第 5 章 - 天国と真の父母 (天聖經 - 第2巻 真の父母)

훈독왕 | 20190809182244

天聖經 - 第2巻 真の父母

 

第 5 章 - 天国と真の父母

 

一)「天」の字と「父母」の字のもう一つの意味
 
天というのは、二人です。仁というのも二人です。二人ですが、二人はどんな二人が天か? 完全な愛を中心として、天地が縦的に一つになり、横的に完全に一つになりうる人間…。その二人ではないですか? 天地調和を成しうる根本は、愛から始まったのです。(一八六・六二)
 
天地間において、天が先か、地が先か? 地天か、天地か? 父母も、父母か、母父か? 夫婦も「夫」の字と「婦」の字が逆さまになった婦夫か、正しくなった夫婦か?(正しくなった夫婦です)。地天を願う人はいません。全部天地を願います。
 
それゆえ、何が先になるべきか? 天が先になるべきです。その次には、何になるべきか? 地が先になるべきです。そして、父母がいますが、父母は、なぜ母が先にならず、父が先か? そうだといって女を無視するのではないのです。
 
聞いてみなさい。女も良くなるのです。(笑い) 父母は「父」の字が先になければなりません。「母」の字をじっと見れば、これは面白いのです。じっと見ると、このようにして、このようにして、このようにして、こうなります。(板書される) これは何かというと「女」の字を二つ持って逆さまに固めておいたものです。分かりますか? そうでしょう? それは本当に面白いのです。それが「母」の字です。
 
女という字は、本当に面白いです。これも女、これも女ですが、これを逆さまにこのようにしておいたのです。女を二人くっつけておいたのです。そうでしょう? 逆さまに持ってきて合わせたのです。そうではないですか? それが母です。
 
それゆえ、天の心を持った母にならなければならず、地の心を持った母にならなければなりません。言い換えれば、天の心を持った女になり、地の女を代表した心を持った女になって、その二つの心を合わせておいてこそ母になるのです。面白いでしょう?
 
また、「父」の字を見て「エビ(アボジの俗語)」と言うようになると、気分が悪いのです。先生が話すようになると「アバジ」という言葉をよく使いますが、その言葉は平安道のなまりです。
 
父の字を見ると、このようにしっかりとしておいたのです。(板書される) これが何か? しっかりと離しておくと「人」の字が二つです。それがしっかりと合わさっているのです。そうでしょう? それは、一カ所に持ってきて結んでおいたのです。
 
それが何か? 男は男ですが、人は人ですが、一人ではなく二人を持ってきて結んでおかなければならないのです。それでこそ父になるというのです。それは何かというと、天の人と地の人が結ばれて、一つの行動をすることができてこそ、父になるということです。これを考えれば、面白いでしょう?(はい)。
 
また、天の字をじっと見ると、それは何か? 天というのは、一人でいるのではありません。二人がいてこそ天になるのです。それゆえ、天は、二人を持ってきて合わせれば天になるのです。このようになるでしょう?(はい)。これは本当に面白いのです。
 
また、夫という字は何か? これがみっともないのです。冠を被って(官職に就いて) 天よりも高く上がることです。これは何か? 二人が互いに好きなら、天のてっぺんまでも貫いて上がるということです。それで、夫婦という言葉が設定されるのです。面白いでしょう?(はい)。(笑い)
 
では、「私はこれほど美男であり、これほど立派な男であるために、私には父母が必要ない」と言う人がいますか? 「私は男であるために、男である父が必要ない。父が死ねば、私が代わりに父になるために、私が主人になるから、父は死んで母だけ残って下さいませ」と言うそんな男がいますか?(いません)。
 
また、「私が女なら、うちで女の家長になろうとするので、母は死んで父だけ一人生きて下さいませ」というそんな娘がいますか?(いません)。いないというのです。では、何がいなければならないか? 二人がいなければなりません。父母がいなければならないのです。(五九・一八二)
 ——————————————————————————–
 二)地で真の父母に侍るべき理由P.107
 
霊界が何かというと、我々の先祖たちがアダムを中心としてコントロールする国です。また、地上天国は、その後孫を中心として、世界がコントロールされる国です。このようになるのです。何の話か分かりますか?(はい)。それを知るべきなのです。
 
皆さんが死んで、行くようになれば、間違いなく先祖圏内を訪ねていきますが、その先祖たちが何千万名になるでしょう? その先祖たちを皆経ていくのです。そうして、過ったら彼らに審判を受けるだろうというのです。審判をパスする原則が何か? これが問題です。
 
先祖たちが家庭に行ってパスしようとするには、どのようにしなければならないか? この原則に従わなければなりません。あの国でも、数多くの先祖、数多くの家庭、数多くの民族がつながっており、世界が皆つながっているのです。このような観点で評価するとき、自分が引っかからないでパスするのは、このような概念です。それが何の話か分かるでしょう?(はい)。
 
それは、簡単な言葉で言えば、真の父母の理想伝統です。真なる家庭は、真なる父母の家庭です。そして、真なる父母は、家庭の大統領です。では、国の大統領が何か? その国の真なる父母の位置に立っているのだいうことです。そうならば、アメリカならアメリカが真なる父母の国になるのです。例えば、アメリカのニクソンが今大統領ならですね、このアメリカの国の真なる父母の位置に立っているのだというのです。そのような心情です。
 
それゆえ、国民はその大統領に母、父のように仕え、もっと一つになるべきなのです。自分の家庭を越えて、自分の妻を越えて、自分の父母を越えて、国と一つになるというのが原則であるのです。家庭よりもっと大きなものが理想だというのです。自分の家庭の真の父母よりも、国の真の父母にもっと為になる立場に立つのが理想的だというのです。これを知るべきなのです。何の話か分かりますか?(はい)。
 
我々がなぜそのように暮らさなければならないか? そのように暮らさなければ、霊界に行って、行く道がふさがってしまいます。そこで歓迎しないというのです。いくらドクター・ダーストとか何とか言っても、ドクターという名が付いたとしても通じないのです。分かりますか、何の話か?(はい)。そのようになるというのです。
 
だから、真なる父母を中心とした、家庭的真の父母圏を凌駕する国家父母の為にもっとしなければならないのが、本来天国の理想世界の原則だということを知るべきです。分かりますか、何の話か?(はい)。その次には、国家父母圏は世界父母圏の支配を受けなければならないということです。国家父母がもっと世界父母の為にならなければならないのです。
 
統一教会は、何をする所か? 世界的真の父母圏のために動いていく、人間の世の中の最高の道を準備するために、家庭的真の父母、国家的真の父母までも犠牲にする道を行こうということです。これが統一教会運動です。世界の真の父母圏のための家庭理想を実現させるために、すべてを克服していくのが統一教会運動だというのです。それをするために、我々は家庭父母、国家父母をすべて犠牲にしなければなりません。
 
そうして、世界の中心になるときには、個人と家庭をどれほど犠牲にし、国と国民を越えてどれほど努力したかということを中心として、新しい世界の伝統の要因として記録されるでしょう。何の話か分かりますか?(はい)。(一一八・二三六)
 ——————————————————————————–
 三)天国は真の父母を通じてこそ可能P.109
 
皆さん自らは、天国を成せません。それは父母様が臨まなければなりません。聖霊とともに一つになって、イエスの愛とともに和合することができなければなりません。
 
それでこそ、天の側のオリーブの木に接ぎ木することができる可能性があります。そうだとしても、接ぎ木はできません、霊的ですから。再臨時代に真の父母が来て、接ぎ木してあげるのです。
 
天国建設は、それが基本です。公式と同じです。既婚女性を中心として見るとき、カイン・アベルと同じです。神様と息子の関係は、絶対的です。それを誰も分ける人がいません。父子の関係を誰が分けることができますか? 夫婦が愛で一つになれば、その愛を誰も分けられません。誰も分けられません。神様も分けられません。永遠なものです。
 
皆さん、夫婦が二人一つになって、夫婦としてアダム・エバと同様に、兄妹の立場で真の父母に侍ることができる夫婦になるかというのです。神様の愛と父母の愛が、我々家庭に臨むことができるか、その愛の圏内で息子娘を生まれさせるための愛をなしているかということが、深刻な問題です。そうせずしては、家族天国が開門しないということを知るべきです。(一三七・一八六)
 
我々が天国に入るためには、真の父母を経なければなりません。真の父母を経ずしては、天国に入ることができないのです。そのようになるのです。そうでしょう? それで、真の父母が出てきました。真の父母が出てきたら、真の父母を中心とした真なる家庭が生じるのです。サタン世界でも、この真の家庭まで上がるために、ここから出発するのです。闘って、これを全部否定しなければなりません。(四四・一四〇)
 
皆さんは、国がありますか? 国のある人たちですか、国のない人たちですか?(ない人たちです)。大韓民国の国があるではないですか? しかし、我々が行く国は違う国です。神の国というものです。
 
その国を経ずしては、皆さんがその国の公認された市民権を新しく受けずしては、天国に入ることはできないのです。公認された市民権を持った人には、サタンが東西南北を通じても、過去・現在・未来を通じても、讒訴しようとしても讒訴できないのです。そのような市民権を持たずしては、天国に入ることができる?(できません)。(一四八・二八八)
 
今日、世界的に見るとき、共産主義は滅びるのです。金日成は、赤い王として四〇年を栄光の中に降りてきましたが、今は一人あわれな存在になりました。しかし、文総裁は、迫害され、呪われてきましたが、世の中で絶えず上がるのです。あちらは悪なる先祖から出発し、悪なる先祖の代表として地獄に落ちていきますが、文総裁は悪なる世界の迫害を受けましたが、世界的途上を中心として、本然的父母の名を持って、悪なる父母の位置に代わって天に帰るのです。
 
全世界の人間たちは、真の父母の愛を通じて行かなければなりません。その門を通じなくては、天上世界の本然的故郷の地に帰る道がありません。地獄しか行く道がありません。これをさかのぼって行かなければなりません。反対する国と戦って、勝っていかなければなりません。
 
そうして、今日統一教会は、世界的メシア圏勝利を受け継ぎ、国家的メシア圏を越えて、氏族的メシア圏に訪ね降りてきたのです。サタン世界の氏族圏を中心として、サタン家庭に入って、世界と交替しなければなりません。
 
今日、文総裁が提示する統班撃破は、家庭基準で真の父母の息子娘を作るためのものです。家庭で真の父母の愛に代わりうる夫婦を作り、神様が見たかった、神様の愛の中で成されるべきおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、妻と夫、子女の基準を中心として一族、一国、一世界を失ったのを、再現させなければなりません。そうして、世界万民を自分の息子娘として抱き、愛することができる世界になったと宣布してこそ、地上に解放圏が始まるのです。(二一〇・四三)
 
聖書を見ると、子羊のようでなければ天国に入れないという言葉があるでしょう? それはどういう言葉か? 幼子たちには、お母さん、お父さんしかいません。ご飯を食べてもお母さん、お父さん、寝てもお母さん、お父さん、ただお母さん、お父さん、お母さん、お父さん!(笑い) そのように育って、分別がついて、いくら嫁に行き、妻をめとっても、そのお父さん、お母さんというのは忘れられないのです。その言葉を取ることができないのです。
 
神様も我々のお父さんです。父親です、父親。神様は、我々の縦的な父であり、真の父母は横的な父です。それで、その父母の言葉を習って、その父母の風習を習って、その父母のすべてする通りにしてこそ、故郷にも行き、どこに行っても、その国に適合するのです。
 
このようなすべての歴史的な蕩減を父母様がして、何をしようというのですか? 万民を解放しようというのです。なぜ? どうして? 人類を解放させてこそ、神様が解放されるのです。(二二五・二一)
 ——————————————————————————–
 四)天国と真の愛P.112
 
真の父母を中心とした所から、理想的な歴史の出発、新しい文化の出発、新しい愛の出発が起こるのであり、新しい人生の出発、新しい家庭の出発、新しい国家の出発、新しい世界の出発が起こるのであり、天国と神様の愛の出発が起こるのです。
 
この真の父母という言葉が、ただ言葉で言える、ただ今まで知っていたそのような内容の言葉ではないことを、皆さんは知るべきです。このような後世と関係を結ぶため、国も滅び、個人も滅び、家庭も…。それゆえ、この位置は、数多くの、数億数千万の犠牲の祭物の血が訴えている位置であるということを、皆さんは知るべきなのです。
 
聖書には、アベルが血を流すことによって、カインに殺されて血を流すことによって、天に讒訴したと出ています。そのような歴史を全部解怨成就することができる立場は、この立場しかないのです。
 
そのような使命を受け継いで、そのような驚くべき蕩減の使命の道を、真っ直ぐに置くために集まった群がどのような群かというと、まさに皆さんです。それを本当に知るようになるなら、自分の生命がどうだ、自分がどうだという不平は、夢にも、千回死んでも言えないのです。(六七・二二七)
 
本来、神様の創造理想が何かというと、真の父母の名前を通じて天国の王国と、地上の王国を成すことです。これを知るべきです。真の父母の名前を持たずには、地上天国と天上天国が生まれません。今日、キリスト教徒たちに「イエスが神様の愛する長子であり、息子なのにもかかわらず、なぜ天国に行けず、楽園に行っているのか?」と聞いてみると、答えられないのです。
 
天上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通じてのみ成されるということです。霊界に行って王国を統一するのが、真の父母の使命であって、他の人の使命ではありません。イエスが真の父母になれなかったので、楽園に行っているのです。
 
堕落した世界には、まだ真の父母の愛を受けた物もなく、受けた人もなく、現れた痕跡もないのです。ですから、霊界にそのような基盤が生まれても、必要がないのです。縦的であり横的な原理基準、公式がしっかりとできているのです。公式ができているということを知るべきなのです。勝手にしたらいけないのです。(一三一・一八四)
 
天国は男女の愛から始まるのです。分かりますか? 何を中心として? 神様の愛を中心として。垂直線をセンターにして、水平線が統一されている所が本然の天国です。それで、神様がこの中に来て…。神様がおられるのに、男女がすっとその中で核になって、これが体と心が共にぴたりと丸くなるのです。
 
そこで心は何かというと、垂直的な自分です。体は何かというと、水平的な自分です。明確なのです。その次に、垂直的な心は、神様であり、垂直的な体は何かというと、真の父母なのです。水平的な体は、水平的な父母であるということです。それが一つになるのです。
 
皆さん、心を見ましたか?(いいえ)。神様を見ましたか?(いいえ)。心は垂直的です。見えはしませんが、垂直的です。体は見えますが水平的です。分かりますか?(はい)。九〇度、これは男が好むのです。(笑い)
 
家庭は大宇宙の縮小です。分かりますか?(はい)。我々人の中に霊界がありますか? 霊が入ってきていますか、入ってきていませんか?(入ってきています)。それが何ですか? それが心です、心。見えない心、見える体は世界の代表です。二つがセンターを中心として、完全に四方を歩き回っても、ひと所を離れなければ、理想的な人になるのです。簡単なのです。
 
見えない心と、見える体が、真の愛の核を中心に一つになるとき、これが理想的な男と女、個人の完成なのです。分かりますか?(はい)。
 
そう、皆さんの体と心が、いつ何で一つのなるのですか? 何で?(真の愛です)。真の愛で! どんな真の愛ですか? 垂直的真の愛、水平的真の愛! 二種類の愛です。これは九〇度です。神様から、愛と生命と血統を受け継いで構成された実が自分です。これが真の愛を、縦横の真の愛を核にして、一つになるべきなのです。(二一七・一五〇)
 ——————————————————————————–
 五)真の父母と永生P.114
 
皆さんが、相手に会って愛することができる子女をもらうためには、父母に従わなければなりません。そう、子女を得たら家庭だけでなく「ああ、私が天国に行って天国の一門を率い、天国を率い、天国全体を率いることができる道のために従う」と言うべきなのです。それが、どれほど素晴らしいですか! 地上世界でも同様なのです。家庭を持って統一教会を受け、氏族を受け、統一世界を受け、一つになった世界で統一の天を受けるため行くのです。
 
なぜ、真の父母に従うべきなのか? この宇宙全体を相続するために、従うべきなのです。どれほど素晴らしいかというのです。神様と真の父母は、すべてを持っているのです。(拍手) これが真の父母主義というものです。天宙主義、愛情主義、真の父母主義が、このように立派なものだというのです。
 
皆さん、そうじゃないですか? み旨のために忠誠を尽くせという統一教会の輩たちは、韓国に行っても統一教会が我々の教会ではないか、南米へ行ってもそうであり、アフリカのどこでも我々の教会ではないか、そうでしょう?(はい)。真の父母が驚くべきことが何というと、その方に会って絶対的に一つになって、永遠に一つになると決心して、永遠に一つになるようになれば、この宇宙全体を神様が相続してくれるというのです。そう、皆さんは先生について回りたいですか?(はい)。
 
これからどのようにしますか? 先生があの国に、あそこの星の国へ行っていたらどうやって探しますか? どこに行って、どうやって探しますか? 愛の心で「ジジジッ」と方向を合わせるのです。「先生! お父様!」こう言えばいっぺんに当たるのです。来るなと言っても、さっと来るのです、真の父母の位置にです。それが真の父母の愛主義です。そうすればきちっと方向が一致するのです。即刻分かるのです。(拍手)
 
皆さんは、死ぬまで父母を恋しがりながら、生活をしなければならないのです。皆さんが父母のために会う度に、嬉しくて涙ぐむことができる生活をして、行かなければならないのです。そうすれば死んで天国に行くのです。それが原則です。
 
それができないために、それをハンダ付けするため、継ぎ当てるために、今日真の父母が出てきて、その運動を再現させ、継ぎ当ててそのような条件を立てたということで天国に行くのです。(一二四・四〇)
 
統一教会において、主人が誰かというと、文総裁です。そこには異議がりません。なぜか? 誰よりも投入したからです。誰よりも為にしました。また、師でもあります。誰も私の代わりにすることができません。いくらやってみても、私ほどできません。一日も行かないでパンクします。それゆえ、私が山へ行って地の穴を掘って入っていたら、地の穴を掘ってでも侍っていこうとするでしょう。なぜか? 文先生のような先生がいないからです。
 
また、真の父母という言葉を中心として見るとき、世の中の天地の福を全部持ってきて与え、永生を保証しうる証書をくれます。サタンと神様の前に、立証書をくれます。それが分かります。それが分からずにいたら、自分の先祖たちが来て敬礼します。それを受けた後、その日、自分の三代の先祖がやってきて敬礼します。それが分かりますか? 驚くべき事実でしょう。(二〇〇・七三)
 ——————————————————————————–
 六)真の父母と国P.116
 
我々がこれまで、なぜ犠牲になったか? それは、氏族の父母になるためです。それはどれほど素晴らしいでしょう! このようになって、全部これがなくなって、「統一したら何をする? 私は統一したら風呂敷を包んで行けばいい」と言うでしょうが、それはなくなるのではありません。統一させるそこに、自分が父母の位置に立つのです。
 
父母の位置に立てば、どれほど神聖で偉大ですか? 父母はこのように行くのである! ピッタリ合うのです。父母はこのように行くのが正常です。父母は愛を持って、いつも犠牲奉仕するではないですか? それを思えば、真なる父母になるために生きるというとき、気分がいいでしょう? それは、アメリカもそうなのです。レバレンド・ムーンが、今までアメリカに対してそのように出てきました。愛を持って、アメリカの人たちを一つにするようになるときは、父母の志を持ってしたという事実を知るようになるでしょう。そのようになるとき、ここから別れることができない、一つの世界と、一つの国が決定されるのです。
 
ここから父母がこの位置に入ってきてもオーケー、この位置に入ってきてもオーケーです。そうですか、違いますか? この位置に入ってきてもオーケーです。それは、全部神様を中心としてつながった父母の位置として、縦的な心情圏がつながるのです。それを知るべきです。このセンターを通じなくては、つながらないという事実を知るべきなのです。
 
また、その次には、垂直は垂直ですが、このような垂直になっています。これが夫婦であり、その次には家庭の父母であり、その次には氏族の父母であり、民族の父母です。もっと大きくなります。この言葉は何かというと、いちばん最初、この真の父母の伝統を受け継いだこのセンターを中心として見るとき、父母は父母ですが、一つは家庭の父母であり、氏族の父母であり、民族の父母であり、国家の父母であり、世界の父母です。後は、父母権を中心として国がセンターとなり、父母権の国を中心とした世界を作るのです。(一一八・二六七)
 
皆さんは、長子権と父母権を受け継いだでしょう? 氏族的メシアになったからです。そうじゃないですか? 長子権を受け継ぎ、その次に父母権を受け継ぎ、その次には王権をつなぎうる国を探すためのことをしているのです。そうでしょう? 皆さんが韓国を訪ねれば、世界の国は皆見つかるのです。これが最後です。原理的に、理論的結論がここに帰着するのです。もうこれ以上ありません。
 
これから、その位置に標注として立てるものがあるなら、真の父母、真の先生、真の主人、この三人の方です。真の愛を中心とした父母は、真なる先生です。真の父母だから、この世の中が知らないことを皆教えてあげたでしょう? 天の秘密、地の秘密をくまなく皆教えてあげました。これ以上、誰が教えてくれますか? 先生の中の先生です。神様がそうです、神様が。神様は、主人の中の主人です。先生も主人の中の主人です。王権を復帰するようになれば、主人の中の主人になるのです。三大主体思想が何かというと。真の父母思想、真の先生思想、真の主人思想です。統一教会を中心として見るとき、統一教会は真の父母の輩です。
 
国もそうでしょう? 国にも大統領を中心として系列があります。国家組織を見ると、教育機関の文教部があるでしょう? これは真の先生の輩です。その次に、国家の行政部署は、神経の主人と同じです。これが全部上がるために、行政部署は主人の位置に入らなければならないのです。そのてっぺんにいる大統領が主人です、国の主人。これが三大主体思想の中に皆入るのです。分かりますか?
 
それゆえ、真の父母はいつも縦的な位置に立っており、その次に教育機関と行政部署は相対的です。これがカイン・アベルです。カイン・アベルと同じなのです。このカイン・アベルが完全に一つになるときは、その王権は永遠不滅の王権になるのだ。(アーメン!)何のことか分かりますか?(はい!)
 
金日成の三大主体思想が何ですか? 何、自主性、創造性、意識性とかなんとか言いますが、それは人間論を中心としたものであって、思想になりえないのです。神を知らない奴らが何の…。そこには本体論が抜けているのです。このようなことを知って、皆さんは全部力強く前進しなければなりません。
 
今、皆さんの目で国を見ることができる時が来たのです。皆さんが国を救うための独立軍、独立勇士として一線に立つことができる、この驚くべき事実は、歴史を代表して、宇宙史を代表するのです。天がこれを見るとき、どれほど誇らしく、どれほど甲斐があるかというのです。それを知るべきです。分かりますか、何の話か?(はい!)
 
この地上に真の父母が出てきたということは、驚くべき事実です。偽りの父母として、このようにしていたものを、全部収拾して、これがこのように出てきたのを半分を切って、この基盤を中心としてここからこの反対の父母の門を通じて、全部追い込もうというのです。そうして、地獄に行っていた道を天上に上がることができるようにするのです。
 
父母の門を通じなくては、天国に行けないのです。分かりますか?(はい)。キリスト教のイエスを信じて天国に行けません。キリスト教に父母の門がありますか?(ありません)。統一教会には?(あります)。ですから、天国に直行しうるのです。その代わり、自分の過去を完全に清算しなければなりません。過去の友達の名前までも、覚えてはいけないのです。嫁に行った女たちが、過去の初恋の男が思い出されてはいけないのです。ゼロの位置に入らなければならないのです。過去に自分がどのように暮らしたかという思いをする人は、天国に入れません。ゼロの位置に入らなければなりません。
 
それゆえ、このおばあさんと同じように、あらゆる精誠を皆集めなければなりません。そこに他のものは何もありません。ただ真の御父母様と神様の思いしかないのです。そこに他のものが混じっては、この直線に乗れないのです。愛の道を行けないのです。そのような課題が残っているのです。
 
地上で祝福を受けたと、そのままで済むのではありません。祝福も、教会の祝福、国の祝福、世界の祝福、このように三段階を経なければなりません。なぜそうでなければならないか? ゼロの位置に入るために。自分の息子娘がいるといって、その息子娘が自分の所有ではありません。ゼロの位置に立たなければなりません。その息子娘は、神様の所有であり、真の父母の所有です。(二〇八・三四二)