天聖經 - 第2巻 真の父母
第 6 章 真の父母と我々
一)統一教会の教えの核心
・ 父母哲学
今日は父母の日です。皆さんが孝行者になるには、父母がどんな方かということを知らなければなりません。皆さんは、果たして父母がどんな方かということを知っていますか? 教えられて知っているのか、本当に知っているのか、考えてみたことがありますか?
皆さんは、統一教会に来て、孝子、孝女の道を行っています。しかし、皆さんは、大小便をする幼子です。お母さんのおっぱいをくわえて吸っている幼子です。そうしながら、父母の愛を受けて育ってきました。
この世に最高の哲学があるなら、父母哲学でしょう。父母哲学が最高だということです。もう皆さんはc子ではありません。皆さんは、全部習わなければなりません。それが父母が願うことです。
皆さんは、お母さんのお腹を通じて生まれましたが、養子・養女です。ですから、その父母の前に忠誠を尽くすべきです。そうして、皆さんが父母になれば、四位基台が成されるようになります。しかしながら、皆さんだけでは、絶対に、天の子女を持つことができないようになっています。天の子女を持つためには、明らかに天の父母がまず出てこなければなりません
ところで、このような父母が出てくるためには、長男がまず出てこなければならないのです。なぜなら、長男であったカインが天道に背いたので、神様の前に背いたカインの路程を逆さまに踏んで、神様に代わりうる位置まで上がらなければならないためです。
そうして、四位基台を成さなければなりません。そうする前まで、みなさんは全部赤ん坊です。赤ん坊です。ですから、世の中で、いくら優れていて、何がどうだという人だとしても、赤ん坊のような心情をを持たなければなりません。そうして、お母さんのお腹の中と、お父さんのお腹の中を通じて、再び出てこなければなりません。(一六・一九一)
宗教の違いはあるといえども、どうせ良こに従うようになっています。転がっていくようになっています。教派を主張した宗教は、退くようになっているのです。これが約三年にさえなれば、そのような時代に越えていくと見るのです。間接主管の心情圏でつながれなかったのを、完成期蘇生級から始まって、完成期完成級、完成期完成級まで七年路程に該当する期間を残したここで、父母様を中心として、今まで世界的な蕩減をしたために、今は、本来の線上で、間接主管圏内に落ちて堕落オたものを、再び引き上げて直接主管圏の平行線上に接することができる段階に入ってきたのです。これは、真の父母を中心とせずには、だめなのです。分かりますか?
今、皆さんに必要な思想は、真の父母の思想以外にはありません。それ以外にはないのです。その誰のよこしまな思想もありえないのです。金日成の思想を受け入れることができません。誰の思想も受け入れることができません。ただ、真の父母の思想だけです。一つです、一つ。(一三六・五二)
真の父母の思想が何か? 歴史を代表したこれが全部壊れたために、アダム・エバから数千代が壊れたのです。ですから、真の父母は、その数千代に代わった、一つのセンター、その言葉です。(一二三・一三八)
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・ 真なる家庭・宇宙の中心を決定P.123
真なる父母が出てくれば、真なる家庭が成立するのであり、真なる人の目的も成すことができるのです。今日、皆さんが知るべきことは、過去や、現在や、未来に永遠に讃えられうる、その名が何かというと、真なる父母、真の父母です。真の父母がこの地上に顕現したという事実、真の父母がこの地上におられるという事実は、何よりも嬉しい福音中の福音です。そうではないですか?
今日、邪悪な人間たちの前に、悪が主管することによって、方向を整えられず、死亡圏を成しているこの世界に、真なる父母の因縁が成立したことは、今日韓国の領土を中心とした統一教会の歴史、一七年間に成されたのではなく、神様の六千年の歴史的な苦労の功績の実として現れたものです。また、多くの人間たちが、行く所を知らず、方向を選べないこの時代の前に、行く所を探してやり、行くべき方向を提示してやることができる、一つの中心的なモデルとして現れたのが、真の父母の名前というものです。
真の父母の名前が出てくることによって、神様の創造理想世界、エデンの園から出発するべきだった永遠の未来の天国が、ここから出発するのです。その事実は歴史的であり、時代的であり、未来的なのです。それゆえ、過去、現在、未来の全体の歴史をひっくるめて見るようになるときに、この地上に顕現した真の父母という名前は、宇宙の中心を決定する中心ポイントであるということを、皆さんは知るべきです。分かりますか?
歴史はここから実を結び、歴史はここから収拾され、歴史はここから出発するのです。歴史がここで実を結ぶために、過去がここで復活するのであり、世界がここで一つの世界に収拾されるのであり、一つの世界が起源となり、新しい天国が成されるのです。皆さんは、これをはっきりと知るべきです。
今まで、歴史時代において、人類の希望がどこにあったかというときに、その希望は、未来にあったのです。考えてみなさい。人類は、希望を未来のものとしてだけ考えてきたのです。分かりますか? 人類は、どこに向かって行くかというとき、未来に成される一つの世界に向かって行くと言ったのです。未来について、一つの世界を模索したのです。
では、偽りの人類の中で、真なる父母を迎えうる道があるなら、人類は喜ぶのではないか。それゆえ、人類の希望が何か? それは、真なる父母を迎えることでしょう。
真なる父母は、人間たちの最高の希望であるために、真の父母が顕現すれば、歴史的伝統は未来で成されるのでなく、真の父母が顕現した現実圏内で成就するのです。分かりますか? 真の父母が現れれば、真の父母が現れた過去が、歴史の完成の出発点であって、完成を願う出発点ではないということです。言い換えれば、願いが出発する場ではなく、願いの成就が出発する場であるのです。(四四・一三二)
真の父母の家庭は、どんな家庭か? 真の父母の家庭は歴史的な実であり、時代的な中心であり、未来的な起源です。それゆえ、我々人類が暮らしているこの世の中の前に、希望の天国ができるときに、そこに伝統の本国は、真の御父母様が暮らしていかれたその生活全体になるのです。分かるでしょう? 国家の思想的な母体が何かというとき、これがその思想的な母体なのです。また、世界を創建しうる起源が何かというとき、これが世界を創建しうる起源です。分かりますか?
いつでも真の父母とともに、真の父母の子女になる因縁を中心として、三代圏を成さなければなりません。神様、父母、そして皆さん、このように三代でしょう? 横的に見るようになれば、先生、先生の子女たち、その次に皆さん、このように三代です。この三代圏を備えて完成しなければ、天地が統一されないということを、皆さんは知るべきなのです。(四四・一六九)
基地は、家庭に着地しなければなりません。家庭に着地して、方向を定めなければならないのです。すべての家庭は、父母様と神様の名前を中心とした写真をかけ、そこに四位基台が敬礼しなければなりません。それで、三代が敬礼しなければなりません。四位基台は三代です。おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、子供たち、このように三代が敬礼をしなければなりません。
父母様の名前とともに、四位基台圏を成して敬礼する所は、堕落圏内ではあません。神様が直接主管をするために、解放圏が起こるのです。それによって、天上世界に行ったすべての霊人たちが地上に来て、天使長がアダム家庭を保護するように、保護するのです。そのような時代に入ってきたのです。
昔には、カイン圏が霊界になっており、アベル圏が地上になっていました。それで、アベルがカインを救うために、犠牲となるときであったために、利用されてきました。ですが、今は、長子権を復帰したので、霊界が天使世界であり、今日統一教会を中心とした家庭がアダム圏であるために、アダム圏を後援するようになっているのであって、利用するようにはなっていません。
こうすることによって、サタンが介在して活動しうる地がなくなるのです。そうする女がいないのです。サタンは、追放されるのです。強く雄々しく先頭基準を一歩も譲らない前進的姿勢と、平行的基準を備えて、前進するのです。そうすれば、悪魔の勢力圏は、崖に落ちるのです。家庭毎に火を付けるのです。(二一一・三五〇)
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・ 神様の愛と真の父母の愛P.125
神様の愛は、縦的な父母の愛であり、真の父母の愛は、横的な父母の愛です。それを受け継いだ人間の前において、皆さんの心は、縦的な神様と父母の愛を受けた伝統的な実であり、体は、横的な真の父母の愛を受けた伝統的な実です。
この実が互いに横的家庭基盤になり、縦的中心を中心として、球形をなそうとするので、夫婦をなし、息子娘を産まなければならないのです。それゆえ、息子娘を産まなければ罪なのです。息子娘がいない人になってはいけません。骨がない肉がありますか? それは位置が定まらないのです。(一八四・三〇九)
エバは女性の性稟、アダムは男性の性稟を中心として分立して、何でまた一つになるか? 別れてから合わさることによって、神様自身が内的に抱いていた愛が、どれほど強いかということが分かるのです。そうでなければ分かりません。自分に愛がありますが、愛が分かりません。相手に会うことで分かるのです。内省的な愛を人を通じて感じてみるのです。
神様は、縦的な父であり、アダム・エバは横的な真の愛を中心とした父母です。(一八五・一八七)
神様は、愛の骨です。それを知るべきです。愛を中心として、神様の愛は「骨の愛」であり、今日人間の愛は「肉の愛」です。分かりますか? 骨と肉が一つになって、形態を整えるのです。そのような道理になっています。
神様の愛は、何の愛ですか?(骨の愛です)。例えば、皆さんに骨があるように、神様の愛は、骨の愛です。真の父母の愛は何ですか?(肉の愛です)。肉の愛です。(一八一・二〇六)
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・ 父母と食口P.126
今日我々統一教会では、信徒たちを食口と言います。今日までの歴史途上で、この食口という名詞を悟らせてくれた者がいませんでした。食口という言葉は、家庭を離れては成立しません。食口が生まれるためには、必ず家庭がなければならず、その家庭があるためには、兄妹がいなければならず、兄妹がいるためには、父母がいなければなりません。そうでしょう?(はい)。
キリスト教でも、信徒や信者という名詞を使いますが、食口という名詞は使えませんでした。今日、この世界が外的な面で、世界大家族主義を叫んでいますが、大家族を成すためには、その大家族の父になることができ、母になることができる父母がいなければなりません。その父母として来られる方が、まさにメシアです。お分かりですか?(はい)。
ところで、今日統一教会で言う食口の中に、真の食口がおり、それとは反対になる食口がいます。また、中間の立場にいる食口もいます。では、神様が立てられた天的な家庭を中心として、食口という名詞を持った真の食口はどんな人なのか? これが問題です。
食口になるためには、まず父母を持たなければなりません。兄弟になるためにも、父母がいなければなりません。兄弟は何人かいますが、父母は一人なのが原則です。すなわち、食口は何人でも、主人は一人だというのです。そうでしょう?
では、その父母や主人は、誰を中心とした父母であり、主人か? 自分を中心とした主人ではなく、自分を中心とした父母ではありません。兄弟を中心とした父母であり、食口を中心とした主人なのです。また、悪なる世界で悪と接することができる主人であり、悪と接することができる父母であるか? 悪とは関係ない主人であり、父母でなければならないのです。
真なる善としておられる父母であり、主人であるというからには、その父母は家庭や、あるいは韓国の民なら韓国の民を主とした父母であり、主人であるのか? 違います。全世界の三〇億の人類全体の父母であり、一つの大家族を主にした中心でなければなりません。
では、その主人であり、父母であり、中心の位置には、誰が立つべきか? 天地を創造した神様が立つべきです。その次には、誰が立つべきか? 悪なる世の中を世界的に収拾する、神様の身代わり、すなわち、救世主が立つべきです。そうして、神様と一体となった救世主を父母として、地上に迎えることができてこそ、初めて真なる家庭を成すことができ、救世主に真に侍る者だけが、真の子女と真の兄弟になることができます。(一五・二九五)
皆さんは、神様のみ旨の道だけを歩むべきであり、兄弟でない兄弟にならなければならず、父母でない父母にならなければなりません。統一教会で父母でない父母に侍り、兄弟でない兄弟が神様を中心として血肉の情を越えることができる、このような運動が起こるのです。
ここで民族を超越し、世界を超越し、新文化創造が起こるのです。何を中心として? 神様の何を中心として? 神様の生命力を中心として? 神様の創造の能力を中心として? 神様の知恵を中心として? 知識を中心として? 違います。神様の愛を中心としてこそ可能なのです。(八三・一七七)
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二)真の父母の在世時の価値P.128
この世に、真の父母が二組いることができますか? 今日北韓では、金日成を「お父さん」とし、統一教会では文先生を「お父様」と言っています。ですが、統一教会で言うお父様と、北韓で金日成をお父さんと言うのは、質的に違います。二人が対立したのです。貴いものが出てきたために、大韓民国が貴いのです。この二人が、互いに自分が父母だと言うのです。そして、神様もその父母は自分のものだとし、サタンもその父母を自分のものだと言いながら、互いに争うのです。
これを公的に、誰が公判しなければならないか? 人間がしてあげるのです。人間が「我々の父母は、このような方でなければならない」と父母を選定しなければならないのです。「堕落した父母はこのようにして悪い父母であり、善の父母はこのようにして善の父母です。善の父母を探してきたのは神様であるために、神様が善の父母の父です。」このように立ち上がって決定づけなければならないのです。そうしなければならないのではありませんか? それゆえ、すべてはどこに帰結するか? 真の父母に会うところです。
それで、父母が二組存在することができますか? 一度死んだ父母が、千年後にも再びパッと現れますか? 人類の父母が一度現れるのが、歴史の願いであり、国家の願いであり、思想の願いであり、摂理の願いであるために、その父母が現れる時は、後にも先にもない時であり、歴史上に一度しかない、何と言うか、てっぺんなのです。狭いといえば、どれほど狭いですか? 永遠の世界について見れば、人間の一生というものは、一息つくのと同じです。そうでしょう?
皆さんが、運があってそうなのか、福があってそうなのかは分かりませんが、このようにしてこの時代に生を持ってこの一時に会い、統一教会に入ってきました。統一教会にどのように入ってきましたか? 皆さんをこの場に入るようにするまでには、数多くの先祖たちが精誠を捧げに捧げました。数多くの人たちが滅び、善が踏まれる場で死んでいきましたが、その千人、万人の因縁を経て、回りに回ってその因縁が天につながって、日が昇る高い山のような立場に立ったために、そこで日の光を眺めて集まった人たちが皆さんなのです。
このときは、人類歴史において、愛という因縁が出てくるなら、それは初めて出てくる時なのです。それゆえ、生命の価値を賦与することができる時があるなら、その時から始まるのです。国と世界の主権をより価値のある内容で肯定させることができる時も、この時しかないのです。この時は、歴史の起源であり、希望の焦点であり、万福の出発であり、永遠の生命の発源地なのです。そうすることができる時です。
堕落した世界は、未来の希望を探してきましたが、未来にはこの時が永遠の希望の基準になっていくのです。この時を中心として、皆さんがこのように進んでいくのを眺め、この時の心情を体得していき、世界を生かさなければならないのです。この時がそのような時です。考えてみなさい。それゆえ、そのような頂上の実体として来た真の父母は、真の父母の心情の位置に属しうる規範に従って暮らさなければならないのです。それは皆さんが分からないでしょう。
その父母は、どのようにしなければならないか? 善の父母であるために、悪の父母と違わなければならないのです。悪の子供についてはどのように対するのだろうか? 歴史上のどの父母よりも厚い徳を持って対さなければならないのです。
このような悲惨な運命に処した子供に対する父母の立場に立っても、そこに引っかからないで、むしろ泣きながら追いかけて、万世の恨とともに哀願し、たとえ互いが過ったとしても、別れるのが嫌で慟哭する姿になるべきなのではないかということです。そのような立場に立つべき真の父母ではないかというのです。違うのです。父母として、持つべき心情的姿勢がどうだったか? そのような何かがあるのです。
そのような父母を迎えることができる子女として、備えるべき心情的な姿勢と規範はどうか? それがなければならないのです。万国の孝行者を代表した姿でなければなりません。世界マラソン大会に出場した各国のチャンピオンと同じで、自分の氏族の前に選出されたチャンピオンにならなければならないのです。何をするためのチャンピオンか? 孝行するためのチャンピオンであり、忠誠を尽くすためのチャンピオンです。皆さんが、そのようなチャンピオンの群にならなければならないのです。このようなことを考えてみましたか?
子女はこうであるべきであり、父母はこうであるべきだという、そのような意味では、統一教会の先生という人は、根が違います。その時を逃すようになれば、億千万年の恨を残すでしょう。お金で買うことができるか、知識を持って買うことができるか? 自分のその何かを持って合わせることができるか? 絶対できません。自分が引っかかっている世界、自分が引っかかっている民族、自分が引っかかっている氏族、自分が引っかかっている家庭にいる荷物をいっぺんに背負うと言って、その場を引き継ぐことができるか? それもできません。
共産世界を滅ぼし、民主世界を滅ぼす恨があったとしても、これは滅ぼすことができないのです。三〇億の人類を全部犠牲にしたとしても、これを侵害させてはいけないのである、と神様がご覧になるでしょう。このようの考えるのです。
このような焦点上にいる皆さんが、言いたいことを皆言うことができますか? 自分が言いたいことを皆言って、孝行者になる道理がありますか? 自分が言いたいことを皆言って、したいことをみなして、忠臣になる道理がありますか? そうはいかないのです。(五一・三五五)
現在の立場は、どのような立場か? 真の父母を中心として、同時代に処した時なのです。これは、一生に一度しかないのです。歴史の数多くの流れの中で、宸フ切り身で言えば、いちばん真ん中の切り身なのです。そのような期間です。(四六・一六八)
神様のみ旨で見れば、韓国のいちばん大きな教団の教会堂が、神様を代表して祈りを捧げるのを願うのにもかかわらず、雪の上でひざまずいて、礼拝の代わりに慟哭しながら、哀れなこの教会、この殿堂を救ってくれと祈る立場…。お分かりですか、何のことか?(はい)。この統一教会を立てるのにおいて、悲痛な歴史の摂理的内容があったということを知るべきでしょう。
ですが、今は各国が歓迎するのです。アメリカでも今、朝野で問題になっています。日本もそうです。ヨーロッパもそうです。統一教会の祝福家庭が、初めて人類の希望的な家庭として、家庭の崩壊を防御することができ、青少年の倫落を防御することができる道だと。希望的な一つの灯台のように考えることができる段階に入ってきたのです。そうするためには、先生の血肉がどれほど削られ、恨の涙と曲折をどれほどたくさん経たかを知るべきです。
誰も祝福家庭のカップルを離すことはできません。神様がそのようなことを願うのです。それを知るべきです。その一組が祝福を受けるためには、天は多くの血族を通じて、手を経て、一時に先生に会わせたのです。それが偶然のことではありません。歴史的な事件です。
真の父母が生きる当代に、共に生きているということ、同じ空気を吸って、同じ時代に地球上で共に生活をしているということは、驚くべき事実です。それに先だって、祝福の基盤を受け継いだということは、驚くべき事実です。百万長者が問題ではありません。ここの何か大宇、現代のなにがしが問題ではありません。先生が皆さんのようだったら、今日の統一教会が生ワれたでしょうか? 行く所々に監獄を目標として、直行していくのです。監獄の正門を通って、裏門に出ていくのです。皆さんはそれを知るべきなのです。
先生が暮らすことのできる家庭、先生がとどまることのできる教会、先生がとどまることのできる一族を探していくのにおいて、今は、世界の版図を皆築きました。そこに備えうる外的条件を皆築きました。世界の学者世界、PWPA(世界平和教授協議会)百カ所以上、言論界の組織、その次に頂上会談・これはこの世界を動かしうる頂上のクラブです・を皆作っておきました。また、心を代表した宗教圏連合、体を代表した政治圏連合として、世界平和宗教連合と世界平和連合を作ったのです。
私個人で、体と心の闘争歴史として分かれたものを、今終わりの日に来て、これを収拾せずしては、人類の生きるべき道を収拾する道理がないのであり、平和の世界に行く道がないために、一人でこのようなことをするのです。反対されながらも一人でやるのです。(二一一・三三七)
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三)真の父母の苦労と我々P.133
・ 真の父母は我々に絶対必要
真の父母が必要なのは、蕩減条件を立てるため、そして、愛で一つになった基準で、伝授されるためです。(一三七・一一六)
アメリカが私の怨讐ですが、私が監獄に入って、アメリカを生かすために六つの団体を作りました、ワシントン・タイムズから。この世なら、復讐を皆するはずなのに、私はそうではありません。愛さなければいけないのです。何のことか分かりますか? そうでなくてはいけないのです。
蕩減復帰をするためには、絶対真の父母がいなくてはいけないのです。また、真の愛を中心として一つになるためには、真の父母がいなければならず、その次には、血統的に重生するにも、真の父母がいなくてはいけないのです。このように三つです。(一三七・一一四)
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・ 我々は真の父母に接ぎ木された枝P.133
本来人間は、横的な父母として、神様を縦的な父母として、縦横の父母の愛を中心として喜びの出発を見なければならなかったのが、起源地でした。それがサタンによって侵犯されたために、これを再び奪って付けて、真の父母の息子娘にならなければなりません。そうするためには、野生のオリーブになったために、真のオリーブの枝をもらって、接ぎ木しなければなりません。
それゆえ、宗教は接ぎ木する仕事をするのです。これがキリスト教思想というものです。それで、新郎新婦の婚姻の宴が、この地上に現れなければいけないという言葉が出てくるのです。(五八・二一九)
人類の希望が何かというと、真の父母に会うことです。そうでしょう? 歴史的結実が何かというと、真の父母に会うことであり、時代の中心が何かというと、真の父母に会うことですあり、未来の出発の基地が何かというと、真の父母に会うことです。そこに接ぎ木された皆さんは、枝になるのです。そうではないですか?
今まで、歴史時代の願いは、全部未来にありました。しかし、今日皆さんの一生を中心とした真の父母との因縁は、永遠に一時しかないのです。一度しかない貴いものです。分かりますか? 皆さんの先祖たちも持てず、皆さんの後孫たちも持てないのです。(四六・一六八)
堕落によって、サタンが人類を全部連れていきました。地獄に全部連れていったのです。それで、このように行くここにおいて、神様が一つ二つ分けるのです。この世界が、サタン世界の野生のオリーブでしたが、そこで天の側のオリーブを作りました。半分を中心として、民主世界のキリスト教を中心として、天の側の野生のオリーブを作って、世界をリードさせておいたのです。このサタン側の世界が弱化して、キリスト教文化圏が強くなれば、再臨主が来ていっぺんに切って、完全に接ぎ木して一つにして、回して立てるのです。
今日、右翼と左翼が皆滅びました。右翼左翼が皆滅びるようになったのです。誰がそのようにしましたか? 神様と真の父母がそのようにしたのです。分かりますか? それで、このような解放を宣布すると同時に、真なる父母と一つになった家庭は、世界のどこにいても、今まで真の父母がやってきた道を相続したために、そこで強く雄々しくあれというのです。そうなれば、神様とこの宇宙が先生を保護するように、その家庭を保護することによって、一国を消化するのは問題でないのです。これを宣布するのです。(拍手)
皆さん、今からどこの信徒かと聞いたら、誇らしく宣布しなさい、「私は統一教会の信徒だ」と。(拍手) 統一教会のメンバーが何かというと、真の父母に属した者だというのです。我々は真の父母の子女だというのです。けんかしないでください。けんかするのは、サタンを受け入れることです。分かりますか?(はい)。宣布して回りなさい。「我々はナンバーワン・ムーニー! ナンバーワン神様の子女だ!」と言いなさい。そうすれば、サタンが讒訴できません。そのような考えを確固として持って回りなさい。分かりますか?(はい!)(二〇一・一二九)
我々のみ旨の帰着地が家庭です。家庭がなければ、神様の定着地がありません。すべての家庭は、真の父母を中心として繁栄するので、家庭がなければ何も成すことができないのです。木で言えば、トランク(trunk;幹) を中心として枝が伸びるのと同じです。その枝を折って挿し木をすれば、その木は繁殖していくのです。
そのような枝の使命を完遂すべきなのが、宗族的メシアです。分かりますか? トランクからずっと東西南北に伸びて、大きくなることで、中心の根も大きくなるのです。その中心の根が大きくなるには、枝が大きくなることで比例的に大きくなるでしょう?
それで、横的に大きくなれば縦的にも大きくなるのです。横的な基準を犠牲にして、ずっとこのように根が大きくなれば、枝もずっと上がるでしょう? み旨を中心として、熱心にすれば、このようについてくるのと同時に、横的に拡大した力が圧縮されるために、為に生きることで天宙をつなげることができるという結論が出るのです。
それナ、夫婦を中心として行くとしてもですね、神様を中心として縦的な基準において横的に奉仕の生活をすれば、そこで天宙統一圏が自動的につながるのです。このように一つになれば、必ず回ります。回っても倒れません。横的な基準があるために、倒れないのです。軸を中心として回るのです。必ず回らなければいけません。遠心力と求心力が一つになることによって運動するのと同じです。
自分自身が無の境地になれば、自動的に回ります。回り始めれば軸も上がって…。下がるようになれば、自然に反動が生じるのです。それで、上がったり下がったりするのです。呼吸するように運動するのです。そのような完成型のような人間が、天上世界で家庭を成せば、天国家庭の基盤になり、そのような基盤を築くようになれば、離れません。父母が行くのにおいて、共に永遠に侍ることができるのです。
それゆえ、真の父母を中心として、心情的共鳴体を成し、その生活の体恤を基準に永遠な心情世界の基盤になっているのです。
統一教会員は、真の父母とともに、神様とともに生きていくと言うでしょう? 真の父母の愛とともに生まれるのです。愛は永遠な因縁を結ぶために、愛の因縁は絶つことができません。死ぬときまで愛を忘れられないのです。そうでしょう?
父母は死んでいくときも愛の心情を持って、息子娘を愛しながら死んでいくのです。夫や妻も同じです。愛を忘れて死んでいく人はいません。愛は、死を越えて、永遠とつながるのです。それで、愛による生命圏を受け継いだ自分、男と女というものは、愛の根本である父母を忘れてしまうことができないのです。
父母は根であり、自分自身は幹であるとするなら、息子娘は芽です。それが共に大きくなれば、氏族圏、民族圏、国家圏に拡大するのです。そういうものでしょう?(二一八・一二六)
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・ 我々のための真の父母の苦労P.137
真の父母が真の子女を産むのが易しいでしょうか、大変でしょうか? 失ったものを探すのが、どれほど大変かというのです。個人が反対し、家庭が反対し、氏族、民族、国家、世界、天地、霊界が全部反対するのに、これを率いてきたのです。商売心でそうしたでしょうか?(違います)。何のためにそうなのですか? 愛を中心として、愛を探そうとしたためです。それを知るべきです。
今、皆さんがそのような資格を持っては、その前に立つことができないということを知るべきです。皆さんが、百回訪ねてきても門前で蹴飛ばしてしまい、千回訪ねてきても蹴飛ばしてしまうのに、皆さんを訪ねてきてこうしているという事実を知るべきです。自分が難しい逼迫を皆一手に引き受けてしているのです。
皆さんが過ったのを、全部先生に持ってきてなすりつけるでしょう? 私がアメリカに来て悪口を言われるべきこと、反対されるべきことは、何もしなかったのです。それなのに、皆さんが過って、私が悪口を言われるのです。この世なら、皆さんを捨てて行くのに、捨てられずにいるのです。
アメリカの法廷にも、私が現れなくてもいいのです、放っておいてしまって。しかし、皆さんのために…。私がいなければ、皆さんがどれほど引き裂かれるでしょうか? それで、私が打たれて、皆さんを守ってあげ、保護してあげるのです。(一一六・一一四)
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・ 我々に対する真の父母の期待P.137
ここに、西洋人たち、東洋人たち、まだらの人たち、本当にたくさん集まったな。(笑い)それ、何をしにみんな集まりましたか? 何をしに訪ねてきたの? 文総裁に会っても、やれるものは悪口しかありません。(笑い)げんこつしかやるものがないのに、それでもいいと、こうして来ているのです。(笑い)それが何か? 愛を探して集まるジプシーの群です。真の愛を探してくるのです。その味を知っているのです。働き蜂が密の味を知った次に、花の香りを嗅いで千里の道も遠いと言わずに、飛んでいくのと同じように、そうするのです。お分かりですか?
それで、真の父母になるのは容易くありません。私が真フ父母の権限を引き継いであげるから、引き継ぐという代表者がいたら出てきなさい。私が真の父母になるというのは、考えもしなかったのに、気がついてみたら統一教会の責任を持って、行かざるをえなかったのです。それで、行ってみたら真の父母になったのです。
いちばん最初から、私が真の父母になるだろうということを知っていたら、万民が皆分かったという理論になるのです。知らずに人生の根本問題を掘り下げてみたら、ここまで来たのです。ここに曲折がこのようになったのを、皆解いてみたら、真の父母のすべての解怨成就も起こり、神様が解放を必要としているのが分かり、その神様が私によって解放されたために、絶対的に文総裁を愛さざるをえないというのです。(アーメン!)(拍手)
こうして、皆さんが真の父母に会って、何をしましたか? しておいたものが何ですか? ご覧なさい。先生は、今まで悪魔の世界でむち打たれながらも、家庭を守り、氏族を、民族を経ながら、個人編成・家庭編成・氏族編成をしてきました。この統一教会の祝福家庭は、氏族編成です。世界的です。
それを今は、サタン世界がつかんでどうすることもできません。なぜ? じっと見ると、暮らすのが素晴らしいのです。東洋人と西洋人とけんかでもして、会うといってもいくらも暮らせずに、さっさと離婚するというそういう場面なのに、我々統一教会の人たちは、一〇年でもいいし、二〇年でもいいし、よく暮らすのです。(二一一・三二五)
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・ 我々がなるべき水準P.139
皆さんの夫婦、皆さんの一家で、これが起きるようになるときは、どのようになるかというとですね、おじいさんが自分の孫に対して、おじいさんのように侍らなければならないのです。
天地開闢という言葉があるでしょう? お父さんが息子に対して、お父さんのように対さなければならないのです。なぜ? これは堕落した世の中であり、これは完全な復帰の世の中です。この峠、分水嶺を越えました。今まで上がるときは、世の中のすべてが全部主導しましたが、今は後ろからついてこなければならないのです。それで、国の王は、あのていたらくで行くのです。こういうすべてを知るべきです。
皆さんの家庭に三大主体思想のその実体を備えうる真の兄弟・真の夫婦、真の父母が出てこなければなりません。実体存在です。真の兄弟になってこそ、真の夫婦が出てくるでしょう? 真の夫婦が出てきてこそ、真の父母が出てくるではないですか? 真の父母の位置に立てば、真の夫婦になるのはもちろんであり、真の子女になるのです。父母の意識、主体思想を中心として、そのまま対象的な立場に立って一つになるのです。愛で一つになるのです。分かりますか? 愛だけがこのすべてを和合することができます。
すべての元素も、微々たるものも、愛の道を訪ねていくのです。神様と一体となりうる、愛と直接接することができる細胞を訪ねていくのです。それが人間です。それゆえ、愛のためには犠牲にならなければならないのです。投入しなければなりません。分かりますか? 生命と財産を皆投入した伝統があるために、級の低いものは、級の高いそこに自分のすべてを投入しようとするのです。
それゆえ、ダーウィンの進化論ではなく、愛を中心として吸収する論理です。第二の価値的な内容を創造するところに創造要素として作用するようになるときは、現在の微々たるものよりも、どれほど価値的な内容が上がるかというのです。(二〇四・一二九)
これから、最後に残る宗教はどんな宗教か? それは父母の宗教です。それで、父母の宗教が出てこなければならないと、宣布したのです。「歴史が長くなったとして、父母の宗教になるのではない。それは、僕の宗教だ! 庶子の宗教だ!」と宣布したのです。
公式の演説内容がそれです。「父母の宗教の使命を受けた、そのような責任者はこの壇上に、この大会の主題演説をするレバレンド・ムーンであることを、皆さんは知らなければなりません。」このように発表しても、世界が粛然としたのです。ですから、キリスト教では統一教会の文総裁が再臨主だと噂が立ったと言って大騒ぎするです。西欧社会では、人として主が来るなら、文総裁以外にはいないというのが結論です。
君たちはそんな考えもしないだろう?「文総裁が再臨主だって、私と同じなのに。韓国語を話してね。言葉はなぜ早いか?」こう言っているでしょう? 忙しい歳月を治めるから、言葉まで早くなりました。言葉が早いから、逃げるのもひっ捕まえることができるじゃないですか? それで、言葉の早いのも研究して早いのです。日本語を話してもそうであり、英語を話してもそうで、誰も私についてこれません。
では、皆さんがそのような先生によく会いましたか、過って会いましたか?(よく会いました)。会えませんでした。よく会ったら、良くあった人たちがうまくやるべきでしょう。こうして、宗教を中心として全部統合をしてきたのです。(二一四・一七五)
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四)恩寵と自覚P.141
・ 真の父母という言葉は初めて現れた言葉
皆さんは、復帰摂理を習って、神様のみ旨がなされるためには、父母がいなければならないということ、堕落した父母ではなく、真の父母が来なければならないということを知っているでしょう。
この真の父母という言葉は、皆さんが考えもしなかった立場で見出され、会うようになれるそのような言葉、そのような内容ではないことを、皆さんは知るべきです。これは、歴史上に初めて現れた言葉であり、初めてそのようだということを我々が感じているこの事実は、革命が問題ではないのです。これは、歴史にない奇跡的な大事件であることを、皆さんは知らなければなりません。
皆さんがA真の父母というこの言葉を習うようになったのは、真という言葉を言うようになったのは、今まで生まれては死んだ数多くの父母たちの愛を凌駕しうる、たった一度しか存在できない愛を持って現れたために、可能なのです。そのような基準を持ったために、真の父母という言葉を言うことができるのです。このときの愛の関係は、神様の愛があるなら、その神様の愛を人間が初めて最初に受ける最高の基準であり、イエス様がこの地に生まれては亡くなりましたが、そのイエス様も想像できない、そのような最高に理想的な立場ではないでしょうか?
このような立場まで来るときは、歴史過程でその代価を払ってきたのです。真の父母の基準が出てくれば、自分が根本的に敗北することが分かるサタンは、これを成せないようにし、この時がこれないようにするために、偽りの父母の立場で、億万の手段を選ばず、数多くの人を犠牲にし、数多くの血の代価を払うようにしたのです。この日が来るまで、むごたらしい犠牲が払われたということを、我々は考えなければなりません。
そのような思想を持って、そのような道を行こうとするすべての信仰者たちに対して、個人的に犠牲にさせ、家庭的に犠牲にさせ、あるいは、民族的に、国家的に、世界的に犠牲にさせてきたサタンの歴史がありました。そこに犠牲になった我々の先祖たち、善を追求して真の道、父母の道を探してきた善なる我々兄弟たちが、どれほどむごたらしい血の代価を払ったかということを、我々は知るべきなのです。(六七・二二五)
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・ 真の父母という言葉は福音中の福音P.142
皆さんがユートピア世界を探そうとするには、どこへいくべきか? 本然の家庭の愛の圏を経ずしては、行く道がないということを知るべきです。先生が原理主管圏内と直接主管圏内を神様の愛と真の父母の愛でつないだ基準があることによって、今日霊界と肉界がその愛の橋を通じて往来できる道が生じるのです。これを知るべきです。
皆さんは、原理を習っているでしょう? 神様が本来創られた通り、直接主管圏と間接主管圏に分けられているのです。では、それをどのように一つにするか? それは、真の愛だけが可能なのです。これが一つになるときは、人間アダム・エバが成熟するときだけです。分かりますか?(はい)。そのようなときは、自動的に水平的真の愛が現れるのです。
その位置で、「おお、あなたは私の同伴者です!」と抱き締めるようになるとき、真の愛がその組の中心に現れるのです。分かりますか?(はい)。プラスの愛が完成して現れるようになれば、マイナスはすぐに現れるようになっているのです。プラスの愛がマイナスの愛に降りてきて、運行するようになれば、真の愛の標準を描いていくのです。そうすれば終わるのです。
真の愛が現れれば、すべてが皆自動的についてくるのです。真の愛だけが、すべてに作用するのです。それで、世界がユートピア圏に転換されるのです。分かりますか?
どこから真の愛が出発するか? 真の父母から。これは、福音中の福音です。世の中にどんな良い言葉があるとしても、夫という言葉が良い言葉で、妻という言葉が良い言葉だとしても、堕落した世界は真の父母が現れなくては、真なる夫と妻が現れないために、真の父母以上良い福音がないというのです。分かりますか? これをはっきりと知るべきなのです。(一三一・一八七)
歴史過程において、悲しみがあれば、最高の悲しみ、困難があれば、最高の困難、血の代価を払ったなら、最高の代価を払った、その結果として見出されたのが、この真なる家庭なのです。
この真なる家庭が見出されることによって、歴史的な悲しみが解怨成就されうるために、歴史的な死の代価が解怨成就されうるために、歴史はこのような悲惨な蕩減の条件を払ってきたというのです。従って、この真なる家庭が、この血に顕現したという事実は、我々人類においては、それ以上の喜びがない喜びであり、それ以上の価値がない価値なのです。
そのような真なる家庭を成すためには、真なる父母がいなければなりません。真なる父母がなければならないと同時に、真なる夫婦が成されなければならないのです。真なる夫婦が成されて、真なる子女が誕生しなければならないのです。
この真なる父母は、サタンの前にいかなる讒訴の条件をも残してはいけません。真なる夫婦は、サタンの前にいかなる讒訴条件に引っかかって、うめく場にあってもいけないのです。真なる家庭に属している子女もまた、サタン世界に讒訴条件を残しうる位置に立っては、真なる家庭の息子娘になりえません。
今日皆さんは、真の父母という言葉を話しており、真という名詞を知っています。この真の父母という言葉は、歴史時代において、誰も呼んでみることができず、誰も考えられませんでした。しかし、今日、我々は呼ぶことができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように我々は、歴史時代の誰よりも幸福な位置に立っているのであり、歴史時代の誰よりも高貴な位置に立っているということを、皆さんは知るべきです。
真の父母という名前とともに、歴史において今まで苦労してきたし、真の父母の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったということを考えるようになるとき、真の父母という名詞こそ、今日我々人類に福なるみ言中の福なるみ言であるということを知るべきです。
真の父母というその名前四文字を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新しい世界に入りうる起源が生まれ、真の父母によってサタンを屈服させることができる内的な因縁が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が決定されるのです。それゆえ、真の父母とともに暮らし、真の父母の命令に従って行動することができる、この驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。
自分の人生を皆犠牲にする恨があっても、真の父母の行く道に同調できる道があるなら、我々人類の前に、これ以上の幸福なことがないということを知るべきです。真の父母の命令に従って、敵陣に向かって行進する兵士がいるなら、彼は人類が願う最高の希望の頂上の中において、天と地が直視し、歴史が注目する神々しい勇士であることを、我々はよく知るべきです。
皆さんが真の父母の心情に代わって、あるいは、国家の民族に代わって戦うことができる立場に立ったとするならば、その心情によって、国家なら国家、民族なら民族が初めて幸福の園の門を開くことができ、行進して入り、勝利の栄光の場に参席することができる希望の国民と国家が顕現するという事実を考えるようになるとき、真の父母の心情の旗を掲げて立ち上がる皆さんこそ、歴史を呼び起こすことができ、希望の世界をもう一度審判することができる旗手であることを、皆さんは自覚するべきです。(四三・一四三)
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・ 真の父母という言葉は恐ろしい言葉P.45
統一教会での恐ろしい一つの教えが何か? それは「真の父母」という言葉です。この言葉は、神様も恐がる言葉であり、サタンも恐がる言葉です。我々人間は、サタン圏内にいる人間であるために、真の父母を中心として見るときに、彼に従っている人たちは、彼のみ言によって審判を受けるのです。
このような方が出てこなかったらいいのに、出てきたために審判しなければいけない立場に立つので、神様がその方の言葉を聞いてあげるのです。また、サタンがなぜ真の父母という言葉を恐れるか? この言葉を信じて従おうものなら、自分のすべてが破壊されてしまい、破綻してしまうためです。それで、彼には極めて恐ろしい言葉になるのです。
サタンは、いつも真の父母の行く道を妨げ、倒れるのを願い、悪くなるのを願う立場にいます。ですから、皆さんがこの道に従って行くのに、どれほど信じて従うかというのが問題になるのです。皆さんが、そのような先端に立ったなら、一歩一歩、行動一つを千年以上の精誠を尽くして、感激しながら行こうとしないといけないのです、それが今日皆さんの行くべき道であることを知るべきです。(六五・二七七)
私は、真の父母の名前がどれほど恐ろしいかということをよく知っています。私は平穏な位置を探すために生きる道を取ったのではなく、このみ旨の使命を完結させるために、今まで闘ってきました。
過去を回想すれば、事情も多く、無念なこともたくさんありましたが、あなたの事情、あなたの無念さに比べられないことが分かったので、ひざまづいて涙をあなたの前に見せられない、恥ずかしい姿であることが分かるのでございます。そのようなことを感じる私の心をお分かりになり、この日を期して天上世界と地上世界の門を開いてくださいませ。(一三四・一一六)
問題は何か? 真ということ、すなわち真の父母ということです。真の父母が何か? 真の父母という言葉がそんなに簡単な言葉ではありません。いちばん恐ろしい言葉です。その言葉がどれほど恐ろしい言葉か分かりません。
この真の父母という言葉一言のために、歴史が左右されます。この言葉を見つけ出すために、今まで数多くの先烈たちが犠牲の道を行きました。連続的な血の闘争を経て、身悶えし、絶叫しながら希望を抱いて探し出した名前が、真の父母という聖なる名前です。
真の父母の前には、真の子女がいなければなりません。それで、皆さんが真の子女になりましたか? 考えてみて下さい。皆さんが真の子女ですか? 真とは、過去にも現在にも未来にも変わらないものです。(三三・一〇九)
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・ 真の父母という言葉は恐ろしい言葉P.45
統一教会での恐ろしい一つの教えが何か? それは「真の父母」という言葉です。この言葉は、神様も恐がる言葉であり、サタンも恐がる言葉です。我々人間は、サタン圏内にいる人間であるために、真の父母を中心として見るときに、彼に従っている人たちは、彼のみ言によって審判を受けるのです。
このような方が出てこなかったらいいのに、出てきたために審判しなければいけない立場に立つので、神様がその方の言葉を聞いてあげるのです。また、サタンがなぜ真の父母という言葉を恐れるか? この言葉を信じて従おうものなら、自分のすべてが破壊されてしまい、破綻してしまうためです。それで、彼には極めて恐ろしい言葉になるのです。
サタンは、いつも真の父母の行く道を妨げ、倒れるのを願い、悪くなるのを願う立場にいます。ですから、皆さんがこの道に従って行くのに、どれほど信じて従うかというのが問題になるのです。皆さんが、そのような先端に立ったなら、一歩一歩、行動一つを千年以上の精誠を尽くして、感激しながら行こうとしないといけないのです、それが今日皆さんの行くべき道であることを知るべきです。(六五・二七七)
私は、真の父母の名前がどれほど恐ろしいかということをよく知っています。私は平穏な位置を探すために生きる道を取ったのではなく、このみ旨の使命を完結させるために、今まで闘ってきました。
過去を回想すれば、事情も多く、無念なこともたくさんありましたが、あなたの事情、あなたの無念さに比べられないことが分かったので、ひざまづいて涙をあなたの前に見せられない、恥ずかしい姿であることが分かるのでございます。そのようなことを感じる私の心をお分かりになり、この日を期して天上世界と地上世界の門を開いてくださいませ。(一三四・一一六)
問題は何か? 真ということ、すなわち真の父母ということです。真の父母が何か? 真の父母という言葉がそんなに簡単な言葉ではありません。いちばん恐ろしい言葉です。その言葉がどれほど恐ろしい言葉か分かりません。
この真の父母という言葉一言のために、歴史が左右されます。この言葉を見つけ出すために、今まで数多くの先烈たちが犠牲の道を行きました。連続的な血の闘争を経て、身悶えし、絶叫しながら希望を抱いて探し出した名前が、真の父母という聖なる名前です。
真の父母の前には、真の子女がいなければなりワせん。それで、皆さんが真の子女になりましたか? 考えてみて下さい。皆さんが真の子女ですか? 真とは、過去にも現在にも未来にも変わらないものです。(三三・一〇九)
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・ その価値は限りないP.145
神様の摂理の目的が何かというと、一つの焦点です。神様の理想が実現される場も、まさにその場です。我々が、失ってしまった父母、失ってしまった真の御父母様に会うことができる所も、まさにそこです。それで、その基台がすべての中心です。その立場、それが「真の父母」というものです。歴史上に多くの立場がありましたが、この立場が最も価値のある立場です。
それがどれほど重要なものなのか考えてみなさい。すべての成人たちがこの基台、この問題のために戦いました。神様がこれを重要に考えられ、霊界にいるすべての霊人たちも、そのように考えています。それゆえ、この地上のすべての人類も、これを重要と認識しなければなりません。
皆さんは、これの本当の価値を知ることができませんでした。これは、数千個の国土をやっても替えられません。国土ほどのダイヤモンドをやっても替えることができません。皆さんは替えることができるだろうと思いますか? 替えられないのです。アメリカ全体を神様に祭物として捧げるとしても、皆さんはそれを得ることができません。
一度考えてみましたか? 皆さんの目で直接その立場を見ることができるなら、どれほど幸福でしょうか? また、見ることができなければ、皆さんはどれほど不幸な人になるでしょうか? もう一度じっくりと考えてみなければなりません。それで、神様の目、すべての霊人たちとすべての人たちの目が、ここに焦点を合わせなければいけません。
このような観点で歴史を見るようになれば、歴史というものはないのです。歴史はこれと何の関係もありません。この立場は、堕落する以前の人間の最初の先祖のための立場であるために、これ以後にはいかなる歴史も、堕落したいかなる歴史もありえません。
そうであるなら、民主主義の終末はどのようになるでしょうか? 民主主義もこのような観点によって、真の御父母様によって認められうるということを考えてみるべきです。自らそれを判断してみなさい。国民学校の子供でも一〇〇点をもらうでしょう。笑うべきことではなく、重要な問題です。では、共産党がどのようになるでしょうか? 彼らには歴史がありません。幼子のように人生観もなく、何らの主観もありません。
ここから新しい内容が出発するでしょう。すなわち、すべての中心、すべての内容、そしてすべての結果がここから出発するでしょう。ここに参与することができる者たちが、地上の最初の勝利者になるでしょう。ここから、神様の愛を中心として、家庭を成し、サタンの主権を追い出し、この地上に新しい天国を建設するために、出発することができます。また、ここから歴史の実が結ばれるようになるでしょう。この立場が全世界の中心点です。
この位置が未来のための出発点になるでしょう。ここから過去の歴史の完成が成されるであろうし、現在の歴史の完成が保全されるであろうし、未来世界の完成が始まるでしょう。この点、この位置をつかむことができるなら、皆さんは一人の人間としてすべてを征服した征服者になることができます。そうであるようですか?(はい)。
では、価値がどれほど大きいでしょうか? それがどれほど素晴らしいもので、皆さんがそれをどれほど愛し、どれほど讃え、どれほど尊重し、また、どれほど好むようになるでしょう? この位置は、最高に高い位置になるべきであり、歴史において最高の高い位置に置かれなければいけません。そのすべての偉大な人たち、彼らがいくら偉大だとしても、これには比較されえません。皆さんがこれを見るようになれば、間違いなく嬉しくて感激するでしょう。
皆さんが眠る間に、夢の中で踊りを踊ったことがありますか? 皆さんがこの場、この位置を思うようになれば、その度に皆さんがそのような感情を持つようになって、眠りながらでも踊りを踊ることができるようになります。皆さんは他のどんな位置よりも、皆さんの生命や、他のいかなるものよりも、この位置に心がもっと引かれるべきです。再び見たがり、共に暮らしたがり、これなくしては生きられないというそのような感情を持つべきです。説明を聞いたから、真の父母がどれほど貴重かということを理解したでしょう。(五二・九五)
父母になるには、天地が和答(互いに応じて答えること)しなければなりません。天上世界に行って神様に勝ってこなければなりません。何のことか分かりますか? アダムが神様が違うというのを「イエス」と言って、事実を中心として事実を事実でないことにしたから、事実でないことを事実として肯定させられることをしなくては、本然的基準に入れないのです。
天地間に真の父母になるためのこのような内容を、実体的に解決しうるその内容が、天地を明らかにするのであり、すべての歴史的な曲折を解放させるのであり、神様の心中に打ち込まれている釘を抜くのです。神様が願う愛の解放は、このような息子娘を抱いて愛しながら、喜び、踊り、笑うことです。すべて全部が歓喜に満ちて、千年万年その喊声が、被造万物から全天地にいっぱいにならなければならないのではないですか?
否定する過去に、肯定的提示を持たずしては、地上に来られないのです。どれほど深刻ですか? 天上世界で孔子と釈迦とイエスが集まって、このような試験をするのです。それを皆押さえつけてしまい、神様の前に来て、談判するのです。
神様の創造理想には、言葉で言えない心情があります。このみ旨をアダムが完成期に自ら悟って、悪魔を屈服させなければならないのです。解放の主権者にならなければなりません。万国の統治者であり、万の救いの主人であり、万の兄弟の長男権を備えうる人がアダムなのです。
サタン世界が反対することとして、四〇日間霊界が混乱の中に陥るのです。そこでは、神様が審判官であるために、神様から正義の判定を受けなければなりません。そこで文総裁の勝利の判決を受けて、地上に来るのです。(二一五・八六)
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・ 感謝すべき我々P.149
神様に対する感謝をどのように捧げることができるか。真の父母に対する感謝をどのように捧げることができるか。我々の教会に対する感謝をどのように捧げることができるか。皆さんを再創造してくれたことに感謝をどのように捧げることができるか。
私が経てきた後には、真の家庭が現れるのです。一段階もっと進めば、真の氏族が現れ、一段階もっと進めば、真の国家が現れるのです。一段階もっと進めば?(真の世界です!) 一段階もっと進めば?(真の宇宙です)。 一段階もっと進めば?(真の天宙です)。一段階もっと進めば?(神様です)。神様、これが我々の最終目標なのです。
それで、我々がどのように神様を解放しますか? 既成教会がそれを考えてみましたか? 彼らが我々の生命をどのように救いますか? だめです。だめなのです。我々の目的とする基準とは違うのです。我々は、もっと高い基準、「私の手でどのように神様を解放しうるか?」という基準に進むのです。
人間は、堕落した以後にサタンの血統を受け継ぎました。これが問題です。数千万代を経て、神様の血統でないサタンの血統を受け継いだのです。それで、どのようにこのサタンの血統を清算するのか? アダムとエバが堕落した以後に受け継いだ汚い血統を、どのように清算するのかというのです。
そのような内容を清算するために、真の愛、真の生命、真の血統を中心として現れられた方が真の父母です。サタンの血統を肥料にして、生命を育ててきたのです。しかし、新しい復活の時代には体が神様の愛と生命と血統を中心として、真の愛を肥やしにして育ててきたのです。そうしながら、一方は消え、一方は繁栄してくるのです。分かりますか? ここから神様が共におられ、サタンとは永遠に離別するのです。
神様の心の中に苦痛があるとは、誰も思わないのです。歴史上に現れ、今ここに先生を通じて現れ、その深い使命を明らかにしたから分かるのであって、そうでなければ分からないのです。そうではないですか? どれほど驚くべき事実かというのです。イエス様もそれを知らず、分かったとしても心にあることを言うことができなかったのです。また、宗教指導者のうち、誰もそのように隠された宇宙の秘密が分かりませんでした。歴史上初めて、世界の前に先生が現れ、宇宙の秘密が明らかにされたのです。分かりますか?
ここに座っている人たちは、理解するでしょう。この地球上にどれほどものすごい結果が現れたかということです。サタン世界が今までいくら強かったとしても、レバレンド・ムーンは皆消化するのです。問題がないというのです。分かりますか?
今から個人的基盤でなく、国家的基盤に方向を変えなければならないのです。分かりますか? 国家的基盤のことです。一国家の指導者も、過去を悔い改めれて振り返れば、神様が許されるのです。それは神様の新しい伝統に属するのであり、新しい血統を意味するのです。そうでなくてはサタンを分立することができないのです。分かりますか? それはまた、統一教会の祝福式以前にある血統転換式を意味するのです。
皆さんは、そのような礼式に参加したでしょう? 自信感を持ちなさい。自分自身は神様の真の愛と真の生命と真の血統を受けた人であり、その中心はお父様であるのです。真の御父母様は韓国人ではなく、皆さんの父であり、その父の真の愛、真の生命、真の血統を中心として横的につながっているのです。分かりますか? 天地創造のときに堕落しながら、その三人が堕落世界の汚いものとつながりました。
しかし、今は、神様の真の愛、真の生命、真の血統を中心として、横的につながっているのです。これは一八〇度転換したのです。サタン側とつながったアメリカや、この世界には、希望をかけるなというのです。分かりますか? 全世界の人類が、初めから最も邪悪なサタン側の父母についていったのです。しかし、今は初めてその方向が一八〇度転換したのです。分かりますか? そこは、始まりの点ですが〇点です、〇点。そこには意味も、存在も、観念も、伝統も、文化もないのです。これが再創造です。
神様が、初めにすべての環境的なものを創造されてから、土と水と空気で一つにして人間を創ったと言ったでしょう? そのとき人間はなんらの観念もなかったのです。分かりますか? 〇点なのです、〇点。ここにのサタンの伝統から一八〇度振り返るのです。
機関車が方向を変える所があるじゃないですか? 人や貨物を積んで一八〇度方向を変える、そのような〇点です。許しがなければ出発もできず、ブレーキもかけられないのです。振り返ればまさに〇点です。一八〇度振り返るのでしょう。「私は日本人だ! 私はアメリカ人だ! 私はハーバード大学卒業だ!」そのようなことは役に立たないのです。〇点です、〇点。観念もなく、伝統もなく、汚い影響を及ぼす文化背景もないのです。神様は、そのようなものを願われないのです。
一八〇度振り返って生まれ変わるのです。分かりますか? 生まれ変わること?(はい)。生まれ変わるということは、再び生まれるということです。その最初が父母です、国ではなく。その次は、兄弟です。では三番目は何ですか? 夫婦、夫と妻なのです。四番目は?(子女です)。それが問題なのです。
神様は、三世代を願われるのに、この三世代を持てませんでした。一代は神様、二代はアダムとエバ、三代は? 今まで持てなかったのです。今まで神様を中心として、人類が繁栄できず、ただサタンに属すようになったのです。そのサタンは愛の怨讐です。分かりますか?
どのようにこの血統を清算することができるか?「私」は日本人でもなく、どの国の人でもない、神様の民として生まれたのです。何を中心として? 神様の愛、神様の生命、神様の血筋、この三つの根源が標準なのです。
ですから、感謝するのに、何を感謝するのか? 豊かに暮らすのを感謝するのではありません。十字架についたことを感謝すべきなのです。戦争で負けた敗残兵が倒れ、血を流し、腐って臭いがしているなら、それを誰が葬りますか? それを埋める人が誰ですか? 誰が埋めてやるでしょう? 誰が敗残兵を教育して再び正規軍にするでしょう? また、食べるものがなければ、その人たちをどのようにするでしょう? ただ殺してしまうのですか?(違います)。勝てば皆良いと思ったのに、もっと大きな十字架を背負うようになるのです。それを皆解決してから、それを再び建設した次にこそ、自分の時が来ることを知るべきなのです。自分が新しい家庭を立て、新しい国家を立て、新しい世界を立てたあとにこそ、自分が幸福に暮らすことができるのです。分かりますか?
いくらそれが難しいといっても、永遠の世界、本故郷に汽車のレールがあるなら、このレールとこの地に暮らすレールと同じでなければなりません。霊界に入るレールと同様に、同じでなければなりません。皆さんはどうですか? 現在自分が暮らしているレールが、霊界のレールと同じだと思いますか? 自信がありますか? ただそのまま神様の前に走っていけますか? そのレールを同じようにするために、真の父母が必要なのです。分かりますか?(二一五・一七一)
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・ 真の父母との因縁は宿命的な業P.152
我々人間は、百パーセント愚かな立場に立っていますが、百パーセント以上知恵深い神様が友達になり、無限の霊界の先祖たちが、自分の同伴者になり、後援部隊になっています。そのようなことを考えるとき、ありがたいのです。自分は一線で冒険の場、ゴリアテの前にダビデが立ち上がるときのその気分が本当よくに分かります。神様が保護されて、百戦百勝することができるのです。「打てばおまえが破れ裂けるのであって、私が破れ裂けない!」という心を持って暮らしてみたら、本当にそのようになったというのです。
神様が私をこのように育てたのと同様に、私も皆さんをそのように育てるべき責任があります。それゆえ、皆さんが智者にならなければならない、という宿命的な課業を相続しなければならないというのです。因縁的な課業ではありません。何の課業ですって?(宿命的な課業です)。宿命的です。
真の父母と真の父母の子供ということは、永遠不変の宿命的な業です。これを誰も分けることができないのです。千年万年その道を行かなければなりません。行くべき道は二つの道ではなく、一つです。他の方法がありません。秘法がありません。その道を行かなければなりません。(二〇三・一九二)
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・ 責任を持つべき我々P.153
霊界に行き、一二の真珠門を経ていくためには、どのようにすべきか? 地上でどれほど天の民をサタンから探して回って入ってくるかというのが問題です。
そうするためには、涙と血と汗を流さなければなりません。再創造の真の愛の心情を中心として、サタンの父母以上、サタンの夫、妻、息子娘以上の心情を投入して、涙とともに、血と汗とともに交差するその過程を経ずしては、天国の自分の民を所有することができません。この数の比例に従って、あの国の栄光の位置に、神様の前に近く行くすべての条件の成立がより分けられるということを知るべきです。
文総裁は、一生を経て、国だけでなく世界を…。なぜ? 霊界に行っている人たちまでも、全部真の父母の恵沢を受けるべきです。ダンベリーの監獄に行き、二月一日、地獄と天の門を開く式をしました。それを開門するすべてのことを準備しなければいけません。ですから監獄も行かなければならないのです。
このように、千辛万苦恨の峠を越えに越えなければならず、大洋が広いといえばそれを泳いで渡っていくのと同様に、山が高いといえば、裸足でも白雪が積もっているヒマラヤ山頂を越えなければなりません。そのように、歴史の悲惨、それ自体を越え、すべての勝利の覇権的基盤を立てたという事実が驚くべきことです。悪魔自体がついて来ようとしても、ついて来れなくて、離れまいとしても、離れざるをえない受難の道を経てきたということを知るべきです。
自分の家、自分の息子娘が厳粛な場にいるのです。第二の神様です。おじいさん、おばあさんは、昔を代表した神様に代わり、お父さん、お母さんは、この時代を代表し、息子娘は未来を代表したのです。この三時代を過去、現在、未来の神様の顕現者として侍るすべを知るべきです。息子娘をたぶらかし、妻をたぶらかし、夫をたぶらかし、父母をたぶらかす人は、地獄に行くのです。為の愛、生命までも投入して忘れることができる真の愛の核を中心として、家庭と国家と天地がつながるようになっているのであって、それ以外にはありません。
そのような核を通じた心情的内容を持って、天国の民をどれほど復帰するかという問題が、今日私の国の統一の解決の秘訣です。他の所へ行って、今日の私の国の統一と同様に、その国を同じ立場に立って、あらゆる精誠を尽くし、どの国にも負けないよう、まず天の前に奉献しなければなりません。
旧約時代は物、新約時代は息子娘、成約時代は自分の夫婦、その次には神様です。堕落で神様を地上に迎えておけず、サタンを迎えておいて、神様と離別したから、今は神様を迎えておいて、全部つなげなければなりません。
それゆえ、皆さんの物は皆さんのものではありません。物は、旧約時代に該当するのであり、息子娘は新約時代に該当するのです。旧約時代には、物を犠牲にして、息子娘の行くべき道を築くためのものです。そして、来られる再臨主、真の父母がこの地に来て苦労することは、神様をこの地に迎えるためなのです。しかし、サタンを地に迎えたので、これが地獄です。神様を迎えなければなりません。これは真の愛でしなければなりません。
再創造は、投入して投入して忘れた、真の愛の起源を通じて、神様を迎えることができる物質と子女と自分の実体全部を結託させて、このすべてが、真の愛とつながった神様のものであるという言葉が設定された以後に、再び分配されて、子女の所有時代につながるのです。父母の所有、子女の所有時代に分配されるのです。(二一一・三五二)
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五)我々のすべきことP.155
・ 我々の責任
復帰の道を行く皆さんは、個々人ですが、皆さん個人だけが行く道でないということを知るべきです。いつも復帰の道を行く皆さんは、真の父母に代わって行く自分であるということを肝に銘じなければなりません。そうでなくては、氏族的、民族的、あるいは国家的な真の父母の勝利の基盤を備えることができないのです。
皆さんが正しく真の父母に代わって行くためには、真の父母は世界的な霊的勝利の基準を立てるために行くならば、皆さんは国家的勝利の基準を立てるために行かなければならないということをはっきり知るべきです。霊的には真の父母の勝利の基準が立てられたので、地上に真の父母の勝利の基?眞―튠紐瞑?푸묫А▦岡뎁嗟и퇴彧辯懇葺非叱튠Ø紐瞑?#30495;の父母の責任を代行しているのです。
これを他の面で説明すれば、皆さんが民族的な基準を越えて、世界的な基準に向かって行くなら、来られる真の父母は霊的に天宙的な勝利の基準を立てなければならないのです。真の父母の因縁を持って来られる主は、我々が背負っていくべき十字架を霊的に開拓し、実体的に勝利され、すべてに責任を持っていかなければいけないのです。これが父母復帰の難しさであることを、皆さんは知るべきです。
では、今日、天と地と人間を振り返るようになるとき、天がある一時、勝利の真の父母に侍ったか? まだ侍られませんでした。地が侍ったか? まだ侍れませんでした。人間が侍ったか? まだ侍れませんでした。その途上にいるのです。
では、真の父母だけ侍ればいいのか? そうではありません。真の父母に侍った次には、真なる家庭、氏族、民族、国家、世界を復帰しなければなりません。これのために準備したのがイスラエル民族でした。
真の父母の前に真の子女として立つためには、子女の個人的な復帰路程があるのあり、子女の家庭的な復帰路程があるのであり、子女の氏族的な復帰路程があるのであり、子女の民族的な復帰路程があるのであり、子女の国家的な復帰路程があるのです。父母の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程と、子女の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程を完結し、父母と子女が一体となり、勝利したという基準を立てておいてこそ、初めて民族復帰を終結して、世界的な舞台に向かって新しく出発することができるのです。
では、今日統一教会の使命は何であり、統一教会に入教した皆さんは、どんな立場にいるか? 先生を中心としたこの統一教会に呼ばれてきた皆さんは、悲痛な六千年の縦的歴史を横的に、実体的に展開しなければならない立場にいるのです。
我々は、今、何の決心をすべきか? 我々が行くべき目標はどこか? 世界的な基盤の上に真の父母の国を立てなければならないのです。世界的な真の父母の国を立てなければならないのです。この世界に未だ悲しみと苦痛と涙が残っているのに、これらを我々が一日も早く清算しなければなりません。これが今日統一教会が担っている責任であり、使命であるということを、我々は知るべきです。
それゆえ、皆さんは、今行くべき道に立ち上がったので、イスラエル民族がカナンに向かって行ったときと同様に、後ろを振り返ってはいけないのです。心でもそうすべきであり、体でもそうすべきなのです。
今我々が抱くべき希望が何か? 天に代わってこの地に来られる真の御父母様に、本当に侍ることを希望しなければなりません。侍るには勝利の基盤がなされた後に、万民が仰ぎ見、万民が恭敬するようになった位置で侍るのを願ってはいけないのです。悲しい歴史を経られる真の父母に侍るのを願わなければならないのです。
悲しい歴史を経てきた真の父母に侍れないことを、先祖たちは恨として考えているのです。真の父母に本当に侍ることを、すべての人類が希望するのです。それゆえ、栄光の場で侍ろうとするより、悲惨な場で侍る真の孝子、真の孝女にならなければなりません。
そのような真の孝子、真の孝女になるためには、難しい場、失望しうる場、悲惨で悲鳴を上げうる場に立っても「天よ、私を導かれる天よ、真の御父母様はイエス様よりももっと苦難の十字架の道を行かれるので、父母に侍る私としてはどのように加重された十字架を背負うようになっても当然です。私はそれを讃えますので、天は私によって心配しないでください」と言うことができなければなりません。自分に及ぼされる心配と苦痛と悲しみを天の前に背負わせないで、自ら蕩減していく術を知る人にならなければならないのです。それでこそ、個人的な基準で個人的な父母の勝利の因縁を接ぎ木することができるのです。
現在我々統一教会は、祝福家庭たちが韓国の至る所に広がっています。なぜ祝福家庭たちを韓国の至る所に広げておいたか? 天は韓国民族と韓半島を中心として摂理され、真の父母はこの韓国民族、韓半島のに来られるのです。そして、来られる真の御父母様を、韓半島が、すべての村々が、谷から谷が、山野はもちろんであり、全部が侍りたがるのです。それは、真の父母に侍ることが歴史的な願いであるためです。
それゆえ、子女の立場で個人的な蕩減基準を立て、家庭的な蕩減基準を立て、真の父母の身代わりとして、その村と部落が、後悔なく侍りたがることのできる、真の父母の実体の身代わりが行かなければならないのです。来られる真の父母は、もちろん中心の位置におられ、霊的に全部と関係を結ばれますが、実体は一つであるので、全体に対することができないのです。それで真の父母の実体に代わって、万民に対する立場に立てられたのが祝福家庭たちであるのです。
真の父母には、この民族を越えて世界的な十字架を背負って行くべき責任があります。それゆえ、民族的な十字架は地方に広がっている、真の子女の立場にある祝福家庭たちが背負って行かなければならないのです。祝福家庭全体が一つの氏族的な基盤、民族的な基盤になってこそ、天の役事はこの民族を中心として勝利の峠を越えることができるのです。(一三・二八八)
父母様を愛して、本然の愛の基準を中心として、サタンを分別して責任分担、世界完成基準を越えなければなりません。(一三七・一一七)
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・ 我々の使命P.158
これから我々がすべきことは、真の父母に侍ることができる基盤を築き、その方の前に世界の兄弟を糾合することです。また、このような責任を背負った先祖たちとして、後孫たちが背負う十字架と迫害の道をなくしてやろうということです。これが我々の本然の使命なのです。
神様が人類世界に統一された父母の位置、アベル的世界とカイン的世界が互いに一つになった基盤の上に立って初めて、万有の主人公として、父母として登場することができるのです。
今日この地上に暮らしているすべての人たちは、今まで父母がなく暮らしている子供たちと同じです。そうして、戦っています。それゆえ、神様は父母の立場で現れて、初めて彼らを教育して「おまえと今戦っているあの人が誰かというとおまえの兄であり、おまえの弟だ」ということを教えてやらなければならないのです。それは、神様以外には分からないのです。
悪なる父母によって、真なる理想的父母が去ってしまい、理想的子女の因縁を失った基盤で、サタンのいけにえになったために、理想的な父母が出てこなければならず、理想的な子女の教育を天が再びしてやることができる時にならなければならず、そのような使命を受け継ぐ一つの宗教が出てこなければなりません。そのような宗教が統一教会であるということを知るべきなのです。
それで、統一教会では何を誇るか? 真の父母の歴史を誇るのです。(拍手) その次には、真なる子女が結束しなければなりません。真の父母といえば、自分の一族だけ愛するのではなく、世界的であり、宇宙的でなければなければなりません。真の子女とは何かというと「私はアメリカの国民しか知らない」という者ではないのです。
皆さんは何ですか? そうであってはいけないのです。ここでは民族感情を超越しなければなりません。民族感情を超越しなければならないのです。誰の名で?(神様の名で!) 神様の名で。堕落は誰の名で?(サタンの名で) 。サタンの名で。我々は神様の名で堕落線以上をジャンプして上がらなければなりません。そうして、アダムの頭の上にいた神様と同じく、我々の頭の上に神様がいて、その方が直接指揮しなければなりません。
それゆえ、堕落しなかった真の父母と神様を中心として、真なる血肉を世界的に糾合して新しい世界に編成していくのが統一教会の道です。そうすれば、一家庭が氏族になるのであり、氏族が民族になるのであり、民族が国家を成して世界を制覇するでしょう。
堕落した世界が、このように落ちるようになったのを、我々は新しく出発して上がっていかなければなりません。このようになった世界と、このようになった世界的基準で、接触する接線地を逆さまにひっくり返しておく一時がなければなりません。その中間線に接続する時が、どんな時かというのです。皆さんは、それを知らなければならないのです。(八六・二三〇)
現在我々統一教会は、真の父母がいますが、その真の父母は、どんな立場の真の父母ですか? 統一教会の中で真の父母であって、国を越えず、世界を越えなかったことを知るべきなのです。ですから、国家、世界のサタンが残っているために、まだにらみつけているのです。分かりますか?
それで、我々統一教会は、教会に真の父母を迎えることを、国家と世界と霊界まで拡大させる運動をするのです。これが今日、統一教会の運動であるということを知るべきなのです。今、時が近づいてきているのです。国家統一教会、国家ペアレンツ(parents)として迎えうる環境が、今近づいてきているのです。(一二四・三〇九)
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六)生命視すべきことP.160
・ 自己主張不可
皆さんたちが持ったものは、銀舎利は銀舎利ですが、砂の中に入っている銀舎利、何かの鉱石や土の中に入っている銀舎利なので、それらを全部溶鉱炉に放り込んで、溶かしてしまわなければなりません。焼き出さなければなりません。それがコースです。オリジナル・コース(original course;本来の過程)、ノーマル・コース(normal course;標準の過程)です。では、そのときに体が溶けて水になってなくなるのに「ああ、いい」と言いますか、「ああ、私は死ぬ。私は死ぬ」と言い一大事が起こりますか? それは、皆死ぬと言っても銀舎利は死なないのです。
皆さんはピュアリティー(purity;純粋)が多いですか、インピュア(impur;純粋でない)が多いですか? どちらが多いですか?(インピュア)。では、どちらが主体ですか? ピュアが主体ですか、インピュアが主体ですか?(ピュア)。皆さんが皆ピュアなら、心配しなくてもいいです。
皆さんが、一〇〇パーセントピュアになるには、九八パーセントまでは否定しなければいけないということを知るべきです。我々のものは二パーセントにしかならないのです。どちらを歓迎しますか? どちらを取るべきですか? これを取るべきですか、これを取るべきですか?(板書されたものを差されながら語られる) どれほど悲惨ですか? その言葉は何かというと、女より男の段階がもっと早いのですか? それがそのようになっているのです。
どれほど悲惨か考えてみなさい。ムーニーの生活が悲惨か、幸福か?(幸福です)。(笑い) では、ムーニーのセンターであるレバレンド・ムーンは幸福なのですか、悲惨なのですか? 初めは不幸でも、後には幸福だというそのような希望を持っているのです。(拍手)
迫害すれば「溶鉱炉に入る。私がまだでき上がっていないからこうだ。」このように考えるのです。迫害が来るなら来いというのです。迫害できるならしろというのです。純金になるまで、溶鉱炉に入っているのを願うのです。それが早く純金になる方法です。
アメリカでレバレンド・ムーンに反対するのに、世界の溶鉱炉にレバレンド・ムーンを放り込むならそれはどうですか? 一〇〇名を放り込んだのに、一〇〇名が出てきたというときは「あっ!」と言って驚くでしょう。(拍手)全アメリカが即座に木っ端微塵になるのです。全部木っ端微塵です。どうですか?(その通りです)。アメリカ国民は、気分がどうですか?「ううっ」と言うでしょう。(笑い) 敗北するしかないのです。
ですが、レバレンド・ムーンはどうですか? レバレンド・ムーンは勝利するのです。レバレンド・ムーンは勝利して、アメリカは敗北するでしょう。そうなれば、アメリカがどれほど悲惨でしょうか? そしてレバレンド・ムーンは、どれほど素晴らしいでしょう?(笑い) そこには異議がないのです。そこには反対する人がいないのです。
何を持ってそのようになったのか?「ああ、愛だったのだなあ!」と言うときは「ああ、私が今までは奥部屋暮らし(本妻が妾に実権を奪われること)だったけれど、これからは同参できる」と言うのです。どうですか? その概念がどうですか?(グレイト(great;素晴らしいです)!)
それゆえ、九八パーセントを捨てて一〇〇パーセント純粋なゴールドになるための道を行く人は、我慢するのがどれほど大きくなければならないでしょうか? 苦痛がどれほどひどいでしょうか? それでも行くべきだという信念を持って行かなければなりません。
世の中の人たちが、一〇〇パーセント純金だと鑑定したのに、神様がピンセットでつまんで鑑定するとき、一〇〇パーセントになるのかというのが問題です。それが心配です。神様が純金だという一〇〇パーセントと、私が純金だという一〇〇パーセントを比較するとき、私が一〇〇パーセントだと主張するのがもっと大きければいいのですが、どうですか? 私は、私が主張するのがもっと大きくあってほしいと願います。そうするには、自分を主張する不純分子が一つでもあってはいけません。では、神様は自分を主張しないのかというのです。神様も自分を主張するのです。神様も自分を主張しうる素の性質があるのです。
自分がもっと純粋になるためには、自分を主張するのが一つでもあってはいけません。そうなれば、自分が一〇〇パーセント純金になり、神様が鑑定する純金以上の位置に行くのです。そのように考えられるのです。どうですか? 自分を主張する心が、自分がセンターだと思う心が、永遠に何もないというときは、一〇〇パーセント以上純粋なものになることができます。
では、純金は何か? 不純な要素が一つも介入しない、ただそのままの姿を言うのです。ですから、完全に自分がない、百年、千年愛に酔って暮らす人たちがいる国は、愛においてピュア・ゴールド(pure gold;純金) の中の標準になることができます。その概念はどうですか? 最も素晴らしいではないですか? そのような愛の所有者は、偉大な女王や王子と同じです。それはどうですか?(立派です)。私は、皆さんにそのような妻、そのような夫になれというのです。そうなれば、皆さんはどれほど素晴らしいですか?
そうして、純金になったのに、神様が必要ですか? 神様がその中に既にいるのです。必要とする必要がないのです。それゆえ、皆さんはそのような人にならなければなりません。(一二八・二〇六)
皆さんは本当の純金ですか、偽物ですか? 偽物です。では、私は何ですか、私は? みなさんが本当なら、私は何ですか?(笑い) それで、皆さんが本当なら、私は偽物ということではないですか?(笑い) そのときは、我々は本物です! そう言うのですよ。ただ「本当です」と言うようになれば、困るのです。
統一教会では、私が最高の位置ではないですか? そうでしょう?(笑い) {当という言葉を付けるなら、私から先に付けるべきであって、皆さんから付けるべきかというのです。言葉について言うならば、正しい言葉は「我々も本当です!」それはいいのです。ただ本当だと言うと、それは失礼です。
私が皆さんを見るようになるとき、本当ではありません。皆さん三、四人、四、五人を合わせてぶん殴って、再び作り出せば本当になるか、このように見るのです。私が売る本当の市場、本当の商店に皆さんをそのまま置いて、本当だと言いながら売れないのです。売り出すことができないのです。分かりますか? そのように見るのです。ですから、鍛錬と試練、製錬の過程がまだたくさん残っていると見るのです。
「おまえたちは純金か?」というとき、私は純金だと見ません。まだ錬磨を受けるべき宿題の過程が残っているから、嫌でも良くても製錬所に全部突っ込まなければなりません。突っ込んで悪いものは焼いてしまい、純粋なもの、一つの結晶体として連合したもの、表も中も間違いない一つに現れうるその形態を備える前には、統一教会員だと言えません。(一三八・二〇〇)
我々には、自分を調整するための調整装置、調整する期間、調整する時が、調整する時間が必要なのです。標準の時計があるでしょう? 標準の時計のように合わせておかなければなりません。はかりもですね、標準のはかりがあります。一つあるのです。それは世界に一つあるのです。メートルならメートルの原器というものは、二つでなく一つです。二つですか、一つですか? 一つです。一つなのです。
では、本来は人間の調整の基準があるか、ないか? ある! ある! では、人間のその絶対基準と、現在勝手になった自分の基準がゼロ点フ調整で自然に合う自分ですか、「無理やり的」にでも合わない自分ですか? 無理やり的に合わせても合わないのです。「無理やり的」という言葉は、ありませんが表現しようとするので…。それでも、聞き分けはするのです。
このような自分が本来の原器、メートルならメートル原器のように、自分を認めてくれというのです。それでは、それを認めてくれる人が狂った奴でしょう。そのような奴は、殴って捕まえなければなりません。神様が、「おい、こいつ! おまえは顔つきがそうなのに認めるか? 否定して殴って捕まえなければならないのに、同情して協力しろ?」と言うのです。
今日、祝福家庭という群、家庭ではないか!「家庭」と言いながら、家庭という名詞は尊重して、家庭の内容は無視する輩が多いのです。(一二七・二〇三)
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・ 一つになるべしP.165
皆さんは、真の父母の心情的な内容をどれほど知っていますか? また、血統問題、人格問題、み言の問題、生活の問題、そして国家観、世界観、天宙観が、真の父母とどれほど一つになっていますか? これは、皆さんが本当の意味で神様の真の息子娘になりうるかという問題を決定づける母体になるのです。分かりますか?(はい)。
皆さん自体だけ持っては不安なために、どのように皆さんを真の父母とつなげるかというのが問題です。根源がなければいけません。すなわち、その核心がなくてはいけないのです。(二八・二四九)
真の父母が何かというと、皆さんの父母の代わりです。本来の父母が真の父母です。皆さんの父母と皆さんは、一つになければなりません。では、おじいさんは誰ですか? 神様です。神様。神様の命令には、真の父母も勝手にできません。父母は自分の息子娘をおじいさんが願う道に連れていかなければなりません。それが父母が行く道です。
真の父母が復帰の道を行ったら、皆さんも復帰の道を行かざるをえないのです。最小限度の責任分担五パーセントを完遂しなければなりません。分かりますか、何のことか?(はい)。それを知るべきなのです。皆さんの妻を愛する以上、父母を愛する以上、神様を愛さなければなりません。皆さんの息子娘を愛する以上、神様を愛せということです。それを基盤として、世界に拡大するのが、統一教会の理想世界です。本然の世界です。それを知るべきです。はっきり分かりましたか?(はい)。(一二八・三一)
先生は、もう一次アダムの根、二次アダムの根を皆持っています。それゆえ、皆さんは第一アダムと第二アダム、第三アダムを接ぎ木さえすれば、すべて終わるのです。分かりますか、何のことか? 根が一つです、根が。
それで愛と、何ですって? 三つが何ですか? 愛、生命、その次には何ですか? 血統です。縦横の神様の愛が生命の交流をすることによって、血統が生まれたのです。
それゆえ、皆さんは、誰よりも先生を愛さなければなりません。誰よりも真の父母と一つになければなりません。真なる愛を中心とした血統であるために、そこには相続権があり、同位権があり、同参権があるのです。分かりますか? それでサタンが接近することができないのです。(一八九・二二三)
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・ 真の父母を愛すべしP.166
真の父母がどれほど多くの愛を受けているか? それを一度考えてみましたか? 神様が死んだということに対して、誰でも抗弁する人がいたら、彼は真の父母を神様が愛する以上に愛するでしょう。
もし皆さんが、このような人に会うことができるようにしてくれ、と神様に祈るなら、それで皆さんがこのような人に会って、真の父母を愛するようになるなら、神様も喜ばれるでしょう。その人がいちばん賢い人なら、皆さんがそのように思うなら、皆さんは霊界にいる霊人たちに絶対に負けません。皆さんが真の父母を愛するなら、絶対に負けません。もし、皆さんが霊人たちに、「私は真の父母をこれほど愛するのに、皆さん霊人たちは何をしましたか?」と言いながら、彼らを讒訴することができるなら、皆さんがいちばんの金持ちになるでしょう。
もし、真の父母を互いにもっと愛すると食口たちの間にけんかが起きるようになれば、神様がそのけんかをご覧になって何と言うでしょう?(笑い) そのようにけんかして、もし一人が死ぬようになれば、神様がどのように審判するでしょう? 皆さんが考えてみなさい。神様がかれを絞首台に引っ張って行かれるでしょうか? 疑いもなしに、神様はその二人を呼んで、彼らを真の父母を愛するモデルとして立てられ、他の人たちにも彼らが愛したように真の父母を愛せと言われるでしょう。これがまさに基準です。すなわち、神様と霊人、すべての人たちは、真の父母を注視しなければならないのです。今、我々は我々の生活の中で、これを考えなければなりません。
先生が言うことが事実なら、その問題は重要です。皆さんは、その基準からどれほどかけ離れていますか? 今からでも我々はこれのために祈らなければなりません。
真の父母に従うすべての人たちは、涙なしには行くことができません。それゆえ、我々の表情が明るくなりえません。我々は為に生きなければなりません。そして、たとえ我々が最善を尽くすとしても、我々は天に対して申し訳ない心を持つべきです。我々の行動がどうでなければならないかを皆さんが想像できるだろうと思います。(五二・九七)
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・ 真の父母に侍るべしP.167
皆さんが荒野路程を歩み、ヨルダン川を越えたとしても、カナン七族と戦う途上で倒れれば、それは勝利の死になれないのです。カナン七族を屈服させておいて、そこに新しい国イスラエルを立てておいてこそ、神様の前に立てられる本然の人になるのです。そうでなければ、楽園にとどまるのと同じなのです。天国に入ることができないのです。(一三・二九八)
我々が知っている真の父母は何か? 人間の先祖です、人間の先祖。ですから、真の父母に自分の父母のように侍らなければならないのです。(一一八・一四七)
事実、父母様に三年以上侍らなければならないのです。父母様に三年以上侍るには、家庭が侍り、その次には国家が侍り、世界が侍らなければならないのです。事実はそうでなければならないのです。そうであってこそ、世界復帰圏まで出ていくようになるのです。
三数を中心として見るとき、三年以上を侍らなければいけないのです。それゆえ、三年間は父母様を中心として、ご飯も一緒に食べて、共に相談しながら、共に暮らさなければならないのが原則です。皆さんの家がそうでなければならないのです。父母に侍って暮らす家庭として、平和で幸福で、言葉を話しても良い言葉だけ話し、互いが喜びながら暮らす三年の期間がなければらないのです。(四四・一七〇)
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・ 従順であるべしP.168
本来、神様の名を持ってきた父母の前に、子供は絶対服従しなければなりません。そこには異議がないのです。これは、強制で言うのではありません。愛を中心として、そうすることができるよう、環境を作るのです。
妻は夫を愛し、夫は妻を愛すのです。愛を中心とした父母になり、愛する子女を自然、絶対屈服させうる環境を率いていってこそ、天国基盤が崩れないのです。(一〇一・二八三)
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・ 伝統を受け継ぐべしP.168
今まで人類はですね、人間がどのようになるかを知りませんでした。自分がどのようになるかを知りませんでした。歴史を知らなかったのです。今現在がどこで何になるかを知りませんでした。これからどのようになるのか、目的を知らなかったのです。
それがなぜそうなのか? 真なる父母、先祖を持てなかったためです。ですが、我々は真の父母に侍ることによって、「ああ、私は歴史が分かった、神様と私と、どうだという歴史が分かった」というのです。また、現在が分かったというのです。未来が分かったというのです。分かっただけでなく、そのような伝統を受け継ぐことができるというのです。歴史に勝ち、未来に勝ちうる伝統を今自分が持つことができるというのです。
誰から? なぜ? 真の父母に会ったためです。真の父母が教えてくれることを、その方がすることに自分がついていって、その方が願うことを自分が願う、これを受け継ぐのです。それを引き継ぐのです。(七一・二一)
今まで、この宇宙には父母がいませんでした。父母というのが悪なる父母、子供を利用して、滅ぼす父母です、全部皆。そうすることによって、何が壊れたか? 完全な兄弟が壊れていったのです。その次には、完全な新郎新婦が壊れていきました。その次には、完全な父母が壊れていきました。それで、善なる子供を持てませんでした。結局は、家庭を失ってしまったという話です。その家庭は、宇宙史的な代表です。世界を代表し、天国を代表し、国を代表し、家庭全体を代表した家庭でした。
そのセントラル・ポイント(central point:中心点) を神様は探そうとされるのです。人類歴史もそれを探してくるのです。今日の人類、現在生きている人たちも、この中心に連結されなければなりません。言い換えれば、神様と人間が願う共同目的がこれ一つであり、過去、現在、未来が結束しうる道は、ここしかないのです。
では、それを誰がすべきか? アダム・エバがすべきことを、真の父母がしなければならないのです。それゆえ、今皆さんが持つべきものは、サタンが持てなかったものとして、悪なる世界にはない兄弟中の兄弟、サタン世界にはない兄弟を持たなければなりません。皆さんはそうでなければなりません。それは、二〇代、結婚する前までなのです。そのような伝統を皆さんが残さなければなりません。
皆さんの息子娘の前に、このように暮らさなければならない、という伝統を残さなければなりません。皆さんがこのように各国に行き、骨の折れる戦いをして暮らすことは、これから皆さんが後孫の前に伝統を残すための、「我々はこのように難しい中で働いた」と息子たちに教育することができ、遺言を残すことができる伝統的資料を収拾する立派な、一度しかない期間であることを知るべきです。それゆえ、伝統が問題です。これは、変更することができないのです。永遠の伝統です、永遠な伝統。
我々は世界を超越する人たちなので、白人と黒人が一兄弟にならなければなりません。それが何かというと、堕落しなかった人類、アダム・エバの兄弟之園に、我々は訪ねて入るのです。分かりますか?(はい)。
では、そこにそのような伝統を立てる基本の思想は何か? 為にすればいいのです。為にすればいいです。では、ここから皆さんの息子娘は、このような環境で苦労しないで育って、天国に直行することができる、サタン世界を凌駕する一つの実績圏を持った、天と直通する後孫になるのです。その次には、そのような兄弟たちが結婚をするのです。我々において、結婚というのは超国家的です。黒人としろと言えばし、白人としろと言えばし、黄色人としろと言えばすることができる、このような圏内に入ってきました。
このような伝統が今から成立しなければなりません。今は、できていません。今から一つ作らなければならないのです。このようになったために、その資料を持って、皆さんの後孫と世界を指導しなければなりません。その代わり、二人が一つになれば、悪なる息子娘を産んではいけません。善の息子娘を産もうとするので、夫妻が完全に一つにならなければなりません。一つにならなくては、善の息子娘が出てこないのです。それゆえ、神様のみ旨を中心として、完全に一つになければならないのです。(七一・一九)
皆さんは先生を平面的に見ては、先生がどのような顔つきで、どのような姿であるかということが大体分かるでしょう。しかし、先生がこの場に来るまで、その背後でどのうような道を経てきたかは知らないのです。
この道を出発するときから、確かな信念がなく、ただ従ってきてみ旨が成されるか? そうではないのです。確かな信念がなければなりません。絶対的で間違いなこと知り、間違いない勝利を誓って出発して、このような勝利の結果をもたらしたということを、皆さんは知るべきです。このような信念を曲げ、この道を妨げるために、数多くの個人から、家庭から、氏族、民族、国家が反対し、世界まで反対したのです。そのような道が繰り広げられていました。残ってきたのです。
そのような伝統を、皆さんが受け継がなければならないのに、それを知らずに受け継ぐことができますか? そのような驚くべきものを受け継ぐときは、新しい決心をして受け継がなければいけないのです。言い換えれば、「世界の果てまで、天の果てまで走って行っても余りがあります。」という信念を持って、強く雄々しい場で、神様がご覧になるとき、驚くほど感謝する場で、受け継がなければならないのです。
そのような皆さんの姿勢を見て、それを相続してあげたいのが、天の心であり、先生の心ではないか。何も知らない者たち、世の中がどのようになるかを知らない者たちを連れて、教えてやるこれ自体がわびしいのです。わびしい場面だというのです。そうであってはいけないということを、皆さんが知るべきなのです。(六七・二二八)
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・ 真の父母を誇るべしP.171
皆さんが誇るべきことは、神様の愛を誇り、真の父母の愛を誇らなければなりません。これは自分のこと、国のこと、世界の何よりも誇らなければならないという結論が出てくるのです。この愛は、神様の愛と父母の愛が一つだというのです。これは何か? 直接主管圏という愛の理念を中心として、家庭という基盤の上に一つになりうる出発を、地上に実現しているのが統一教会であり、父母様が行く足の甲の上だ、脚だ、版図だということを知るべきなのです。直接主観圏です。(一三一・五〇)
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・ 真の父母に借りを返すべしP.172
真の父母という観念が明白でなければなりません。皆さん、真の父母に負債を負いましたか、負いませんでしたか? 負いました。その負債がどれほど多いですか?(……)。負債を返す道理がないのです。負債を負ったのを計算すれば、返す道理がないのです。ですが、ただ小さな愛の表示だけ一つあれば、皆返すことができます。それを必要とするのです。(日付未詳)