第二章 人間創造と愛の理想の完成 (天聖經-第11巻 宇宙の根本)

훈독왕 | 20250511181343

天聖經-第11巻 宇宙の根本

 

第二章 人間創造と愛の理想の完成

 

一、愛の絶対価値

一) 人間の男性と女性

宇宙の根本を考える時、何を考えて造ったのかといえば、男性と女性の概念を通じて、それに合うように相対的理想として造ったというのです。今まで、これが分かりませんでした。


宇宙の根本とは何かというのです。人間だとすれば、男性と女性がいます。その人間はなぜ生まれたのかというのです。人間はなぜ生まれましたか。これが問題です。宇宙のも根本になる中心とは何かという問題、宇宙のも貴いものは何かという問題を、私たちは扱わなければならないというのです。


千三百九十七

宇宙の根本を探し求めていくと、主体と対象の概念が生まれてきます。ここにいる小柄な女性たちも、力をもっているでしょう?では、この小さい女性の力が願うものは、小さい男性の弱い力ですか、大きい男性の強い力ですか。男性も同じです。男性も小さい男性ならば、大きい女性の力を願うのです。それは、なぜそうなっているのでしょうか。バランスをとるためです。バランスが問題です。水平、または垂直にならなければならないのです。それゆえに、相対的理想というものがそこから出てきます。そこから、相対的理想が出てくるというのです。 人間の中には何がいますか。男性と女性がいます。それでは、男性と女性とは何ですか。種の中の種、焦点は、男性と女性を中心として、誰が焦点となるのかということが問題です。この男性と女性も、プラス・マイナスでできているというのです。

必ず、プラス・マイナスがあるというのです。何かの種を見ても、二つのかけらがぴたっと一つにかぶせられています。一つの殻の中に、二つが入っています。これは宇宙の根本を表しているのです。宇宙の根本が、すべてこのようになっているというのです。


宇宙の根本は、どのようになっていますか。原因なくして生まれたものはありません。必ず原因があって、初めて結果が現れます。このように見るとき、男性と女性が生まれた原因とは何かというのです。女性が生まれたのは男性を捕まえて食べるためですか。男性が生まれたのは女性を捕まえて食べるためですか。愛のためです。愛のために生まれたとすれば、女性も愛のために生まれ、男性も愛のために生まれたというのです。愛が原因なのです。


女性はなぜ生まれたのでしょうか。愛のために生まれたのですが、男性のために生まれたというのです。男性のために生まれました。男性はなぜ生まれたのですか。女性のためです。宇宙の根本は簡単です。それが天理であり、真理です。これを変えることができる他のものはありません。この簡単な真理が今まで分からなかったのです。


女性は、生まれてどこへ行きますか。いったい女性がなぜ生まれたのでしょうか。これが問題です。女性は、女性に生まれたことを嘆いたことがあるでしょう?なぜ女性に生まれたのかというのです。簡単です。

哲学のも根本となるこのことを知らなかったので、そのように思うのですが、簡単なのです。男性のために生まれたのです。簡単です。宇宙の真理です。


根本問題において、この宇宙は、ペア・システムでできていますが、それは共鳴するためです。何を中心として共鳴が起きるのかといえば、愛というものを中心として起きるのです。それゆえに、神様が創造される時、男性と女性を先に考えて愛を立てられたでしょうか、それとも、愛を中心として男性と女性を立てられたでしょうか。どちらが先でしょうか。

「男性と女性がこうなっているから愛がこうなるべきだ」と思われたでしょうか、「愛がこうなっているから男性と女性がこうなるべきだ」と思われたでしょうか。ですから、見えないものが貴いのです。


人はなぜ生まれたのでしょうか。生まれるときに、自分のために生まれた人はいないというのです。人がこのように生まれたとすれば、生きるのも自分のために生きる人は、生まれてきた本来の根本原則に背くのです。そのような人は、脱線者であり、落伍者であり、堕落者であり、破壊者だというのです。学校でこのようなことを習いましたか。「自分のために生まれた」と言う人は、この宇宙が要求しないのです。


千三百九十八

女性のものは、女性のためのものではありません。男性のためです。そうではないと否定できる人がいますか。それゆえに、何ももっているものがありません。「な(名)」しかない「おんな(御名=女)」だからといって、それが恥ずかしいことではないというのです。どこでも調和が可能です。おばあさんとも、お母さんとも、おじいさんとも、親戚のおばさん、おじさんとも調和することができます。女性という中心性を大きくしないので、その相対圏の幅がどんどん広くなるのです。これは、宇宙の創造原則に根本をおいた公式的な基盤に連結されるものなので、それは確定されていくのです。


種が一度一つになれば、その二つが一つとなった種は、その二つ自体に他の種がありません。それを壊すことは、宇宙を根本的に破綻させる立場、再創造過程をすべて破綻させる立場に立つのです。それはサタンです。それゆえに、自分の妻は自分の妹です。そして、神様の子女として見れば双子です。生まれたのは、男性のために生まれて、女性のために生まれたのです。女性は、女性のために生まれたのではありません。女性は男性のために、男性は女性のために生まれたのです。ですから、人が生まれたのは、自分自ら生まれたのではありません。それゆえに、男性のような人を好むのは男性ではないのです。女性です。女性のような人を好むのは、女性ではなく男性だというのです。そうでしょう?


真の愛を中心として私が完成するには、相対がいなくてはならないのです。相対がどれほど貴いかということを知らなければなりません。皆さん、真の愛がある前に相対が先です。相対が先であることを知らなければなりません。それを打つということは、宇宙の根本を打つことと同じです。神様を打つことであり、神様の体を否定することです。それを知らなければなりません。

それゆえに、すべての真の愛が安着し得るところは、男性だけではなく、女性だけではなく、二人が、男性と女性が一つになるところにあるということを知らなければなりません。このような観点から、夫婦を中心として自分の家庭を中心に、「宇宙は、私に似ている」というのです。


男性と女性が、全く同じでもよいでしょうか。男性と女性は違うのです。根本的に違います。男性が東側ならば女性は西側であり、男性が南側ならば女性は北側です。女性が
「なぜ男性は、私と同じではないのか」と言ってはいけません。女性が弱ければ男性が強くなければならず、女性がおとなしければ男性は大胆でなければなりません。また、男性は肩を振って進み、女性はおしりを振って進まなければなりません。このように違います。肩を振ることは、すべてを揺さぶることです。

それが宇宙のトーン(tone)です。宇宙に拍子を合わせるのです。


男性は女性のために生まれて、女性は男性のために生まれました。では、男性と女性はなぜ生まれたのですか。これは根本問題です。なぜ男性と女性が生まれたのですか。神様の愛のためです。これが問題だというのです。男性と女性、二人がなぜ一つにならなければならず、お互いに出会って何をしようとするのかということです。水平となって球形の中央に到着するためです。宇宙は、すべて球形に似ています。地球も丸くて、ぷかぷか浮い

 

千三百九十九

 

ているでしょう? 宇宙も、太陽もすべて浮いているのです。


なぜ男性が生まれたのですか。男性が生まれた目的は簡単です。女性のために生まれました。女性はなぜ生まれたのですか。男性のために生まれました。女性は男性がいなければならず、男性は女性がいなければなりません。アダムとエバは何のために生まれたのですか。愛のためです。人間は何のために生まれたのですか。愛のために生まれたのです。それはなぜですか。神様が愛を必要とされるからです。愛のスープを飲んでこそ神様が喜ばれます。朝食、昼食、夕食を食べながらも、
「ああ、気分がいいなあ!」と言われます。神様がお金のふろしき包みをもらったとすれば、喜ばれますか。知識のふろしき包み、権力のふろしき包みを必要とされますか。しかし、人間がも貴いと思う愛のふろしき包みには、神様も一目でとりこになってしまうのです。「家和万事成(いえわしてばんじなる)」とはよく言ったものです。「家和万事成」という言葉は、宇宙の根本をいっているのです。それがなぜそうなのかということは、統一教会に来てみれば明らかでしょう?


女性はなぜ生まれましたか。男性はなぜ生まれましたか。自分が生きるために生まれたのではないのです。この宇宙と共に、神様の本性の根本と結果のすべてを保護して、そのような価値的存在として生きるために生まれたのです。それゆえに、万物のすべての特性を、捕まえて食べようとするなら自分と似たものを捕まえて食べ、愛することができなければなりません。昆虫たちも雄と雌で喜んでいるでしょう。それを知っていますか。虫たちもそうです。蝶々たちも、雄花と雌花が開いて香りを振りまく所を好むでしょう?雄と雌が愛する運動圏内に行って、動き、暮らし、食べようとするのです。


堕落せずに本来どおりになっていれば、教えられなくても分かります。では、男性と女性はなぜ生まれたのですか。それが問題です。愛のためです。その愛は、なぜ必要なのですか。愛で何をするのですか。愛のために死ぬとか生きるとか言うでしょう?そうではないですか。なぜ命を懸けて死ぬとか生きるとか大騒ぎするのですか。それが命の根源だからです。根本が絶対的愛、一つの愛を訪ねていこうとするのであって、二つの愛を訪ねていこうとはしません。宇宙の大道、天理です。億千万世がたっても、この法はなくなりません。天上世界に行っても、この法が審判の基準になっています。


母親の生命、父親の生命を何によって血筋に連結させることができますか。愛を中心として血筋が連結されるのです。宇宙の根本に踏み込んで入っていくと、このようになります。私たちのような人は、深刻な人です。深
刻な人です。宇宙の根本とは何かという問題、これは深刻な問題です。

 

千四百

宇宙の根本は、愛、生命、そして血統です。それが「私」として結実しているというのです。それで、私は、愛の中心をもっているのです。生命の保護体です。それで、血統により歴史性、伝統性を連結するのです。皆さん、この三つが必要です。皆さんもこの三つをもっているでしょう?愛をもっているでしょう? 生命ももっているでしょう? 血統ももっているでしょう? この三つを一つに合わせて、新しい人が誕生します。


神様の愛と人間の愛がいつ一つになるのかということが問題です。これが歴史的な問題であり、宇宙創造以降の重大な問題です。これが解決されない限り、宇宙の根本が解決されない限り、絶対に結果が解けないのです。真の愛を中心としては、神様は核の位置に立たなければなりません。それでは、アダムとエバは何でしょうか。アダムとエバは、核を包み込む二つのかけらと同じです。皆さん、くりのようなものを見れば、二つのかけらになって胚芽を包んでいるでしょう?それと同じように、神様を核として、男性と女性が愛を中心として完全に一つになるのです。


男性と女性の二人が出会うのはなぜかといえば、愛のために会うのです。男性がなぜ生まれたのかといえば、愛のために生まれ、女性がなぜ生まれたのかといえば、愛のために生まれたのです。その愛を行って何をするのかといえば、神様を占領するためなのです。神様を占領して、宇宙の根本を占領するためなのです。原因と結果が一体となって和合するのです。結実というものは、原因と結果が一つになった位置で、すべてのものを一致化、合致化させたものです。実がなったので、ここから芽が出てくるのです。子が出てきて広がっていくのです。それゆえに、二人の父母の血肉を受けて生まれるのです。


「私」が生まれたのは、愛のために生まれたというのです。愛です!このことが分かりますか。宇宙の根本がこれです。愛、真の愛です! 男性も女性も同じです。 二人が一つになるには、何を中心として一つになるのですか。神様を中心として一つになるのではありません、男性を中心として一つになるのではなく、女性を中心として一つになるのではありません。神様とアダムとエバが真の愛を、絶対的愛を中心として統一が展開するのです。これが宇宙の根本です。簡単です。神様も、愛がなければ孤独な神様です。


かぼちゃの葉は、何のために呼吸しますか。生命を維持するためですか。生命は、何のために生きているのですか。愛のためです。女性は、何のために生きているのですか。男性は、何のために生きているのですか。お金のために生きているのでしょうか。愛のために生きているというのです。


愛する妻を百億、千億のお金と取り替えますか。深刻な問題です。本物の愛が貴いということを知れば…‥。この愛は、宇宙の根本と通じるのです。これがなければ、すべての根源が損傷するということをはっきり知っている立場にいるとすれば、これを何と取り替えますか。国と取り替えますか。


千四百一

共産党を支持しますか、民主世界を支持しますか。民主世界は有神論です。「精神が先だ」と言います。私たち統一教会は、「精神と物質は一つだ」と言うのです。これが統一論です。主体と対象を論じています。宇宙の根本は、原則として一人で存続できないというのです、二つの存在ですが、それが愛を中心として、絶対に一つに帰結されるのです。男性と女性、プラスとマイナスなら二つですが、一つになることができなければ唯一論になりません。すべて二元論になるので、二つの世界が生じて闘争の世界が展開するという論理が形成されるのです。ですから、男性と女性は二人ですが、一つにならなければならないのです。真の愛を中心として一つになるようになっているのが原則だというのです。


二) 男性と女性を完成させるものは生殖器

宇宙の根本は何かというと、男性と女性です。プラスとマイナス、男性と女性の愛を中心として成り立っているのです。それが生殖器原論です。すべてそのようになっているでしょう?カンガルーなど、何の動物であれ、見てみれば、産まれるとすぐに、まずおっぱいを探していきます。生殖器を見てみても、羽の付け根の中にあるものもいて、ありとあらゆるものがいるのですが、それをどうやって探していきますか。それは、超音波のようなものがあるのです。それを連結させる宇宙の根源が万有原力です。万有原力は、神様の本質的力をいうのです。


男性と女性は、何ゆえに違うのですか。目が違うから違うのではありません。五官が違うから違うのではないのです。何が違うために男性と女性は違うというのですか。生殖器が違うために違うのです。それ一つのために違うようになったのです。


男性と女性は、なぜ生まれたのですか。男性という言葉は、女性のために生じたのです。男性という言葉は、先有条件として女性を認めるのです。男性は体が大きいのですが、体の小さな女性のために生まれたのです。女性は何のために生まれましたか。その男性と女性において、違うものとは何ですか。何が違いますか。手が違い、目が違い、鼻が違い、口が違うのですか。何が違いますか。一つだけ違うものは何ですか。一つは凹で、一つは凸です。それが生殖器です。


男性に絶対必要なものは、女性の真理です。女性に絶対必要なものは、男性の真理です。男性の真理とは何ですか。女性の真理とは何ですか。それは生殖器ではないですか。そうです、生殖器を合わせるために男性と女性が生まれました。その生殖器をなぜ合わせるのですか。何のためにですか。愛のためです。
生命を結合して、血筋を結合するためです。

三元素をすべて混ぜるためです。 男性と女性を完成させるものは生殖器です。考えてみてください。皆さんもそうではないですか。目は一つですか、二つですか。なぜ二つですか。鼻の穴は二つですか、一つですか。なぜ二つですか。唇は二つですか、一つですか。なぜ二つですか。耳は一つですか、二つですか。なぜ二つですか。手は一つですか、二つですか。なぜ二つですか。足は一つですか、二つですか。なぜ二つですか。女性の生殖器と男性の生殖器も二つですか。それも同じですか。違います。それは別個になっています。


千四百二

この違うものをどのようにすれば良いのかということが問題です。すべてが相対的になっているのに、男性のそれと女性のそれは別個でしょう?生殖器というのは、いったい何をするものですか。それが何をするのですか。その目的は何ですか。生殖器というのは、いったい何をするものですか。それで何をするのですか。その目的は何ですか。おなかがすいた時に御飯を食べるためにそれがあるのですか。その使用目的は、いったいどこにあるのかというのです。自分一人では使用目的を絶対に果たすことができません。男性と女性が一つにならなければ、永遠に無用の長物になるというのです。考えてみてください。それが何のためにあるのですか。誰が女性を呼びますか。目が呼びますか、頭が呼びますか、体が呼びますか、心情が呼びますか。誰が呼びますか。また、女性は何のために男性を呼びますか。誰が、どちらが呼びますか。口が呼びますか。使用目的を成し遂げるために、生殖器は相対が必要なのです。それで、女性は、絶対的に男性を呼ばないといけないというのです。また、男性は、絶対的に女性を呼ばないといけません。これが絶対的ですか、相対的ですか。絶対的です。歴史を超越し、環境を超越します。それゆえに、いかなることがあっても、いかなる出来事があっても、これは成し遂げなければなりません。


男性と女性は、お互いに何が違いますか。性器官を含んだその体がまず違います。それでは、男性の性器官は誰に絶対必要なのですか。男性の性器官は、女性のためにあるのです。人間の性器官は、一つは凹で一つは凸ですが、なぜそのようになっていますか。二つともとがっているものにするか、二つとも平たくすることもできるのに、なぜそのようにできていますか。すべて相対のためです。男性のものは女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願います。女性のものが絶対に男性のものであり、男性のものが女性のものだという事実を知らなかったのです。それを
占領することによって愛を知るというのです。 平和の基地もそうであり、地上天国・天上天国、すべてのものが愛から生じてくるのです。どのような愛ですか。男性の愛です。女性の愛です。男性と女性が一つとなった愛です。その男女の愛がどこで一つになりますか。顔で一つになりますか、指先で一つになりますか。凹凸で一つになるのです。


心と体は、何を中心として統一するのですか。お金でもなく、知識でもなく、権力でもなく、真の愛だけが心と体を統一するのです。それは何を見て知ることができますか。存在世界をすべて知ってみると、男性と女性に生まれたのですが、哲学に入門する人々にとって、なぜ人が生まれたのかということが疑問でしょう?それは簡単なのです。この世に人がなぜ生まれたのですか。人といえば男性と女性です。この男性と女性がなぜ生まれたのかという問題を見るときに、女性という動物と男性という動物がいるのに、生殖器がそのようにできているのは一つになるためのものです。

 

千四百三

何を中心としてですか。愛を中心としてそのように生まれました。本来の神様が愛であるという概念を考えた時、愛のために男性と女性が生まれたということは否定できません。これが、何を中心として一つになるのですか。愛のために一つになるので、愛を中心として造ったということを否定できないのです。それゆえに、宇宙の大の神秘、 大の興味、大の趣味、 大の関心、 大の魅惑、すべて 大が入ります。それから何がありますか。大の滅びる運命。反対もあります。いくらでもそのようなことを思いのままにこうすることもでき、ああすることもできる内容をもった化け物のようなもの、それが何かというと愛です。愛の化け物だというのです。


生殖器は神聖なものです。それは正しいですか、正しくありませんか。なぜおかしな目で見るのですか。「統一教会の教主が生殖器の話をする」という目で見ていますか。牧師がそのような生殖器の話をすることができますか。皆、つばを吐きます。生殖器に対してつばを吐く男性、女性がいますか。男性が女性の生殖器につばを吐き、女性が男性の生殖器につばを吐きますか。


生殖器は神聖なものです。それは神聖で、神聖で、神聖な生殖器です。神聖なものです。堕落していない、完成したアダムの位置です。神聖な場所であり、神聖な宮殿です。高の宮殿です。生命の本神殿が生殖器であり、愛の本神殿が生殖器です。


男性と女性の生殖器は、何をするためのものですか。愛するためのものでしょう?それゆえに、その愛が現れるためには、男性と女性が必要なのです。男性と女性は真の愛のために生まれたのです。それは否定できないことです。


いくら凸があっても、凹がなければ大変なことになるのです。それでは、神様が人を造られる時、凹凸、男性と女性の概念が先だったでしょうか、人という概念が先だったでしょうか。それを考えて、はっきり答えてみてください。男性と女性、人の概念が先ですか、男性の性、女性の性の概念が先ですか。根本はそれです。いかなるものよりも重要だというのです。女性としてもっているその生殖器官が、宇宙創造の先祖だったという事実を知らなければならず、男性の生殖器が創造の先祖だったという事実を知らなければなりません。これを知らなかったのです。

生殖器が人間創造の先祖だったのです。第一の先祖が生殖器だというのです。この生殖器から男性と女性が現れたのです。事実です。生殖器から男性と女性に分かれました。分かれるという概念は、本来の概念の次だというのです。本来の概念から分かれて、男性、女性と呼ぶようになったのです。はっきり分かりますか。


雌と雄が生まれる時に、体が先に生まれたでしょうか、生殖器というものが先に考えられて生まれ始めたでしょうか。途中で雌、雄が決定しますか、雌、雄が決定されてから育ち始めますか。どうですか、尹博士?決定されてから育ち始めるのでしょう? そうだというのです。その雌、雄を誰が決定しましたか。アメーバが、「私が雄になる」と思って雄になれますか。雌のアメーバは絶対的に雌のアメーバであり、雄のアメーバは絶対的に雄のアメーバです。行ったり来たりできないのです。

文総裁がお母様のように「女性になる」と思ってなることができますか。既に、生まれる時に決定されるのです。精子と卵子が一つになる時、既に決定されているのです。男性、女性が現れる前に、生殖器が決定されるのです。男性になるところだったのに女性になったのではありません。男性は男性として絶対的であり、女性は女性として絶対的です。


千四百四

結論として、神様が人間を造られる時、も苦労してつくられたところはどこでしょうか。目ですか、口ですか、鼻ですか、手ですか。人間たちは、そのことを考えてもいないというのです。それが愛の本拠地です、愛の本拠地。愛の本拠地とはどこですか。男性と女性のそれをいうのです。それが愛の本宮だったというのです。そこから、男性の愛を知り、女性の愛を知るようになるのです。それがなければ愛が分かりません。愛の主人が現れることができません。男性の愛の主人は女性であり、女性の愛の主人は男性です。愛の主人になることができる資格をつくるのが愛の器官です。


純金という二十四金は、韓国の地から出てきたものも、景色の良い所から出てきたものも、水中から出てきたものも、どこかの山の谷間、人とかかわりのない地から出てきたものも、価値は同じです。自分が愛そうとする相対に対して、生殖器の愛というものが、「ああ、あなたは顔が悪いから私は嫌だ」と言いますか。愛の関係を結べば、そのあばたがかわいくなるのです。白人と黒人の夫婦が愛するようになれば、その白人女性は、黒人男性を黒人と考えることはできません。そのようなことが展開するのです。


自分勝手にまゆ毛が生えてきたり、勝手に涙が出てきたりしますか。狂ったことを言うなというのです。この宇宙の根本となる主人が存在し、その考えがなければなりません。私たちのこの体がどれほど神秘的ですか。この体は、ただ生まれたのですか。生殖器がどれほど神秘的でしょうか。それは想像できないくらい神秘的なのに、それがただそのようになっているのですか。生命が連結されているものは、簡単ではないというのです。 男性は、男性の生殖器を千年、万年きちんと守る主人にならなければならず、女性は、その生殖器を千年、万年きちんと守る女性になりなさいと教えるのが文総裁です。そのようにこれを間違いなく守るようにして、そのようにさせる責任を負った人が、「真の父母」の名前をもった父母だというのです。真の父母は簡単です。浮気者の女性と男性を連れてきて、浮気をせず絶対的に節操を守る男性と女性にすることができる力をもった人が真の父母です。希望がありますか、ありませんか。


三) 生殖器は根本問題解決の出発点と終着点

皆さん、勝手におしりを汚してはいけません!女性のものは誰が主人なのですか。笑うなというのです、宇宙の根本を明らかにしているのです。そうか、そうでないか、考えてみなさい。私がこれを知るために、骨髄が溶け出すくらい、それほど苦労したのを知っていますか。言葉は簡単だというのです。しかし、内容がどれほど途方もないか知っているのですか。天下が分かれて、世界が二つに分かれて、悪なる人、善なる人がここで分かれるのです。


千四百五

愛の王宮はどこですか。このような話をするからといって、おかしく思わないでください。それを正すことができなければ、世の中がすべてずれていくのです。前後関係が合わなければ、全天下によこしまなものが生じてくるのです。文総裁が今まで苦心して宇宙の根本を追求した結果、ぴたっと到着したところが生殖器でした。生殖器に至ってじっと考えてみると、天地の調和がここで渦を巻いていたというのです。驚くべき事実です。


先生がすべての複雑な世界の真理を探求したでしょう?すべて知り尽くそうとすると、神様がすべて許してくださいました。そのように苦労して、苦労してきてみると、座っているその場で自分がもっていて、知っているものだったというのです。ですから、もちろん驚き、感謝しましたが、むなしいことこの上なかったのです。


今まで人間が悩んだ根本問題がこれほど簡単で、これほど易しいとは、私は本当に分かりませんでした。ひどく苦労しました。全く、このようになっていることを知らずに、私が泣いたりわめいたり、霊界に入っていって、ろくでなしまでひっくり返してみて、ありとあらゆることをすべてしました。ところが、気づいてみると、私がすべてもっていたのです。「ああ、これを知らなかったのだなあ!」と思いました。私にすべてあります。宇宙がすべて私の中にあります。宇宙がすべて私に入ってきています。気分が良いでしょう?


先生は、宇宙の根本が何かという問題をおいて九年間も苦闘して解決しました。明らかになってみると簡単な道理でした。「やあ、こんなに簡単なことを知らなかったのだなあ。すべてもっていたのに、分からなかったのだなあ!」と思いました。そうではないですか。

山人参を掘るおじいさんが、太白山のような深い山中に入っていき、山人参を掘ろうと歩き回っていたのですが、「あ、ここは朝出てきて、小便をして一休みした場所、しりに敷いた場所が人参畑だった」というのです。分からなかったのです。帰ってくる途中で、出発した時、小便をしてタバコの吸殻を捨てた所に行って、またそれを拾って吸おうとして見ると、なんと人参畑だったというのです。そのようなことがあるのです。そのような時は、タバコの吸殻を探して吸うことも「幸福だ」と言うことができるというのです。


文総裁は、与太者式ではありません。宇宙の根本を追求してみると、それです。これをすべて知って見てみると、全くこんなにも苦労をして、一生の間どれほど苦労をしましたか。あぜんとします。すべてもっていました。すべてもっていたというのです。それゆえに、霊界の神霊な場所に入っていくようになり、「神様、どこにいますか」と尋ねる時には、神様が私の中で、「どうした、ここにいる」と言われるのです。それで、「人すなわち天」という言葉が出てきたのです。


宇宙の根本が何であり、どのようになっているのかという問題を解くために、千辛万苦、苦労したその背後を皆さんは知りません。 それは、通りすがりに何かの笛の音を聞くようにして、歌の調べによって探し出したのではありません。血涙ですべての五感神経の感覚を一つの焦点に集めて、身もだえしながら奪ってきたのです。それを奪ってきても保管できる能力がなければ、天が許諾しないのです。


千四百六

今までこのように生き残ったのは、誰が保護したから生き残ったのだと思いますか。文総裁が保護したからですか。滅びたい人がどこにいて、栄えたくない人がどこにいますか。しかし、天運の保護を受けようとするなら、栄えない道を行かなければなりません。その道は、どのような道ですか。この地上に、自分のために生きなさいという歴史の教訓を広げておいたのが悪魔ですが、これを越えて本然郷においての、神様の思想的基盤においての、根本思想においての「ため」に生きる創造の遺業を通して、「ため」に生きつつ理想を求めていこうとしていた創造主の本意に一致することができる行動をする人は、この宇宙が保護します。「宇宙が保護する」という
ことを実感できるように一言話しましょう。


私が、誰も知らないこの道を探すために、どれほど大変だったでしょうか。人生問題の根本を解決するためには歴史を解決しなければならず、宇宙を解決しなければならず、神様の苦衷まで解決しなければ解決できないということを知った時の、暗中模索していたその若い時期の苦痛を皆さんは知らないでしょう。しかし、そのようなことができる組織をすべてつくって、言葉だけでなく実践途上において、それが証された世界の版図をすべて得ました。これからは、誰でも走ってきて旗を受け取って後ろにつけば、すべて天国に入ることのできる時代が来たというのです。


も根本の問題は、心と体が闘うことから始まって、宇宙的な宝石を埋蔵した基地を失ってしまったということを知らなかったのです。内的な面において自分を統一する道は、自分を完成させる愛を発見する道であることを誰も知りませんでした。それを発見するためには、宇宙すべてを解読してから、それを知ることができなければならないのです。それが分からない以上、答えは出てきません。先生の話を聞いて、どう思いますか。不幸だと思いますか、幸せだと思いますか。どの程度幸せだと思いますか。


この宇宙の存続、歴史の存続、国家の存続や理想の継承等、すべては何を中心としているのですか。様々な関係世界を支えることのできる、その根源的な根本要素は何か、全体を代表することができるその中心要素は何かというのです。これが、重要な問題です。私たち統一教会の食口関係において、統一教会に入ってくる時と、今まで十年、数十年たった時と比べると、だんだん習慣化されていって、昔、教会に入ってくる時に情熱を尽くして全体を考えていた、そのようなすべての関係はだんだん消えて、あとからは自分の利益だけを取ろうとして悪魔の網に包まれ始める
のです。それは滅び始めるということです。


なぜ原理ですか。根本の理論だというのです。原理というのは、根源の道理、理論を言うのです。人生の根本問題、宇宙の根本問題、そういったものが、原理を解きほぐすことによってすべて明らかにされるので、地上に行っても天上に行っても、その原理の行く道を妨げるものは何もないのです。それで、平和、安定、安息の生涯路程が見いだされるのです。一つになれば感じないというのは重大なのです。


千四百七

宇宙の根本とは何かというこの問題に対して、祈祷して、神様にすがって大騒ぎをしても、教えてあげることができないのです。誰にも教えてあげることができない内容であることを知らなければなりません。それはおかしいでしょう?神様が教えてあげれば、天下に一日統一が起きるはずですが、人間が誤ったので、人間自体が罪を犯したので、罪を清算しなければなりません。未知の立場に落ちたので、この未知の立場を克服して、この線を越えた人でなければなりません。病気が治った人でなければ病院から退院できないのと同じです。

根本に入っていけば、神様と人間との関係は何かという問題が台頭しますが、答えは簡単です。「宇宙の根本は何ですか」という問題を中心として、誰よりも苦心した人がここにいる、この人です。そのような問題を解決したので、「統一教会」という言葉を掲げてきたのです。それは、人間世界ではできません。霊界に行って、すべて、公判廷に入っていって競売の入札をするようにしなければなりません。このような話は、初めて聞いたでしょう?


万一、宇宙の根本であられる神様がいらっしゃらないとするなら、この世に絶対価値の基準はあり得ないのです。そうなれば、人間の道徳と倫理の基準が成立せず、その社会は、人間が万物の霊長になることができる、いかなる哲学的根拠ももてないのです。


私は科学を勉強した人です。このような理論的な基準で、宇宙のすべての根本を洗い出して、間違いないという自信があるがゆえに出発したのであって、一生の間、監獄を出入りし、むち打たれ、悪口を言われて、あらゆることをすべてしながら、一言も反対できず、このように黙って世界を征服してきたのです。真の愛の中心である神様、すべての力の根本である神様が倒れますか。 神様の愛のパートナーが倒れますか。打てば、それが壊れるようになっていますか。神様はどうですか。「神様、あなたは、あなたの愛の対象が御自身より劣っていることを願いますか、優れていることを願いますか」と尋ねれば、「お前たちと同じだ!」という答えです。

この驚くべき事実、この宇宙の根本がこのようになっているという驚くべき事実です!その次には「あなたも息子、娘がいれば、息子、娘が御自身より立派であることを願うでしょう?」と尋ねれば、「同じだ」と言われるのです。人間がもつべき権威的価値、これを失ってしまいました。

文総裁がすべての真理を探究して、霊界、肉界を探査し、すべての経典を探査しても、これを解決する道がないのです。神様がいるか、いないか。神様がいらっしゃるならば、世界をこのように造られた神様を私が抱えて放しません。勝負を決定するための闘いをしたのです。

人間が生まれた根本原則は何であり、なぜ生まれたのですか。男性は女性のためです。それが全体真理の中の高の真理です。女性の前に理想的な男性は、 高の真理です。宇宙全体が完成した理想の真理の本体だということを知らなければなりません。男性の前にそのような女性も、宇宙の真理の本体の中の本体です。絶対的な真理体です。


二、生殖器は三大本宮、天の至聖所

 

一) 愛と生命と血統の本宮

千四百八

男性と女性はなぜ生まれたのですか。男性と女性の違うものは何ですか。男性と女性がどのように一つになるのですか。男性と女性が何を中心として一つになるのですか。生殖器を中心として一つになるのです。これは調和の箱です。この場で、愛の完成が展開するのです。真の愛が初めて完成するのです。それから、男性と女性の生命が一つになる所も、その場です。男性と女性の血筋が交流して植えつけられる所も、その場です。その場が理想的な愛の本宮であり、血統の本宮なのです。絶対的な本然の所を本宮といいますが、誰もその価値を変えることはできません。


アダムとエバの生殖器、その場所が偉大だというのです。それゆえに、その生殖器は愛の本宮といいます。驚くべき言葉です。天地創造のすべてを、神様まで完成させて安息させることができる王宮であり、本宮です。天国も一番目ではなく、地上国も一番目ではありません。家庭から始まるのです。これが本宮です。驚くべき言葉です。またその場は、真の愛を中心とした本宮ですが、真の生命を中心とした本宮でもあります。その次には、血統を中心とした本宮であり、地上天国の出発地であり、天上天国の出発地なのです。


人間の生殖器が真の愛の場所です。そこで愛の行為が連結されるでしょう?ほかの所でそのようになるのではありません。そこが男性と女性の生命が連結され、一つになる宮殿です。そして、男性と女性が一つになれば、その血統から息子、娘が出てくるのです。ですから、血統の宮殿です。それほど重要なのです。


男性と女性の生殖器は、愛の宮です。愛の王宮です。子宮が貴いですか、男性と女性のそれが貴いですか。言ってみなさい。子宮のために生殖器ができましたか、生殖器のために子宮ができましたか。深刻な話です。笑う話ではありません。男性がいるために子宮ができたのです。女性のそれは、男性のためにできたのです。なぜおかしな表情をするのですか。男性と女性の生殖器は、愛の王宮です。それがなくては愛がありません。愛を探せません。それを通らなくては、生命が連結されません。男性と女性がいても、何になりますか。生命が連結されないのです。それを通らなくては、歴史を連結させる血統が連結されないのです。


生殖器とは何ですか。それは、真の愛を中心とした王宮であり、真の生命を中心とした王宮であり、真の血統を中心とした王宮です。も貴いものです。これがなくなれば天地がなくなり、これがなければ神様の理想、神様の家庭、神様のみ旨を成し遂げることができないのです。これは、全体の完成を成すことができる一つの起源です。


女性の生殖器が宇宙的な本源です。愛の関係をするその位置が愛の本宮になっています。本然の宮中だというのです。愛はそこから始まります。結婚初夜の愛が愛の本宮の出発です。女性の生命、男性の生命が初めて一つになるのです。それゆえに、理想的な生命の本宮がその場所であり、血統がそこから始まるので、血統の本宮がその場所だというのです。そして、天国がそこから始まるので、そこが地上天国の本宮であり、天上天国の本宮であり、人間完成の本宮であり、神様完成の本宮です。

 

千四百九

 

男性完成、女性完成、神様まで完成させることができる、その本拠地はどこですか。どこで神様の愛を完成させることができ、どこで男性と女性を完成させることができるのですか。その中心定着地はどこですか。これが問題です。これが分からなければ、地上に愛の理想天国を拡張、拡大できません。それは、目ですか、鼻ですか、手ですか、足ですか、どこですか。凹凸です。


生命が出発する本拠地とはどこですか。愛の本郷の地とはどこですか。血統の本郷の地とはどこですか。男女の生殖器です。男性と女性が何によって一つになるのですか。愛を中心として一つになります。それを中心として始まるのです。生命がそこから出発します。血統もそこから連結されます。その貴重な三大基地を失ってしまってはいけません。天下
をもらっても取り替えることはできません。


愛の本宮が生殖器であり、生命の本宮が生殖器であり、血統の本宮が生殖器です。神様が高に探し求めていた真の愛の起源地であり定着地は、男性と女性の生殖器です。そこから男女の生命が結合するのです。そこから血筋が受け継がれ、歴史性をもった人類というものは、すべての血族が関係をもっているのです。それゆえに、も貴いのです。


頭よりも、それがもっと重要です。頭には真の愛の起源がありません。頭には真の生命の起源がありません。頭には真の血統の起源がありません。その起源は生殖器にあります。それは間違いないでしょう?生殖器にすべてのものがあります。そこに生命があり、愛があり、血統があります。そこが愛の本宮なのです。生命の根もそこにあります。血統も同じです。人間の体だけでなく、人間世界と人類歴史を通じても貴いところです。それがなければ人類の繁殖が不可能です。


私の生殖器は愛の本宮です。「私の生殖器は生命の本宮だ、王宮だ」というのです。私の生殖器は血統の王宮です。このようになってこそ、神様が臨在なさることができる王宮になることができるのです。神様は、王の王でいらっしゃるので、本宮を訪ねていってお住みになる方なのです。それゆえに、神様に侍るために愛の本宮になり、生命の本宮になり、血統の本宮になり、良心の本宮にならなければなりません。


生殖器は、愛の王宮です。今、その愛の王宮は、どのようになっていますか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるもの、そのように貴いものが人間の生殖器です。神聖なのです。も貴いのです。生命、愛、血統がここに連結されています。このように神聖なものをサタンが汚しました。


男性と女性が愛する本宮、生殖器とは何ですか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮です。おじいさん、おばあさんもそれを中心として生き、父と母もそれを中心として生き、自分たち夫婦もそれを中心として生き、将来生まれる息子、娘もみなそれを中心として生きるのでしょう?それを中心としないで生きる女性がいて、男性がいますか。種がありません。ところが、それがなぜ悪いものになりましたか。下品な言葉だというでしょう? なぜ下品な言葉なのですか。神聖な言葉です。神聖な言葉として受け止め

 

千四百十

 

なければなりません。ここで永遠の愛が連結され、永遠の生命、永遠の血統が出てきます。最も貴いのです。


女性、男性の生殖器は、生命の王宮です。生命の初の出発地です。永遠に変わらない本然地です。生命の王宮であり、変わらない愛の王宮です。良心が理想を中心として定着することができる基地です。血統の基地です。そこから生命が芽生えるのです。そこから愛が一つになります。そこから男性と女性が一体になるのです。そのような生殖器が堕落して天地を破綻させた怪物になってしまったので、今日これを悪いものとして扱っているのです。

神様が精誠を尽くしてつくられたものがそれです。すべての被造万物の核心的な骨髄を絞り出して連結させたのです。ここに愛の本質が一〇〇パーセント連結され、生命の本質が一〇〇パーセント、歴史の本質がここから芽生えるのです。そこから初めて希望があり、そこから初めて幸福があり、そこから初めて愛を中心とした自由圏が始まるのです。


生命の根源地、愛の根源地、血統の根源地はどこですか。それはどこですか。生殖器です。それをひっくり返して打ち込んだので、世の中でも下品な言葉になったのです。それが誤らなければ、下品な言葉ではなく王の言葉です。神聖な言葉です。「下品な言葉」の反対語は「神聖な言葉」でしょう? 「真の言葉」よりもう少し高いものは何ですか。「真の言葉」というのは相対的関係で成されますが、「神聖な言葉」は縦的、球形的圏をいうのです。 人間が堕落していなければ、男性の生殖器が愛の王宮です。愛の王宮なのです!それをいい加減には使用できません。そして、生命の王宮です。そこから生命が生まれるでしょう? 生命がどこから出てきますか。生命の王宮です。血統の王宮です。そこから、自分の命が血統を受け継いで生まれるのです。私の生命の根源地であり、私の血統の根源地であり、私の愛の根源地です。それゆえに、先祖がそれを通じ、貴く思い、「ため」に生きなければならなかったのです。


神様が、どれほど喜んでつくられたでしょうか。も喜んでつくられ、 も精誠を尽くしてつくられたものが、男性と女性の体の中のどこだろうか、何だろうかを考えてみてください。それが生殖器だというのです。生食する米を入れる器(生食器)ではありません。生殖器といえば、「生きるものを植えることができる器だ(生植器)」だというのです。生命の生殖です。生命を植えることができる器だというのです。その場がなければ、千年、万年たっても生命が生まれないので、国もなく、世の中は暗黒天地、砂漠天地になるのです。それを知らなければなりません。


千四百十一

真の愛がどこから生まれるのかといえば、息子、娘、神様の息子、娘を生むその局面から生まれるのです。それが生殖器です。これがも冷遇されました。天地がひっくり返ったために も卑しいものとして扱われましたが、復帰された天下では、これが愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、良心の本宮だというのです。これがなければ国も生まれず、理想世界の発展も、起源もなくなるという事実を知らなかったというのです。


生殖器がなぜできたのかというのです。愛のために、生命のために、血統のために、良心のためにできました。そこを通らなければ、愛もなく、生命もなく、血統もなく、良心もありません。神様が人を造られる時、目や鼻等、五官をつくるのが大変だったでしょうか、生殖器をつくるのが大変だったでしょうか。五官が愛をアピールするところですか。それが、愛と生命と血統と良心が集まっているところですか。違います。絶対に違います!ただ一つ、そのような箇所があるならば、生殖器です。そこで愛、生命、血統、良心の第二の実が結実するのですが、それを私たちは、息子、娘というのです。

それがなければ何も存在できません。すべての被造世界がストップするのです。今まで人類はこのように貴い生殖器を知らなかったのです。「私が世界で一番だ!」と誇らしく思ったかもしれませんが、生殖器がなければなんでもないのです。その生殖器は、真の生殖器をいうのです。


生命の王宮とは、どこだといいましたか。愛の王宮とは、どこだといいましたか。血統の王宮とは、どこだといいましたか。家庭でしょう?夫婦でしょう? 夫婦の愛の基地ではないですか。男性の生殖器、女性の生殖器がそれをしなければなりません。皆さん、王孫を生まなければなりません。神様の愛を中心として、天国の真の王子、王女を生まなければなりません。それが真の生命でしょう。真の血統を残さなければなりません。後世を残さなければなりません。 生殖器は生命の王宮です。王宮とは、第一に全体を代表した根源的な家です。王とは何でしょうか。蘇生、長成、完成の中心です。三段階の中心が王です。それを見れば、漢字も啓示を受けて作ったと考えるのです。愛の王宮をもっていますか。男性と女性、愛の王宮をもっていますか。それなのに、愛の王宮をもっている人たちがなぜ心配するのですか。不幸という言葉がどこにありますか。簡単なのです。


なぜ皆さんは、歴史的伝統と関係を結ばなければならないのですか。愛と生命と血統、この三つが高の伝統であり核心だからです。そうです。生殖器官は、その三つを同時に連結させてくれるものです。接ぎ木をするところです。愛を接ぎ木し、生命を接ぎ木し、血統を接ぎ木するところです。


愛する夫婦二人が関係を結ぶ生殖器は、愛の王宮だというのです。そこから愛が始まるのです。真の愛の王宮です。初の出発をする場所なのです。そうか、そうでないか考えてみてください。生殖器は、愛の王宮です。堕落する前の観念で見るならば、生殖器は、愛の王宮だというのです。生命の王宮、血統の王宮です。愛を中心として男性と女性が一つになる、そこに生命が連結して血統が受け継がれるのです。


千四百十二

皆さん、男性と女性が、堕落していない復帰された神様の息子、娘を生むことができる生殖器に向かって、全存在世界は、自らの生命全体を投入して自分より高い次元に吸収されるのです。鉱物は植物に、植物は動物に、動物はより大きい動物に、大きい動物を経て、人間は、すべてのものを吸収して消化することができる主人の資格を備えなければならないというのです。

それゆえに、愛して食べなければならないのです。愛しましたか。そこがどのようなところですか。生殖器だというのです。生殖器は、生きた食器です。生命を食べる食器だというのです。それが愛の王宮です。それがないのに男性と女性が愛を感じることができますか。できないというのです。


全万物世界の終理想的吸収の終着点がどこかといえば、男性と女性の生殖器だというのです。それは事実です。なぜですか。どうしてですか。神様の愛と人間の愛と宇宙の愛が結合するのです。愛と生命が一つになる位置がその場です。

そして、血統を通じて縦的に後孫が連結する位置がその場です。そのように縦的に引き継がれて、横的に数え切れないほど多くの民族が連結されるのです。それによって地上天国が形成されるというのです。そのような価値をもつのが生殖器です。どれほど重要ですか。


自分がもっている生殖器は、生命の本宮です。愛の本宮です。皆さんが父母だとして、皆さんを中心とした一代の一族を中心として、愛の本宮が偽りとならず、皆さんの息子、娘が純潔な本宮から周辺三六〇度になる王宮の場所を築き、神様が夜も昼もいつもここに来られ、自分の家を中心として周辺に関係している一族の前に自由自在に来臨され、いつも苦楽を共にすることができる環境的宮殿にならなければならない、ということを知らなければなりません。 何がそのようにならなければならないのですか。「私の生殖器は愛の本宮である!」。一度、言ってみてください。「私の生殖器は生命の本宮である」と言ってみてください。私の生殖器は、血統の王宮であるというのです。このようになってこそ、神様が臨在なさることができる王の基地に、王宮になることができるのです。


本然の人間の先祖がどこから始まったのでしょうか。目ではなく、鼻ではなく、口ではなく、手でもありません。どこからですか。その神聖なところとはどこですか。皆さんの生殖器です。そうではありませんか。そこに血統が連結されているのです。それゆえに、
救援するということは容易ではないのです。


るつぼという言葉があるでしょう?溶鉱炉とは何ですか。男性と女性の血がるつぼで溶けて混ざる場所はどこですか。生殖器です。生命を載せる器を生殖器というのです。それは愛の本宮です。神様の愛が芽生えることができる出発の園であることを知らなければなりません。


皆さんの生殖器もそうです。「やあ、この生殖器を通して子供が創造される」、このことを考えてみましたか。重大な内容です。


千四百十三

生殖器は、生じるの「生」の字に、食事の「食」の字でも、植えるの「植」の字でも良いのです。生命を植える器だというのです。その次には、繁殖するの「殖」の字でもかまいません。生殖器が生植器だというのです。そのように解釈します。分かりますか。生命を植える器です。それを知らなければなりません。


創造主と被造物が何を中心として一つになるのですか。愛です。これを知らなければなりません。ですから、先ほど話した、神様が愛をもって創造されたという答えがどうして出てくるのでしょうか。生殖器を中心として創造されたという事実は、愛という表題を中心として創造されたという事実を証するのです。


歴史上のすべての人がそれに従っていったのです。とてつもない力をもっています。文化や経済を超越します。堕落した世界でもそうならば、堕落以前の世界ではどうだったでしょうか。考えてみれば、それがも貴いものです。それが宮殿です。宮殿の中でも本宮です。また生命の宮殿にもなり、血統の宮殿にもなるのです。この三宮殿の基礎が生殖器です。一番重要なところです。神様もそれを訪ねてこられるのです。神様がこの三大王宮を占領したならば、この世は神様の一族になっていたでしょう。


人間世界においても貴いものが愛の本宮です。愛の根源地、生命の根源地、血統の根源地です。それがどこですか。堕落していなければ、これが神聖な至聖所です。男性の生殖器と女性の生殖器は、愛の王宮の根源的本宮です。このことを知らなければなりません。堕落したために汚れたものになったのであって、本来は生命の根源地であり、血統の根源地です。ところが、私たち全体のも貴い根源地を破綻させてしまいました。これが、も悪いものになりました。ですから、これを
ひっくり返して打ち込まなければなりません。


男性と女性にある生殖器官とは、愛の器官であり、生命の器官であり、歴史的血統の器官です。これが分からなかったというのです。それは、も貴いものです。神様と共に、私たちの模範的で理想的な先祖と共に、理想の国と共に、理想の文化と共に共存することができるものであるにもかかわらず、これをすべて世俗的な人本主義によって破綻させてしまったというのです。悪魔は、神様がこのような国を取り戻しに来られることを知って、これを完全に破綻させるための計略の形態として成しておいたもの、それが現在のアメリカの世俗的人本主義だというのです。

それは動物的な世界です。生殖器とは何かというと、愛の王宮であり、永生の生命が誕生する王宮であり、永遠に変わらない天の伝統を受け継ぎ、血統を受け継ぐ王宮だというのです。真の生命の王宮であり、真の愛の王宮であり、真の血統の王宮なのです。も貴いところです。好き勝手にはできません。神様の公認がなければ、開くことができないのです。神様と宇宙に公認された自分の夫、自分の妻以外にはタッチできないのです。ところが、アメリカの愛はそうですか。


神様が理想とした本然の、アダム以降、堕落していないその生殖器が、真の愛を中心として神様と共に一つになり、血統と生命を連結させるべき本拠地となって本宮にならなければなりません。これは、本然の愛の王宮です。愛の本宮です。分かりますか。

 

千四百十四

 

統一教会の教主が性教主になった、という話が出てくるかもしれません。性というものが堕落していなければ、それが愛の本宮です。いつも王が定住することのできる、生活することのできる本宮だというのです。愛の本宮であることを知らなければなりません。生殖器が本部であり愛の宮殿だというのです。


二) 神様の創造目的を完成させる器官

皆さんの生殖器は、愛のための器官です。いかなる独裁者が現れてその愛の器官を革命したいと思っても、不可能だというのです。歴史上に数多くの変化がありましたが、生殖器だけは永遠に変わらないのです。全宇宙を与えても取り替えることができません。人間がそのようなコンセプトをもっていないということが問題になるのです。人間のすべての諸問題は、男性と女性から発生します。男性と女性が完全に一つになれば、すぐに平和の世界が目の前に展開するのです。


人間において、生理学的に神経と血管がも集中しているのが生殖器です。それゆえに、自分と同じ者を再創造することができる器官になるのです。も苦労してつくったものです。そうですか、そうではありませんか。それが肥おけになってしまっているのです。


神様が創造される時、男性と女性の生殖器を中心として造られたのですが、そこには霊的な要素、肉身的な要素、血の要素、すべての要素が連結できる、連合器官になっているのです。皆さんの目の要素もそこにすべてかかっているでしょう?歯の要素もすべて父母に似るでしょう? 似ないところがどこかありますか。心もすべて似ます。ですから、その器官にすべて集約して、すべての神経器官、血統器官全体がそこにかかっているというのです。根です。それが根っこです。人間の根は頭ではありません。根がそこにあるというのです。


宇宙は、愛から始まりました。それはどのような愛ですか。縦的な愛と横的な愛です。それは球形の愛をいうのです。上下、左右、前後を連結する中心は家庭です。神様に、
「神様、どこにいらっしゃいますか」と尋ねれば、「愛の中心にいる」と言われるのです。「愛の中心とはどこですか」と尋ねれば、「愛の定着地だ」と言われるのです。「愛の定着地とはどこですか」と尋ねれば、「生殖器だ!」と言われるのです。


男性にとっても刺激的で、神経的で、敏感なところとはどこですか。舌ですか。味を見るのにいくら敏感だとしても、生殖器以上に敏感なものはありません。それでは、舌を満足させるために、一度食べればその翌日また食べたいと思いますが、生殖器を満足させられる相対がいれば、考えただけでもその満足を感じることができる世界になるというのです。味を見るのは食べなければ感じることができませんが、愛の相対は考えるだけで感じることができるのです。千里、万里、無限空間世界を超えて喜びを感じることができるのは、死んでもまた生き返って愛したいのは、愛する妻、夫の愛しかない、そうですか、そうではありませんか。


千四百十五

人間世界において、愛の起源地はどこですか。生命の起源地はどこですか。血統の起源地はどこですか。口ですか、頭ですか。どこですか。生殖器です。生殖器を汚した、天地を破壊した堕落によって、これが凶悪な宮殿になりました。本源地になりました。ここに偽りの愛を植え、ここに偽りの生命を植え、ここに偽りの血統を植えました。そのように天地を掘り返した一番の悪党なので、それが下品なのです。その話をするのは下品な話になるのです。


生殖器という器官は、何か魔法を使う器官かというのです。愛というものを連結させる器官であり、男性の生命と女性の生命を連結させる器官であり、男性の血と女性の血を混ぜ合わせて連結させる器官が自分の体の中にあり、それが生殖器です。そのとおりですか。この根本を追求してみれば、神様がなぜ創造されたのかという問題に入っていきます。 なぜ創造されたのですか。何を中心として創造されましたか。今日、そのようなことを考える人はいません。これは、世界の図書館に行ってみても、文先生が初に提唱したことです。それが貴いものです。知ってみると、それがすべての結末です。なぜ創造されたのでしょうか。愛によってされたのだということを何で証明するのかといえば、生殖器を中心として男性と女性が一つになることです。それは、神様の理想的な愛の根源になっています。


男性と女性が九〇度で一つになるところはどこだといいましたか。生殖器です。笑うことではありません。神聖なことです。そこが愛の本宮です。目でもなく、頭でもありません。男性と女性が愛する時は、どこが動きますか。目が動きますか。頭が動きますか。何が動きますか。生殖器なのです。悪いものだと考えるなというのです。堕落したために悪
いものとして扱われているのです。 サタンがこの世を滅亡させる本宮にしています。それが愛の本宮であり、生命の本宮でしょう?生命がどこから出てきますか。そこから出てくるでしょう? その次に、血統がどこで連結されますか。頭で連結されますか、手の甲で連結されますか。


すべての物質の元素が願う本宮とは何ですか。人間において高に精密な、理想的感覚を備えた男女の生殖器官が 高の希望峰だというのです。このような話、初めて聞いたでしょう? それゆえに、それを訪ねていくためにはお互いが投入しようとするのです。生命を捨てながらも行くことができる道は、愛の道しかありません。虫の世界から鉱物の世界、植物の世界、動物の世界、宇宙のすべてのものがそうだというのです。


主流に従っていくべきなのに、主流に従うことができずに中間でとどまって退化するものもあるかもしれませんが、高の目的とは何ですか。すべての万物の願いは何ですか。神様を愛することができる、その場を訪ねていくことです。神様の立場で、創造物の中でも精誠を尽くしてつくったものとは何ですか。男性と女性の生殖器官だというのです。全精力をすべて尽くして創造されたのが人間の生殖器です。人間のすべての要素を合わせて、再度つくることができる起源としてつくったのです。そこは細胞の王宮です。細胞は元素で構成されているのです。

 

千四百十六

 

男性と女性の生殖器が一つになるところにおいて、愛の本宮が生まれます。歴史的な愛の宮殿が生まれます。安息の場になります。これは、誰も移すことができないのです。永遠です。絶対的なのです。その愛のすみかで、男性の生命と女性の生命が同化するのです。同化して沸きたって爆発するのです。その中から新しい生命が発生します。発生する爆発力によって、新しい生命が続いて出てくるのです。ですから、愛し合う時は、はともクウクウ鳴いて爆発するのです!男性と女性が愛し合う時、姑、舅がいたとしても、大声をあげて叫ぶのは恥ずかしいことではないというのです。


左右の中心になるものとは何ですか。女性の生殖器と男性の生殖器です。これが一つに出会って天宙が回り、宇宙が回るのです。そのように貴重なものです。男性と女性自体が貴重なのではありません。


愛という観念があり、その愛と一つになることができるように分立されて生まれたのが、女性であり男性だというのです。その男性と女性が、何を中心として一つになりますか。愛を中心として一つになるというのです。男性と女性の生殖器は、愛を中心に一体化させる武器なのです。

それゆえに、凹凸になっているというのです。形がそのようになっているのは、一つになるためなのです。それは恥ずかしいことではありません。それを中心として合体し、一つになるのです。愛を中心に一つの体になるのです。心身一体になるのです。男性と女性の心身一体は、何によって成されるのですか。キスではありません。手を結ぶことでもありません。そこを完全に合わせることによって完全に一体化するのです。


神様も愛を中心として天地万物を創造されました。それを何によって証すのですか。その宿題が重要です。愛のために創造されたということを何によって証すのですか。男性と女性ではありません。それでは何でしょうか。露骨な話をするようですが、男性の生殖器、女性の生殖器を見れば分かるというのです。 神様が何を標準として人を造られたのか、男性は何を標準として造られたのかという時、
「男性の顔を中心として造り始めた」と言われれば、理にかなった話ですか。女性を造るのに、「女性はこうあるべきなので、女性の顔を見て造った。ひげが生えず、このようにすべすべしていて、身長が小さく、そのように造った」と言われるとき、そうなのでしょうか。違います。生殖器を中心として造られたということを知らなければなりません。男性がそのようになっているのは、生殖器に似てそのようになったのです。女性がそのようになったのは、生殖器に似てそのようになったのです。このような言葉は文総裁から始まるのです。誰もそのような話をしませんでした。図書館にはありません。人類歴史にない新しい言葉です。


千四百十七

神様が創造される時に、生殖器をかたどって男性と女性を造り始めました。それゆえに、生殖器を動かすところには、人間全体のすべての構成要素が入っているというのです。それで、男性と女性が愛し合って、その二人が一つになり、赤ん坊を生むようになるのです。一つになって生めば何ですか。女性に似て生まれ、男性に似て生まれるのですが、何に似るのですか。神経系統がすべてつながっているので、つながってきます。根がないのに、枝が出てくることができますか。それは否定できません。それゆえに、愛が激動する時は、心と体が一つになるのが原則です。それは理論的です。

それでは、愛を連続的に連結させることができるところ、その生命を連続的に連結させることができるところ、自らの血代を自分の子供に連続的に連結させることができる器官とは何ですか。頭ですか。それは男性と女性の生殖器官です。

それでは、愛が先か、生命が先か、これが問題になります。近、心が先か体が先か、唯物理論の哲学思潮が入っていき、世界で問題になっているのと同じように、愛が貴いか、生命が貴いか、これが問題です。どちらが先でしょうか。これは先後を分けなければなりません。愛が先です。神様が創造理想を立てられる時、神様を中心として立てたのではありません。愛を中心として立てたので、相対世界を創造し始めたというのです。これは理論的に正しい話です。


生殖器、それは何をしようというのですか。愛を探し出そうというのです。女性を探し出すことによって愛が生じ、男性を探し出すことによって愛が生じるのです。それが結婚です。これは、宇宙の何をもらっても取り替えることができないのです。男性がこのように生まれたのは、自分の生殖器に似てこのように生まれたというのです。女性は、女性の生殖器に似てそのように生まれました。女性が女性になり、男性が男性になったのは、生殖器によってそのようになったということを知らずに生きていたというのです。それは本当でしょうか、うそでしょうか。


愛を成し遂げることができる器官とはどこかという問題が、今まで重要な問題だったのですが、これが分からずに、これをも悪いものとして扱ったというのです。それが何ですか。今まで生殖器を悪者扱いしました。愛をなす器官はどこですか。生殖器とは何ですか。凹凸、それではないですか。凹は何をするところですか。凸は何をするところですか。それを合わせることによって、愛が連結されるのです。それを合わせなければ愛が分かりません。完全な愛が現れて、絶対的に一つになるところが生殖器です。他の道はありません。


男性、女性の相対として必要な器官とは何ですか。キスするところですか。体を触ることですか。何の器官ですか。生殖器です。これは韓国語で言えば、「生命を植えておいた器」という意味です。

それが正に生殖器です。女性の生殖器は、男性を占領することができる武器です。それは、愛を求めるために使用することができる武器ですが、その武器の主人は自分ではありません。その武器を通して自分が愛の主人の

資格をもつのです。女性も男性も同じです。


千四百十八

存在するものは、すべて愛のために生まれたので、愛のための存在は、自分のために生殖器をもっていてはいけないのです。相対のためにもっているのです。相対と連結しなくては真の愛を完成することができません。これが天法です。絶対、唯一、不変、永遠の主人になるのです。男性一人で愛の主人になることはできないのです。生殖器を中心として相対と連結される時に完成が展開するのです。真の愛に連結してこそ女性が完成するのですが、男性の生殖器を完全に占領するその場で、完成が展開するというのです。男性も同じで
す。それで、そこを中心として暮らすのです。


女性は、耳と口が王にならなければなりません。それは、聖人の「聖」なのです。誰かが「聖女になりたいか、悪女になりたいか」と尋ねれば、「聖女になりたい」と言うのがすべての女性の返事です。それが「聖」の字です。男女間の性欲の性ではありません。それも性の字ですが、この聖の字は耳と口が王だというのです。それを女性の生殖器だと考えればよいのです。事実です。これが王ではないですか。それを守れば聖人になるのです。いいことを学ぶでしょう?そのようなことは辞典にも、どこにもありません。日本の教科書でも見たことがないでしょう?


神様の愛の世界、神様の愛の根源地を訪ねていくのです。万物は、男性と女性の生殖器をもつために行くのです。人間は、神様の愛の相対になるために行くのです。それは間違いない原理観でしょう?先生が勝手に立てた理論ではありません。天地の大道の原則なのです。


三) 生殖器は天が臨在する至聖所

男性、女性の愛の器官の細胞がも精密です。心と体が一つになり、すべての愛の道が通じるその細胞の感情、その世界に元素としてどのように入っていくのかということが、万物、被造世界の目的だというのです。では、男性と女性が統一されるところとはどこですか。生殖器です。そこでは、直接男性と女性が一つになり、神様と一つになることができるところです。堕落したために、それがも悪いものになりましたが、本来は限りなく神聖なものです。男性と女性がその門を開けた時、世界が開き、門が閉まれば世界が閉められて、それが幸福な時、世界が幸福であり全宇宙が幸福なのです。

神様の息子になろうとすれば、その器官を通じて一つになった、その場から生まれなければなりません。その場でなければ、神様の息子、娘がどこから生まれますか。それゆえに、男性と女性が愛する時はもちろん、すべての細胞の願いが生殖器の細胞になることなのですが、愛の場所に入っていくようになれば全身が同感するのです。体全体が一つになるのです。


愛のすべてのものがバランスよく完成して成熟したのちに、そこから成されなければなりません。世の中でも高いアンテナとは何でしょうか。何が も高いアンテナですか。それは、愛のアンテナです。人間において愛のアンテナとは何でしょうか。男性と女性の生殖器官です。電波はただアンテナを通して流れるようになっています。それで円形を成すのです。アンテナを通して円形を成します。人間が神様のアンテナです。神様を中心としたアンテナです。人間世界のアンテナに神様の垂直愛がつながる日には、世界を包括し、全宇宙を包括して余りある圏に入っていくようになるのです。それは、人間世界と霊界に雷鳴がして稲妻が走るようにする装置のようなものです。

 

千四百十九

 

神様は、その中心に住みたいと思われるのです。理想的な家庭、国家、世界は、その根に連結されたいと思うのです。ところが、堕落によってすべてのものを失ってしまいました。悲惨な立場です。男性の生殖器とは何ですか。永遠の愛の王国です。皆さん一代においてだけそうなのですか。違います!永遠です。永遠の王宮の位置、永遠の生命の王宮です。そこから、愛を中心として、男性の生命と女性の生命を初めて一つに結ぶのです。生殖器とは何でしょうか。第一に愛の王宮、第二に生命の王宮です。第三に血統の王国です。これがも貴いものです。皆さん、それをもって、「幸福だ」と言うでしょう?


夫婦の愛と父母の愛が永遠に定着する時は、結婚して愛する時です。愛する時、どこで愛しますか。口、目、耳でもって愛しますか。私は分かりませんが、皆さんはよく知っているでしょう。どのようなものですか。今まで人間は、生殖器を悪いものだと思ってきたのですが、今レバレンド・ムーンがそれを神聖な本宮だと教えています。どれほど驚くべき男性と女性の生殖器でしょうか。生殖器がなければ、真の愛、真の生命、真の血統、真の良心を連結できないのです。それなくして天国が出発できますか。できません!そこを通ってこそ、自由、幸福、平和の統一世界が可能なのです。そうではありませんか。


絶対信仰、絶対愛、絶対服従、それは何ですか。それは、生殖器をおいていう言葉です。神様と人間の生殖器が一つになることができなかったのです。合徳ができなかったのです。それを絶対信じなければなりません。私の家庭歴史の柱であり、私の一族歴史の柱であり、私の血筋歴史の柱だというのです。


神様と人間がどこで出会うのですか。男性と女性が一つになって愛する時間、生殖器を中心として一つになる時間に会うのです。これが堕落したために、世の中を滅ぼし、天地を滅ぼしたのです。それゆえに悪いものになりました。男性と女性が愛する時、神様を迎えにいくのだと考えなければならないというのです。下半身を見る時、「どうやってこの器官を、愛を中心として連結させようか。どのように奉仕して歓迎しようか。どうすれば真の愛を中心とした夫婦生活をすることができるだろうか」と毎日考えなさいというので
す。私の体がそのような位置にいるのです。


神様のように永遠不変でなければなりません。神様のように、絶対的にユニークで永遠不変の内容をもって愛が定着するところは、生殖器です。今まで誰もそれを知りませんでした。それほど貴い生殖器だというのです。祖父母、父母、夫婦、将来の皆さんの息子、娘もみな、生殖器が一つになるところで幸福な家庭が成されるのです。それが壊れれば、家庭全体が壊れるのです。おばあさんもおじいさんの生殖器をつかんで永遠に放そうとせず、おじいさんもおばあさんの生殖器を占領して永遠に失うまいとするのです。生殖器から愛、幸福、自由等、すべてのものが出発します。それは否定できません。


千四百二十

アダムとエバの位置は、本宮です。そのアダムとエバの子孫はそのまま宮になるはずですが、本宮の基台を失ってしまいました。男性と女性の生殖器は、そのように驚くべきものです。三大愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であると同時に、その場から地上天国、天上天国が出発する基地になっているという事実を知らなければなりません。

驚くべき事実です。


地球世界の被造物は、男性と女性の生殖器の細胞になるために総動員されるようになっているのです。なぜですか。このような価値があるので犠牲になる価値があるのです。それは何かというと、アダムとエバが愛の相対になれば、神様が臨在され、縦的愛と横的愛がここで竜巻のようになるので、地を削ることもでき、山を造ることもできるのです。愛だけが世の中の悪なるものを占領することができ、愛だけが気高い神様を占領することができるのです。


皆さんは、男性と女性の生殖器をも汚らわしいものだと思っています。しかし、そうではありません。 も神聖なものです。神様が真の愛を中心として、そこから理想天国を拡大させようとされたのです。限りなく神聖な聖所です。それゆえに、愛の対象は絶対的です。一度結婚するようになっているのであ
って、二度結婚するようにはなっていません。


女性の愛の生殖器、男性の愛の生殖器が正にそれです。女性のものは愛の女性の宮殿であり、男性のものは愛の男性の宮殿だというのです。それらが出会うことが、高のクイーン、キングになる理想です。それを愛といいます。そのように愛を行った人は、神様のように、神様の息子、娘となって、一つの同等な理想的生活圏に同参することができます。そのような価値ある人間として造られました。 自分にとって も貴いものとは何ですか。自分の国よりも、自分の理想的家庭よりもこれが貴いのです。これがなければ、自らの家庭も成立せず、民族も成立せず、国も成立しないのです。これが一つにならなくては、絶対に永遠の生命にならないのです。地上世界の版図を越えていける、天上世界、無限な世界へ越えていける生命圏は、生まれることができないのです。地上にも天国がなく、天上にも天国がないというのです。


「教主の先生があのようなことを教えるなんて、統一教会は下品なやつらだ」と悪口を言っているでしょう?下品なやつだと言ってもいいのです。偽物のメダルをもらうより、本物の金メダルをもらうほうが良いではないですか。それで、男性と女性の愛というものを中心として、男女の生殖器官は、創造主から受け継ぎ、先祖から受け継いだ、変わらない、ただそのまま連結された礼物です。神様も侵犯しない、貴い礼物です。先代たちもこれに背けない、貴い礼物です。これを侵犯する時は、天理の大道の中心となる愛の本宮を破綻させる悪魔の血肉となるのです。純粋な本質として、永遠の真の愛を中心とした、その基台から生まれたのが生命の本宮です。そして、新しい血統の本源地です。

 

千四百二十一


この者たち、しっかりしなければなりません。私が教主の先生ですが、しっかりしなければならないというのです。どこがですか。生殖器です!その生殖器は、何のために生まれたのですか。金なにがしのために生まれたのではありません。天地の大道のために、天地の大摂理的経綸のために私に下さったのです。 将来、人間世界に、理想世界がどのようにして訪れるのでしょうか。生殖器官を正しく使うことができる道理を明らかにしてあげない限り、世の中は滅びます。平和の世界を取り戻すことはできません。ローマを見てみなさい。アメリカを見てみなさい。アメリカは、お金がなくて滅びるのではありません。

今までサタンのために生殖器官の主人が誰かを知らず、どのような由来で創造されたのかということを知らなかったのですが、それを明らかにするために、天地の邪悪でよこしまなサタンの乱闘場をすべて掃除するために、私が旗を掲げて立ち上がったのです。


三、神人一体と愛の理想完成 

 

一) 神様と人間が出会う愛の決着点

宇宙の愛の根本はどこでしょうか。神様です。神様の愛がどこに行って結合するかというときには、ここで論理的整理をどのようにするのかが問題です。神様がアダムとエバを造られて、二性性相を分立し、中和的存在になろうとするなら、何を中心として中和的存在になるのでしょうか。愛を中心として中和的存在になるのです。格位においては、男性的主体格をもったというのです。何を中心としてですか。愛を中心としてです。それを知らなければなりません。

それでは、神様はどのようになっていますか。アダムとエバは、二性性相の主体なので、体は蘇生であり、心は長成です。そして、この心の中に神様が臨在しようとされます。それでは、アダムとエバの体と体が一つになり、心と心が一つになり、そうなれば心の一番底にあるものが一つになるでしょうか、ならないでしょうか。それは何ですか。神様が一つになるでしょうか、ならないでしょうか。神様は、どこで一つになるのですか。愛のために造られたのなら、神様がどこで人間と共に結合されるのですか。その場はどこですか。愛の場所だというのです。


統一教会の「原理」では、神様は無形の絶対的主体として、二性性相の中和的主体としていらっしゃる方だといいます。二性性相でいらっしゃる神様御自身の分性的実体としてアダムとエバを造っておかれ、彼らが成人して愛を中心として横的に連結するようになる時、縦的な立場で中心になろうとされたのです。それは何の話かといえば、アダムとエバが成熟すれば、神様の男性性稟はアダムの心の中に、神様の女性性稟はエバの心の中に入っていくというのです。かといって、神様が分かれるのではありません。そのような二性性相の主体としていらっしゃる神様なので、アダムとエバの心の中に臨在することができるというのです。


成熟したアダムとエバが、お互いに愛の因縁を結ぶことができるその時になれば、神様は二性性相になっているために、男性性相はアダムに臨在し、女性性相はエバに臨在するのです。神様が私たちの心と体の中に臨まれ、神様が結婚式をするのです。


千四百二十二

中央線は、その距離がすべて同じであり、角度がすべて同じです。長さがすべて同じです。そのようになれる中央の水平線は一つしかないのです。二つではありません。垂直も一つであり、垂直の中心点も一つであり、水平線が交差する中心点も一つです。その一つの位置に初めて神様の愛、軸の愛が連結するのです。

そこで一つになってぶつかる日には、三六〇度、四方に行くすべての力の作用がこの点を経るのです。このような愛の力が爆発すれば、男性と女性は完全に一つとなり、その中に神様が入っていかれるのです。神様は二性性相になっているでしょう?「原理」で論じている二性性相の主体としていらっしゃる神様は、どのような方ですか。二性性相の神様であると同時に、二性性相の中和的主体としていらっしゃいます。その主体の本質は何ですか。愛だというのです。絶対的愛だというのです。


二性性相の実体圏は、真の愛により、神様の相対として立って神様に帰るのです。正、分、合です。一つだった性相と形状が分かれたのち、実体として再び会う、それがアダムとエバの祝福です。ここに神様も来て一つとなり、男性と女性も一つとなって、ここですべて統一されるのです。これが先生の偉大なみ言です。

神様がこのように近いというのです。自分の心の底にいた神様を知るようになった、それ以上のことはありません。何の話か分かりますか。神様のその命令に従って、生涯、間違いない勝利の道を行かなければなりません。


神様は、二性性相なので、神様の男性性相がアダムの心に入ってくるのです。それで、神様が内的な父になられるのです。神様が内的な父の位置に入ってこられるのです。コリント人への手紙を見れば、「あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか」(コリントⅠ 三・一六)とあります。私たちの体は「神の宮」と言っています。私たちの体は神様が臨在することのできる「神の宮」だと言ったのです。その「神の宮」という言葉は正しいというのです。神様が二性性相の主体としていらっしゃるために、アダムは神様の男性性格、見えない性格を見える性格として現した存在です。ですから、アダムは実体として現れた神様の体です。無形の実体が有形に実体化して、人類の父として立っているアダムの背後で、内的な父の立場に立つべき方が神様でした。何の話か分かりますか。


本来、堕落していなければ、神様はアダムとエバの中に臨在することができたのです。二性性相の形状と性相の本体であられる神様は、その性相と形状の相対がアダムとエバなので、その心の中に入っていくようになっていたのです。入っていって、神様とアダムとエバが心身一体圏を成すのです。神様が、堕落せずに完成した人間の心のような立場になり、人間は神様の完成した体のような立場になって心身一体圏に立ち、アダムとエバと共に結婚式をするのです。その結婚式は、実体的、平面的で、横的にはアダムとエバの結婚式ですが、それが縦的には神様の結婚式になるのです。


千四百二十三

アダムとエバは、いったい誰ですか。その位置が私たち人類の横的な理想の愛を中心として和合する位置であり、九〇度を合わせる位置であり、焦点を設定する位置です。その位置もまた、この前後、左右、上下、どこに合わせても合います。そのことは何を意味するのでしょうか。神様は、二性性相の主体であられるので、その愛の焦点を合わせたアダムとエバの心の中に神様が入ってこられ、堕落していない人間の先祖の結婚式が神様の結婚式になるのです。


アダムとエバは、見えない神様の二性性相として来たのです。見えないお二人が、一人の方のような位置に立っているのです。真の愛を中心として一つになっているというのです。そのようになっているものが男性格位と同じようになっているので、その男性格位に対して相対的立場に立った息子、娘を再現させて、彼らが成長し、愛を中心として夫婦になる時、上にいらっしゃった神様がその位置に共に降りてこられるのです。それは、一つは見えない父母の位置に立ち、一つは見える父母の位置に立って、愛して一つになるためなのです。


神様は何をもっているかといえば、男性的性稟と女性的性稟をもっていらっしゃるというのです。二性性相の主体という言葉が出てくるのです。それで、統一教会は、「二性性相の主体が神様である」という素晴らしい結論を下すのです。見えないものがプラスであり、見えるものがマイナス的父母です。見えない父母が原因的であり、見える父母は結果的です。ゆえに、愛を中心として一つになるのが父母の位置ですが、神様は見えない父母であり、これは見える父母です。これは何かというと横的父母であり、これは縦的父母です。


一つになった男性と女性は、神様の愛と和して一つになった統一的な立場であり、一つは東方、一つは西方です。この宇宙を代表した一人の男性と女性は、二性性相の総性です。それは避けられないのです。彼らが統合するという事実は、この宇宙に神様の愛が結合できる中心軸が生まれるということです。


神様を発見できるところとはどこでしょうか。今日、祈祷をして修行に励み、いくら宗教を信じてみたところで、神様を発見することはできません。真の神様の愛を発見できないというのです。神様なら神様も、男性なら男性も二性性相になっています。内的・外的、二性性相だというのです。プラス・マイナスになっているのです。そのような意味で、ここには完成した男性と神様が関係しているのであって、それ以外には、息子もなく、何もないというのです。


エバは、霊的な面において神様の妻です。アダムの中に入っていき、エバの中に入っていって神様が愛そうとされるというのです。二性性相に分立し、愛を中心として一つにして、四方をすべて愛だけが連結させることができるのです。神様と人間関係は、そのようになっています。神様は、内的な私です。ところが、二性性相の分立的な立場にいるために別々の存在だというのです。それは、なぜ分立したのでしょうか。愛をより刺激的に感じるためなのです。刺激的でありながら、位置を移動するためであり、また環境を変更させるためなのです。位置を変化させるので、繁殖が展開するのです。縦的な神様だけでは繁殖することができません。縦的な位置は一
箇所であって、二箇所あり得るでしょうか。


千四百二十四

女性をよく見れば、そこに新郎が一緒に存在します。一体となるというのです。神様がそうでしょう?すべてのものは、二性性相をもっているのと同様に、二性性相が成されるのと同じように、結局は神様に帰るのです。真の愛を中心に一体になれば、神様の友達になります。神様が彼らの中へ入っていくのです。女性の中心は男性です。女性は男性の相対圏に立っているために、男性を中心に回るのです。女性が男性を中心に回るというのです。女性を中心に回るのではありません。男性が中心に立つようになれば、女性は自然に男性を中心とするようになるのです。


神様が父になるためには、血筋が関係しなければならず、生命が関係しなければならず、愛が関係しなければなりません。二性性相の神様が、愛を中心として一人で心で喜んでいたことを別々に分け、東西南北、自然全体がペアで和動する世界において中心的主人の形態を備えるために展開したものがこの世界です。それで統一教会では、「正反合」ではなく「正分合」だというのです。


神様は二性性相になっているでしょう?結婚式をすればどのようになるのかといえば、神様の女性性相はエバに入ってき、男性性相はアダムに入っていって一つになるのです。別の言い方をすれば、アダムとエバは実体をもった神様の体であるということを知らなければなりません。そのようになれば、神様は、アダムとエバの内的な二性性相に入っていかれて愛で一つになるのです。そのようになれば、そこから神様の血統を受けるようになります。


神様は、どこに入っていかれるのですか。神様は、アダムの心の中に入っていき、エバの心の中に入っていかれるのです。二性性相でしょう?この二つが一つの根を中心として入っていって打ち込まれるのです。そして、息子、娘で連結されるのです。愛で連結して、心と体を中心として、霊を中心として根を合わせて、ここから生まれた愛の息子、娘が地獄に行くでしょうか。誰かが勝手にできません。絶対的な体、絶対的な心、絶対的な霊、絶対的な男性、絶対的な女性が、絶対的な神様の愛を中心として、生命の起源であり、愛の起源であり、血筋の起源である生殖器を中心として統一が展開するのです。


神様とアダムとエバは、いったい何でしょうか。アダムは何であり、エバは何でしょうか。堕落せずにアダムが完成すれば、神様がアダムの中に入られ、エバが完成すれば、神様がエバの中に入られ、神様の二性性相が分立された分立実体相に入っていかれて、分かれたものを再び一つにするのです。何を中心として一つになりますか。力をもって一つになるのではありません。愛をもって一つになるのです。そこから刺激が起き、そこから繁殖が展開されるのです。理想世界の繁殖が展開されるのです。


千四百二十五

はっきりと知らなければなりません。このようなことは図書館にもない話です。これは、初めて文総裁によって天国の図書館に記録されて保管されるというのです。うそではありません。妄想的な話ではありません。神様は誰かといえば、縦的な父です。堕落していないアダムとエバは横的な父母です。神様は、二性性相で存在するすべてのものの縦的な父母です。そして、アダムとエバは横的な父母になるのです。それでは、彼らはどこで出会うべきでしょうか。真の愛は直短距離を通るのです。


二) 神人愛理想の根本原理 

(1) 神人一体をどのように解明するのか

先生がも苦心したこととは何でしょうか。神人一体をどのように形成するのかという問題です。理論的にどのように説明するのかというのです。これが解明されなければ、理論的体制が定着できません。人間の愛の根本的位置が設定されなければ、すべてのものがずれていくのです。


神様の愛と人間の愛が問題になります。神様の愛と人間の愛は、色が同じか違うかという問題です。大きな問題です。神様の愛と人間の愛がどこで結びつくのでしょうか。これが結びつかなければ、神人愛一体の拠点を見いださなければ、神様も人間も共に定着できないのです。神様が喜ばれるので人間も愛を通じて喜ぶ、そのような場が異なる場合には大変なことになるというのです。


先生が根本問題を追及する時、神人一体圏はいったいどこなのかを、ずーっと考えました。これは重大な問題です。これを解決せずには、出発点と終結点が合わないのです。そのような中で、雷のようにぴかっと悟りがありました。真の愛は直短距離を通るというのです。その一声がすべてを解決しました。天地が真の愛で連結するならば、直短距離を通るというのです。言い換えれば、垂直は一つです。水平に対して九〇度以外にはありません。これは高の直短距離です。 結婚は、なぜするのですか。愛を完成するためにするのです。横的に左右、東側と西側を男性と女性だとすれば、その男性と女性の真の理想というものは直短距離を通るので、直面に対して横的な愛の直短距離というものは中央に一点しかありません。これは、九〇度以外にはありません。これがこのように横になれば、楕円形になるのでいけません。すべて同じではありません。平等な位置にすべてが同じ基準として立つのは、九〇度以外にはありません。神人一体にする愛の結集場所
というものは、九〇度以外にはないのです。


「神様は縦的な父」という言葉が出てきます。真の愛を中心として神様は縦的な父であり、アダムとエバは真の愛を中心として横的な父母です。縦横が九〇度で定着するのです。これが宇宙の根本です。結局は、神様が結婚式をするために人間を造られたというのです。神様の愛のために創造されたというのです。このように解明することによって、すべての根本的な難問題が解決されるのです。


千四百二十六

文総裁が宇宙の根本を追求していくときにも苦心したのは、愛がどのように動き、どのように定着するのか、という問題でした。愛は直短距離を通るという、この一点を解明することによって、すべてのことが解決されるのです。愛が上から来るとすれば、天が高くて地が低いので、真の愛が天から地に訪ねてくる時にどのような道を通ってくるでしょうか。大の直短距離なので垂直です。これは垂直一つしかありません。直短距離です。愛が一番早く、直短距離を通るという時に、天上世界と地上世界の接着地は、完全水平の中の一点しかないというのです。二つではありません。絶対的に一つです。


アダムとエバは、見えない神様の二性性相として来たのです。見えない二人が一人の方のような位置に立っているのです。真の愛を中心として一つになっているというのです。そのようになっているものが男性格位と同じようになっているので、その男性格位に対して相対的立場に立った息子、娘を再現させて、彼らが成長し、愛を中心として夫婦になる時、上にいらっしゃった神様がその位置に共に降りてこられるのです。それは、一つは見えない父母の位置に立ち、一つは見える父母の位
置に立って、愛して一つになるためなのです。


人間が完成すれば神性をなして、天のお父様が完全なように完全で、神様的価値をもつのです。神様は絶対者ですが、真の愛の理想は一人で成し遂げることはできません。愛の理想は必ず相対を要求するためです。

私たちはここで、神様の真の愛と人間の真の愛の出発と完成が、お互いにどのような関連をもっているのかを知らなければなりません。万一、神様が真の愛の絶対的な対象体として人間を立てず、ほかの方法を通じて御自分の真の愛の出発と完成をなそうとされたなら、どうなるでしょうか。神様と人間の真の愛の理想は、各々動機が異なるようになり、二つの愛の方向と目的は異ならざるを得なくなります。


アダムとエバは、いったい誰ですか。その位置は、人類の横的な理想の愛を中心として和合する位置であり、九〇度を合わせる位置であり、焦点を設定する位置です。その位置もまた、この前後、左右、上下、どこに合わせても合います。それは何を意味するのでしょうか。神様は、二性性相の主体であられるので、その愛の焦点を合わせたアダムとエバの心の中に神様が入ってこられ、堕落していない人間の先祖の結婚式は、神様の結婚式になるのです。


人間完成の出発点はどこですか。これは、神様にもも貴く、人間にも も貴く、この宇宙のすべての存続の根源になることができるのです。創造当時のあらゆる要因の根本になることができるのです。それは愛です。愛のために生まれたというのです。その愛はどのような愛ですか。真の愛です。その真の愛には、目や口や五官が離れることはできないのです。それを中心として回るようになっていて、それに従って往来し、上がっていくにもそれに従って上がっていき、降りてくるにもそれに続いて降りてくるようになっているというのです。

それゆえに、私たちの五官を一つの焦点に結びつけることができるのです。その力とは何ですか。お金でもなく、知識でもなく、権力でもないのです。それはただ愛しかありません。そうではないですか。


千四百二十七

縦横がどこで一つにならなければなりませんか。天地合徳がどこで展開するのでしょうか。縦的な基準の前で展開するのです。愛が行く道は直短距離を通ります。これがどこで定着するのかという問題が、非常に苦心した問題でした。宇宙の根本を解明するときに、縦的な愛と横的な愛があるということを知りました。 なぜ知ったのでしょうか。垂直にさっと上がっていくことができません。そのようになれば、私が全く身動きせずにぴたっとここに立たなければなりません。そこを離れて縦的に愛すれば、私がぴたっとこのようにならなければなりません。これがどこに行って回るのかというのです。回ることができないのです。このような問題、どのように連結させるのかという問題、天地の愛があれば、その愛はどのように合徳するのかという問題が、大きな問題でした。しかし、一つ知ったこととは何かというと、愛は直短距離を通るということでした。


神様が願われることも、真の愛による神人一体です。神人一体、神様と人との一体圏です。神様が喜ばれる理想の基準と人間が願う基準がずれれば、大変なことになるのです。真正面で一体にならなければなりません。水平に一体になり、垂直に一体にならなければなりません。これを前後左右九〇度に合わせれば、上弦と下弦と右弦と左弦、十二箇所をすべて九〇度の角度で、どこに合わせてもぴったり合うのです。


神様の愛と人間の愛がどこで一つになるのかという論理を、今まで誰も分かりませんでした。これが分からなくては、天のお父様という言葉は荒唐無稽です。関係ない言葉です。アダムとエバは神様の何ですか。体です。それゆえに、アダムとエバが名づけるとおりになるというのは、どのような意味ですか。その体に神様が入っていってつけられるのです。完成すれば、男性の心の中には神様の性相が入り、女性の心の中には神様の形状が入っていくのです。アダムとエバの実体結婚式は、神様の結婚式なのです。霊界に行ってみれば、それをはっきりと知ることができます。知ることができないこのような理論が、すべてあてはまるのです。それゆえに、皆さんが神様の愛を占領してこそ、その欲心がいっぱいに満たされ、「もう、いっぱいだ」と言うのです。


神様は、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。アダムとエバが結婚する時には、神様がアダムとエバの心に入っていって一体的愛をなすのです。神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母です。そのような二つの父母の血肉を受けて生まれたので、心は縦的な私になり、体は横的な私になるのです。

このようにして神人愛一体圏を形成するので、心身一体愛を完成した者は、神様の息子、娘になるのです。神様の王子、王女になれば、神様と父子の関係になって、神様のすべてを相続することができるのです。このような子女が真の愛を中心とした夫婦一体を完成すれば、神様に侍って暮らす家庭になることができ、その家庭は、平和と理想の基地になるのです。半分である男性と女性は、一体となり、神様の相対として神様の理想の愛を完成させるようになるのです。すなわち神様は、真の愛を中心として、人間を無限の価値者として完成させることによって、神様も真の愛の完成をなし、永遠の理想の愛が宿る創造理想世界を完成されるのです。


千四百二十八

真の愛の主体者であられる神様は、その真の愛の相対者として人間を立てました。神様の愛の理想は、人間を通じてのみ完成するのです。神様の創造目的は、神人愛一体の絶対
的愛の理想世界です。

人間は、神様の高、 善の愛の対象として造られました。それゆえに、人間は、創造物の中で唯一神様の実体をもった対象です。無形の神様の前に見える体として生まれました。人間は、完成すれば神様の聖殿になります。神様が自由に、また安らかに、いつでも入ってきてお住みになることができる有形の実体です。神様の絶対的な真の愛の全体的理想は、人間を通じた父母と子女の縦的関係によって実現し、完成します。


神様はどこに入っていかれるのですか。神様は、アダムの心の中に入っていき、エバの心の中に入っていかれるのです。二性性相でしょう?この二つが一つの根を中心として入っていって打ち込まれるのです。そして、息子、娘で連結されるのです。愛で連結して、心と体を中心として、霊を中心として根を合わせて、ここから生まれた愛の息子、娘が地獄に行くでしょうか。誰かが勝手にできません。絶対的な体、絶対的な心、絶対的な霊、絶対的な男性、絶対的な女性が、絶対的な神様の愛を中心として、生命の起源であり、愛の起源であり、血筋の起源である生殖器を中心として統一が展開するのです。


(2) 神人一体の拠点

神様の愛と人間の愛がどこで会うのですか。その結着点は、愛の結着点、生命の結着点、血統の結着点になるのです。そこでなければ、愛と生命と血統を連結できる道がないのです。その場所はいったいどこですか。どのような生殖器で、どこに使う生殖器ですか。男性と女性の生命が連結されるところです。男性と女性の血統、血が交差するところです。神様の生命、神様の愛、神様の血統、そして男性と女性の生命、男性と女性の愛、男性と女性の血統が、この一点を中心として連結されるのです。これを中心として子孫が生まれるのです。


神様の絶対愛と人間の絶対愛が出会う点とはどこでしょうか。一点です。それはどこですか。結婚して初夜、生殖器が一つになる場です。そうです、神様に会うと考えてみましたか。どこで一つになるのかというのです。絶対的な神様が定着できる一つの起点と、人間のアダムとエバが理想として願う愛の起点が、一つになることのできる点が、一点ではなく二つの点になる時には、愛の方向と目的が二つになり、永遠に神様の絶対愛とは関係を結べない人間になるので、愛のために造られたというのは偽りだということになります。

そこから私が生まれるのではないですか。男性と女性がそこから生まれるのであって、キスするところから生まれるのですか。そこから男性と女性の生殖器が絶対的に一つになることを願うでしょう?夫婦間で絶対的に一つになってみたいですか、適当に一つになってみたいですか。その場は何かというと、女性が愛を受けるためには、夫だけではなく、霊的に神様に侍る位置に立たなければならないのです。見えるアダムの生殖器は、内的には見えない神様の生殖器だというのです。女性の生殖器も、見えない神様の生殖器であり、見える生殖器はエバの生殖器です。見えないものは縦的であり、見えるものは横的に一つになるのです。それで、縦的な父母、横的な父母が一つになるのです。

 

千四百二十九

 

アダムとエバの結婚式の日が、その場を中心として神様の結婚式の日になるのです。一つの縦的な結婚式であり、一つの横的な結婚式になるというのです。すべて生殖器を中心として、男性と女性が絶対愛に着地すると同時に着地の中心に来るので、神様の愛を中心として一つになるのです。そのようになったならば、神様のように心を中心として統一がなされたはずです。


絶対的に変わらない、そのような愛の位置に神様が臨在されるのです。神様が生殖器に臨在されるのです。神様が愛の根源であり、生命の起源です。男性の生命、女性の生命、血統の起源ですが、神様と人間は、どこで愛と生命と血統が結集しますか。この場所しかないのです。


アダムとエバの結婚式は、内的には神様の結婚式です。二重の結婚式の場だというのです。それを結束させるものが、男性と女性の生殖器です。それがなければ、自分の生命も生まれないというのです。それによって一族も、人類の歴史も続いてきたというのです。神様の理想世界も、その門を通過した子供たちが、愛された子供たちが連結させていくのです。そのようにして神様の国もつくられていくのです。


アダムとエバの結婚式とは何ですか。誰の結婚式なのですか。神様の結婚式です。もし、そのようにしていればどのようになりますか。そうなれば、どのような結果になったでしょうか。そのセクシュアル・オーガン(生殖器)が第一に何になるのかということです。 神様の愛の王宮になるのです。愛の本宮になるのです。そうです、家庭は王宮だというのです。これが愛の本宮です。一般家庭は王宮であり、これは縦的な愛の本宮です。どれほど貴いところなのかというのです。


アダムとは何でしょうか。堕落しないで完成していたならば、神様の体になるのです。エバも、やはり神様の体になるのです。神様の体になるのですが、男性はプラス側の体になり、女性はマイナス側の体になるのです。そして、二人が何を中心として結ばれますか。愛を中心として、生殖器を中心として結ばれるのです。内的な心の中に神様が入ってきているアダムとエバは神様の実体ですが、彼らが生殖器を中心として愛するようになれば、どのようになりますか。神様は誰を通じて愛するのですか。心は何を通じて愛しますか。体を通じて愛するでしょう?同じように、神様が堕落していない完成したアダムに入られ、神様の家のようになったところで、神様が主人となった中で、二人が愛するのです。
分かりますか。


神様とは、いったい誰ですか。神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした、縦的な父母だというのです。完成したアダムとエバは、真の愛を中心として横的な父母です。その二つの父母が一体となるのです。愛するその場所で、縦横が一体になるのです。そこは愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮です。それが男女の生殖器です。

 

千四百三十

それによって、神様御自身が神様の息子、娘を生むのです。神様の子女です。皆さんは、二つの父母から生まれたのです。その縦的な父母の相対的な立場に立ったのが良心です。そのような面から見るとき、良心は縦的な自分自身です。肉身は横的な自分自身です。縦横が何によって一つになりますか。真の父母の愛、創造主の真の愛によって一つになれば、心と体は絶対に闘わずに一つになるのです。


神様を「お父様」と言う、それはいったい何のことかというのです。創造理想の根源を知らなければなりません。神様は誰ですか。お父様です。皆さんは誰ですか。子女です。皆さんは子女ですが、それでは、皆さんは神様に似ましたか、誰に似ましたか。神様に似ました。神様には目がありますか、ありませんか。鼻がありますか、ありませんか。口がありますか、ありませんか。耳がありますか、ありませんか。あります。その次には体がありますか、ありませんか。神様に生殖器がありますか、ありませんか。そのようなことがすべて問題になるのです。このようなことを、すべて理論的に解決しておかなければなりません。


夫婦が愛する器官とは、どのようなものですか。神様の愛と人間の愛がどこで一つになるのですか。この一つになる出発点が二つになれば、方向も二つであり、目的も二つなので、神様と人間は喜ぶことができないという結論に到達します。神様が人間を愛の対象として造られたならば、神様の愛と人間の愛が接触できる出発点が同じでなければなりません。その同じ点とは、どこですか。心情ではありません。女性や男性に一番重要な器官とは何ですか。生殖器です。神様が創造される
時、 も精誠を尽くしてつくられた器官です。 アダムとエバの結婚式は、神様の結婚式だというのです。そうあるべきではないですか。愛の対象を自分より高く造ろうとされた神様が、どこに行ってお会いになるのでしょうか。どこに行って一つになられるのでしょうか。鼻で一つになるのでしょうか。どこでしょうか。問題が大きいというのです。ですから、女性がもっていて、男性たちがもっている生殖器というものは、神様が臨在できる本然の園です。神様の愛が初めてそこで完成するというのです。凹凸が一つになるその場で人間完成、すなわち女性完成、男性完成と神様完成が、愛を中心として展開するというのです。


心と体が一つになって、その生殖器を中心として一つにならなければなりません。出発地は一点であるべきであって、二点になれば方向も二つになります。人間の愛と神様の愛が接触して定着することができる寄着地(経由地)はどこかといえば、内的夫と外的夫が愛によって結ばれる生殖器だというのです。
あの凹凸で結ばれるのです。


人間が成熟して結婚するということは、神様の愛と人間の愛が関係を結ぶことを意味するのです。何を中心としてですか。愛の器官を中心としてです。霊的に見るとき、アダムの生殖器は神様の内的な生殖器であり、エバの生殖器も神様の内的な生殖器です。そして、相対的に女性の生殖器と一つになるのです。


千四百三十一

神様の結婚式が、アダムとエバの結婚式です。それゆえに、地上天国と天上天国が同時に生まれるのです。愛のすみかから出発するのです。男性と女性の生殖器を中心として、堕落しないで出会うその時間が、地上天国と天上天国出発の起源地です。三大王権を樹立すべき基地がそこです。その場でなければ、愛のすみかを成すことができません。


アダムの結婚式は、神様の結婚式です。これが天の大の秘密です。気がついてみると、統一教会の文教主が生殖器解剖学の代表者になりました。生殖器ですべて一つになるのです。それなくしては愛が分からないのです。それ以外には、男性の生命と女性の生命が結ばれる場所がありません。そこで女性の血と男性の血が出会います。そこから歴史が連結します。そこから良心が出発します。そのようになっているのです。


神様が御覧になるときに、女性は本来誰でしょうか。女性は、神様とどのような関係ですか。神様は、愛のために人を造られたのです。愛のために造られたのに、その神様の愛と人間の愛が相反しなければならないでしょうか、一つにならなければならないでしょうか。それでは、一つになるとすれば、どこで一つにならなければなりませんか。どこですか、考えてみましたか。それを考えなければなりません。セクシュアル・パート(sexual part)だというのです。


「絶対セックス」です!絶対的に心と体が一つになっていない人が、絶対セックスになれますか。生殖器も二重です。絶対セックスなので、私の生殖器は神様の生殖器であり、完成したアダムの生殖器です。神様に生殖器があるでしょうか、ないでしょうか。なぜ笑うのですか!分からなければ「分からない」と言い、あれば「ある」と言ってみなさい。あるでしょうか、ないでしょうか。動機がないのに結果が現れることはできません。人間は結果的存在なので、結果がそのようになるためには、動機的内容がなくてはならないのです。理論的です。

神様も生殖器があります。その生殖器がどこかに行って、二重的人格である神様も二重的なものが必要なので、内的人格の神様の位置、外的人格の体の位置が必要です。体の立場は誰ですか。完成したアダムです。心の立場は誰ですか。神様です。結婚式をして二人が一つの家で爆発するのです。

初愛のアダムとエバが生殖器を合わせる初夜に、精子と卵子が泳いでキスし始めるときは、神様とアダムとエバは別々でしょうか、同一でしょうか。


神様と真の父母を中心とした愛の伝統が、すべての出発点であることを知らなければなりません。神様の愛と人間の愛のトゥルー・ラブが、どこで一つになって出発するのでしょうか。生殖器です。どのような種類の生殖器ですか。真の生殖器です。神様が願われる
生殖器です。そのような結論が出てきます。


千四百三十二

神様と人間の愛が連結されるところを本郷の地にして帰ろうとするのです。そこがどこかといえば、男性と女性の生殖器です。神様の愛と人間の愛がどこで始まるのでしょうか。アダムとエバの生命と愛と良心と血統の根である神様は、間違いなく縦的な立場から横的な位置のアダムとエバ、彼らの性相と形状が一つになったその中にすっと入っていかれるのです。ですから、アダムとエバの結婚式は、神様の結婚式なのです。男性と女性がもっている生殖器は、神様を解放して神様を完成させる器官です。ですから、神様がお父様になるのです。縦的なお父様、横的なお父様は完成したアダムです。


皆さんがその長い棒をいい加減に扱ってはいけません。それに侍って生きなければなりません。それがも貴いのです。神様が見下ろしているのです。神様がそこに臨むのです。そして、皆さんの妻のものは神様の夫人、女王のものであり、皆さんの夫のものは神様のスティック(棒)と言いましょうか。神様と一緒にぶらさがっていると考えなければならないのです。それは二重ではありません。心と体のように、神様が心ならば、皆さんは体になるのです。神様は見えませんが、その生殖器と一緒にいらっしゃるのです。私たちの体にそれがぶらさがっていますが、それは二つが一つになってぶらさがっているのだと考えなければなりません。


夫の生殖器が神様の生殖器だと考えてみましたか。どれほど近づきますか。神様をどこか天のてっぺんに置いて信じるのではありません。自分の心の中に入ってきているのです。

一つになっているから分からないのです。 堕落することによって、男女の生殖器がこのよこしまな死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させた本宮になったために、天道を破綻させた魔物になったために悪いものになりました。これが今まで歴史に隠された秘密でした。堕落していなければ、男性と女性の生殖器は、愛の根本であり、愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮になるのです。そこで縦的な神様の愛、横的な真の父母の愛が一つにならなければなりません。 真の愛は直短距離を通るために、横的な人間、アダムとエバの愛も直短距離を通る道は、九〇度の道しかないのです。そして、ここで一つにならなければなりません。ここで爆発して、アダムとエバが神様と生命一体、愛一体、血統一体、このように和合した喜びとともに爆発して、蘇生するところから生まれるべきなのが私たち人類です。これがアダムとエバの子女になることであり、神様の孫になることです。そうなっていれば、なぜ地獄に行くのですか。宗教に何の必要性がありますか。そのままそのように生きれば、すべて天国に行くのです。


神様は縦的な位置、中央なので縦的であり、アダムとエバは横的なので、二人がどこで一つになるのかといえば、生殖器という基準を中心として一つになるのです。それゆえに、愛の源泉である神様がその場に臨むことができ、生命の源泉である神様がその場に臨むことができ、血統的根源が神様なので、その場からすべてのものが始まるのです。

それゆえに、生命の根源地であり、愛の根源地であり、血筋の根源地である、これをつかんで引っ張れば、すなわち血筋をつかんで引っ張れば、先祖の血筋がすべて出てくるのです。ここで生命をつかんで引っ張れば、先祖の生命がつられて出てきますか、出てきませんか。また、愛のひもをつかんで引っ張れば、つられて出てきますか、出てきませんか。そのように造化を集約させて、それを連結させることができる本部とはどこかといえば、も貴いところだというのです。男性になれる性格、女性になれる性格、何がそれを分けるのかといえば、生殖器です。

 

千四百三十三

 

それでは、男性の生殖器と女性の生殖器を、誰が先にこれと因縁を結ぶためにつくったのでしょうか。アダムでもなく、エバでもありません。神様です。聖書に、悪魔は淫乱の神だとあります。なぜ神様がそこまで嫌ったのですか。自らの理想的本基台を完全に破壊させてしまったからです。ですから、これは全宇宙からの追放を予告しているのです。


男性と女性の生殖器は、どれほど貴いでしょうか。これで堕落したために、この人類の全体の理想を破綻させてしまいました。その主人は二人ではありません。絶対的に一人です。女性が結婚して一人の夫に三角地帯を許すようになれば永遠です。それゆえに、男性の生殖器、女性の生殖器は貴いのです。神様の愛と人間の愛は、どこで会うのですか。 神様が創造理想の愛のために天地を造られたのですが、その愛の対象が人間です。皆さんは、愛の対象が自分より優れていることを願うでしょう?そう願うでしょう? 何千倍ですか。「千倍を願うか、万倍を願うか」と尋ねれば、「万倍を願います」と言うのです。「万倍、十万倍か」と尋ねれば、「十万倍です。億万倍です」と答えるのです。


神様も、被造世界の誰が愛のパートナーになると思いますか。そのパートナーとは何ですか。男性一人だけでパートナーになりますか。女性一人だけでパートナーになりますか。神様は何のパートナーを願われるのでしょうか。お金のパートナーではなく、知識のパートナーではなく、権力のパートナーではありません。愛のパートナーを願われるので、男性と女性の生殖器が一つになったその場を中心として神様に会うことができるのです。

 

(3) 真の血統の根は神様

人間が堕落していなければ、神様は内的な父と母になり、アダムとエバは外的な父と母になります。内的な父母の息子、娘として愛の種を受けて生まれた人間になるはずだったのですが、悪魔の愛を中心として堕落することによって、悪魔の血筋を受け継ぎ、悪魔の愛、悪魔の生命、悪魔の血筋を受けた人間になりました。


神様は、見えない内的なアダムの位置にいらっしゃり、また見えない内的なエバの位置にいらっしゃいます。アダムは、人類の前において、内的なお父様に侍る実体の父として立とうというのであり、またエバは、内的な母の神様に侍る実体の母として立とうというのです。このようにして縦的な基準から横的基盤へ拡大させようというのです。


エバは、未来における神様の愛の夫人です。神様自体は縦的ですが、横的な相対がいません。縦横を結んで、もたなくては生産できないのです。神様は縦的にいらっしゃいます。縦は垂直で、垂直は一つしかありません。垂直の世界は生産できません。生産できる環境は横的な基盤です。ここには四方、三六〇度があるので、面積があって生産圏が展開されるのです。神様は、一人でいてはいけないので、天国を成す民族を生産するためにアダムとエバという体を造られたのです。


千四百三十四

本来、堕落していなければ、エバは神様の夫人になり、アダムは神様の体になるのです。神様の体になったアダムと神様の体になったエバが愛することによって、神様と人の天地合徳が展開し、男性と女性、陰陽の合徳が展開して初めて縦横に結びつき、愛によって新しい生命、新しい血筋が絡み合わなければなりませんでした。


アダムとは誰ですか。神様が根ならば、アダムは新しく出てくる枝と同じであり、芽と同じです。神様とアダムは一つの体です。生命の根も神様であり、愛の根も神様であり、血統の根も神様であり、良心の根も神様なので、神様が先に愛を感じなければなりません。根が先に感じて、幹が愛を感じなければならないのが原理です。

アダムとエバは相対的愛の位置にいて、主体は神様です。神様の愛は、アダムとエバが結婚して初日に愛するその時間、出発地から一つになっています。ところが、一つになると感じられないのです。一つになっているために感じられないだけであって、既に神様は、愛と生命と血統の因縁を中心として、創造理想の喜びを感じるというのです。その喜びに反応して男性と女性が愛しながら喜ぶのです。これは、アダムとエバが結婚して夫婦が合徳することをいうのです。


神様は、愛の源泉であり、生命の源泉であり、血筋の源泉です。このように思うとき、男性の愛と女性の愛が合徳し、男性の生命と女性の生命が合徳し、男性の血と女性の血が合徳するところとはどこでしょうか。男性と女性の秘密の場所、生殖器です。それで、人
間世界における大礼の中の大礼が結婚です。


神様と私たち人類の始祖であるアダムとエバの関係について考えれば、私たちの生命の起源は神様です。私たちの愛の主体も神様で、私たち一切の生活的な標準も神様です。


アダムとエバの結婚は、神様と人間が結婚することです。同じように、皆さんも人間として神様と結婚するようになっています。それでは、神様はどこにいらっしゃるのでしょうか。私の中にいらっしゃいます。


アダムとエバの結婚式は、神様の結婚式です。アダムは誰ですか。神様の長男です。平面の中の平面で横的です。神様は縦的です。その一家で横的に発展することができるのは、長男から始まります。神様とアダムは、愛を中心として父子一身です。それでは、愛はどこで一つになるのでしょうか。縦的なアダムとエバの結婚式で一つになります。成熟してお互いに思い慕うのは、縦的なものを取り戻すためなのです。


愛を中心として、アダムとエバに神様が入ってこられて内的な父になり、アダムとエバは神様の体になって内外の神様になるのです。神様は、宇宙を創造された内的な神様であり、人間は外的な神様になるのです。彼らが夫婦になって天国の王宮を創設することが創造の遺業です。宇宙の王権を中心とした王宮を設定して、アダムとエバを中心とした皇族編成がなされれば、地獄はあり得ないのです。


神様とアダムが内外に一つになれば、神様は内的な神様であり、アダムは外的な神様になります。内にいる神様は内的な神様であり、外にいるアダムは外的な神様になるのです。

 

千四百三十五

 

神様は創造主でありながら、縦的な真の愛の父母です。真の愛を中心とした縦的な父母だというのです。そして完成したアダムとエバは、真の愛を中心とした横的な父母です。この二つの父母が一体になるのです。愛するその場所で縦横が一体になるのです。そこは愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮です。そこが男性と女性の生殖器です。そのようにすることによって、神様自体が神様の息子、娘を生むのです。

皆さんは二つの父母から生まれました。その縦的な父母の相対的な立場に立ったものが良心です。そのような面から見るとき、良心は縦的な自分自身であり、肉身は横的な自分自身です。それでは、縦横が何によって一つになるのでしょうか。真の父母の愛、創造主の真の愛によってです。真の父母の愛、創造主の真の愛によって一つになれば、心と体は絶対に闘いません。


神様が創造当時、理想として願われた真の愛、偉大な真の愛を中心として、人間との真の愛の関係を結んで一つになることのできる、このような神人愛一体の家庭を築いたならば、今日私たちは、天国だ、地獄だと心配することもなく、そのまま天国にみな入っていくようになるのです。ここで問題になることは、神様の真の愛と真の人間の真の愛が、主体的真の愛と相対的真の愛で一つになって一点から出発しなくては、神様の真の愛と人間の真の愛が異なった二つの愛の出発になってしまうので、二つの愛の方向と目的地になるということです。このようになる時は、神様と人間が願う絶対的理想世界は探し出すことができないのです。 既成教会と統一教会が違うのは、統一教会は、愛を中心として神人一体を定着させるということです。既成神学では、神様は神聖なもので人間は俗なるもの、罪なるものとして定義しています。そうであるなら、神様の愛と人間の愛がどのようにして一つになることができるでしょうか。それは話にならないというのです。絶対的な神様は何でもできると考えているのが問題です。したがってキリスト教の行く所には、たくさんの血が流れてきました。神様の命令を名目に侵略し、奪取したのです。独裁者を出したのです。世界はそのようにはなりません。神様の本性から見るとき、そのようにはならないのです。


三) なぜ結婚が重要なのか 

(1) 結婚の目的は神様に似ること

宇宙の根本がそうです。神様の完成も、やはり同じです。アダムとエバが二性性相になって縦的に一つになるのです。それで、神様を完成させて解放させるのが人間だというのです。また、人間を完成させて解放させるのが神様だというのです。離れることができません。その場で生きなければなりません。


アダムとエバは、神様の二性性相がそのまま出てきたので、一つのふろしきから出てきたのと同じです。双子で生まれた兄と妹のようなものです。その兄妹の双子がおっぱいを片方ずつ分けて飲み、お互いに触って、母親のおっぱいを飲む愛を中心として考えるので
す。すべて母の懐に抱かれて愛するのです。


千四百三十六

神様が二性性相に分立されるので、その本性がそのように分立されるのではないですか。男性は何ですか。男性は性相的な神様であり、女性は形象的な神様です。この二人が一つになり、分立されたもの一つになることによって、愛を中心として愛の軸が生じるのです。愛の軸は誰もタッチできません。神様も愛の軸の前に絶対服従するという論理がここから展開するのです。すべて理論的です。


統一的基準の内容があるところとはどこでしょうか。垂直線です。人間が堕落していなければ、神様と人間はどこで会いますか。なぜ結婚するのですか。神様に会おうとするのです。神様の愛の前に接ぎ木をするためなのです。愛のために生まれたので、その愛は宇宙と同参して、神様のような愛の理想相対を探さなければならないのです。それは一人ではできません。神様が二性性相に分立したのです。


なぜ結婚するのですか。神様の姿に似るためです。神様は二性性相でいらっしゃる方として、各々の一性が合体化した一律的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性の位置に帰らなければならないのです。その種を連結させるためには、愛の道理の道を通らなければならないので、生まれるときも愛を受け、育つときも愛を目標として育ち、生きるにも愛を中心として生きて、逝くときも愛に帰るために逝かなければならないのです。その道は、「ため」に生きる目標を中心として訪ねていかなければ、方向がずれるという事実を皆さんは知らなければなりません。「ため」に生きて愛するという心を先頭に立てれば、いくらこっちに行くといっても、南極と北極の方向を探し当てるように正しく行くというのです。


私が結婚をするのは、私だけのためではなく、相対のためでもあります。結婚が自分自身より相対のために行われるということはどういうことでしょうか。天地間のすべての道理が主体と対象で成り立っているように、男性と女性が結婚するのも天地間の道理です。 男性が右側ならば女性は左側になりますが、それは、宇宙間の横的な関係をなすためであり、男性が主体ならば女性はその対象になりますが、それは、神様との縦的な上下関係をなすためなのです。したがって、結婚とは男性だけのためではなく、また女性だけのためでもない、天理の法度を合わせるためにするのです。それゆえに、男性と女性がお互いに異なる形を備えています。天理法度に合わせられるようにできているのです。


なぜ結婚するのですか。神様を愛するためです。神様を愛して何をするのですか。神様の軸と一致するためです。一致して何をしようとするのですか。一致すればどのようになるのですか。なぜ一致しようとしますか。絶対的な神様の愛を中心として、永遠であられる愛を中心として、永生が展開するのです。それだけではありません。そのように接触したところから宇宙の相続権が伝授される、ということを知らなければなりません。愛を中心として造られた被造世界は神様のものですが、私のものとして相続権を与えられるのです。


千四百三十七

なぜ結婚するのですか。アダムとエバが自らの愛を求めていくためではありません。縦的な神様の愛を核として、その核を中心として、客体として一つのバランスをなすためなのです。それが理想です、

神様の創造理想もそのような愛を中心として結びつくことであり、人間の男性と女性も成熟してそこで愛の結着点が展開して、生命が連結されるのです。ですから、生命によって連結されるのではありません。愛によって連結されるのです。縦的な父の愛と横的な夫婦の愛を中心として、本然の愛の種が初めて連結されるというのです。


結婚とは何かといえば、創造理想完成の場です。神様の子女完成の場であり、兄弟完成の場であり、男性と女性の理想的完成の場です。男性と女性が理想の場で一つになることは、創造前にアダムとエバが二性性相の性相と形状でいたものが実体として一つになることです。


神様の無形の二性性相がアダムとエバの実体として分かれたのですが、これが再び縦的に会うのが結婚式です。結婚して一つになる瞬間は、未完成の半分が完成する瞬間であり、完成品として合格する瞬間であり、相対の世界を抱く瞬間です。愛の力以外にはそのようにできるものがありません。それだけではなく、神様を占領するのです。結婚は、相対を占領して神様を占領するのです。それが正に
結婚です。でたらめにするのではありません


結婚とは何ですか。男性は女性の世界を占領しようというのです。女性の世界を知りません。また、女性は男性の世界を占領しようというのです。結婚する前は、女性は男性が神秘的です。男性には女性が神秘的なのです。同じです。結婚して神秘的な男性・女性世界をお互いに占領して二つとも備えることによって、神様の二性性相の主体の前に一つになる、その姿を備えるのです。このようにして神様と一つになるのです。


男性は女性のために生まれて、女性は男性のために生まれたのです。結婚は何かというと、片側の身分が完成することです。男性半分、女性半分が一つになることであり、その次には神様を占領するためです。二性性相の男性と女性が二性性相になったので、愛で一つになることによって、正から分かれたものが合わさっていくのです。


アダムとエバの結婚は誰の結婚かといえば、神様の結婚式です。愛の根、生命の根、血統の根、良心の根であるその根が、先に愛を体恤しなければならないのです。結婚するその場には、神様をお迎えしておいて夫を迎えなければなりません。神様の二性性相がアダムの心とエバの心に入っていかなければなりません。正から分立して入っていくのです。これで正分合になるのです。したがって、プラスとマイナスがすべて一つになるのです。 結婚はなぜするのですか。神様の姿に似るためです。神様は、二性性相でいらっしゃる方として各一性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的な人格自体が男性と女性なので、彼らが合性一体化して種のようになり、神様の本性の位置に帰らなければならないのです。結婚は、神様と一つになることができる位置に行くということです。


千四百三十八

結婚とは何ですか。男性を通じて愛を結ぶことによって、半品存在である女性が完品存在になることです。男性も同じです。結婚を通じて完成するのです。何によってですか。愛で一つになることによってです。ですから、男性と女性の生殖器は絶対に必要なのです。ですから、男性の生殖器は女性のためにできたのであり、女性の生殖器は男性のためにできたのです。自分のものではありません。


結婚初夜の愛というのは偉大なものです。初愛です。皆さんが女性として生まれて一生保護してきた自分の体、その一身を男性に捧げるのです。

男性もそうです。自分一身を備えて純潔な体を女性に一〇〇パーセント捧げるのです。そのためのものが男性としての結婚前の生活です。


男性と女性が出会って愛が芽生えれば、絶対的に一つにならなければならないといいますか、絶対的に分立されなければならないといいますか。絶対的に一つにするとは、どうなることですか。男性と女性がキスすることですか。どこが一つになりますか。何のために結婚するのかと言えば、生殖器理想の完成のためです。結婚とは何かといえば、生殖器官の理想を満たすためのものが結婚だというのです。それは間違っていますか、合っていますか。俗的な結論のようですが、俗的な結論ではないというのです。俗的な人間の世の中で話すので俗的なのであって、神様の創造本然の世界では神聖なのです。神様が願われる至聖所はどこかというのです。愛が永遠に宿ることができるところが至聖所だというのです。そのとおりでしょう? 女性が男性を訪ねていく時は、「神様よりもっと貴いものを訪ねていきます。一生を大切に装って貴く思い、何よりも貴いものをもってあなたを訪ねていきます。あなたを愛します」こうでなければなりません。そのよう
に女性が男性を慕えば、生殖器が息をします。


結婚して男女が初めて愛する瞬間、関係する時間は、子女の愛の完成なのです。兄弟の心情の完成場、夫婦の心情の完成場、未来の父母の心情の完成の出発点です。それで、女性の生殖器というのは愛の本宮です。愛の根源です。そこから愛が始まるのです。空中から始まるのではありません。何ですか。愛の本宮です。


男性と女性が完成するのは何ですか。それが結婚生活です。男性と女性の凹凸、これを一つにするのです。何を中心として一つにするのかというのです。男性と女性の凹凸が何のためにそのようになったのかといえば、愛のためにそのようになりました。愛で一つにすることを知らなければなりません。人間のすべてを構造的に見るとき、この生殖器のように全体の核的な内容をもって生まれたものはありません。神様が創造されたなら、ここにすべての精力を込めてつくられたという話になることを知らなければなりません。


結婚とは何かといえば、半分の男性と女性が生殖器を一つにすることによってお互いに完成するのです。男性は、女性の愛を中心として完成するのです。男性は女性を完成させ、女性は男性を完成させるのです。それは、真の愛を中心として完成させるのであり、真の生命の結合が展開するのです。真の愛で一つ

 

千四百三十九

 

になるのです。愛が中心になって生命が活性化され、二つが一つになる位置がその場です。男性の血、女性の血が一つのるつぼで一つになることのできる位置がその場だというのです。その場から息子、娘が生まれます。その場は、息子、娘より貴いということを知らなければなりません。夫よりも、神様よりも貴いということを知らなければなりません。


男性と女性がお互いに愛して抱擁する、それ自体が、宇宙が一体をなす場になります。神様の理想の中でなされる創造本然の姿は、そうです。


福の中でも貴い福は、神様の愛です。その次には、神様の創造の権限を引き継ぐことです。神様がアダムとエバを創造されたように、創造的権限を与えられるのが子女なのです。皆さんは、なぜ子女を愛するのでしょうか。神様の創造の業績を横的に実体圏で受け継いだのと同じなので、アダムとエバを造って神様が喜ばれた、その喜びを代わりに感じるためです。

その次には、神様が天地万物を主管されたように、万物を主管するために私たちに主管権を賦与されました。したがって、結婚するその時間には、神様の愛を相続して、再創造の権限と主管権を完成圏に立って受け継ぐようになる、ということを皆さんは知らなければなりません。それゆえに、結婚式というものは、愛の顕現を意味すると同時に、創造権と主管権を賦与されることです。


世間で盛んに行っている自由結婚は、サタンが人々を堕落させて神様の前に出ていけないようにするためにつくっておいたわななのです。そのわなに引っ掛かれば死に、サタンの支配を受けてえじきになるしかないのです。今日、西欧社会、特にアメリカは、自由結婚が盛んに行われることによって、真なる家庭を築くことができなくなっており、家庭生活に失敗した人々が日増しに多くなって、いくらもたたないうちに家庭をもたない人が多数を占めるようになるでしょう。

そのようになれば、アメリカ社会は愛が干からびた社会になり、不信によって不安と恐怖が支配する地獄のような社会になるだろうと、自信をもって確言することができるのです。このような時点に立っている皆さんには、このような社会風潮を一掃して、アメリカ社会に愛が満ちあふれ、神様の願われる社会を建設しなければならない義務と使命が賦与されていることを知らなければなりません。


私たち統一教会は、結婚観が違います。結婚というのは根本に帰るためのものです。


(2) 夫婦の愛と絶対性

夫婦が、神様を愛して人類を愛する心の基台の上で爆発するようにお互いに愛するならば、その家庭によって神様が酔い、宇宙が酔うことができるようになるのです。その愛は、神様のための愛であり、人類のための愛です。その愛の根は、自分にあるのではありません。神様が愛の根源であり、人類の愛が根源なのです。


千四百四十

結婚したなら、既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いものと連結される時には、垂直的概念が生じます。平面的な歴史は宇宙を収拾し、天宙を収拾することができません。垂直と水平が出会って九〇度をなす時、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろにしても、後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦、どの面をくっつけてもぴったり合うのです。地上完成基準は、霊界のすべての完成へ続くのです。


結婚して夫婦が真の愛をなす位置は、神様と人間の愛と生命と血統の根源である王宮の位置であり、理想のための地上天国・天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が真の愛を中心とした夫婦一体を完成し、神様に侍って暮らす家庭となり、平和と理想の出発基地になるのであり、半分である男性と女性は、一体となって、神様の相対として神の理想愛を完成させるようになるのです。


男性と女性が祝福を受けて、完全な愛を授け受けして喜びを享受する時、神様が地上に咲いた花のように御覧になるというのです。また、彼らの愛によってなされるすべての調和万象は、神様にとって良い香りと同じです。このような美しい香りの中で神様は暮らしてみたいと思って訪ねてこられるというのです。神様の愛が訪ねてくることのできる基台が、すなわち夫婦の愛の場です。その場は、万物と宇宙が和動する場になるはずです。


男性と女性の生殖器の主人とは誰ですか。縦的な神様です。どこで神様の理想的愛と人間の理想的愛が一つになりますか。生殖器です。神様に出会うために結婚するのです。驚くべき話です。神様がほかにいるのではありません。その場に入っていくようになれば、神様が生きていらっしゃいます。三大主体思想がどこで結合して根を打ち込むのですか。愛です。神様の愛と人間の愛が生殖器を中心として…‥。結婚は、神様の縦的な愛に接ぎ木をするためのものです。

曇った日に陰電気と陽電気が合わさって雷が鳴ったり稲光がするのは、宇宙結婚の象徴です。大声で叫ぶでしょう?はとも愛する時、大声で叫ぶでしょう? 皆さんも愛する時、大声で叫びますか。声が出てきそうなのに両親に聞こえるかもしれないと思って、ただもう死ぬほど心配でしょう。率直であるべきです。なにもそのようなことを隠す必要はありません。これからは、窓ガラスが一度にガッシャーンと音がするくらい叫んでも罪ではありません。雷鳴がとどろき、稲光がするかのように、火が出なければなりません。聖女に侍って生き、聖男に侍って生き、神様に侍って生きる境地に入っていかなければならないのです。そのような愛の世界があります。ですから僧侶たちには、いくら修行に励んでもその世界を知るすべがないのです。


皆さんが夫婦関係をするのを神様が見ないと思いますか。公開的なのです。これは宇宙的に公開するのです。それを知らないということは大きな間違いです。皆さんの先祖がすべて見ているというのです。霊界でも、すぐ目の前に見えます。手のひらに立ってするかのように、すべて見えるのです。ですから、それを恥ずかしいと考えれば大きな間違いです。


千四百四十一

愛は永遠です。そのような愛は二つではなくて一つです。男性と女性の間が愛によって結ばれれば、地上で偕老(共に年を取ること)しなければならず、死んでも永遠に共に生きていくようになっています。体は二つですが、一つになって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つになれば、神様と回るようになって愛の四位基台を成し遂げるようになりますが、それが正に理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵犯できず、た

だ真の愛だけが臨在するようになるのです。


理想的夫婦とは、どのような夫婦ですか。高の芸術を実体として展開させることができる夫婦、高の文学を展開させることができる夫婦なのです。 高の理想、 高の文化世界に接する前に、 高の愛によって夫婦が授け受けする、その甘い愛が世界 高の芸術作品にならなければならないのです。夫婦生活自体が高の文学作品であり、それ自体が
文学の実体にならなければならないのです。


家庭を芸術化させなければなりません。おもしろい夫、芸術的な夫にならなければなりません。何かの雑誌などに良いものがあれば、さっととっておいて、寝ようとする夫人の前で素晴らしい声で読んであげるのです。感動して寝る妻の姿を夢に描けば、それが再現されるのです。霊界と連結するのです。それはどれほど素晴らしいことでしょうか。そのように暮らしたいですか。でなければ、そのまま野暮な夫婦同士で暮らしたいですか。素晴らしく生きたければ、素晴らしくなれる姿勢から、素晴らしくなれる方向をとらなければなりません。それが第一条件です。


赤ん坊を生む位置は、神様の上弦世界を占領するのです。神様の位置に上がっていくことによって、子女を愛することで、神様が創造以降に人間をどれほど愛されたのか、その内縁を体恤させるのです。


このように、夫婦が息子、娘を生んで父母の立場に上がっていくことで、神様の立場で神様が人間を創造される時、どれほど喜ばれたかを体恤するようになるのです。天地の大主体であられる神様のすべての権限を相続できる立場に入っていくことができる体恤的環境において、体恤的内容として伝授させてあげるのが息子、娘の生産です。息子、娘を生産して大切に育てて結婚させるまでが父母の責任です。神様がアダムとエバを育てて結婚させるはずでしたが、できなかったのです。アダムとエバも、息子、娘を生んで結婚させることができませんでした。この恨を解かなければなりません。これが教育の原論になるのです。結論は簡単です。


夫婦が一つになって息子、娘を生むことによって永続することができます。それで、創造した創造主の位置に上がっていき、息子、娘を生んでみることによって、神様が創造された喜びを平面世界で感じることができるのです。それゆえに、自分の妻は、息子、娘と同じでなければなりません。息子、娘と兄弟の位置を合わせたものです。ですから、別れることができないというのです。愛はいい加減になっていません。息子、娘を生もうとするなら、このようなすべての伝統を踏まえて経ていったのちに息子、娘を生んでこそ、神様が本来創造理想として願われた本然的基準に到達するのです。それゆえに、家庭が天国基盤です。

 

千四百四十二

 

神様を中心として一つになる時、千態万状に回るようになるのです。したがって、兄弟間で愛するのも、父母が子女を愛するのを見習って兄は弟を愛さなければならないのです。そのように愛しながら一元化した家庭は、家庭愛が花開くことができます。これはまた、社会愛になることができます。これがさらには、民族を愛する民族愛になります。このように愛すれば世界になるのです。ところが、今日これが漠然としているというのです。 神様は、真の愛の本体なので、真の愛と連結すればすべてが同じ体になります。父母は、神様を身代わりした生きている神様であり、夫と妻は、お互いがもう片方の神様であり、息子、娘はもう一人の小さな神様です。

このように、三代が真の愛を中心として成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を築かなければ、天国を成すことはできないのです。家庭とは宇宙の中心です。家庭完成は宇宙完成の基礎になるために、家庭で愛して宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。このような場合、神様は、全体宇宙の父母として愛の複合的な中心の位置にいらっしゃいます。


平和の立て札、碑石を立てるのが、女性の節操と男性の志操です。そのようになれば、男性でも女性でも絶対に信じます。これが水平にならなければなりません。永遠に水平になるのです。そうなれば幸福でしょう?なぜですか。自分たちの宝物の中の宝物が何かといえば、半分のかけらだった女性が夫を占領することです。夫も占領しましたが、天地が半分のかけらだったものが一つになるのです。上弦の神様側に下弦の息子、娘が生まれるのです。上下関係が生じるのです。 その次には夫婦関係です。これを中心として四方に広がっていきます。そのようにして、前後を中心として初めて家庭が定着するのです。前後関係は兄弟です。兄弟をもたないといけません。上下関係、左右関係、前後関係です。その器官を完全に定着させなければなりません。

それゆえに、唯一私にあるものは何ですか。男性には妻一人しかいません。財産でも何でも、全部捨てるとしても、これは取り替えることができないのです。ただ一つの宝物は妻だというのです。


四、生殖器は最高の神秘、最大の関心事

 

一) 生殖器は も精誠を尽くしてつくったところ

千四百四十三

宇宙は、なぜペア・システムになっているのでしょうか。独りでになっているのでしょうか。今日、進化論もいいのですが、進化論に先立って広がっている事実は何でしょうか。男性と女性の生殖器、繁殖器官があります。そこに進化がありますか。進化があるなら、男性と女性の愛する方法が変わらなければなりません。昔の人と今日の人と、それが発展していなければならないないというのです。昆虫世界においても、虫が愛するそれが、昔と今日と変わらなければなりません。鳥もみな、変わらなければならないというのです。そのような内容を中心として論じることができるのです。生命の起源である愛の器官を中心として、その本拠地が進化的内容で発展するようになっていますか。それが、ただそのまままゆ毛が生えたり、勝手に涙が出てきたりしますか。狂ったことを言うなというのです。 この宇宙の根本になる主人がいて、考えがなければなりません。私たちのこの体は、どれほど神秘的ですか。この体が理由もなくできましたか。生殖器がどれほど神秘的ですか。それは、想像できないほど神秘的なのに、それがただそうなっているのですか。生命が連結しているものは簡単ではないのです。


男性と女性の生殖器の細胞が、物質世界が高に願う希望の終着地だというのです。そこに行くことによって、神様の愛に接することができる高貴なものになるというのです。それゆえに、男性と女性の生殖器は、宇宙のすべての精髄の核が、細胞が作動し、集まっているというのです。その力は、宇宙を動かすことのできる力が通過する愛だというのです。したがって、愛する人のためには自分が犠牲になろうとするのです。


生理的感覚の集結地が生殖器です。神様が創造される時、も精誠を尽くされたところです。それゆえに、歴史を連結して、生命を再び創造する器官になっています。皆さんは何も知らずに夫婦関係をして、息子、娘を生みますが、そのようになっていません。そのようにすることができるように造られた神様は、全体の要素がそこに連結されるようにされたのです。それゆえに、それが活動するようになれば、生命の根本要素がすべてそこに連結して、発電所のように爆発するのです。

それを愛というのです。


結婚しましたか。新郎がいますか。恋しい時は、動物が発情する時に見ないでにおいをかいで自分の相対を訪ねていくのと同じように、皆さんにも、生理的な大革命が起こらなければなりません。堕落したために、その基準に至らないというのです。動物が愛する時、どのようにしますか。きょう、さっき映画を見たでしょう?江原道の東江にいるオルムチという魚を見れば、魚たちは生殖器がありません。魚がこのような形をしているとすれば、ここにひもがあります。これが生殖器です。雌が発情すれば、そこに行ってこするのです。電気が通じて精液を放射するのです。本当に真の神秘です。水中でどのように卵をかえすのかというのです。そのように、みな愛するのです。

進化論から考えれば、男性と女性の性を誰が区別しましたか。アメーバがしたのですか。このダーウィン、こいつめ、私が胸ぐらをつかまえて、首根っこを押さえつけておかなくてはいけません。「男性と女性の生殖器の構造が、私たちの骨格の構造よりも何次元もさらに神秘的で複雑だということを知っているのか」と尋ねるとしたら、尹博士はどのように答えるつもりですか。さあ、どのように答えますか。骨格の構造よりももっと複雑なものが生殖器の構造であるという時、これは正しいですか。生殖器の構造がより複雑ですか。私はよく分かりません。もっと複雑なのが生殖器の構造です。


二) 生殖器の主人がお互いに入れ替わった

千四百四十四

男性の宝物は、男性自身はもっていません。男性の宝物は女性がもっていて、女性の宝物は男性がもっているというのです。取り替えてもっているのです。女性のセクシュアル・オーガン(生殖器)は女性のものではありません。男性のものだということを知らなければなりません。自分のものではありません。男性も同じです。したがって、自分の思いどおりにできないのです。米国の女性たちは、自分がもっている生理的五官が自分のものだと思って自由に行動して、ありとあらゆることをします。男性たちもありとあらゆる行動をします。皆さんは管理人です。管理人が主人のように振る舞っているというのです。 女性に尋ねますが、皆さんがいつ、その主人に出会いましたか。主人は夫です。また、男性は、男性のものが自分のものですか。それでは、結婚とは何でしょうか。お互いに主人を訪ね求めていくためのものが結婚だというのです。陰電気と陽電気とが飛び交って、雷を落とすのが愛です。それと同じだというのです。女性が結婚するのは、男性の顔よりも、それのためです。男性が結婚するのは女性の手ではなく、それのために結婚するのです。男性や女性同士で結婚する男性同性愛者や女性同性愛者など、そのようなものがどこにありますか。それはなくなるのです。百年も続かず、一代ですべて終わるのです。このように見る時、結婚をすべきですか、すべきではありませんか。結婚はなぜするのですか。このようになっているので、結婚をしなければならないのです。絶対に結婚しなければなりません。


女性の生殖器は、自分のものではありません。男性のものです。夫のものです。今まで自分のものだと思っていました、自分のものではありません。女性には必要ありません。これを必要とするのは男性です。男性のものをもっている、ということを知らなければなりません。男性のものです。夫のものだというのです。夫のものなのに、自分のものだと思っているので、世の中の万事をよこしまにすべて破壊してしまうのです。男性がいなければ、それを何に使いますか。何に使うのかというのです。重要な問題です。今まで、それが分からなかったのです。


男性の愛の主人は女性です。女性がもっています。女性の愛の主人は男性です。男性がもっています。男性たちはみな知っている話です。男性たちがぶらさげているのは誰のものですか。今までは、このことを知りませんでした。自分のものだと考えたのが罪です。女性がもっている生殖器を自分のものだと思ったことが、大きな罪です。


男性は何をもっていて、女性は何をもっていますか。早く答えてみなさい。生殖器です!その男性の生殖器は男性に絶対必要ですか、女性に絶対必要ですか。どのように思いますか。この時間に私たちは明確に定めなければなりません。生殖器は女性のためにあるのです。人間の生殖器の一つは凹で、一つは凸ですが、何をしようとそのようになっているのですか。二つともとがらせたり、二つとも平らにしないで、それはなぜそのようなかたちをしているのですか。それを知らなかったのです。


千四百四十五

真の男性は変わってはなりません。真の女性は変わりません。真の愛を中心として、絶対的に変わらない男性と絶対的に変わらない女性をどこで探し出すのですか。そのような人々が出てきたとすれば、宇宙全体がその前にすべてひざまずくようになります。そのようになるのです。神様は知恵の王であられるために、男性の宝物は女性がすべて大事に保管するようにし、女性の宝物は男性がすべて大事に保管するようにしました。生殖器官がそうです。


人間が生まれた目的とは何ですか。愛の道を訪ねていくためです。それで、男性と女性がもっている生殖器官は自分のものではありません。男性についているものは男性のものではありません。ところが、これを自分のものだと思っていました。女性についている生殖器官の主人は女性ではありません。その主人は男性です。そして、男性についている生殖器の主人は誰かといえば、女性だというのです。このように、愛の主人を取り換えて配置したという驚くべき事実を知らなければなりません。


女性と男性で違うものが一つあります。それは何ですか。生殖器でしょう?女性の生殖器が自分のものですか。結婚したのちには自分のものですか。夫のものです。また、夫にぶらさがっているものは何ですか。それは誰のものですか。女性の万年所有です。真の愛を中心として、絶対的な愛の所有権が決定されます。サタン世界で夫が浮気をし、刃物を持って自分でこれを切るといって大騒ぎをしても、妻が駄目だといって手で阻むことで、
「切ることができなかった」となってこそ許しを受けます。そうでなければなりません。


男性と女性を統一するには、キスすることによって統一されますか。お互いに抱擁することで統一されますか。完全統一は、男性と女性が主人をお互いに取り換えて、主人を取り戻してあげる結婚生活から統一が展開するのです。ですから、男性の陰部は誰のものですか。女性のものですか。あそこの男、一度答えてみてください。男性のものの主人は誰ですか。女性のものです。あの人もたくさん浮気しましたね。どろぼうです!主人の許しをもらう前に、他人のものをつかって自分のもののように振る舞う人はどろぼうです。どろぼうは、万国において存続できないのです。


男性がいるのは、男性の相対である女性のためにいるのです。それゆえに、神様は知恵の王なので、けんかして離れることがないようにするために、も貴いものの主人をお互いに入れ替えて装着したのが男性の生殖器と女性の生殖器です。これが貴いのです。これが愛の至聖所です。モーセの契約の箱のために建てたのが至聖所だと言ったでしょう?これに触れば、雷に打たれるようになっています。一代、万代に滅亡が訪れてくるのです。
その主人である祭司長は、唯一夫です。


千四百四十六

神様が創造される時、男性と女性をでたらめに造ったのではありません。生殖器を中心として造られました。なぜでしょうか。神様は愛の先祖であり、生命の起源であり、血統の起源であるからです。ここで男性が理想的愛を伝達するのです。女性の生殖器は男性のもので、男性の生殖器は女性のものです。自分が主人ではないのです。それを開くことができるのは自分ではありません。女性が自分のものを開くことはできません。男性のものを男性が開くことはできません。女性だけが男性のものを開くことができ、女性のものは男性が開くことができるのです。愛の焦点がそこに結実するのです。そうですか、そうではありませんか。言ってみてください。そうですか、そうではありませんか。 男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。それゆえに、男性の生殖器と女性の生殖器は自分のものではありません。神様は知恵深い方です。主人がお互いに入れ替わっているのです。この男性たちは浮気するでしょう?この雷に打たれる者たち! 統一教会では絶対に許せません。


女性のへこんでいる生殖器は誰のものですか。それが女性に必要ですか、男性に必要ですか。女性に絶対必要ですか、男性に絶対必要ですか。男性に絶対必要なのです。また男性のものは女性に絶対必要なのです。その鍵を誰がもっているのかといえば、女性のものは男性が、男性のものは女性がもっています。それゆえに、それを開くことができる人は、ただ一人です。真の愛は一つなので、一つの真の愛を主管することができる人は、真の男性であり、真の女性だというのです。


女性の生殖器は、誰が主人ですか。男性です。男性のものは女性に必要であり、女性のものは男性に必要になっています。そのように相対的になっています。主体が交差するのです。


愛は絶対的であることを願うというのです。絶対というのは一つです。二つではありません。絶対的だというのは永遠に一つだという意味です。愛のパートナーは、一人の男性と一人の女性だけを許容するというのです。それゆえに、神様がアダムとエバを一人ずつ造られたのです。それをどのようにして否定することができますか。誰もそれを変えることはできません。 女性のおっぱいは誰のためにあるのですか。自分自身のためのものですか。息子、娘のためのものです。自分自身のためのものではありません。ヒップが大きいのも誰のためですか。それも息子、娘のためです。そのおっぱいの主人は息子、娘です。生殖器はどうですか。相対のためのものです。なぜですか。相対のためにすべてのものが地上に現れるのです。女性の生殖器は誰のものですか。夫のものです。誰が主人ですか。夫が主人であって、女性が主人ではありません。男性のそれは誰が主人ですか。女性が主人です。神様は素晴らしい方です。主人をお互いに入れ替えて、どこにも逃げられないようにしておいたのです。


女性のその顔は、自分のものではありません。夫が好む顔です。女性のものはありません。自分の正面の下にある生殖器は自分のものではありません。夫のものです。女性は、自分のために造られたものが一つもありません。夫と息子、娘のためのものしかありません。その道を行くのです。二つの世界を一人で抱くことができるのです。手を取り合わせなければなりません。縦横の地上世界を抱くことができる、そのような愛の器になることができるのが女性です。


千四百四十七

女性の体を見れば、胸とおしりは赤ん坊のために、顔とその隠すものは夫のために生まれたというのです。上下左右がすべてそうです。自分のものは一つもありません。その主人は誰ですか。何の主人ですか。女性の生殖器の主人をいうのです。それは自分のものではありません。男性のものです。男性のものを自分勝手にできないというのです。これだけ知っていても、世の中はこのようにみだらになりません。フリーセックスがどこにありますか。ホモがどこにいますか。他人のものを自分の思いどおりに使うのはどろぼうではないですか。どろぼうたちは地獄に行けば、逆さまに差し込まれます。


きょう、ここに十カ国以上の大統領が来ていますが、その国の放送を通じて、これを通告してみてください。男性が男性のために生殖器をもったのか、女性のためにもったのかと尋ねてみてください。それが自分のものだという人は、どろぼうです。自分のものだと考える盗賊だというのです。笑うことではありません。歴史的な宣言です。このように生きれば、平和の世界が目の前に来ます。神様のみ旨の中の重要なみ旨が愛のみ旨です。この愛のみ旨を人間の前に伝授してあげるために、も貴重な器官をつくられた、それが生殖器ですが、男性の生殖器は女性のものであり、女性の生殖器は男性のものなのです!アーメン! 「そうではない」と言いますか。
それが間違っていると思いますか。


男性と女性の生殖器官は、神様の愛を所有することができる極です。プラス極とマイナス極です。電池の充電点です。これがなければ、神様の愛が充電できません。人間のその器官を通じて愛を満たそうとすれば、人間は毎日のように愛を満たすことができます。しかし、動物はそれができません。一年に一度だけです。


アメリカの家族制度は、いくらおじいさん、おばあさんがいても、孫の家に思いのままに訪問することができません。訪問したければ、先に電話をしなければなりません。そのような手順を踏んでから行くことができるというのです。考えてみてください。愛する間柄でも「今夜、愛しましょう」と許しを受けますか。妻であれ、夫であれ、「私たち愛しましょう」と言えば、いつでもOKしなければなりません。これが夫婦の道理なのです。そうです。「私は疲れています。嫌です」と答えることはできないというのです。自分の器官は自分のものではありません。女性の生殖器の主人は男性であり、男性の生殖器は女性が主人です。誰がそれを否定することができますか。


女性たち、そのように胸が大きいのは、自分のために大きいのですか。ヒップが大きいのは、自分のためですか。自分のものは一つもありません。女性がもっているすべてのものは、自分のものではありません。「ため」にあるのです。子供のために、夫のためにあるのです。すべての生理生殖器官は自分のものではありません。男性のものの主人は誰ですか。主人は女性です。誰が鍵をもっているかといえば、夫人がもっているというのです。これを間違って使うことによって天罰を受けるのです。ソドムとゴモラがなぜ滅亡しましたか。アメリカがなぜ滅びるのですか。麻薬と淫乱を通して滅びるのです。


千四百四十八

男性が男性になり、女性が女性になるようにするものが何か分からなかったというのです。それが正に生殖器です。それを嫌う人がいますか。好きだというなら、どれほど好きですか。今まではそれが良くないものだと思っていたとしても、これからは貴く思わなければなりません。未来の世界はどのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に貴く思う世界になるならば、その世界は良い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談ではありません。神様が人間を創造される時、も大切に精誠を尽くして造られたところがどこでしょうか。目ですか。鼻ですか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。これらはすべて死んでなくなります。事実がそうではないですか。「世界平和家庭連合」の目的は何でしょうか。道徳と宗教等、あらゆる分野を完全に超越して、生殖器が一つになって神様までも拍手で歓迎できる人が生きる世界があれば、どのような世の中になるでしょうか。

男性と女性が生まれる時、彼らの生殖器の主人は誰ですか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。生殖器の主人がお互いに入れ替わっていることを知りませんでした。簡単な真理です。これを否定できないというのです。千年、万年、歴史がいくら流れても、この真理は変わりません。


地上世界で神様の愛が宿るところはどこでしょうか。男性と女性の生殖器だということを知らなければなりません。堕落していない本然の愛、これが、至聖所だったということを知らなければなりません。堕落したために、も貴い天国の皇子の系統を受け継ぐべきこのような王宮が、神様の怨讐であるサタンの一族の血統を受け継いだ、という驚くべき事実を知らなかったのです。


男性と女性が愛することができる生殖器なのです。ところが、神様は、知恵があるので、この愛の器官を入れ替えておきました。離れようとしても離れることがないようにするためです。離れたとしても、再び戻ってきてそれを探さない限り、どこにも行く所がないというのです。どこかに行って安息する所がないというのです。それをもっていってこそ、天下のどこに行ってもみな和合して、歓迎するようになっています。


三) 真の愛は汚いものも消化

皆さん、神様がも重要視して、 も精誠を尽くしてつくられたところがどこか知っていますか。生殖器です。生殖器は生殖する機械ではありません。それが も貴いものなのに、 も汚いものとくっついています。それを知っていますか。小便の穴は、同じですか、違いますか。場所は同じです。男性も女性も同じです。なぜ、そのようにつくりましたか。いくら良い種でも、肥やしをかぶせて植えてこそよく育ちます。貴いものであるほど、良い肥やしをたくさん継続的に与えてあげなくてはならないというのです。

人は継続的に育っています。神様を占領するように育ち続けているのに、肥やしも一生の間、共に降り注いでいます。それが汚いですか、有り難いですか。それを考えれば、すごいことでしょう?それがなぜ、そこにくっついているのかというのです。毎朝、生殖器はそのにおいを必ずかがなければならず、小便をしてそこに毎日のように水をまかなければならないというのですから、これはどういうことでしょうか。天地の道理がそうです。


じっと考えてみれば、宝物は天国にあるものだと思っていました。ところが、気がついてみると、自分の体にもって歩いているもの

 

千四百四十九

 

だったというのです。本宮がそこだということを知ったからです。神様に侍ることができる本宮は、愛ではないですか。愛の真の壺がどこにありますか。指にありますか。どこですか。男性の何ですか。女性の何ですか。男性の生殖器、女性の生殖器ですが、そこと同じところにも悪いものがあります。小便がどこから出てきますか。生殖器から出てきます。女性も同じであり、男性も同じです。そのように出てくる汚い小便が愛と和するようになる時、汚いものになるでしょうか、きれいなものになるでしょうか。それでは、小便を真の愛にひたして冷茶を飲むように飲むならば、どれほど素晴らしいでしょうか。


愛は調和も多いのです。においも、悪いものでも香水だと思わせます。ですから、愛には汚いものがありません。それゆえに、神様は真の知恵の王です。私たちの生殖器のようなものも、も汚いところの近くにあります。これが和合する調和だと宣布して、配置したのが男性と女性の生殖器です。 も良くない、汚い部分に装置したのです。


皆さん、男性と女性の生殖器がどこにありますか。そこは最も安全地域、 最も安全地であると同時に、 最も汚いところです。それを見れば、神様は真の知恵の王です。人間世界に、「愛はそのような汚いものも支配するのだ」ということを教えてくれているのです。肛門に近い位置にあります。小便が出てくる道と、もう一つの道と全く同じです。


関係する時、男性の生殖器が入ってくることを願うでしょう?それは、考えればどれほど汚いですか。神聖な穴と汚い穴が一緒にあるというのです。そうではありませんか。汚くてにおいがする同じ場所で、永遠の生命が芽生えるのです。これは明確な概念です。いつでもトイレに行けば、それを考えなければなりません。お父様のみ言を考えて、「真の愛と連結された神聖なところだ。すべてのものが神聖だ」と思わなければならないのです。いつも忘れずに覚えていなければなりません。


も貴い生殖器が汚いところに連結されています。おしっこがどこから出てきますか。誰もこのように重要なことを一度も考えてみたことがありません。そのようなことを知らなければ完成は不可能です。春に種を蒔く時、その種を水で洗いますか、肥やしで覆いますか。肥やしで覆います。汚くてにおいがする肥料で覆います。地に埋めて踏むというのです。


生殖器と小便や大便をするところとは、も遠いですか、も近いですか。偉大な人は、汚いところに行って尊敬されなければなりません。生命の場には肥やしが必要です。きれいなところはありません。砂浜にはないというのです。男性は、においがぷうーんと、何と言うのでしょうか。みそ汁の味がしなければなりません。女性は清潔でもかまいませんが、男性は少し不潔でなければなりません。出掛けて帰ってくれば、足のにおいがぷうーんとしなければなりません。あまりにも清潔だったら、はえも来ません。はえさえも訪問しません。そこにありの子がくっつきますか、何か鳥の子がくっつきますか。

 

千四百五十

 

結婚とは何ですか。生殖器を合わせるための運動ではないですか。そうですか、そうではありませんか。これは下品な話ではありません、神聖な話です。人間のも高貴なものが生殖器です。そこから生命が引き継がれ、理想が引き継がれるのです。限りなく貴いものなのに、便所に近いところにあります。男性と女性の生殖器は、毎日のように便座に座る時、どうなりますか。肛門だけが座るのですか。すべてが座るのでしょう?私は男性ですから、女性のことは分かりませんね。女性もすべてが座りますか。答えてみなさい。


人間にとっても貴いものとは何だと言いましたか。生殖器です。生殖器は も神聖なものでありながらも、生殖器に も近いものが も汚いものでもあります。男性の生殖器からは小便も出てきます。それは、なぜそうなのでしょうか。それが宇宙の神秘です。また女性の生殖器からも近いものが何ですか。肛門があります。それは毎朝使用するでしょう? 小便もそうです。でも、おかしなところにあると考えてはいけません。それを讒訴する言葉を聞いたことがありますか。何も言わず、何でもないというのです。霊界に行けば高い位置に行きたいと思うのと同じように、も卑しい所へも行って住みたいと思わなければなりません。


女性の生殖器から何が出てきますか。生命が出てきて、その次に、何が出てきますか。小便が出てきます。糞のいとこです。私もそれが不思議なのです。全く、それがなぜ好きなのですか。おじいさんとおばあさんも、神様もそれをつかまえることができなかったと嘆息しています。気がついてみると、そうだというのです。あぜんとします。それが何だというのですか。


愛は人間にとって貴いものです。人間の愛が貴いものなのに、その貴い愛の器官の前に、も嫌っているのに近くにあるものとは何ですか。それは何ですか。小便をどこでしますか。女性も男性も、それが生殖器と連結していますか、していませんか。気分が悪くありませんか。


最も良いものは何ですか,指が良いですか、頭が良いですか。何が良いのですか。男性にとって何が良いのですか。男性と女性においても貴いものとは、どこですか。生殖器ではないですか。どれほど貴くて、サムサルバン(三つの災いが重なった不吉な方向)の侵犯を受けず、保護するようにきちんとつくっておいたのでしょうか。通るたびにこれに触れるようになれば大変なことになるので、さっと保護してあげるのです。男性と女性、みなそうです。私が神様でも、ほかには取り付けるところがありません。それをつくって組み立てる時、これをどこにもっていって取り付けたでしょうか。ここにつけますか。ここにしておいたら、男性と女性が二人で歩く時、
どうなりますか。


四) 生殖器を中心に縦横のバランスをとらせなければならない

千四百五十一

建築する人たちは、三角定規一つで、すべて設計するでしょう?さっさっさっとすべて設計するでしょう? それと同じです。人を見てみれば、重要なものがどこにあるでしょうか。真ん中の垂直線形態に沿ってあるものが一番重要です。それが何ですか。生理的体の形態、この体においてそれは何ですか。鼻です。鼻をふさいでみてください。この鼻を通じて、生命の要素が通るのです。それからどこに下りていきますか。へそに下りていって、どこに行きますか。生殖器です。女性の生殖器は逆さまになっていますか。横的になっていますか。私には分かりません。女性がよく知っているでしょう。男性の生殖器は縦的になっていますか。それを知らなければなりません。縦的な基準を備えたすべてのものは神聖だというのです。生命の問題と直結されているのです。


皆さんの顔で、この水平(口の線)とこの垂直(鼻の線)がまっすぐな人々は、良心が正しいのです。これが九〇度になる人々は、良心が正しいのです。一番重要なところです。へそが左によってもいけなくて、ぴたっとセンターラインになって、あごまでこのようになり、唇がここにありますが、この鼻がこのようになって、血管があるところまでこのようになっている人は、出世する人です。これが、おしりともぴたっと合わなければなりません。このようにして腰も九〇度、おしりも九〇度が合わなければなりません。このように考えるのです。


目は横的になっていて、鼻は縦的になっているでしょう?この縦的な鼻を通じて口と食道を通じ、胃腸まで縦的に通じるのです。縦と横が調和をなさなければなりません。縦的な口や横的な目がゆがんでいたりすれば、既に人の性格が変わるのです。男性と女性の生殖器も、縦的な面に拍子を合わせているのです。男性たちの生殖器は縦的なものと横的なもの、二つがついているのです。それが宇宙を代表するのです。それゆえに、生命の種は男性から、生命の根源は男性から出てくるのです。米国の女性がいくら誇っても、赤ん坊の種はもてないでしょう?いくら有名な米国の女性だとしても、赤ん坊の種をもつことはできません。


皆さん、このように垂直にまっすぐにして、これがどこに通じるのですか。生殖器と通じるのです。それが垂直の通過点です。それゆえに、神様の希望の場所です。体は、ここに九〇度で一つにならなければなりません。今まで人間は、心と体が正しくありませんでした。心は垂直的私です。体は水平的私です。どこからですか。垂直的父母、水平的父母、垂直的父母と水平的父母が一緒に私をつくったのです。彼らから真の愛、真の生命、さらには真の血統を受け継ぐようになったのです。自分がそのようになっているのです。真の愛で一つになって生まれたのが私です。私は宇宙の中心であり、愛を代表した存在だというのです。水平的愛と垂直的愛が合わさって一つとなった真の愛の中心存在です。それが正に私なのです。


千四百五十二

人は、縦的なことを考えるので立っています。頭がここにあり、生殖器が中心です。皆さんが脱いで鏡を見れば、男性たちは下の生殖器まで毛が生えているのですぐに分かります。これがゆがんではいけません。女性もおっぱいがありますが、これがすーっと合わなければなりません。おしりが大きくてもいけなくて、すべてが合わなければなりません。ああ、笑うことはありません。このようなことに感動することができなければなりません。 なぜ私たちの体は相対的になっているのですか。焦点を合わせるためにそのようになっているのです。耳も目も、すべて焦点を合わせるのです。また、口も神経を中心に焦点を合わせているのです。そして、これが真ん中から下には、へそと生殖器が直線になっているというのです。それを恥ずかしく思うのは間違いです。


目の焦点も中心を中心として一直線上にあります。これとこれが合っているでしょう?へそから生殖器まで、ぴったり合わなければなりません。それで、二つをくっつけました。それゆえに、共鳴するのです。なぜ、そこにくっつけたかといえば、共鳴しなければならないからです。共鳴してこそ意識をするのです。


唇も焦点が合わなければならず、手と手も合わなければなりません。これがずれれば事故が起きます。口がいくら大きくても、すっと突き出て鼻筋と合い、へその緒と合い、あの下の重要な生殖器と合わなければなりません。鏡を見て、自分自体が合っているかを見て、私はどのように生きるべきかということもすべて知らなければなりません。子供の時から、こうなっているからこのようなことに注意すべきだ、と教育しなければなりません。それを教育できる教材がありません。そのような話をすれば、きりがありません。


目を見る時、目がただあるのではありません。垂直に沿ってあるのです。人の目がゆがめば良くありません。垂直にならなければなりません。鼻は、アダムとエバを象徴します。目は神様の象徴です。歯は万物を象徴します。三十二本の歯は、四掛ける八で三十二(4× 8=32)、すべて万物世界の表示的象徴です。このような視覚的なすべてのものが、どこに行って実を結ぶのかというと、頭ではありません。生殖器です。様々な神経の王宮が生殖器です。それは生理学を研究すれば分かります。


男性は、なぜそれがとがっているのですか。女性も突き出るようになります。それは、山脈が途絶えるような形になっています。明堂地(ミョンダンチ:風水で墓地として使うのに非常に良いとされる所)はそうでなければなりません。左の青龍、右の白虎という言葉もすべてそのように展開されるのです。それゆえに、愛のひもを通じて父母の愛から連結され、愛の生殖器と共に垂直にならなければならないのです。


すべてのものは球形に似ています。すべてのものは運動をしなければなりません。体の中で、人間の中でも球形に似ているのが顔です。顔の中で も球形に似ているのは目です。それから、男性においては生殖器の周囲にあるものです。私がそのことまで話をしなかったので、話さなくてもよいのです。それから、体の中に入っていって何がありますか。腎臓、それから膀胱、それはすべて重要な器
官です。そのようなことを考えてみましたか。


千四百五十三

すべて種が流れ、これが結実できる、それが生殖器です。そこにすべて集まるようになっています。悪いもの、良いものがそこにすべて集まるようになっています。ですから、これを正しく使えば良い人になり、使えなければも悪い人になります。 鼻先とこれが合わない人は、良心的な人になれません。これは常識的に知っておかなければならない問題です。これがへそを通って生殖器まで、ずーっと直線にならなければなりません。男性たちを見れば、毛があります。女性は毛がないでしょう?女性たちの胸に毛がありますか。男性の毛はこのように二つの側がつながっているのです。それも主体と対象です。二つが一つにならなければなりません。


鼻先と中央がすべて合わなければならず、へそと生殖器とすべて中心が合わなければなりません。それがゆがんでいれば、その人は星回りが悪いのです。人生は平坦ではありません。人をぱっと見れば、これを合わせてみて、目が平等になっているかをすべて見るのです。肩からすべてのものがどのようになっているかを見るのです。歩く時、このように歩く人はみな良くありません。ここに数百人が集まっていますが、この人たちの歩き方は、同じではありません。すべて違います。自分の性格を表すのです。ある人は、このように歩く人もいます。そのような人々は、すべて変えなければなりません。いつも定着することができないのです。


頭が立っているのを見れば、まっすぐではないですか。ずーっとまっすぐです。人の重要な部分は頭と生殖器です。ここから直接下りてくるのです。ここで分かれました。頭で考えるすべてのことは、夫は妻を考え、妻は夫を考えます。愛を中心として考えますが、それが生殖器、そこで一つになるのです。 おっぱいが一つになっていますか、垂直になっていますか。へそは中央にあるのですが、円形のへそになっていますか。その次に、これが生殖器までずーっと連結されているのです。水が流れればどこに行きますか。低い所を通ってどこに行くのですか。座って仕事をする時、一番たくさんぬれるのが下部の中央です。汗が途方もなくたくさん出ます。それで、毛がたくさんはえているのです。ここはみなそうでしょう?水がそこにすべて集まるというのです。


鼻が良い形であれば、金持ちになります。それが分かりますか。さっと見る時、あてはまらなければなりません。ここがすべて生殖器まで、へそまで線が合わなければなりません。これがずれれば相対が揺れます。結婚する時は、丸裸になってへそを合わせてみて、胸を合わせてみて、すべていったんぴったり合えば、夫婦間が理想的になるのです。生殖器もゆがんだ人がいるというのです。女性もどちらか片方に偏って、垂直にならなければ遊び人になるのです。未亡人になって死ぬようになるのです。創造の原則がすべてそうです。


人体でも貴いものが目です。目が も貴いのです。それから心臓です。心臓も丸いのです。また、女性は子宮が丸いのです。男性は何ですか。男性の生殖器も丸くなっているでしょう?丸いものは貴いものです。女性たちは骨ばっていません。肉体が丸いので、美術家たちは女性の裸体を描くのが好きなのです。

 

千四百五十四

 

顔を中心として、へそから生殖器まで、ぴったり合わなければなりません。一度、自分の体を病院に行って調べてみてください。そして、歩く時は、ぴたっと中央に伝達される重さが同じなので、くつ底が一定に擦り減らなければなりません。そうです、くつを見てゆがんでいる人は間違っています。正しい人は道人になるのです。そのようなことを考えてもみなかったでしょう?


人の人相を見ようと思うなら、ここからどのように下りてくるかを見るのです。これがずーっと生殖器とぴたりと垂直になってこそ、良心的な人です。それがずれれば困るというのです。胸が片方に寄っていても駄目で、へそが寄っていても良くないというのです。きょう、そのような話を聞いて帰って、夕方鏡を見て、「私はこのようになっているからこうしなければならない」と言って引っ張るかもしれませんね。そのような運動はしなくてもかまいません。


座るのも、まっすぐに座らなければなりません。歩くのも、まっすぐに歩かなければなりません。歩くのを見れば、ありとあらゆる人がたくさんいます。何千人がいたとしても、みな歩く姿が違います。それで、歩く時は、いつでもこのてっぺんとここ、生殖器をぴたっと垂直に合わせて歩かなければならないのです。縦的なものを中心として、すべての器官が動かなければなりません。そうすれば、神様がそれを見て、「やあ!男性と女性が私の願ったとおりに歩いているなあ」と関心をもち、霊界が関心をもつのです。 人を見る時、頭からすーっと下りてくれば、鼻があるでしょう? その鼻を過ぎて、唇を過ぎて、へそと生殖器に通じるのです。この縦的な線を中心として、目ですべてどのようになっているか、横的によく合わさっているかということを見るのです。耳も見て、肩も見て、歩くのも正しいか、すべて見るのです。それゆえに、歩くのもいい加減に歩いてはいけません。歩く姿は、その人の一生を象徴するのです。


人間について考えてみるとき、人間の体の中でも貴いものは何ですか。円形によく似たものが貴いのです。そのように見るとき、人の目と心臓、その次には、男性の生殖器です。男性の生殖器には、目のようなものが二つあります。男性にはありますが、女性にはそのようなものがありません。貴いものです。目が本当に貴いでしょう?目は神様を象徴するのです。心臓は生命を象徴するものであり、生殖器は愛を象徴するものです。頭は神様を中心とした監視器官です。


千四百五十五

座って、ぴたっと広げて、このように力を入れるのです。空気を吸い込んで、目の玉が飛び出るように力を入れるのです。こうすれば、疲れがすべて吹き飛びます。ふさがっていた鼻の穴がすべて開くのです。これを一日に四回するのです。四回以上はしません。簡単でしょう?トイレに行ってするのです。トイレに行ってあとを見なければならないでしょう? あとを見る時、力を入れるのが呼吸です。それに合わせて、血管と共にすべてのものを授受作用させるのです。そうすれば、女性は生殖器が飛び出してきそうな気分になります。肛門が出てきそうな気分になるのです。鼻をぴたっとつまんで「フン!」とすれば、ぽんと飛び出てくるのです。一日に四回ずつ、してみてください。


五) 愛は学んで知るものではない

愛の表示を教えてくれないものはないというのです。動物を見ても、よく見えない昆虫のようなもの、手でつかまえればぴたっとくっついて消えそうなほど小さいものも、そこに目があり五官があります。ありますか。見たのですか。何を見たというのですか。このようなことを考える時、なければならないというのです。それにも生殖器がありますか、ありませんか。雄と雌がいるというのです。その雄と雌が何をもって一つになりますか。焦点が何ですか。愛でしょう?それは否定できないのです。


教育は必要ありません。フリーセックスだの、性教育だのと言っていますが、この狂った者たち、やめなさいというのです。動物世界で性教育をしますか。そばにさえ行けば、自動的に合わせます。あるものは生殖器が羽の付け根の中にあるのですが、かかとでそれに合わせます。自然に合うようになっています。磁石が南北に通じるのは、「合わせろ」と言うから合うのですか、自動的に合うのですか。自動的に合うのです。神様の愛があり、真の愛に一致することができる心と体になれば、ほっておいても、自分で東西南北の方向を正しく探し当て、自動的に行って合わせるというのです。

動物たちが愛する時、どのように生殖器を合わせますか。体よりも大きいのが生殖器ですか、小さいのが生殖器ですか。小さくても、体を引っ張っていって合わせるというのです。愛のために引かれていくのです。それは、強制的に引かれていくのですか、好きで引かれていくのですか。好きで引かれていくのです。自動的に天国に入っていくようになっているのです。


すべての動物たちの雄、雌の生殖器は、羽の付け根にあったり、ありとあらゆるところにあるのですが、それをどのようにして合わせますか。教育が必要ですか。合わせるための教育が必要ですか。教育を受けなくても、擦り合わせているうちに、すべて合うようになっています。それを教育するといって性教育するのですが、それはサタンがつくったものです。教育は必要ありません。


近では、病原菌までもが夫婦で相対になっているといいます。顕微鏡で三百万倍に拡大して見るのですが、その雄の中にも目があるでしょうか、ないでしょうか。鼻は?耳は? 口は? 生殖器は? そのような小さなものも、生殖器を合わせることができますか。いったい誰が教えてあげたのですか。皆さんが嫁に行く時、「おいおい、生殖器はこのように合わせなさい!」と心配しながら嫁がせる父母がいますか。自然に動かせば合わさるようになっています。自然合徳です。強制合徳ではありません。人は和合して和動が展開されるのです。一つになるのです。


千四百五十六

神様は、男性と女性の生殖器をなぜそのようにつくられたのでしょうか。天地がすべてその教材です。動物たちは、どのように愛するのかを見せてくれる愛の教材です。動物の中には人間が尊敬すべき動物が多いのです。 学校に行ってみれば、 近は先生と学生とが闘うでしょう? それは「ため」に生きる愛を知らないからです。天理の根本を教えてあげることができませんでした。より「ため」に生きる人が偉大な愛を占領することができるのです。愛には相続権があり、同参権、同居権があるのです。愛はそうでしょう?愛する妻の前に金の塊を置いておいて、「それは私のものだ」と言い、体だけゆだねてあげながら、「あなたが好むのは愛なので、私の生殖器だけを受けなさい」と言うのですか。それが愛ですか。そうではありません。万物を捧げ、息子、娘をすべて捧げて、自分の体、自分自身まですべて捧げようとするのが愛です。


五、生殖器を通して天国と地獄が分かれる

生殖器が貴い生殖器になる時、天国に連結されることができるのです。間違いありません。小学校からそのような重要性を教えなければなりません。男性と女性が追求する目的は、愛の生殖器だというのです。凹と凸にできているのは愛のためだというのです。それは事実ですか。なぜ、この生殖器が異なっているのですか。愛のためです。どのような愛のためですか。真の愛のためだというのです。永遠の愛、不変の神様の愛のためにあるのです。


生殖器が地獄と天国に分けてしまった、ということを知らなければなりません。これを間違って使えば地獄と連結し、正しく使えば自然に天国に至るのです。出発地は一つであって、二つではありません。愛の行為がどれほど重要かというのです。もう、皆さんも分かりましたね?はっきり分かりましたか。すべての女性と男性たちが家へ帰って、「今、真理が分かった。今から実践してみよう!これが、私たち家庭の希望の本拠地だ」と言うことができるようになれば、すべての解放が展開されるのです。結論は、宇宙的宣布と共に私たちは宇宙的宣布の内容を知って、生殖器を保護しなければならないということです。母が、エバが堕落しました。その次にカインが滅ぼしました。破壊しました。アベルがそれを助けて滅びました。それで、統一教会では、母の世界団体をつくったのです。


地獄と天国がどこから出発したのか、それを考えてみてください。どこから出発しましたか。空中ですか。どこですか。生殖器です。深刻でなければなりません。ここが天地をひっくり返して打ち込みました。それを否定することができますか。レバレンド・ムーンの「原理」の本にある堕落論理を否定する道はありません。神様に尋ねてみてください。みな調べてみてください。そのような答えをもらえずに、自分たちは夢でも、聞くことも、知ることもできなかったことを、レバレンド・ムーンが理論的体系をつくっておいたの
で、反対する道、反対する道理がないのです。


も恐ろしい地獄に行くこととは何ですか。天理で決めた生殖器の反対の道を行けば地獄へ直行であり、これと反対に、正当な神様の絶対愛の道を行けば天国の高い所に行くというのです。すっきりとした結論です。


千四百五十七

堕落することによって、男女の生殖器がこのよこしまな死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させた本宮になり、天道を破綻させた魔物になったがゆえに悪いものになりました。これが、今まで歴史に隠された秘密でした。


生殖器が解放されなければならないというのです。それで、今フリーセックスの反対になるものが絶対セックスです。絶対セックス、唯一セックス、不変セックス、永遠セックスです。その四つのコンセプトがどれほど誇らしく、貴いでしょうか!その二人がただそのままでいれば、どのような変化もあり得ません。これが真の愛の根です。ここから真の愛が出発するのです。


今、サタン世界では完全に生殖器がすべて壊れてしまいました。フリーセックス、レズビアン、麻薬がはびこっています。麻薬は精神を失わせるのです。人ではなく、動物と同じにさせるのです。動物のような考えしかできないのです。しかし、天国はこれと一八〇度正反対です。フリーセックスではなく、絶対愛のコンセプトなのです。永遠の愛のコンセプトなのです。不変、唯一の愛のコンセプトです。これは、一気に天国に連結されます。地上でそのような基盤を築けば、地上天国になるのです。否定できない理論的な結論です。皆さんの愛の基盤に気をつけなければなりません。


生殖器を誤って使いました。それを革命しなければなりません。ですから父母です。母を立てて女性を動員するのです。「女性連合」を動員して、母の位置の定着です。そこに再臨主が来るのではないですか。メシヤは何をもってきますか。絶対セックスをもってくるのです。絶対、唯一、不変、永遠のセックス完成のために来るのです。


女性は男性の体を見る時、目を見ますか、どこを見ますか。手を見ますか、どこを見ますか。男性を見る時、どこを見るかというのです。目ですか。その次はどこですか。顔、その次はどこですか。下りていってすべての五官がとどまる場所とはどこですか。どの器官がも悪いものですか。歴史を通じて、生殖器が も悪いものになりました。それを考えてみてください。地獄が出発したポイントと一八〇度異なる方向だというのです。真の生殖器は天国に入っていくものであり、偽りの生殖器は地獄に入っていく出発点だということを今まで知らなかったというのです。その基盤が生殖器だというのです。生殖器を誤って使用することは地獄に連結されることであり、愛を正しく行うことは天国に行くことです。簡単です。


千四百五十八

絶対愛はどこから探すことができますか。キスからですか。絶対愛をどこから探すことができるかということです。絶対生殖器から絶対愛がつくられるのです。それがなければ、絶対愛を探すことができません。どこで絶対愛を探すことができますか。キスすること、見ること、聞くこと、触ることですか。性的な関係からしか探すことができません。これを知らずにいるのです。永遠の愛、永遠のセックス、セックスが定着するところがどこなのか知りませんでした。どこから出発するのかを知りませんでした。生殖器をもっていない人、手を挙げてみてください。皆もっています。それは、何をするためにそのようになっているのですか。それを尋ねると、生殖器が答えて、「私は二つの生殖器が共にしっかりと結ばれて、絶対愛を成し遂げるのが後の願いだ!」と言うのです。「ワンダフル!」と言いながら永遠に「ハハハ!」と笑うというのです。

どのように思いますか。その言葉が好きですか、嫌いですか。私は分かりません。米国の女性たちが、私よりもっとよく知っているはずです。嫌いですか、好きですか。それでは、絶対生殖器を願いますか。唯一の生殖器を願いますか。不変の生殖器を願いますか。永遠の生殖器を願いますか。そのようなものをもっているかということが問題です。


その生殖器は誰のものですか。自分のものですか。夫のものです。これを知りませんでした、簡単な真理です。この宇宙のすべての陰陽の道理は、雄、雌です。鉱物世界も主体・対象関係、近ではバクテリアまでも雄、雌になっているといいます。宇宙がペア・システムになっているというのです。

愛という概念をもって、主体は対象のために、対象は主体のために、「ため」に生まれたというのです。「ため」に生まれたのですが、何のためにですか。愛のためです。愛を完成させるためだというのです。神様がアダムとエバ、二人の男性と女性を造って成熟し結婚させようとされる時、その結婚式を中心として関係が結ばれる生殖器が絶対的な器官になっていて、その器官が絶対的な生命、絶対的な愛、絶対的な血統を植えるための本部だったということを知らなければなりません。


堕落とは何ですか。根本問題、根本は何ですか。アダムとエバが生殖器を自分のものだと思って自由行動をしたということです。成熟すれば、神様を中心としてアダムのものはエバのものであり、エバのものはアダムのものとなって、永遠なる神様と絶対的な愛の基台をつくるためのものだったのですが、それを不信して自分のものにしたということです。それで、これが破壊されてしまったのです。自分のために生きる人は地獄に行くのであり、相対のために生きる人は天国に行くのです。ここから分かれるのです。この生殖器が地獄と天国の境界線です。それを知らなければなりません。


神様の創造理想は絶対夫婦を立てることです。絶対生殖器を中心として、自分のために生きるのではなく、相対のために生きるところから立てられるのです。生まれたのは「ため」に生まれたのです。「ため」に生まれたのであって、「ため」に生きなさいとして生まれたのではありません。生殖器を与えたのは、男性は女性のためです。女性の生殖器は男性のためです。男性のために生まれました。その生殖器をサタンが願うとおりに使うようになり、勝手に原則的な道を行かなければ、地獄に行くのです。絶対愛を中心として「ため」に生きれば、神様の系列に入っていくのです。天国の皇族になることができるというのです。


どこで天国と地獄が分かれるのか、調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。正に皆さんの生殖器です!深刻なことです。これが、天地をひっくり返してしまいました。いったい誰が否定することができますか。文先生が発表した『原理講論』の堕落論に説明されています。疑わしければ、神様に尋ねてもいいのです。皆さんとしては夢にも想像で

 

千四百五十九

 

きない内容と理論をもって、体系を立てておいた文先生の『原理講論』に反対することはできないはずです。目の不自由な人のように、方向を失ったまま生殖器を使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛の基準に合わせて使うようになれば、天国の高い所に行くのです。すっきりとした結論です。


悪なる先祖がいて、善の先祖がいますが、堕落することによって善の先祖が血族をもてませんでした。しかし、この天地の大主宰者であられる神様をサタンも無視することができません。自分の業を実行するためには、必ず善の神様の決裁を受けたのちに行動をするのです。その悪なることで神様の理想世界を破綻させるのです。愛の世界を破綻させる仕業をするのです。終わりの日には、神様の愛の理想のその本拠地である生殖器を完全に破壊させる仕業をするのです。


サタンの血統は、どの部分から連結されたのでしょうか。キスを通じてですか。愛を通じてです。それがどこですか。その起点がどこですか。生殖器です。神様の視点から見るとき、この生殖器が恐ろしい器官だというのです。それを知らなければなりません。


神様は、男性と女性の生殖器をなぜ凹凸につくられましたか。凸凸同士で結んで結婚しますか。凹凹同士で合わせて結婚しますか。全く、狂った者たちです。そんな者たちは一代も行かずにすべて滅亡するのです。独身生活を強調する人は、あの世に行けば、天国と反対の方向に立っています。 ヤコブが母方のおじ、ラバンの家で二十一年間生活して帰ってくる時、ラバン家庭でも愛する偶像を盗み出してきました。それが見つかれば雷が落ちます。それを砕いて飲み干しました。そのようなことを知っていますか。そうです、宗教圏は独身生活をしなさいといったでしょう?男性と女性の生殖器を料理してしまったのと同様になれということです。同じことです。はっきり分かりましたか。ですから、堕落をすることができますか。その一瞬間の行動が、億千万世の天地大王陛下をフック(かぎ)に引っ掛けて、解放の日を迎えられないようにしました。それを逆にひっくり返して打ち込むための統一教会の食口(シック)が、祝福を受けて堕落をしますか。あり得ますか、あり得ませんか。


南米に行って、十万教徒を率いた教団の道主に、生殖器に対する話を二時間しました。そして、目がこのように回ったと思ったら、結論として「生殖器の専門家ですね」と言いました。皆さん、おじいさんが生殖器の専門家になれなかったために痛哭が起きるのです。おばあさんが生殖器の専門家になれなかったために家庭が破綻するのです。父母が専門家になれなかったために家庭がめちゃくちゃになって、夫婦がその専門家になれなかったためにめちゃくちゃになるのです。専門家になれば、天地をそのポケットにすべて入れることができるというのです。


千四百六十

皆さんの目は、絶対的なものを願うでしょう?唯一的なものを願うでしょう? 鼻も唯一的なものをすべて願うでしょう? 他人の鼻と違うというのです。体も絶対、唯一、不変、永遠の体だというのです。生殖器も同じです。絶対的生殖器、唯一的生殖器、不変の生殖器、永遠の生殖器です。皆さんは、そのような生殖器をもっていますか。なぜ笑うのですか。深刻な瞬間に「ひひ」と笑うので、それを誰が信じるでしょうか。絶対家庭が必要です。絶対家庭、唯一家庭、不変家庭、永遠家庭であってこそ、天国に行くのです。


愛の器官をいい加減に扱えば、罰を受けるようになっています。それが愛の王宮であり、愛の先祖の園です。愛は、そこから出発しました。地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、神様の幸福の出発の起源がそこから形成されるというのです。神様の笑いの基台がそこから出発するのです。愛を探し当てて、神様が踊ることのできる場がその場です。その場を尋ね求めていかなければなりません。それは正しいですか、正しくありませんか。
このように貴いのです。


愛が中心となって、二人が生命の合一体となって合わさる場、男性の血と女性の血が一つのるつぼで一つになる、その場が生殖器です。その場は、息子、娘より貴く、夫より、神様よりも貴いということを知らなければなりません。子女より貴く、夫より貴く、父母より貴い位置だというのです。それがなければ父母も無価値であり、夫婦も無価値であり、息子、娘も無価値なのです。

そのように貴いために、宝の中の宝として、世の中の誰にも見えないように一生の間、錠前を掛けてもっているのです。そして、その鍵は男性のものは女性がもち、女性のものは男性がもっていますが、それぞれ一つしかありません。一つのキーだけもたなければなりません。フリーセックスのように十個、二十個、もちたいですか。門を開け、主人がいない家のように、過ぎゆく人が全員出たり入ったりする、廃墟の家のようになりたいですか。


生殖器を神様に侍るよりもっとよく侍って、神様よりもっと愛さなければなりません。それでこそ神様が喜ばれます。全く、そのような話がどこにありますか。宗教界で聞けば、びっくりして飛び上がってひっくり返るかもしれませんが、これは明らかな事実です。神様の理想の愛に侍ってこそ、神様が定着することのできる足場が生まれるのです。生命より大切であり、世の中を与え、天地を与え、神様まで与えても取り替えることができないものです。創造物全体を合わせた以上に妻の生殖器を崇拝して、それ以上に愛してその価値を認めてこそ、神様が自分の家に訪ねてこ
られるというのです。