書を見ると、神様が闘えと言いましたか、闘うなと言いましたか。サウル王が戦争に勝利したのち、女と子供だけ残して、男はすべて殺せと言われたのに、殺さなかったので罰を受けたことを知っていますか。どうしてそうなったか、考えてみましたか。サタンの男を生かしておけば、サタン世界が再び侵犯するので、そのようにさせたのです。サタンの男がいれば、自分の妻を連れていって思いどおりにするので、男さえ脈を断ってしまえば、子供と女は天の側に属することになり、その制度がなくなるのでそうさせたのです。そうしなかったことによって、異邦の神をあがめ、あらゆる異邦の淫乱な風俗が入ってきて、天の国が侵犯されたので、サウルが罰せられたのです。


 )  宗教には新婦宗教と天使長宗教がある

 

 神様がアダムを造る前に天使を造ったので、今日の宗教は何かというと、天使世界圏を地上に造ったものです。それが宗教世界です。その宗教世界圏内で何をすべきなのでしょうか。アダムを造り出すということをしなければならないのです。それでは宗教の中で世界的中心は何でしょうか。それはユダヤ教です。このようになるのです。そのユダヤ教は何をする宗教でしょうか。新郎を紹介する宗教です。それがメシヤ思想であり、救い主思想です。


 神様がアダムとエバを創造するまでは、その伝統的思想を誰が受け継ぐかというと、天地長の立場にある方々が受け継ぐのです。そうしてアダムとエバが生活するための新しい風潮と伝統を誰が教えてやるべきかというと、神様が教える前に、僕である天使長が「主人の息子、娘はこのようにしなければならない」と教えてやらなければならないのです。主人の息子、娘が過ちを犯すのを制止して、正しく歩むように先頭に立って教えてやるのが、年上の僕の責任ではないでしょうか。


 堕落した人間を救うために、神様は宗教を立てました。その宗教とは何でしょうか。エバの宗教と、天使長の宗教を世界に造ったのです。エバと天使長ゆえに堕落したので、人類をエバと天使長の宗教をもって復帰するのです。その道を通じて復帰されるのです。宗教は天使長圏の宗教です。百個、千個あったとしてもすべて天使長圏に属します。多くの宗教がありますが、それを大きく分けると四大宗教です。その中心はキリスト教ですが、キリスト教の主たる思想は新婦の思想です。

 

 神様が真の神であり、その他の存在は神的存在の天使たちです。唯一神と多神に対する確実な区分をしようとするならば、多神教は神的な存在、天使たちが立てたものです。これらの宗教の中で、善なる天使たちが人間の神霊と精神を高揚するために誕生したものがあるのですが、これらが高等宗教であり、神様はこの善なる宗教を通じて人類の心を開墾してきたということを知らなければなりません。

 

 天使長宗教は根本が明確ではありません。神様が何か分からないのです。終末にどうなるか分からないのです。ただ外的な遂行概念だけを中心として指導してきたのです。それゆえ終末になると、ふろしきをまとめて主人の家に世話をしに行かざるを得ないという立場になるのです。明白な伝統がないからです。


 旧約時代に神様のみ旨に従った人と、新約時代に神様のみ旨に従った人を考えてみましょう。旧約時代は原始的な宗教形態をもち、新約時代は時代的な宗教をもっていました。すなわち、新約時代は近代の二十世紀文明まで連結されてきた宗教時代なのです。統一教会は何の宗教でしょうか。統一教会は原始的宗教、時代的宗教よりも新たな次元の未来的な宗教になるべきだと考えるのです。


  イエス様が「父子関係の神観」明かす

 

 ) 新約時代は養子の時代


イスラエルという名を得たヤコブが勝利したというのは、神様の息子として勝利したのではなく、神様の前に僕として勝利したということです。こうして僕の僕から僕の立場に復帰し、僕の立場から新約時代には養子に復帰するのです。ローマ人への手紙第八章二十三節には「御霊の初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」とあります。アバ、父と呼ぶことのできる養子となることを待ち望んでいるとあります。新約時代にいくらよく仕え、よく信じていた信仰者たちも、牧師、長老、学士、博士はもちろん、みな神様の前では養子です。養子なのです。正直な話です。養子は養子です。養子というのは血統が違います。血統が違うのです。


 イエス様は何によって一段階上がるのでしょうか。この地上には人間の堕落によって人類の先祖がいないので、先祖の位置に上がればイスラエル民族は養子の立場で接ぎ木され、神様の前で相続圏に対することのできる息子の名分をもつようになります。それゆえローマ人への手紙第八章を見てください。「御霊の初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」とあり、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。アバ、父よと呼ぶのである」と書かれています。養子にしかなれないのです。今のキリスト教信者は養子です。養子は血統が違います。  養子は直系の息子とは違います。養子は、もし直系の息子が来れば、夜でも昼でもいつでもすぐに自分のすべての所有物を直系の息子にあげることができなければなりません。その所有物は自分のものではないからです。養子の立場に立っても、養子に定められたとしても直系の息子が生まれたときに「こいつ、どうして生まれたんだ」と言ってはなりません。これはサタンの本性です。神様がアダムを造ったとき、天使長がそのアダムを見て喜ばなければならないのです。喜ぶべきなのに、「どうして生まれたのか」と言ってはなりません。養子はこれを知らなければなりません。養子は息子を保護しなければならないのです。直系の息子が腹中にいるときも「ああ、生まれなければいい……」と言ってはなりません。


 それでは養子になるにはどうしなければならないのでしょうか。僕よりも優れていなければなりません。神側の僕よりも良く、サタンよりも良くなければなりません。なぜそうでなければならないのでしょうか。サタンは本来、天使長だったのですが、その天使長は僕だったので、その僕にも劣る人は養子になることができません。これは原理的です。それではその養子と言っても、どのような養子にならなければならないでしょうか。私が神様から相続を受けたとしても、それは私のものではなく、神様の本来の息子、娘の前に返すべき相続だという思想をもった養子にならなければなりません。そのような養子をつくらなければならないのです。


六十六

 

養子というのはのちに来る息子、娘のために、自分が死んでも命を尽くし、自分のすべてを犠牲にしても、神様の願われる直系の息子、娘が生まれることを願い、そのために準備する心をいつももっていなければならないのです。養子の名を立てなければ、息子と関係をもつことはできません。天使長よりも一段階高い中間的な存在として生まれたのが養子だということを皆さんは念頭に置かなければなりません。

 

 養子というのは血統が異なります。元来、新約の出発において、養子として立てられたのは誰かというと洗礼ヨハネでした。洗礼ヨハネは天使長の代表でした。神様の息子であるアダムの前で反対した天使長ではなく、後までアダムのために生きる天使長側の地上の代表者として立てられたのが、洗礼ヨハネでした。ところがこの洗礼ヨハネがイエス様に従うことができず、イエス様と一つとなれなかったので、悲運の歴史が繰り広げられたのです。


 旧約時代と新約時代が連結される歴史だということを知らなければなりません。旧約を信じてきた人は、僕として養子の恵沢を受けることを願うのですが、それがメシヤが来ることを望む理由です。すなわちメシヤによって僕の悲しい身の上を乗り越えて、養子圏の立場に進むことが彼らの願いです。養子の立場は、直系の息子、娘がいない場合に父母から相続を受けることのできる因縁が成立する立場です。ですから、僕の立場を超越し、神様のみ旨を迎えることのできる恵沢を受けるのを望むようにしたのが、僕の旧約時代を指導してこられた神様のみ旨です。それゆえ、彼らは僕の立場を免れて、神様の相続を受け得る圏内に入ることのできる特権的な一時を願ってきたのであり、それがイスラエルの選民思想でした。


 万物から養子的勝利圏を経て、息子の勝利圏を経て、父母の立場で復帰して上がらなければなりません。ですから新約時代はいくら良く信じても神様の息子には絶対なれません。

 

 今までの歴史を見れば、旧約時代は万物を祭物視しました。万物を犠牲にしました。万物を犠牲にした目的は、人間の解放のため、人間の復活を助けるためでした。万物を犠牲にして人を取り戻したのです。言い換えれば、万物を犠牲にするのは神様の子女を取り戻すためです。旧約時代は万物を祭物とし、新約時代は神様の子女たちが血を流して、この世界の復活圏に向かっていくのです。それがキリスト教を中心とした歴史でした。キリスト教の歴史はイエス様、そしてイエス様に従うすべての個人、家庭、民族、国家が今まで犠牲となりながら祭物的過程を経てきたものです。


六十七

 

 旧約時代はモーセに能力の神様を証させました。能力の神様として信じなければ罰を下しました。次に、イエス時代には慈悲の神様を紹介しました。イエス様が病人を治さなかったならば追い詰められて死ぬことはなかったのです。神様がこの天下を統一して、万国を救う指導者を養成しなければならないのに ……。病気になって死ぬのは、この世の先祖たちが過ちを犯したので、その罪の代価として死ぬのです。それをどうして生かしておくのですか。統一教会の文先生が病気を治したとすれば、数十万の病人を治したことでしょう。病気を治さなくても私たちのみ言を聞いて喜べば、らい病が治らないでしょうか。どんな病気でも治るのです。


  )  養子は父と呼ぶことができる

 

 旧約時代を経て新約の新しい朝を迎え、イエス様は神様を父であると宣言し、堕落人間を養子の位置に上げ、神様と父子の関係をつくってくださいました。養子は血筋が違います。しかし来られたイエス様に接ぎ木されることによって、息子の名分をもって神様を父と呼ぶことができるのです。神様との父子関係の成立は、イエス様以外には誰にもできない天の秘密だということを知らなければなりません。


 イエス様が神様を父と呼ぶとき、当時、旧約の観念に浸っていた祭司長やパリサイ人は、神様を冒 するけしからぬ言葉として聞いたのです。それほどイエス様の父としての神観は革命的な神観だったということを知らなければなりません。


 イエス様は一段階高めて神様の愛を紹介しました。旧約時代には、モーセが愛の神様を紹介できず、権能の神様、能力の神様、審判の神様だけを紹介しました。しかしイエス様は、愛を紹介しました。愛の神様を紹介し、愛のイエス様であることを紹介したのですが、当時の人間は受け入れませんでした。


 旧約時代は僕の時代だったので、神様の正しい姿を現すことができない時代です。神様は父であり、愛の存在です。神様は愛そのものなので、すべての罪悪を許される愛の父です。目には目で、歯には歯で復讐した旧約時代の律法は消え去り、イエス様によって怨讐を愛し、兄弟の過ちを七回ではなく、七十回まででも許される愛の真の姿を現すのです。父がどうして子の過ちを許さないことがあるでしょうか。


 神様は目に見える存在ではありません。その見えない神様が、目に見える神様として現れた存在がイエス様です。ですからイエス様はヨハネによる福音書で「わたしが父におり、父がわたしにおられる。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしい、と言うのか」と、神様との一体を主張しました。

 

 ですからパウロも「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(ローマ八・三八、三九)と言いました。イエス様も神様の愛のために来られたのです。


 イエス様がヨルダン川で洗礼を受けて天が開けた時から昇天するまで、三年という短い歳月だったことを知らなければなりません。イエス様が父子の関係の神観を明らかにしながら、具体的な内容をすべて語れずに逝かれたという事実を知らなければなりません。

 

六十八

 

 ユダヤ教のメシヤとして来て、世界的メシヤ路程を開拓しようとしている途中で死んだというのです。そうするとユダヤ教はどうなるのでしょうか。ユダヤ教のためだけの神様として仕える、そのような神様であってはなりません。イエス様がこの地上に来て教えるべきことは何でしょうか。旧約聖書で教えてくれた神様をそのまま教えてはなりません。新約時代の神様として教えてあげなければなりません。「国家的次元の時代を越えて、今は世界的次元の時代に入っていくので、世界を吸収するためには世界のために精魂を込める基台を築かねばならない」。このように教えるべきなのがイスラエルの国家的メシヤとして来たイエス様の使命だったのです。そうして生涯を捧げて世界的メシヤの権威を取り戻すことができるようにすることが、イエス様の生涯になすべきことでした。

 

  成約完成時代は神人一体の時代

 

真の子女は血統転換、 重生を経なければならない

 

 復帰途上で僕の僕時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代へと上がっていかなければならないのです。それでは完全に僕の僕時代を経て、僕の時代、養子の時代を経て直系時代と因縁を結ぶことができるでしょうか。直系の時代と因縁を結ぶには、そのままでは結べません。必ず原理によって信仰基台を立て、実体基台を立て、メシヤを迎えなければならないのです。メシヤは神様の真の息子です。養子と真の息子は血統的な関係が異なります。それゆえ血統転換が必要なのです。

 

 エデンの園で過った結婚をしたのが堕落なので、今真の父母が正しく結婚させることによってひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを、真の父母が清算することによって地獄を撤廃し、数千億の霊界の先祖まで結婚させるようになるのです。真の愛を中心とした地上の子孫が家庭基盤と通じて、霊界の先祖と地上の子孫が縦的に一つとなるだけではなく、このような家庭基盤を起点として東洋と西洋がつながるのです。

 

 私たち人間は血統的にサタンの血統を受けているので、自分では天の前に戻ることができません。ですからメシヤが絶対血統を復帰して、サタンが汚した血統を改造しなければなりません。これを転換しなければなりません。それゆえメシヤは必ず来なければならないのです。メシヤが来なければ血統復帰がなされません。血統復帰をしなければなりません。

 

 真の父母は何をしなければならないのでしょうか。サタン世界の根である間違った血統を正し、間違った生命を取り戻し、間違った愛の道を正しく開かなければなりません。聖書に「死なんとすれば生き、生きんとすれば死なん」とありますが、そのような逆説的な論理がどうして出てくるのでしょうか。サタン世界は死ななければならないからです。

 

 神様が創造当時に理想とされていた真の愛、偉大なる愛を中心として人間との愛の関係を結び、一つとなることのできる神人愛一体の理想を完成したならば、今日の私たちは天国だとか地獄だとか心配することなく、皆そのままで天国に行くようになるのです。


 人類歴史を見ると、旧約時代、新約時代、成約時代、このように三時代があります。ところで旧約時代とはどんな時代ですか。祭物を犠牲にして子女を救う時代です。神様の息子が来る準備をするのです。新約時代はイエ

 

 六十九

 

 ス様が祭物となって父母を迎える時代です。それゆえ、再臨時代を迎えて新郎新婦を立て、父母を迎えるための準備をしてきました。成約時代に先生が中心となり、真の父母という名をもって今まで四十余年間苦労してきたのは、神様を地上に迎えるためです。そうして神人一体となるのです。

 

 神様と皆さんは元来父子の関係です。新約時代には、人間は神様の養子でした。しかし今は父子の関係なので、息子のすることは父のすることであり、父のすることは息子のすることです。一緒にすることになるのです。父のものは息子のものであり、息子のものは父のものです。統一教会が恐ろしいのは、このような父子の因縁を教えるからです。これがも恐ろしいことなのです。

 

 金博士、博士を売ってこんなもの買いますか。なぜ笑うのですか。博士が問題ではありません。自分の物は旧約時代、息子は新約時代、自分たち夫婦は成約時代なのですが、この三時代を捧げても手に入れたいのです。旧約時代に物質を犠牲にしたのは、真の息子が来ることのできる道を築くためです。イエス様は息子として来て犠牲になりましたが、それは父母様が来ることのできる道を築くためです。父母様が平面上に来て受難の道を行くのは、神様を迎えるためです。どこにですか。本然の垂直の位置にです。天地の大道の起源がここで切れたので、この根本の根を是正しない限り平和の起源はないのです。これは絶対的です。

 

 文総裁のことを皆さんが「ああ、私たちと同じ人間だ」と考えてはなりません。文総裁の使命は何でしょうか。旧約時代は万物を犠牲にして息子、娘を取り戻す時代です。分かりますか。新約時代は息子、娘を犠牲にして父母が来る道を築くのです。父母が来て、この地で何をするのでしょうか。神様が来ることのできる道を築くのです。縦的父の水平世界を、万民世界を越えてつくらなければならないのが真の父母の使命です。それゆえこの水平の父の心情圏が造られれば、縦的な父の心情圏は自然にここに来て定着します。そうして縦的、横的な愛を抱くことのできる位置に行けば、ついに世界を越えて神様は核の位置に行って、本然の理想の権限を再び編成することによって「すべて完成した」と言うことのできる時代になるのです。どういうことか分かりますか。

 

 堕落した人間が神様の前に出るための方法は、時代によって異なっていました。すなわち、旧約時代は祭物を捧げることによって、新約時代は神様の息子であるイエス様を信じることによって、成約時代は真の父母に侍ることによって神様の前に出ることができるのです。

 

 皆さんの息子、娘は今後、同じ国の人同士結婚させることができません。神様は三代を見ているのです。今はこうですが、三代以後に一つにしようというのです。その中の一つが旧約時代です。ですから皆さんの結婚は旧約時代です。旧約時代。その次が新約時代と成約時代です。皆さんの息子、娘である二世が結婚して生んだ三代になって、伝統ができることでしょう。

 

70 * 七十       

 

 成約時代は真の父母が犠牲になることによって縦的な神様を地上に迎えるのです。それが後です。神様は人類の前に真の愛を中心とした縦的な父であり、真の父母は真の愛を中心としてその縦的な父の前に横的に九〇度を合わせた横的な父母です。それゆえ縦横の愛を中心として初めて神様の愛と神様の生命が激動するのです。神人合徳が激動して、真の父母の愛を中心として新たな血族が広がるのです。そうなることによって、人類歴史の中で初めて本然的原理基準を中心として、神様の愛の中で出発した生命の種が地上に顕現するのです。これが分からなければなりません。

 

 これからは所有権を復帰しなければなりません。旧約時代は万物を犠牲にし、新約時代は息子を犠牲にし、成約時代は父母を犠牲にして神様を迎えたので、今は何をすべきでしょうか。皆さんが母、父に代わってその立場に立たなければなりません。息子、娘は新約時代であり、万物は旧約時代です。この旧約時代、新約時代、成約時代が一遍に真の愛を中心として抜け出すことで、サタンが主人となっていたものをすべて蕩減して本然の主人に戻り、これを捧げなければなりません。捧げなければならないのです。

 

 成約時代は成就する時代です。個人的に完成し、家庭的に完成し、氏族、民族、国家、世界的に完成するのです。何を中心としてでしょうか。神様の愛と神様の生命と神様の血統を中心として連結されるのです。単一の血統、単一の愛、単一の生命の伝統です。このようになればサタンは離れざるを得ません。接ぎ木することによってサタンの血統的因縁がなくなるのです。

 

  創世以来初めて神様が顕現


初めて神様が姿を現される

 

 統一教会時代は父母の時代です。神様が地に臨むことができ、神様が来ることのできる道をつくるのです。それで神様が来られて、侍ることによって救われるという言葉が成立するのです。歴史はそのように発展するのです。

 

 後に残るものは何でしょうか。神様プラス人間、神人、神人の生きる道、神人の生活観です。人生観も同じように、神人人生観、神人世界観です。それは漠然と神様のことを人が知ることのできる程度の位置ではなく、人が永遠に離れようにも離れることのできない位置です。なぜでしょうか。神様と人は本来離れることのできない位置で離れたので、離れることのできなかったその位置以上の位置に到達しなければなりません。そのような位置で神人が一つとなった生活的な舞台、世界的な舞台を要求していかなければならないのです。

 

 神様は宇宙の中心存在なので、その近くに行けば、千年万年主管されてももっと主管されたいのです。神様を中心とした侍る道理がそのようになっているために、今日私たち人間もそうした立場で主管されればそれ以上の幸福はないという事実を私たちは想像すらできませんでした。

 

七十一

 

 これから皆さんは侍る生活をすべきです。今までの信仰生活は信じることによって救いを得ましたが、今後は侍ることによって救いを得ます。本来、堕落しなかったならば神様に侍ることによって私たちが行くべき道を行くのです。侍るには皆さんの生活と心で共に侍らなければなりません。

 

 神様は絶対的な父であり、絶対的な真の父母、唯一なる真の父、不変なる真の父、永遠なる真の父なのです。そのような父は絶対的な息子、唯一、不変、永遠の息子を探します。そのような息子、娘たちは絶対的な夫婦、唯一なる夫婦、不変なる夫婦、永遠の夫婦を成さなければなりません。それで彼らが安着するための家庭は、絶対家庭、唯一の家庭、一つしかないのです。その次には不変なる家庭、永遠の家庭です。そのような家庭が神様と共に暮らせる地上天国の永遠の基地です。

 

 侍義というのは生活化天国時代を言います。それで侍義を掲げてきたのです。復帰歴史は何かと言えば神様の創造理想を再現することです。

 

 神様を心の中に迎え、私たち人間が体の立場で完全に一つとなることのできる起源をつくらなければ、この悪魔の世界を清算する道はありません。このような観点から、侍る時代、侍義の救援時代と考えるのです。侍ることによって救われるのです。神様はあの空中に遠く離れた神様ではありません。私たちの生活圏内の主体者としての神様に侍らなければなりません。

 

 神様は、妄想的で観念的な神様ではありません。抽象的な神様ではありません。生活的な主体性を備えて、常に私たちの暮らしている生活の主人として共にいるのです。侍られるだけではありません。共同的な愛を中心として共同的な生活をしている神様なのです。  

 

神様がアダムとエバを造った目的はどこにあるのでしょうか。私たち人間の形状を見てください。体をもっています。しかし無形の神様には体がありません。体を着なければ、体をもたなければ霊界世界や地上世界を治めることができないのです。ですから神様がいらっしゃるにしても、神様が人間の父母として現れるためには体をまとわなければならないのですが、その体を着た代表が誰かというとアダムとエバなのです。堕落していないアダムとエバの体をもって現れるのです。それゆえアダムとエバは人類の始祖であると同時に、天地を主宰する神様となるのです。実体をもった神様、すなわち永遠な無形世界の神様の形状を代わりに着て現れた立場で、父母の立場で世界を統治する責任がアダムとエバにあったのです。

 

 無形の神様には実体がないので、その形体を表したのが真の父母です。真の父母は個人的な父母であり、家庭的な父母であり、氏族的な父母であり、民族的な父母であり、国家的な父母であって、霊界に行ったのちも、真の父母の形状で神様が現れるのです。統一教会が偉大なのはそれです。レバレンド・ムーンが偉大なのは何かというと、レバレンド・ムーンの形状を神様が使おうとしていることです。どういうことか分かりますか。

 

七十二

 

 その父母というのはどのような父母でしょうか。何億もの人間の父母が一度に生き返ったとしても、今日皆さんの言う真の父母の栄光を備えた父母はいないのです。千万代の先祖がみな復活して、復活した栄光をたたえたとしても、それは堕落圏から抜け出していない栄光であり、称賛です。しかし今日統一教会で言う真の父母という言葉は、皆さんの立場が悲惨でも、幾千万の先祖と共に、この地に勝利をもたらして、万民解放圏を備えた栄光の立場で称賛する以上に価値のある、誇るべき言葉だという事実を知らなければなりません。父母様に出会った中で、神様に出会うことのできる道がつながるのであり、統一教会に巡り会ったこの場は、近い将来、神様の国と父母様の願われる祖国を取り戻すための道につながっているという事実を知るべきです。 

 

 成約の侍義時代は、生活の中で直接神様に侍って暮らす時代です。その時が神様の幕屋が人間にある時であり、天にある新しいエルサレムが地上に降りてくるので、その時初めて真の神様の姿が人間の前に現れることでしょう。創世以来、初めてです。今までアダムの堕落以後、未完成級の歴史上では神様は現れることができないのです。