天聖經-第13巻 真の神様の祖国光復
第一章 真の神様の祖国光復
一 真の神様が願う祖国
イエス様も真の神様の祖国を創建するために来られたし、先知先烈(注:先駆けて道を悟った先人、義のために命を捧げた烈士)たちも祖国建設の役軍(注:担い手)たちでした。天国を創建するために完成した男性が来なければなりません。天地が公認する男性が家庭を成して、子女を繁殖し、氏族、民族、国家を成さなければなりません。カインとアベルを基準として蕩減し、接ぎ木して、この世界を神様が主管する祖国として創建しなければなりません。先知先烈たちがこれを願ってきましたが、願う個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へとつながる地上天国を建設できなかったので、私たちは歩んでいた道を捨てて、行かなければなりません。
千六百六十六
本来、人間始祖のアダム・エバが堕落していなかったならば、どうなっていたでしょうか。アダム家庭でのアダムは族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また国家の代表者になり、アダム王となるのです。ですからこの世界は、アダム主義一つに統一されるのです。くだらない主義はみな片づけなければなりません。くだらない主義がたくさん出てきて、世界を惑わしたので、私たちはこのような主義を根こそぎ引き抜いてしまわなければなりません。主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活様式もアダムの生活様式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義が神主義です。神様の心情によって神様と一体とならなければならないので、神主義なのです。
私たちが住みたい所は天の国、天国で暮らしたいというのが正しいのです。天の国に境界線がありますか。ありません。天の国で使う言語は二つですか。違います。人種の違いがありますか。ありません。では天の国とは何ですか。人はみな神様の懐から生まれたので、人類はみな兄弟です。神様を中心として見れば、神様の息子、娘ですから、みな兄弟であり、地上天国を中心として見れば、国民です。地上天国の国民なのです。国民だというのです。
私たちの目標は統一世界、神様を中心とした一つの国を築くところにあります。その国は、一つの主権、一つの国民、一つの国土、一つの文化です。真の父母を中心に一つの血統で連結されています。その国では、すべてが心情圏を成して、理想的な後継者になろうとするのです。聖書で「怨讐を愛せ」と言うすべてのものを成就することができます。 神様が創造した世界は、国境があり得ません。白黒の人種問題は問題になりません。善悪の闘争もそこには必要ないはずです。このような観点から見るとき、私たちが住む世界には各国ごとに国境があります。白黒の人種問題だけでなく、家庭において夫と妻、父母と子女の間にみな分裂が起こっています。善なる人と悪なる人が闘っています。このような現情勢を見るとき、来られる主は国境のない国をつくり、人種問題を超越して、世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭をみな統一しなければならず、善悪が闘うこの世界に、平和の王国をつくらなければなりません。
それでは本郷の地と本郷の祖国はどこか、祖国は何を意味するのか。祖国はもちろんある特定の一つの国家的基準になるでしょうが、神様が求めて来られた人類の祖国はどこかと言えば、地球星です。この地球星です。この地球が人類が願う祖国だというのです。神様が願う人類の祖国なのです。過去に数多くの歴代の私たちの先祖たちが犠牲の道を歩みましたが、彼らが希望をもって天の前に訴えながら歩んだこととは何だったのか。「希望の祖国の一時が早く来るように」というものでした。天の一つの国家を立てることによって、今まで天の前に怨讐である大サタンを審判してしまい、悪を取り除き、善のみを中心とした平和の天国をこの地上に築かなければならないというものです。それが神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において、至大な貢献をした私たちの先祖たちの願いであったということを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。
千六百六十七
祖国は、アメリカでも韓国でもありません。いかなる所であっても、家庭の編成、氏族の編成、民族の編成が成された祖国の地がなければなりません。神様は六千年の間、数多くの国家を経ながら、この地に築かれる天国を願いつつ、求めてこられたのです。天の忠臣、烈女がどこにいるかと求めてこられたので、今こそ私たちは天を中心とした国家と民族、家庭を再編成しなければなりません。祖国光復の解放の日のために、召されたということを忘れてはなりません。祖国創建が宗教人の使命であるのに、自分一人が救われようという間違った欲をもっています。
統一教会のメンバーは、個人から民族、国家基準まで築いてきました。これからは全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは祖国光復、自由、平等、幸福の日を求めて行かなければなりません。その道が難しくとも行かなければなりません。それは先生が見つめる観点であり、神様が御覧になる基準です。イエス様はこの基準を目指して歩み、亡くなられました。私たちは祖国光復の過程において、苦労し、前進しなければなりません。この地の人類は、統一教会のメンバーを前に立てて行かなければなりません。統一教会のメンバーでなければ駄目だという時が来ても、三年は苦労しなければなりません。彼らが私たちのものを相続する時まで、伝統を立てて、血と汗と涙を流さなければなりません。まだ私たちには蕩減条件が残っているということを知らなければなりません。
神様は悲惨な神様、神様は孤独な神様、神様は言い表すことのできないほど悲しい神様ですが、この神様を解放するための旗手になり、第一線の将兵となり、「血を流しても正統に打たれ、血を流して倒れるとしても一度に倒れよう」と言うことのできる信念をもって、祖国光復のために、その世界を一つに収拾するために歩む勇士の隊列がだんだん大きくなれば、ここから神様の喜びが始まることでしょう。
今は摂理の時が、どのような環境になったかということが、分かりますか。天の国の祖国光復がなされ、神様の地上天国が解放されること、それが第一の目標です。そのためには自分の家庭だとか自分の一族を犠牲にしてでも、やらなければならないのです。難民になったとしても、それをやらなければなりません。
一つの神様の主権のもとに一つの国を建てなければなりません。皆さんがこれから神様を中心として、真の父母を代行する実権者であるだけに、地上に祖国光復、世界統一的な国家に税金を払う時が来ました。先生の財布から出たお金をもって、皆さん個人を助けてはなりません。天のみ意に従わなければなりません。ですから韓国は韓国なりに責任を果たさなければならないし、日本は日本なりに責任を果たさなければならないし、アメリカはアメリカなりに責任を果たさなければなりませんが、この三カ国が一つの国です。父母の国と兄の国です。
千六百六十八
今後、言語の統一をしなければなりません。父母様が成就したすべてのことに対する記録を読むのに、翻訳されたものを読むということは恥です。天上世界の前に恥となるでしょう。天上世界にに行けば、神様の命令によって千年、万年を蕩減しなければならないかもしれません。そのように大変な問題が起こるのです。その峠を越えられない人は、祖国光復をしたと言っても、故郷に帰る道がありません。祖国に住むことのできる居住証がありません。国民として入籍できていないというのです。深刻な問題です。
二 我々の祖国を求めていかなければ
私たちは、神様の国を仰ぎ慕います。そこは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越し、永遠な愛の存続するところです。また、自分自身が高められるところであり、自分の価値が一〇〇パーセント認められるところなのです。すなわち、永遠に幸福なところです。それゆえ、人は天国を慕い、憧憬するのです。
もしも、地上で国家を復帰するということを自分の生涯で果たせない場合、皆さんは霊界に行っても天国に属する人としての価値をもつことはできません。地上で神様の主管圏内で統治されたという実績をもって、霊界に行かなければなりません。それが本来の創造基準なのです。
私たちの信仰の目標は、神様の国の民になることです。その国の民にならなければ、その子女として万民あるいは万物世界に、自由自在に誇り愛される道は現れません。国のない者は、いつも攻撃を受けることになります。かわいそうな立場に立つことになります。物も言えず攻撃される場合がいくらでもあります。それゆえ、神様の願う国がどこにあり、神様が足場とする国がどこにありますか。それが問題です。
私たちがこの国、この民族のために血の汗を流すのは、結局のところ永遠な天国をつくるため、千秋万代の子孫が永遠にたたえることのできる福地を築くためです。
その国とは、神様を中心として直系の子女が天命を受け、神様を身代わりした命令をもってその王権によって治める、そのような国であることに違いありません。そこに民主主義や、共産主義はあり得ないのです。一度形成されれば、永遠な国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民となれなかったという事実が恨めしいことではないかというのです。自分自身がそのような国で暮らせないということを嘆かなければなりません。そのような一つの国をもてなかったということを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権をもてなかったということを、私たちは嘆かなければなりません。
主権と国と国土を復帰するために、人類は主権国家を立ててきました。その中で多くの人が死に、多くの民が犠牲となり、多くの国が滅び、多くの主権が入れ替わってきたという事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった多くの人、天側にいる人、あるいはそのようなみ旨のために犠牲になったすべての哀魂は、いつの日かそのような国、そのような世界を築いてくれることを願っているのではないでしょうか。
千六百六十九
神様は愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な一つの国家を建てるためのみ旨を進行させてきましたが、現時点では一つの国家を復帰し得る土台は築かれていません。いつも失敗してきたので、この地上に天の人を遣わし、それを治めさせ、推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの天の歴史なのです。
主権のない国の国民はかわいそうなものです。ですからイエス様が心配して「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・三一~三三)とおっしゃいました。まず息子を求めなさいとおっしゃいましたか、国を求めなさいとおっしゃいましたか。神様の求めている国を求めよとおっしゃったのです。
イエス様も楽園に行って待っているのです。天の宝座の前には行けなかったということを知らなければなりません。イエス様は神様の前に国の主権を立て、国を治めて、地上から天国まで直通することのできる権限のある国をつくることができなかったので、神様の前に立つことができないのです。ですから楽園は天国へ行くための待合室です。また、天国は一人では行くことができません。本来堕落しなかったならば、天国はアダムとエバ、家庭単位で行くべきなのです。息子、娘と一緒に行かなければならないのです。そうでなければ行けないのです。
今まで宗教人たちは、なぜ生き残れないようなことをしてきたのでしょうか。宗教を協助することのできる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。国のない民なのです。国があったならば、氏族が反対する立場に立ったとしても、その国の圏内に残る道があったはずなのに、今まで宗教を信じる人たちが、どこへ行っても迫害を受け、どこへ行っても血を流す祭物の道を歩んできたのはなぜでしょうか。国がなかったからです。主権者がいて、国さえあったならば、「おい、これは正しいのだ」と言えば、「ちぇっ」ということになったであろうに、国がなかったので……。
国のない民なのです。
国がなかったとすれば、いくら幸福で良い家庭だとしても黄馬賊団(注:馬に乗った盗賊)が出てきて首をはねられるかもしれないのです。それゆえ国を求めなければなりません。宗教人は、これが分からずにいます。宗教人は確実に知りません。善なる国を求めなければなりません。これが宗教の目的です。
1670 * 千六百七十
国がなければ国籍がないということになります。国がなければ入籍するための土台がないということです。私たちは民族を編成して、新しく入籍しなければなりません。この地上に天国を編成し、その国籍をもって、愛国、愛族の真実で善なる父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を率いて生きたのちに、天上世界の天国に入ることができるのです。それが原理です。 国があって初めて私たちの千秋万代の子孫の前に、大切に残してあげることのできる伝統も残るのです。私たちが血の汗を流したすべての努力も残るのです。天の労苦をたたえる記念塔がこの地上に生じるのであり、すべての栄光の形跡がこの地上に残るのであって、国がなければすべて無駄なものになるのです。今日、世界のキリスト教にとって残された十字架やすべての涙も、天の求める国がないとするならば、すべて川に流さなければならないのであり、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡に倒れていくということを知らなければなりません。それゆえ国が問題だということを皆さんは知らなければなりません。
私たちが求めるべき祖国というのは、今日この地上にあるような歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。私たちが次元の異なるその国を受け継ぐには、そのための思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかしその主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致する思想でなければならないのです。絶対者の願う国が存在するには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致し得る国となることを願わなければならないのです。そのような国民性をもち、国家形態をもたなければならないのです。
国が形成されるためには、国土がなければならないし、国民がいなければならないし、主権がなければなりません。主権とは何でしょうか。根源的な神様と因縁を結ぶことです。国を治める人は、国民が深い眠りについたあとで、神様と因縁を結んで政治をしなければなりません。そうして主権者は国民と一つにならなければなりません。国民と一つになって自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、天のためのものであると考えなければなりません。そうなれば、その国は繁栄するのです。
一つの国が形成されるためには、主権がなければならないし、国民がいなければならないし、国土がなければなりません。天国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中の、どれ一つとして欠かすことはできないのです。
これは鉄則です。
一つの国を見ると、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみると、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。では国民は誰でしょうか。国民は万民です。それでは国土はどこでしょうか。地球星です。
自分が行き来するのも、その国を求めるための、祖国光復のための建国の功臣になるために、そのような使命を負って、あるいは天の密使としての指令を受けて、今日の悪なる世に来てこのようなことをしているのだという事実を考えながら生きていくべきです。そうでなければ、皆さんは今後来たるべき国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。
千六百七十一
さあ、六千年間神様に打撃を与え、苦しめてきたサタンが、そのままおとなしく「ああ、我は降りる」と言って目を伏せて引き下がるでしょうか。皆さんはぼろの雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思いますね。ぼろでも裏返して臭いをかいでみてから捨てるでしょう。サタンがそのまま引き下がるわけがありません。それでしぶとく闘いを挑んでくるのです。ですから中心に合わせなければなりません。統一教会の文先生も、中心から外れれば折れて出ていくのです。方向が合わなければ発展しないのです。
統一教会のメンバーは、はだしで立ち上がり、祖国を創建しなければなりません。食べて残ったものでこの国を生かすことができるでしょうか。食べて、着て、乗り歩くことに気を遣っている暇があるでしょうか。はだしで、素手で開拓していこう、このようにしていくのが統一教会です。
三 祖国光復の旗手
皆さんが責任を遂行するために誓い、三千里半島で新たな旗手になろうと誓って立ち上がるとき、大韓民国は私たちの懐に帰ってくることでしょう。それゆえ、輝く瞳をもっているならば、その瞳は栄光の祖国を直視する瞳と化さなければなりません。才能と力があるならば、それを祖国光復のために用いることのできる勇士となって、皆さん自身が堂々とした姿で、祖国光復のための聖別された責任者に代わる者となろうという信念を感じながら前進することができなければなりません。 祖国を立て、祖国を輝かせ、祖国と共に生き、祖国の中で死ぬことのできる自分とならなければなりません。今まで天の前に、誰も果たすことができなかった責任、この一時に一度しかできないこの厳粛な責任をおろそかにしてはなりません。一度聞けば十のことを考え、一度聞いたことを十以上のものと比較していかなければなりません。天の運勢をここに顕すためには、自分が千回恥辱を受けてもそれをものともせず、また、百の死の道があったとしてもそれをものともせずに行こうという信念をもって進むとき、神様は皆さんの行く道を守ってくださることでしょう。なぜならば先生が今まで歩んできた生活の中で、そのようなことがあるたびに神様はお捨てにならなかったことを体験したからです。皆さんも神様が保護してくださることは間違いないのです。
祖国光復のための一つの主体的な使命者として、自分が任された一つの道ならば道、一つの部落ならば部落で、この責任を遂行する者は自分しかいないという信念をもって、絶対引き下がってはなりません。ここで背信者となってはなりません。天命に一致する責任を果たせなくてはなりません。責任の裏道(責任を避けるところ)にいたのでは、この道を越えることはできないのです。
千六百七十二
寝ることができなくてもやらなければならず、食べられなくてもやらなければならず、追われながらもやらなければならず、死ぬとしても決定を下してから死ななければなりません。決定的な使命を遂行しようと新たに決心して立ち上がるとき、皆さんの行く道は開かれるに違いありません。しかしそうできなければ、先生が皆さんを立てて信じ、願ってきた希望の世界、光明の世界は、逆に闇の世界となることでしょう。先生はこのような問題を心配しているのです。
因縁を結んできた歴史とともに、因縁を結んできた事情とともに、感じ難い涙ににじんだ心情を感じるたびに、神様の心情をかき抱いて身もだえしなければなりません。そして祖国光復と世界解放の土台を私たちの手で、私たちの精誠によって築くために、闘いの場に向かって力強く闘っていかなければなりません。そのような皆さんになってほしいと思います。私たちが求めるべき希望の祖国を見いだす皆さんとならなければなりません。
皆さんが死地に赴かなければ、自分が救われないのはもちろん、大韓民国が滅びることになるのです。大韓民国の国民がすべて滅びたとしたならどうしますか。そこに入ろうとしなければならないのです。もしそこで犠牲になったとすれば、民族を団結させ得る新たな世界史的な爆発的力の源泉がそこからわき出るのです。「行こう!」と決意することのできる男らしい足並みとならなければなりません。
そのような道でなければ成し遂げる方法がないとするならば、その道を通ってでもみ旨を成していこうと、そこに志操の碑を立てていこうという天の息子がいるとするならば、それは神様の胸と骨と肉を一度に溶かすことのできる息子ではないでしょうか。祖国光復の伝統的思想は、そこから芽生えるのではないかということです。 そこへ共に行き、その涙の谷間を共に行き来するならば、皆さんは滅びることはないでしょう。神様はそのような人を捨てはしないでしょう。来たる希望の祖国は、そのような人を迎えるようになっているのです。皆さんが世界史上になかった祖国を迎える初の旗手となり、祖国光復の建国の勇士として登場するときには、千年、万年たたえられる群れになるのではないでしょうか。これは深刻な問題です。
今日、統一教会の群れは、金日成を中心とした北韓共産党の骨髄分子が一つとなったもの以上に、それを凌駕できなければ、神様のみ旨を成し遂げることはできないのです。そうでなければ神様の願う新しい祖国光復はあり得ないのです。
女性が先頭に立たなければなりません。ですから今、韓国でも祝福を受けた家庭の女性をすべて一線に追い出しました。先に動員したのです。韓国が本部国家なので、祝福を受けた皆さんの先輩家庭はみな一線に出ました。それを知らなければなりません。ですから世界に散らばっているムーニーの女性すべては、それに従って一線に向かって出ていくのです。
アーメン。
千六百七十三
四 私たちは祖国光復のための独立軍
皆さんが決心すべきこととは何でしょうか。祖国光復の一日を迎えることです。今日、私たち韓国の民は、八月十五日を光復節として記念しています。解放の日として記念しているのです。第二次世界大戦以降、多くの弱小民族が、自分の一つの国を中心として光復と解放と独立を記念しています。ところで神様を中心として、天地の光復の日と独立をたたえることのできる日はいつ来るのでしょうか。考えたことはありますか。その日が来なければならないのです。
日帝時代末期に祖国光復のために、祖国の独立のために地下運動をして日本と闘争しました。今もはっきりと覚えています。私が血を吐くような場で、息が詰まり倒れるその場で、「私は神様の名によって日本帝国を屈服させなければならない」といって闘争しました。そのような場において、神様は共にあるのです。北韓に行っても同じです。監獄に入れられ、追い込まれた場でも、神様の名によって監獄へ行けば、神様がついてくるのです。
私たちの生きている現世を、どんなことがあっても否定しなければならない運命にあるのが、今日の人類であり、人類を導いている様々な国家だと結論づけることができます。それゆえ、この地上に生き、地上に存在する人類と国は、どの道一つの峠を越えなければならないのです。歴史的伝統をそのままもっていては、真なる理想の祖国、神様の描く祖国の光復はあり得ないということを知らなければなりません。
神様の祖国光復が私たちの目前に来るという時点があるとすれば、そして、今日の韓国の地が神様の祖国光復の基地となるという驚くべき事実を知れば、韓国民族は寝ていられるでしょうか。食べて遊ぶでしょうか。勝手なことをするでしょうか。「するな」と言っても昼夜を問わず生命を投入することでしょう。財産が問題ではありません。子と妻はもちろん、自分のすべてと南韓(韓国)全体を投入してでも、これを成就させなければならないという義務感をもった大韓民国になるに違いないのです。そうなれば南北が統一されるでしょうか、統一されないでしょうか。それを知らなければなりません。
その基地はどこでしょうか。班です。その班が、個人の前で「お前は祖国光復をしたのか」というときに、「したとも。私は神様が愛した本然の祖国、私たちの先祖が愛した祖国の上に立ったのだ。歴代の先祖が愛し、見たいと思っていたその位置に立ったのだ。それゆえ、愛を中心とした神様の祖国のための復活体、祖国光復を願う父母と歴代の先祖の希望の復活体、祖国光復を願う世界万民を縮小した復活体として、私は立ったのだ」という自負心をもたなければなりません。
今まで統一教会は、家一つ建てませんでした。私はビルを建てることができるのに、どうしてそれをしないのでしょうか。私たちの教会本部をヨイドに建てようとしたとき、政府が許可してくれませんでした。本堂を建てられない統一教会が、地方教会を建てるというのですか。祖国光復のため、万民復帰を主張するための一つの神様を迎える殿堂を立ててから出発しなければならないのに、私たち統一家がひとつところに落ち着いて良い暮らしをしてはならないのです。
千六百七十四
ですから「父母の日」から、祖国の光復を公布しなければならないし、万国天下の伝統的出発と一致しなければなりません。このような闘いをしなければなりません。これを失ったのです。ですからこれは、サタンの餌です。では、これを起こして成し遂げた人は誰でしょうか。サタンでも誰でもみな、「文総裁は高だ」と言うのです。
父の国、再臨主の国、愛の救世主の国、天国の生命を中心とした愛の中心存在、天国の生命をもった中心存在として、神様の血統を受け継いで、ここに真のオリーブとして登場し、ついにこの統一教会の群れを支えることのできる統一教会ができたので、これらを中心として、すべての既成教会思想を切ってしまって、接ぎ木をするということをなしてきたのです。接ぎ木されまいと騒ぎ、切るといっては大騒ぎしていますね。切ってしまわなければ、それは滅びるのです。
日本人が復讐をするときは、自分の母一人、兄弟一人殺したといって、一生の間命懸けで復讐します。これを知れば、私たちの祖国光復のための復帰摂理路程において、このような惨事に遭ったことを知る王の悲痛、民の悲痛はどれほど大きかったであろうかということです。ところが、民であるこの人類がそれを知らずにいるのを見る神様は、なおのこと悲痛なのです。
神様のものなのに、偽りの愛によってすべて奪われてしまったのです。ですから、神様に帰らなければなりません。帰るには、そのままでは帰ることができません。蕩減しなければなりません。ではそのようなことを誰がしなければならないのでしょうか。数千年間宗教を通してなしてきたのですが、アメリカのキリスト教が韓国をアダム国家として保護し、イギリスとフランスと日本とドイツ、イタリアまで合わせて、祖国を光復させなければなりません。父の国を創建しなければなりません。そのためには絶対服従して、すべて真のオリーブに接ぎ木されなければなりません。
お母様の行く道は、先生の道のように困難であってはなりません。お父様の行く道は男性が反対しても困難はないのですが、お母様の行く道には反対する女性がいてはなりません。それを私が解怨成就するためにも、お母様の行く道は女性という従者がすべて後援し、「私を踏んで早く祖国光復と天地を解放して、神様を解放することのできる道を行ってください」と言うことのできる女性の橋が必要なのです。
ここにいる食口たちはみな国を捨ててきました。自分の祖国を捨ててきました。なぜでしょうか。神様が願う本然の祖国の地のため、祖国の光復のためにです。いかにアメリカが素晴らしいとしても、私の言うことを聞かなければ滅びるようになっています。このような独断的な決断を下してそんなことを言う人は、通りがかりの客ではありません。それをすべて果たしたので言っているのです。ほら吹き者ではありません。すべて終わらせてきたのです。
千六百七十五
過去の人、現在の人、未来の人、霊界に行った人も、祖国光復のために協助することのできる時が来ました。ですから多くの人々の先祖が入ってきて、統一教会に行かなければ薬を与えて病気にするようなことが起こるのです。文総裁の力でそうなるのではありません。神様と先祖、天使世界と先祖が一つとなって、地上をすべてコーナーに追い込むのです。家庭問題を中心としてコーナーで手をつけることはできません。唯一文総裁だけが全権をもって行使することができるという驚くべき事実を、この民族が喜望峰として、その国の、祖国の基盤として歓迎するときには、天下無敵の国となるのです。
五 祖国光復は真の愛によって
天の国、天国を建設する祖国光復において独立軍として戦いに出た女性は、歴史上どれだけ立派なことでしょうか。歴史上どれだけたたえられることでしょうか。堕落したエバ一人によって、歴史的に女性がどれほど呪われてきたことでしょうか。しかし、今復帰時代において、女性が先頭に立って祖国光復のために勝利的基盤を築いたならば、それはどんなにたたえるべきことか、考えてみてください。
では、どのようにして勝たなければならないのでしょうか。銃剣で勝ちますか、何によって勝ちますか。女性が現れれば、サタンの男性兵士が女性の真の愛を願うでしょうか。願いません。そのような者たちにどうやって勝つというのでしょうか。皆さんは自分が女王であるかのように考えなければなりません。
金日成は悪なる王であり、皆さんは善なる女王なので、自国のあらゆる権限をすべて悪なる王に何も言わずに与えるのです。そうして整備しなければなりません。何によってでしょうか。真の愛によってです。
神様がも喜ばれるのは、愛の文化です。神様はお金や権力、知識などが必要でしょうか。良い家を設計して建てるためには、レンガも必要だし、ドアも必要だし、多くの材料が必要ですが、その中でもも重要なものは、その家を完成させる総合的な完成美を備えることです。神様が人間に願われる も大きな願いは、多くのお金をもっていること、学者になることではありません。
聖書のみ言のとおり「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)これが第一の戒めです。第二に「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(同二二・三九)とおっしゃいました。驚くべきみ言です。
今後この世界の問題を解決し、人類の道徳問題をすべて解消するためには、堕落論がなければならないのです。堕落論なしには、人間の問題は是正されないのです。これはサタンが天に背反し、歴史を率いてきた後の絶望的終末現象なのです。これは人類を破綻、滅亡させるためのサタンの戦略です。これを解消しなければ歴史が解かれることはありません。歴史が解かれなければ歴史を清算することはできないのです。
それに対する代案を中心として、神様の創造理想の代案を中心として、私たちの神主義に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。それは自分自身のためではなく、利他的なものです。愛の相対を創造しなければならないのです。そのような内容でなければ、収拾する道はありません。
千六百七十六
アメリカの女性は、善なる女王のようです。現代のどんなアメリカの家庭においても、女性は女王のような状態にあります。それは事実です。いつも夫に「ああしろ、こうしろ」と命令するのです。神様がアメリカの女性を訓練しているのです。お金もたくさんもっているし、宝石もたくさんあるし、力も強いのです。お金をたくさんもっています。お金、すなわち「マニー」というのは、韓国語では「多い」という意味です。
皆さんが宝石や家や、アメリカの土地の半分を金日成の肩にかけてやれば、投げ出してしまうことでしょう。アメリカの半分を載せさえすれば、あきらめてしまうのではないでしょうか。そうでしょう。今、彼らは飢えて死につつあります。悲惨です。経済的に後援すれば変わります。ですからアメリカの女性が一線に立って「闘うのはやめよう。おなかがすいているでしょう。食べ物を送ってあげる。車も送ってあげる。欲しいものはすべて送ってあげる」と送り続けてごらんなさい。自然に解放されるのです。
アメリカの女性がもっているお金をすべて金日成にあげれば、金日成は闘おうとするでしょうか。その次には、中共を通して食べ物も送り、着る物も送ってごらんなさい。アメリカ人のように良い暮らしができるようにして、豊富に食べさせてあげれば、闘うことはしないはずです。ですから、ムーニーたちはどうすべきなのでしょうか。苦労して飢えながらも北韓の人に対して犠牲的に接したとしましょう。そうすれば、北側の人はそれが分かったときに、銃剣でムーニーを殺すでしょうか。
人類はすべて家族です。私たちは家族だというのです。すべて真の愛によって関係した一つの家族なのです。きょうお話ししたことと同じです。人類は一つの木だということです。皆さんの家庭には何人もの家族が一緒に住むのです。そこには赤ん坊もいるし、少年もいるし、青年もいるし、壮年もいるし、老年もいるというように、みんないるのです。このような家庭の道場は、世界大宇宙の家庭を連結させるための師範教育の場なのです。
自分の家庭を中心として関係をもっているおじいさんから母親、父親、自分の兄、自分、このような一つの家庭で訓練された四種類の人が散らばっているのです。ですから自分の家庭を中心として訓練することが、世界の家庭に接ぎ木するための道なのです。世界の家庭に連結させるためには、自分の家庭を投入しなければなりません。それが復帰原理なのです。より大きな目的を完成するためには、投入しなければならないのです。それが復帰原理です。再創造原理です。
主体と対象が、より大きな対象を求めて対応的な相対関係を中心とした主体と対象となって、一つとならなければならないのです。このみ旨と同じです。人類大家族化時代なのです。これは家庭を中心として訓練されたのを、自分の家庭よりもより大きく愛するということです。投入して忘れるならば、より愛するならば、どこにおいても主人となるのです。家庭よりも氏族が大きいので、氏族を愛し、氏族よりも民族が大きいので氏族を愛していた以上に民族を愛し、民族よりも国家が大きいので、民族を愛する以上に国家を愛するということです。
千六百七十七
このように段階的により投入し、忘れなさいということなのです。大きい分野に該当する道理に従って、より投入するという概念がなければなりません。この国からあの国に移るときも同じです。国をもって世界へと上がるときには、国に対して尽くしてきた精誠以上の精誠を尽くせばいいのです。投入するところには、より投入すべきなのです。
韓国で暮らしてきた人が、ここウルグアイに来たということは、地の果てから地の果てまで来たことになるので、自分の国よりも愛さなければならないのです。そのように自分の家庭よりも、自分の国よりも愛そうという心をもっていれば、夢でも統一されます。国境がなくなります。国境がなくなるのです。今や地球星は真の愛を中心として、統一祖国化時代となったので、このような思想さえもっていれば、どこでも通じることができるのです。一番目は言語統一化時代であり、二番目は人類大家族化時代です。これらはすべて、真の愛を中心としてするのです。
世界も祖国光復とともに自然についてくるので、一つの方向を中心として、民族が団結した世界と国家の形態をつくることができるのです。これがアダム文化ですね。それは何かというと、真の愛の文化です。
生まれるのも愛ゆえに生まれたということです。男性が生まれたのは自分のために生まれたというのでは、真の愛をすべて全面的に抱くことはできません。向こうの果てまで完全に抱くためには、無限に与え、与えて忘れなければなりません。そうすれば、宇宙が飛びついてくるのです。
今後、天国の世界では、給料をもらうという時代は過ぎていくのです。夫婦を中心として総蕩減をしなければならないのです。歴史時代においては、絶対信仰、絶対愛、絶対服従が宇宙創造の原則です。愛ゆえに信仰も必要なのであり、服従も必要なのです。愛ゆえです。無限なる愛には、宇宙的神様までも服従するのです。神様が投入してお忘れになるのですから、私も投入して忘れなければならないのです。服従するのです。
愛を中心として絶対信仰です。愛を完成するためには絶対服従しなければならないのです。死んで、百回死んでも愛を必要とするがゆえに、その道をよく求めていかなければならないのです。それゆえ、霊界に行くということは死ぬことではなく、神様の愛を求めていく道だということです。神様が愛のために死ぬという道をつくったのです。それ以上の心をもっていなければ、愛を復帰することはできません。
六 祖国光復のためにもつべき信念と姿勢
これから新しい時代を迎えて、どんな姿勢をもつべきなのでしょうか。祖国光復のための信念が、何よりももっと高く胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年間神様が待ちわびてきた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、このとてつもない使命に責任をもっているという自負心を感じなければなりません。来ては去っていった多くの人が手に入れたいと願ってはきたものの、手に入れようにも手に入れることのできなかった、たった一つしかない、この時にしかない特権的な使命を背負っているという厳粛な責任感をもつべきです。
千六百七十八
食べて寝て、行き来するという生活全体が、祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に遣わされた密使として、凛々しくこの使命を遂行しようと勇み立つことを、神様はどれほど待ちわびてきたことでしょうか。今まではひどく追い込まれ、ひどく追われてきました。一度たりとも国家の足場を備え、全体の内容を提示して繰り広げることのできなかった天のそのみ旨、祖国を立てるための、そのみ旨を立てなければなりません。今まで一度もそのみ旨を立てることができなかったのです。
これからは、そのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。またそこには、単一民族の血統がつながっており、他の民族にはもつことのできない歴史があります。このような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。
そのような使命を自分自ら早い時期に完遂できれば、それだけ祖国光復の土台が自分によって徐々に近づくのです。今日苦労の代価を払うということが、祖国光復の一日を近くに迎える土台となるのです。
このような事実を考えながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂しようという決意をもって進まなければなりません。そうしなければ、この時代に神様が私たちにもたらしてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることはできません。
「神様は私たちの神様、私たちは神様の息子、娘、私たちは祖国光復のために生きてきた。世界の至る所で追われても滅びることなく、復権する日を見るまでは死ぬものか。たとえ私たちは果たせずに死んだとしても、お前たちはその日を見てから死になさい」と子孫に遺言を残すのです。この思想が、すなわちイスラエルの思想です。
今後私たちは、大韓民国を神様のみ旨の前に立てなければならないのであり、神様の願う祖国光復をしなければなりません。このような意味から、私たちの責任遂行を前にして冷徹に批判してみるときに、今まで私たちがつづってきた生活態度が、どのような意味での生活だったかを反省せざるを得ません。
神様はどのようなお方でしょうか。神様は密使の大王であられます。祖国光復のためにサタン世界に現れる密使の大王であり、総司令官であられます。では、そのような神様がこの地に向かって、「私が神様である。私が教えてやることのできる真理はこれだ」と六千年の間に主張したことが一度でもあったでしょうか。ありませんでした。
しかしながら神様は、私たちの澄んだ良心を通して指示し、絆を結ぶために苦労してこられました。私たちの心の器を広げ、一致し得る自由な世界へと率いてきたのが六千年の復帰摂理歴史なのです。