第 7 章 真の父母を中心とした生活 (天聖經 - 第2巻 真の父母)

훈독왕 | 20191224090045

天聖經 - 第2巻 真の父母

 

第 7 章 真の父母を中心とした生活

 

一)真の父母の日と真の父母
 
皆さんは、みんな先生に関心があるでしょう? 先生がどこかに行き、何か言葉を言うようになれば、全部電話線をつけて回りながら聞かなければならないのです。
 
皆さんは、この父母の日を迎え、今父母様の苦労がどれほど大きかったか、父母様の心がどれほど苦痛を受けたかということを知るべきです。今、父母様に対して、知るべき時が来たのです。そうでなくては、伝統が分からないのです。伝統を持てないのです。(一三一・六四)
 
本来、父母の日の理念は、神様の創造理念の中で、中心理念でした。神様が万物を創造された後、その万物を主管する人間を創造され、人間たちに万物を主管せよと祝福された目的も、まさに真の父母を立てるためでした。
 
本来は、アダム・エバが神様を中心として一体となり、真の父母になるべきでした。そうすれば、父母の日が立てたれるようになるのです。そうなれば、全宇宙が父母の名前とともに、誦詠を捧げるようになるのです。このように、父母の日は、前宇宙が父母の名前とともに誦詠を捧げる喜びの日なのです。
 
この日を迎えるのが、神様の願いでした。しかし、人間始祖が堕落することによって、このような父母の日を天も失ってしまい、地も失ってしまいました。それで神様は、本来計画されたところを成されるために、父母の日を探されるために、今まで経綸してこられたのです。
 
父母の日を迎えるには、まず真の父母を迎えなければなりません。その真の父母は、歴史を審判し、現在を主管し、未来を開拓なさるべき中心存在であられます。それで、人間が歴史的に羨望してきたことも、真の父母を迎えることでした。(一三・二八〇)
 
我々が民族を探そうとするのは何のためか? この民族をして、勝利の真の父母に侍らせるためです。そして、サタン世界から讒訴されず、天に代わって、地に代わって、人類に代わって国家基準の上に万天宙の前に、孝子、孝女として自由天地を成し、真の父母に真実に侍るためです。
 
今までは、我々が悲しい場で侍り、苦痛の場で侍りましたが、今からは喜びの場で、自由な場で侍らなければなりません。神様が我々の心と共にされることができてこそ、我々が喜べば神様が「そうか、おまえの喜びは私の喜びだ!」と言われるのです。そして、我々は全人類が「あなたたちの感謝は、我々の感謝です!」と言う基準を立てなければなりません。
 
今日は、父母の日です。この父母の日を、皆さんが本当に皆さん自身の父母の日として立てなければならず、皆さんの家庭の父母の日として立てなければならず、社会の父母の日として立てなければならず、国家の父母の日として立ててこそ、世界の父母の日として立てられるのです。世界の父母の日として立てられ、天宙の父母の日として立てられてこそ、本来神様が真の父母を立てようとなさった創造理念が完結するのであり、人間が堕落によって父母の日を立てられなかった恨を解くことができるのです。さらにこの全天上天下に父母の日を立ててこそ、復帰の恨が完全に解怨されるのです。
 
我々が父母の日を立て、子女の日を立てましたが、個人的な父母の日から家庭的な父母の日、民族、国家、世界、天宙的な父母の日として立てられておらず、子女の日もそうです。万物の日もやはりそうですが、父母の日と子女の日と万物の日が、世界性を持ち、勝利したという基準の前に主管されうる圏内に入ってこそ、初めて天地を創造された神様の本来の創造目的が完結するのです。
 
そうなってこそ、初めて父母の日が人間の父母の日になると同時に、天の父母の日になるのです。また、子女の日と万物の日も、人間の子女の日と万物の日になると同時に、天の子女の日と万物の日になるのです。このような立場に立つようになるとき、初めて天から皆成したと言うことができるときが来るのです。
 
個人的な父母の日、子女の日、万物の日を設定してこそ、この日々がその国家の中心の日になり、世界的な日になりうるのです。これが問題です。(一三・二九四)
 ——————————————————————————–
 二)真の父母という言葉を完全に知るべしP.175
 
我々統一教会には、貴く使う言葉があります。初めて聞く人もいるでしょうが、それは真の父母という言葉です。真の父母という言葉を言うでしょう? 何、「我々の真の御父母様!」と言います。イエス様の前に真の父母がいましたか? イエス様が持てなかったものを持ったのです。
 
イエス様に真の父母がいましたか? 子供を保護してやらないのが父母の責任ですか? 違います。父母なら子供を保護してやらなければならないのです。サタンから垣根になって「おまえは私の懐の中で幸福であるべし」そう言わなければならないのです。イエス様がそうでしたか? 三〇の生涯をかわいそうな連れ子として育ったのです。それを知るべきなのです。
 
ですから、聖書に何か真の御父母様という言葉が出てきますか? 出てこないでしょう? 真の父母、真の兄弟という言葉が出てきますか? 出てこないでしょう? この言葉は全部統一教会の術語なのです。それは、文先生が作り出した言葉ではありません。本来の天理原則にあったのを探し出した言葉です。
 
我々は真の父母という言葉を言い、真の子女という言葉を言います。真の子女はどのようにしなければならないかということを知るべきです。息子に対して自分の生命を捧げることができ、自分のすべてをその前に捧げることができ、自分は地獄に行っても感謝することができなければならないのです。そのような過程を経なくてはいけないのです。そうして、真なる子女の因縁を通じて、父に帰ることができる道が分かりました。(七六・七三)
 
統一教会では、真の父母という言葉を言っています。真の父母に侍っていこうと、神様に侍っていこうと言うのです。その次には、真なる兄弟になろうと言うのです。何を中心として? それは、イエスを中心として言った言葉です。お分かりですか? イエスの父母がイエスに侍れなかったのを蕩減復帰して、侍ることができる父母、それ以上の父母の位置に立つことができなければならないのです。(六七・三二六)
 
私が神様に対して父母と言うのと、皆さんが先生に対して父母と言うのと、どちらが易しいかとというのです。答えてみなさい。先生がどれほど苦労したか知らないでしょう。どれほど、障害が多く、どれほど複雑だったか知らないでしょう。今まで数多くの人たちが、その道をもがいて全部どん底に落ちたのです。皆さんは、統一教会に入ってきて、謳カを理論的に見るとき、「ああ、この方は真の父母だな!」という言葉を容易く言うことができたでしょう。
 
では、神様が真の父母というのを私が分かるときの喜びと、皆さんが分かるときの喜びとどちらが大きいでしょうか? 先生が苦労を死ぬほどして、父という言葉を言うことができますが、皆さんは苦労もしないから。皆教えてあげたのです。ですから、「それ真の父母分かった、まあまあ!」と言うでしょう? 誰がもっと喜ぶでしょう? 先生が神様に父子関係で会ったときに喜ぶのと、皆さんが先生に会って喜ぶのと、どちらがもっと大きくなければなりませんか?(お父様と神様です)。違います。反対なのです。
 
先生は、苦労してこそ会いましたが、苦労をしないで会ったから、もっと嬉しくなければならないでしょう。私は、億千万ドル払って買ったのです。皆さんは一銭も払わなかったから嬉しいでしょう? 皆さんが何を払いましたか? やってきて原理のみ言を聞いてみたら、みんな分かって、「真の父母」と言えば、「そのようになったのだな」とみんな分かるのではないですか。(一一六・一二二)
 ——————————————————————————–
 三)真の父母の言語を習えP.177
 
何よりも言語がいちばん問題なのです。ここのドクター・ダーストがですね、今韓国人たちが来ていれば、じっと座ってばかりいるので、それは実にあきれるのです。かわいそうに見えます。ですから、言語が一つになれば、どれほど良いかというのです。そうなればどれほど良いですか? 先生もアメリカに初めて来てですね、本を通じて勉強しましたが、何、イエス、ノーしか知りませんでした。(笑い)ですから、どれほどもどかしかったでしょう? 言語統一がどれほど必要か分かるでしょう。
 
皆さん、先生の言葉を通訳を通して聞きたいですか、先生から直接聞きたいですか?(笑い) どちらを願いますか?(韓国語で)。どうして? 韓国語が原語であるからです。それゆえ、原理を勉強するのにおいて、原語を知らなければその言葉の意味が分からなくなります。英語でですね、ジョーク(joke)とユーモア(humor)というその言葉が通訳で通じますか? 通じないのです。二〇パーセントも通じないのです。(笑われる)
 
そして、これから皆さんが霊界に行って、「ああ、私は先生の言葉をそのまま聞いて話して生きた!」というのが誇りでしょうか、「ああ、通訳を通して私は話しを聞いた!」というのが誇りでしょうか?(一番目です)。しかも、愛の理想世界を言う言葉です。愛という言葉を通訳を置いてささやけばそれが通じますか?(笑い) それがいいですか?(いいえ)。
 
我々が前に覚えた誓いの文を見るとですね、五番目に「一つの文化を誇る」となっていますが、一つの文化がどのようになるのかというのが問題です。心情世界では、一つにならざるをえないという事実を知るべきなのです。本当に一つの心情世界を願う人ならば、これを知らなくてはいけません。
 
「さあ、私がおまえたちをこのように愛する」と言って、このよう行ってタッチするときは、愛をどのように考えるだろうかという、そのような考えより、すでに足が出ていくのです。足が先であって、愛するという考えが先ではないのです。何のことか分かりますか? それがどれほど愚かですか。食べ物で言えば、食べ残したカスを食べて喜ぶということです。分かりますか?(はい)。それで、通訳を必要とする他の国の言葉を話すのがアイディアル・ファミリー(ideal family;理想家庭)ですか?(いいえ)。これを考えてみなさい。さあ、もう分かったのです。理想家庭の伝統と精神がなくては、理想世界が顕現することができません。(一一八・二三八)
 
霊界に行っても全部真の父母、真のおじいさんが使う言葉を使うのであって、「ああ、私はそれを知らない!」といって通じますか?(いいえ)。皆さん、外国人たち、東洋人たちが英語を習うのにどれほど大変かということを、そのときに分かるのです。先生の年がもう七〇を越えたのです。この年に英語を習うのが易しいですか?(いいえ)。皆さん、言い訳ができますか?(できません)
 
それで、統一教会は、若い人たちが入ってくるのです。これをしないといけないのです。分かりますか?(はい)。道を歩きながらブツブツ言いながらでも習いなさい。韓国語をトイレに行ったり来たりしながら反復して習えというのです、アボジ、オンマと言いながら。これはほかに方法がありません。
 
先生が韓国語を習えというのは、先生が真の父母になったから仕方がないのです。韓国人でも、どこの国の人でも、何がどうだと言っても仕方がないのです。(笑い)
 
それゆえ、皆統一されれば、「真の父母の栄光だ! 世界言語を瞬く間に統一してしまった!」と言うのです。表彰をするなら、何の表彰をすべきでしょうか? 韓国語を世界のどの国の言葉よりもいちばん尊敬しなければならないのです。
 
韓国人が、頭が良いのは、この言語のためなのです。そのような意味で、朴普煕の英語の発音がどうですか? 完璧でしょう?(はい)。そうじゃないですか? 韓国語では、発音できないものがありません。日本語は、何、足元にも及ばないのです。(笑い) 「メクドゥノルドゥ(Macdonald)」をちゃんと発音できずに「マクドナルド」と言うのです。(笑い) それ、聞き取れますか?
 
皆さんは、これを知るべきなのです。ですから、新しい文化に通じなければならないのです。レバレンド・ムーンが韓国人だから、そう言うのではなく、原則であるためです。原理原則に通じないのに、韓国語を習うというのなら、最初から追い出されるのです。原理原則を話すから、皆さんがじっとしてながら「理論が合うので仕方がない」と言うのです。
 
皆さんが、今先生の言葉を聞いて笑えばいいのであって、通訳して言って笑い、これはどれほど不便ですか? 皆さんが韓国語を知るようになれば、先生が言うのと、通訳するのとを見るとき、通訳がどれほど難しいかが分かるでしょう。これから学者たちには、全部原語が韓国語になるでしょう。韓国語が原語になるのです。分かりますか?(はい)。(一三〇・二七二)
 ——————————————————————————–
 四)民謡の中の啓示P.179
 
皆さんが神様に侍り、「千年万年も生きたいものだ」と言うならどれほどいいでしょうか? 今日、我々の童謡にもある「月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んでいた月よ、あそこ、あそこ、あの月の中にカツラの木が刺さったから、玉の斧で突き刺して引き出し、金の斧で切り取って整え、わらぶきの三間の家を建てて両親父母を迎えて…」このような良い言葉です。
 
ところで、両親父母がどこにいますか? その父母が、自分の欲のための父母なら皆流れていきます。天地の大道を明らかにして、伝統を植えておくことのできる両親父母がどこにいますか? 今日、我々の民謡にある、そのような歌の節回しに合うような、その道を世界の前に作っておいて死んでみようというのがレバレンド・ムーンの生涯です。(一二七・二八二)
 
今日、宗教指導者たちが、ひれ伏して祈祷して、福を受けると言いますが、私は福を受けようと祈ってみたことがありません。私一人が祭物になって…。旧約時代は、万物を立てて神様の人たちを探すための時代であり、新約時代は、息子娘を犠牲にして父母を探すための時代であり、成約時代は、今まで父母の家庭を犠牲にして神様を解放するための時代です。本然の父母をこの地上に迎え、その方と千年万年暮らし…。
 
韓国の民謡の中で「月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んでいた月よ…」というのがあるでしょう? カツラの木が刺さったから、何どうのこうの、両親父母を迎えて千年万年生きたいものだ。それが皆、韓民族の啓示的な話です。天の父母を迎えて千年万年生きたいものだ。私は、その歌を思う度に、いつも胸の痛む心を忘れることができません。(一三七・一八五)
 
皆さんは、韓国人として生まれたことを絶対に嘆かないでください。過去には、韓国人として生まれたことを嘆いたでしょう?「はからずもこの貧しい韓国の民、五千年歴史を過ぎてきたと誇るが、あのわらぶきの三間の家に生まれた」というのです。
 
また、歌うのを見てもそうです。「月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んでいた月よ、あそこ、あそこ、あの月の中に、何どうのこうの、わらぶきの三間の家を建てて、何どうのこうの、両親父母を迎えてどうのこうの…」わらぶきの三間の家を建てて、千年万年生きるだって?(笑い) 私はそのような民謡を聞くようになるとき、気分がよくありません。やっとわらぶきの三間の家ですか? そこに何の民族の願いがありますか?
 
ですが、「わらぶきの三間の家を建てて、両親父母を迎えて、千年万年生きたい」というとき、その両親というのは何かというと、人間の理想的な父母であると言うことができるのです。キリスト教で言えば、再臨思想と通じるのです。万民、万国を通じて見れば、救世主思想と通じることができるこのような内容になっているのです。分かりますか?(はい)。このような話をしたら、終わりがないでしょう。やめますか?(もっとしてください)。(八五・八一)
 
「ああ、あの目、あの面、これ、これ…」こう言ってはいけないのです。その面がどうであっても、「千年万年生きたい」と言わなければなりません。我々の童謡もあるではないですか? 月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んでいた月よ、あそこ、あそこ、あの月の中にカツラの木が刺さったから、玉の斧で突き刺して引き出し、金の斧で切り取って整え、わらぶきの三間の家を建てて、千年万年何を迎えて? 両親父母を迎えて。それが民族的な願いを讃えたのです。
 
それゆえ、真の父母の思想があるのです。千年万年生きたいと言うことができる愛が、真の父母から…。分かりますか? 両親父母を迎えて。(一二六・一九二)
 
みなさん、真の父母という言葉を聞いて、神様のチャンピオンの権威を持った男性を代表し、女性を代表した、そのような表象的な人物が真の父母だと知っていれば、真の父母の息子娘の権威も、その影ぐらいにはならなければなりません。サタン世界で拾って食べた習慣性をそのまま持って、欲の包みをそのまま持って、ここの統一教会に入ってこようとしてはいけないのです。既成教会と違います。愛の祭壇を集め、愛の矢を狙っていきながら、生死の圏を全部勝負を決め髀鰍ェここだというのです。分かりますか?(はい)。
 
神の国に行き、神様が直接あの空中で審判するのではありません。ここに座って、我々の一日一日の生活を審判しています。神様に侍ることによって、文総裁とともに神様と苦楽を共にする生活を経たために、波瀾万丈な曲折と、艱難時代に滅びず死ななかったのです。神様が死ぬことができますか? 生き残ったのです。
 
そうして、今日世界的覇権を皆処理して、国に帰ってきて、国が二つに分かれているので、これを統一国にしなければならないというのです。統一国を作るのと同時に、皆さんの国を立てなければならず、民を立てなければならず、氏族を立てなければならず、家庭を立てなければなりません。
 
知恵深い人は、生命を尽くしてわめいてでもこれに(板書される) 乗って越えなければなりません。分かりますか? 統一教会の教徒たちは、父母様がすべての蕩減の使命を果たしたために、今は簡単なのです。本当に神様を知り、本当に真の御父母様を知り、本当に真の妻と真の夫を知り、本当に真の息子娘を知れば、皆終わるのです。
 
その息子娘を知ろうとするので、妻と夫を知ろうとするので、戦って勝たなければなりません。彼らを愛さなければなりません。愛してサタン側的兄弟、一二弟子、一二〇門徒を解放することによって、自分の息子娘を千年万年生きたいと愛することができるのです。
 
「月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んでいた月よ、あそこ、あそこ、あの月の中にカツラの木が刺さったから、玉の斧で突き刺して引き出し、金の斧で切り取って整え、わらぶきの三間の家を建てて、両親父母を迎えて千年万年生きたい」それが皆韓国の民が選民権を受け継ぐことができる、選民が歌を歌うことができる、それが永遠をかけて讃える祈りです。
 
両親父母を迎えて何をするって? 千年万年生きるのです。どこで? わらぶきの三間の家で。わらぶきの三間の家がどこだか分かりますか? どん底から上がらなければなりません。わらぶきの三間の家で父母を迎えられなくては、王の父母を探せません。わらぶきの三間の家の家庭から迎え、氏族を編成し、氏族から民族を編成し、民族を編成してこそ王権が生まれるのです。国を探さなければなりません。
 
すでに世界と国では先生が、勝利の立て札を持って、垂直の立場にいます。先生が横に行くことはできません、垂直の立場に立っているために。先生を中心としては、個人的垂直、家庭的垂直、氏族的垂直、民族的垂直、国家的垂直、世界的垂直、天宙的垂直が、神様を中心として一体的にぴったりとなっています。(二一二・五三)
 
人間の愛と神様の愛の合徳の基地がどこか? 神様を愛するために、人間を創造したのに、神様がなぜ愛のために人間を創造したか? 神様一人では孤独です。愛を中心として、千年万年生きたくて、人間を創造したというのです。
 
「わらぶきの三間の家でも、両親父母を迎えておいて、千年万年生きたい」そういうでしょう? 理想的な神様も同じです。わらぶきの三間の家より、もっと小さい所に入っても、天下を抱いて息をして生きるのが、驚くべきことです。その家が小さい家ですか? 神様が入っておられれば、天国の王宮であり、宇宙の王宮になりうるのです。(二〇四・一〇六)
 ——————————————————————————–
 五)真の父母の名で祈祷P.184
 
神様は、我々堕落した人間にとって、師のうちでいちばん大きな師というものです。先生のうちで、大王先生というものです。それは、神様が知らないことがないためです。また、父母で言うなら、父母のうちでも第一の父母です。すなわち、真なる父母です。王としては万王の王です。誰が?(神様です)。神様です。分かりますか?
 
神様は、先生のうちで第一に優れた先生であり、父母のうちで第一の父母です。父母のうちで何番目の父母ですって?(第一の父母です!) 第一の父母なら、その父母が偽物の父母ですか、真の父母ですか? 真の父母というのです。そのような真の父母が、人間が堕落することによって真の父母になりましたか?
 
統一教会では、祈祷を終えるとき、「真の父母の名によってお祈りします」と言います。神様を中心として見るとき、いちばん始めに真の父母は神様がなるのではないでしょうか? それで、祈祷しながら願うときに、誰を通じて願いますか? 何かをするときも、父の名で呼ぶようになっているではないですか? そうでしょう?
 
皆さんが、水に溺れているとき、誰が救ってくれるのを願いますか? 救世主が来て救ってくれるというとき、隣の町内のおじいさんが救世主になって救ってくれるのを願いますか、自分の弟が救世主になって救ってくれるのを願いますか? 自分を救ってくれる救世主がお兄さんだったら良いでしょうか、弟だったら良いでしょうか?
 
誰が来て、救って欲しいでしょうか? 自分の妻が救ってくれたらいいですか? 違います。自分の父母が来て救ってくれるのを願うのです。救世主のうちでも、一等救世主である父母が来て、救ってくれるのを願うのです。父母は、子供の苦痛を自分の骨髄に徹して苦痛を知る方であるために、子供は父母である救世主を探すのです。
 
皆さんが祈祷するとき、真の父母の名で祈りますが、その真の父母が何か? その言葉を先生とお母様だけについて考えないでください。より高い次元で世界を抱き、民族感情や国家感情を越えて、万民を真実に等しく愛すことのできる母、父という境地の真の父母の基準を考えろというのです。それで先生も真の父母の名で祈るのです。(三三・一四三)
 ——————————————————————————–
 六)真の父母の名の威力P.185
 
聖書で見ると、人間は堕落しました。ですから、神様を解放しなければなりません。堕落によって、すべての自分の所有の息子娘、自分の夫婦、国と世界までいっぺんに失ってしまったのです。それを真の父母が来て、物と子女と家庭と国と世界を収拾して、神様に返さなければなりません。所有主が神様だったのが、愛の道理において失ってしまったことによって、偽りの愛になってしまいました。
 
愛を中心として、所有されうる原則で創られたのが、敗亡の愛によって破綻したのを、真の父母の愛で収拾して、物と子女と夫婦と国と世界を再び神様の前に奉献してさしあげなければならないのです。
 
そうして、神様が「神様の宇宙は、真の愛を中心として神様の所有として取り返すのだ!」このように勝利を讃えながら、その捧げられた物を真の父母の前にくれるのです。神様の所有になって、真の父母の所有になるのです。真の父母の所有を中心として、真の息子娘の所有になり、これを東西四方に再び分配される世界になる前には、地上に天国は顕現することができないのです。
 
今日、我々がする統班撃破は何か? 南北を統一して、神様の名で、真の父母の名で、万国の勝利の版図を中心として、大韓民国を全人類の祖国光復として、神様の前に捧げなければならないのです。
 
ここには、民主と共産が一つになっています。真の父母と偽りの父母を中心として見るとき、神様の前に互いに怨讐ではありません。金日成がまだ死んではいけません。今、金日成と我々の輩が会っています。安企部でもそれを知りません。反共法に私が抵触するでしょう。私がそのようなことをたくさんしてきました。日本にもそうであり、アメリカにもそうであり、ソ連にもそうであり、全部投入したのです。
 
それゆえ、統一教会は乞食の輩というのです。なぜ乞食の輩ですか? 統一教会は、すでに何十年前に皆捧げました。統一教会の人たちは、家に行ってみれば小さな鍋とクズ物しかないでしょう? どこか私が見るでしょう。家具をよく入れて置いている家に行くようになれば、子供から整備するでしょう。神様のものとして皆取り戻さなければなりません。物も皆返してさしあげなければなりません。
 
息子娘のために自分の父母が下人暮らしをしてはいけません。神様のために下人暮らしをしなければなりません。「ああ、教会だ何だ、皆やめて、大学に行かなければならない!」そういう奴の子供たちは、私がきれいに人事をうまくしてやるでしょう。
 
今、南北を一つにして、神様の名で、真の父母の名で、歴史的なすべての所有権をサタンから奪ってこなければなければなりません。そうして、神様の本然的父母の位置に所有権を返還して、そこから歴史的なすべての国の中で、最初の先祖国として登場させるためのことをしようというのが、文総裁の終着的愛の目的です。(二一一・一二七)
 ——————————————————————————–
 七)真の父母の名でいつまでも栄光P.186
 
捧げたと言うようになるなら、神様の名とともに、再び神様の名から…。真の父母だけではいけません。創造主である神様の名から真の父母…。アダム・エバの所有になるものでしょう? 再び回してもらわなければなりません。それで、真の父母の家庭を中心として、相続が起こらなければならないのです。
 
それで、その次から、第一が再分配時代が来るのです。永遠な天国になるのです。そこはサタンの分立がありません。
 
第二は、創造理想生活が可能なのです。そうではないですか? サタンの讒訴がありません。そこに闘争だとか、決裂がありえないというのです。真の愛を中心として、完全に統一された体制において、創造理想の生活が始まるのですから、完全な地上天国が生じ、ここで暮らしてそのまま天上天国に行くのです。宗教が必要ありません。
 
第三は何かというと、真の愛のための天上天国、地上天国が実現されるのです。
 
その次に、結論は全部神様の名で、真の父母の名で、我々の名でいつまでも栄光を極めるだろう! アーメン!(アーメン!) 何の名?(神様の名で!) 神様の名、真の父母の名、我々の名でいつまでも栄光を極めるだろう! 永遠、永遠、無窮に、栄光を極めるだろう! アーメン!(アーメン!) そこには宗教もなく、闘争もなく、全部そのようなものです。終わりです。そうでなければ何がありますか? 今、目標が何か分かったでしょう?(はい)。(二一二・一四三)
 ——————————————————————————–
 八)真の父母の心情伝授と相続P.187
 
・ 心情の伝授
 
皆さんが、今、真の父母の心情と神様の愛とその心情をどのように体恤するか? これが問題です。その境地にどのように入るかというのです。そうするには、堕落しなかったアダム・エバにならなければなりません。サタンが讒訴できてはいけません。では、サタン世界でどのように解放されるか? サタンと戦って勝たなければならないのです。そうするには、どれほど苦労しなければならないか? どれほど苦労して、どれほど苦しくなければならないかというのです。
 
ヤコブも一〇回だまされ、モーセも一〇回だまされ、イエス・キリストもそのようにだまされました。先生も同じです。それを克服していかなければなりません。そのときに、神様の心情を知るようになるのです。父母様の心情を知るようになるのです。そうでなければ、絶対分からないというのです。そうでなくては、サタンが離れないのです。サタンの前に勝利できない限り、父母の心情を知ることができず、神様の心情を知ることができません。ですから、我々は一線に行かなければなりません。全部が一線に行かなければなりません。
 
このようにせずに楽な考えをする限り、神様の愛と父母の愛、父母の心情圏、神様の心情圏に訪ねていくことができないのです。ですから、一線に送り出さなければなりません。全部迫害され、蔑視され、殴られ、ありとあらゆることをされてこそ、そこで心情が伝授されるのです。伝授式がそこで起きるのです。
 
ですから、レバレンド・ムーンのように、いつも先頭に立って行かなければならないのです。そうでしょう? 一線で受ける迫害がどれほどひどかったか! ですが、それは当然なのです。皆さんがそれを消化すれば、神様が保護するでしょう。同じ立場に立つことによって、同じ心情を体恤することができるのです。分かりますか、何の話か?
 
その心情をどのように体恤するかというのが問題です。真の父母が本当の父母であり、神様が自分の父であるというのを、どのように自分が分かるかというのです。どのようにこの骨肉が知るか? 自分が考えなくても、この細胞、肉体が分かるかというのです。サタンの讒訴を受けえない立場を克服しなければなりません。何のことか分かりますか?(はい)。それがいちばん問題です。どのように父母様の愛を体恤するかという問題が質問の中心ですが、答は簡単なのです。世界的舞台でサタンに勝利した、本然のアダム・エバと同じ立場に立ちうる自分にならなければならないのです。
 
そうするには、どれほど血涙をたくさん流し、どれほどサタンの前に讒訴されるでしょう? 蕩減路程を経ていき、勝利してからこそそれが起こりうるので、どれほど苦労なことかという事実を知るべきです。はっきり分かりましたか? いくらその立場が嫌で、いくら祈っても、いくら何かをしても行けません。直接体恤しなければならないでしょう。その立場に行けば、すぐ体験するのです。直接指導するのです。分かりますか、何の話か?(はい)。父母の心情を知るためには、一体ということをどのように感じるかということが、大きな問題なのです。そして、サタンに勝利する前には、絶対できません。来ないのです、来ません。来ないのです。
 
私が昨日おとといも話しましたが、送電所を作っておいたというのです。送電所を作って、電線をかけておいて、そこに個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的、神様まで、このような塔をを作っておいたというのです。それなら、今、心情の電線を歩かなければならないのです。これは、誰が歩くべきか? 先生がするのではなく、神様がしてくださるのではありません。皆さんがしなければならないのです。(一二五・二〇六)
 ——————————————————————————–
 ・ 息子娘は父母のものを相続P.189
 
神様が人間の前に与えうる贈り物があるなら、その最高の贈り物が何だろうか? 皆さんが人類の先祖になり、真の母、真の父になることです。それがどれほど素晴らしいですか? それ以上はないのです。長官や大統領も皆ついていけません。それが神様から人間に下さることができる最高の贈り物です。
 
真の父母になれば、真の子女が出てきて、真の家庭が出てきて、真の氏族が出てきて、真の国、真の世界がここから自動的に生じるのです。そうではないですか? ですから、いちばん重要な名前が何ですって?(真の父母です)。真の父母という名前が、真の愛という用語がいちばん重要です(一二五・一一七)
 
堕落が何ですかH 自分勝手にしたのが堕落です。それゆえ、神様と真の父母を中心として、そのようにできなかったのを砕かなければならないのです。砕かなければなりません。それで、男たちはお父様の分身にならなければならず、女たちはお母様の分身にならなければなりません。
 
神様が皆さんの目の中に入っても、どこに入っても、皆さんが喜んであげるべきであって、「ああ、入れません」そう言えますか?(言えません)。皆さん、垣根を残したいですか?(いいえ)。神様の愛は、皆さんを通じて来るのです。それを皆研究しなければならないのです。おろそかにしてはいけません。皆さんがそのようにしなければなりません。
 
皆さんがその伝統を受け継げば、真の父母なら真の父母が、皆さんを訪ねるのです。真の父母が皆さんに神様の使者として来て、相続させてくれるのです。(一一八・二七二)
 
今まで真なる父母が出てこなかったので、真なる子女が出てくることができませんでした。まだ地上に真なる人がいなかったために、真なる父母が出てこなかったのです。それで、統一教会では、真の父母を認め、その真の父母を発見して侍ろうというのです。真の父母の息子娘になろうというのです。
 
その息子娘になれば、何をするか? 真の父母が持っているものを相続するのです。真の父母が持っている相続権は、天地、神様までです。神様までも相続しようというのです。天地に主人がいなければ、その天地は何の価値もありません。その天地の価値を百パーセント認めることができ、その価値を永遠に主張することができ、そうだと言える自分にならなければなりません。また、それを公認してあげることができる方に会わなければなりません。そフ方が神様です。それゆえ、真の父母の相続権を持たなければなりません。
 
では、真の父母の相続権が何か? 天地だけでなく、神様まで相続されるのです。(二四・三二三)
 
我々が行く道は、まだ終わっていません。皆さんは天の前に感謝することで、祝福を受けるでしょう。皆さんは、個人的に感謝すべきであるだけでなく、自分の氏族を代表して、金氏なら金氏、朴氏なら朴氏を代表して、さらには三千万(韓国)民族を代表して、世界の人類を代表して祝福を受けたという、その価値を忘れてしまってはいけないのです。また、真の父母が地上で果たすべき責任を相続したということを知るべきなのです。
 
祝福家庭たちは、なぜそれを相続しなければならないか? 祝福家庭たちが民族復帰の過程を経ていっているなら、真の父母は世界的な復帰の過程を経ていかなければならないのです。すなわち、一段階先に進まなければならないのです。しかし、民族復帰の勝利的基準が立てられなければ、真の父母は世界的な路程を行くことができないので、真の御父母様が世界的な路程を行かれるようにするため、民族復帰の責任を相続しなければならないのです。それで、皆さんは死ぬまで、この民族の恨が除かれるときまで、民族復帰の責任を背負っていかなければなりません。(一三・二九三)
 ——————————————————————————–
 九)留意すべき内容P.191
 
我々は、心情圏に入らずしては、復帰ができないのです。それゆえ、復帰の責任者は、父母の名を持って行かなければなりません。イエス様も真の父母を通じなくては、行く道がないのです。真の父母が行くべき道ではありません、これが。
 
皆さんは、真の父母を中心軸にして、真の父母の愛を中心として、ぴったりと水平線になっていなければなりません。皆さんには、不平がありえないのです。不平は言えないのです。不平を言えばぺちゃんこになるのです。(一三六・七〇)
 
皆さんは、真の父母に対して、こうしようああしようと言っています。皆さんは、真の父母を皆さんの部落にいる有名な金持ちの父母ぐらいに考えるなら、それは大きな間違いナす。
 
世界を一つにするには、真の父母を迎えなければいけません。世界を一つにする道を、人間としては発見できません。
 
真の父母という方は、歴史の希望の結実体です。望みの結実体です。すべてを蕩減した勝利の結実体です。これを知るべきです。真の父母とアメリカと換えることができるか?(五五・一五五)