第一章 家庭盟誓宣布と前提条件 (天聖經-第16巻 真の家庭と家庭明誓)

훈독왕 | 20250907100144

天聖經-真の家庭と家庭明誓

 

第一章 家庭盟誓宣布と前提条件

 

一 家庭盟誓が出てくるようになった背景

一) 今は個人ではなく家庭時代

今まで統一教会では、個人的に「私の誓い」を暗唱してきました。一九五二年を中心として、新婦文化圏であるキリスト教文化圏が新郎と神様を迎え、世界的舞台において天上天国と地上天国を完結すべきだったのですが、それに失敗したので、再びこれを四十年間で蕩減してくる歴史を経てきたのです。


一九四五年から一九五二年までの七年です。一九四五年から一九五二年までの七年だったのですが、これを一九五二年から一九九二年までの四十年に延長したのです。教会を中心としては、四十年かかったのです。そのようにして、一九九四年五月を中心として、「家庭盟誓」を宣布したのです。歴史的です。数理的に蕩減してくるのです。


この世の中で「家庭盟誓」という言葉を聞いたことがありますか。歴史始まって以来、初めて出てきた言葉です。男性と女性が家庭を失ってしまったので、「家庭盟誓」を設定することによって、堕落していない本然の基準で、神様と人類が歓迎を受けることのできる家庭の母体をこの地上に再び立てなければなりません。そのようにしなければ、神様が喜ばれ、神様が来られて暮らすことができる地上天国と天上天国を築くことができません。そのために、不可避的にこのような盟誓文を立てるのです。


今、四十年を経て、初めて「家庭盟誓」が出てきたのです。この「家庭盟誓」は、歴史にはなかったものです。「家庭盟誓」が出てくることによって、今後、地上世界のサタン家庭には行き場がなくなります。「家庭盟誓」が出てきたということは、先生が四十年を通して四千年歴史を蕩減することによって、失われた第二次大戦後の勝利の基盤を復帰した基準に立ち、地上に天国が設定されるということを意味しています。初は何ですか。

「私たちの家庭は真の愛を中心として」です。すべてに「私たちの家庭は真の愛を中心として」という表題が出てくるのです。真の愛とは何ですか。「真の愛」という言葉は、神様の愛と真の父母の愛が堕落せずに一つになり、その真の愛を中心として真の生命、真の血統が連結されることを意味しているのです。


今、統一教会は四十年の峠を越えて「世界平和統一家庭連合」になったのです。これは、完全に復帰された家庭です。復帰された家庭は、個人の心身が統一され、夫婦が統一され、子女が統一された家庭とならなければなりません。このような家庭が暗唱しなければならないものが「家庭盟誓」です。

 

千九百七十一

「家庭盟誓」は、心身が闘争している中では暗唱することはできません。また、夫婦間でけんかをしていては暗唱することはできません。そして、子女を生まなければいけません。心身統一、夫婦統一、子女統一が成された真の家庭が入っていく所が天国です。神様の愛を中心として一つになって「家和万事成」を成すことができる家庭が入っていく所が天国です。それで、真の愛の一体圏を成した者たちが暗唱しなければいけないものが「家庭盟誓」だというのです。「家庭盟誓」は、歴史始まって以来、初めて出てきたものです。


統一教会は、四十年の峠を越えると同時に「世界平和統一家庭連合」をつくりましたが、それを成し遂げるためには絶対的規約が必要です。その絶対的規約、憲法のようなものが、「家庭盟誓」なのです。「家庭盟誓」という言葉は、歴史にありません。天国に向かう、天国を完成する「家庭盟誓」です。

「家庭盟誓」をよく見れば、それは、蕩減復帰の内容を中心として、完全に解放を受けることができる内容になっています。それゆえに、これを暗唱する人は、堕落した世界の家庭圏内ではなく、完成した家庭圏内に入ってきた人です。真の愛を中心とした家庭圏が形成されることによって、偽りの愛によって分立された心身の統一が起きるのです。それゆえに、心と体が一つにならなくては、「家庭盟誓」を暗唱することはできません。


統一教会員は、真の御父母様が立てた家庭的伝統を世界に誇示しなければなりません。なぜ世の中に「家庭盟誓」が出てくるのかというのです。このような時が来るので、それに備えるためのものとして「家庭盟誓」が出てくるのです。これが、家庭のモットーになるのです。

神様の創造理想圏に戻ってきた家庭は、どのようにしなければならないかという内容が、「家庭盟誓」にすべて出てくるのです。今後、全世界がこの誓いを中心として従ってくればよいのです。真の御父母様の勝利的盾をもって防御することができる、摂理史全体を代表した七項目(のちに一項目が追加されて八項目になる)の誓いを中心として、すべて入っているのです。それゆえに、新約、旧約の完成と原理を知らなくても、これを中心とし、神様のみ旨を中心として、ただそのまま家庭だけが絶対信仰、絶対愛、絶対服従することができる基準に越えていけば、天国に行くのです。


今まで、一般の既成教会ではアダムとエバだけが堕落したと思っていたのであって、そこには兄弟を入れていません。カインがアベルを殺すことによって堕落した、ということを知らないのです。家庭が堕落した、ということを知らないのです。すべて堕落したのです。これから統一教会では、どのように誓うのですか。家庭を中心として誓うのです。ほかのことは必要ありません。すべての幸福と自由、平和、そして天地も、すべて家庭から出発するのです。今、家庭を中心とした誓いが必要です。家庭を失ってはなりません。家庭さえ一つにすれば、世界が統一され、天国ができるのです。


千九百七十二

氏族的メシヤを派遣しなければ、大変なことになります。その氏族の生まれる道がふさがってしまいます。氏族的メシヤになることによって、平面的にアダムが堕落せずに完成し、イエス様が死なずに完成し、国家的基準で国家と国家がすべて連結されるのです。そのようになれば、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の八段階まで、すべてその完成の基盤は、この地上の平面、水平線です。 これを蕩減したので、個人の家に行こうと、氏族の家に行こうと、国家に行こうと、どこに行こうと、サタンが反対できない自由の活動舞台となり、神様を中心として生活する出発がなされることによって、地上に天国ができるのです。そのような時代が来たので、「家庭盟誓」が出てきたのです。「家庭盟誓」のとおりにならなければなりません。


家庭というものは、驚くべきものであり、恐ろしいものです。ですから、「家庭盟誓」の内容は、天宙的な大宣言だということを忘れてはいけません。昨年(一九九七年)から真の御父母様が講演してきた講演文の内容は、原理的な家庭をもたなければならないということでした。これは鉄則です。霊界解放の祝福式をしなければならない時が迫っているのです。三百六十万双が終われば、霊界祝福式をするのです。相対が霊界に行けば、呼び出して結んであげることができる時代に入っていくのです。ですから、地獄世界まで解放されるのです。


今まで、私たちは定着することができませんでした。押し流されてきました。浮き雲のような生活をしてきたのです。キリスト教文化圏も、霊肉を合わせた基盤がなかったので、定着することができなかったのです。しかし、今や真の父母と成約時代が定着したので、相続権が生じるのです。定着するにおいて、何を相続してあげるのでしょうか。個人ではありません。家庭です。それを知らなければなりません。ですから、「家庭盟誓」が出てくるのです。「家庭盟誓」を徹頭徹尾、教育しなければなりません。 今までは「私の誓い」を唱えてきましたが、「家庭盟誓」というものは初めてです。歴史時代において、「家庭盟誓」というものはありませんでした。これは驚くべき事実です。四十年間の世界的蕩減路程を終え、全世界が先生を中心として動く時代に入ってきたので、それが可能なのです。第二次大戦直後に、成し遂げられた統一的世界キリスト教文化圏を破綻させてしまったことを、条件的ではありますが、先生を中心として世界的に、この覇権的基盤の上に載せたのです。


真の御父母様の安着時代を中心として、主体の前に恥ずかしくない家庭完成時代を迎えなければなりません。ゆえに、ここにおいて私たちは、「家庭盟誓」が「必要だった」、「必要だ」、「必要だろう」、どれになるのですか。「必要だ」となるのです。これは千年、万年の表題になります。驚くべきことです。

堕落した宗教の仮面を脱ぎ、解放の位置において、私がこのような盟誓文を暗唱することができるということを感謝しなければなりません。涙なくしては暗唱することができない、数多くの恨があったのです。血を流し、この血の祭壇を統一教会まで引っ張ってきたのです。その血の祭壇から、これを踏み越えることなくしては、この世界から天国に行くことはできません。ゆえに、この祭壇がなければならないのです。


二) 成約時代安着と家庭時代の出発

 

千九百七十三

「真の父母と成約時代の安着」、これは恐ろしい言葉です。「真の父母と成約時代の安着」とは、サタン世界において闘って勝利したということです。家庭、氏族、民族、国家、世界、天地が動員された、そのすべてのものと戦って、勝利して成就したのが成約時代です。約束を成して安着したのです。これは驚くべきことです。

堕落とは何ですか。アダムが天使長を主管しなければならなかったのに、それが逆になってしまったのです。皆さんは天地のサタンを屈服させ、その上に上がっていかなければなりません。そのようにしなければ安着することはできません。それは、言葉で言うのは簡単ですが、どれほど難しいことか分かりません。「先生と完全に一つになろう」という信念をもっていれば、どこに行こうと、先生がすることを成すことができるのです。


一九九二年を中心として、世界に「メシヤ」を宣布し、「真の父母」を宣布してきました。このようにして、すべてを集め、一九九三年に入って、五月十三日からアメリカを中心として「真の父母と成約時代」を発表したのです。そのようにすることができる環境を、すべてつくったのです。皆さんが知っているように、アメリカは全世界を代表した国です。キリスト教文化圏において終定着地になる国です。

今からは、真の御父母様を中心として、新しい時代に転換するのです。成約時代に入っていくのです。今回の宣布は、地上においては初めての出来事でした。今まで神様は、この時をどれほど待ち焦がれていたことでしょうか。歴史時代において、神様はどれほど悲惨な立場にいましたか。今や、希望の時代が近づいてきたのです。「真の父母」を宣布することができる時代に入ってきたのです。これは歴史的であり、宇宙史的な事件です。今までの歴史において、このような事件はありませんでした。


創世以後、神様の復帰摂理は、何千万年の歴史を経てきましたが、その基準を立てることはできませんでした。先生が来て明らかにすることによって、統一教会時代において初めてこれが可能になったのです。それゆえに、「成約時代」を発表し、「真の父母」を発表したのです。これは世界的な事件です。事件というよりは、新しい世界を創建できる一つの起源となるのです。「真の父母」という思想と、「成約時代」というその言葉自体が、そうであるというのです。

成約時代は、何の約束を成すのですか。神様が人間と共に創造した、その約束を成すのです。復帰摂理時代が成されるのでもなく、救援摂理時代が成されるのでもありません。創造理想世界が成されるのです。それゆえに「真の父母」という名前は、人間よりも神様が先に考えたのです。

真の父母の顕現は、創造理想です。ですから、神様の創造の太初から、旧約時代、新約時代を経て成約時代へと、どのように回っていくのでしょうか。成約時代とは、神様と人間との一体圏をいうのです。真の愛によって一体圏を成し、平等な価値の内容を連結する立場になるのです。神様だからといって縦的だけでなく、人間だからといって横的だけではありません。縦と横が一つになるのです。


千九百七十四

一九七二年から一九九二年までの二十年間は、韓国を中心として、キリスト教の使命を果たす期間でした。この期間、私は、国家的な次元において旧約時代に相当することを成したのです。真の御父母様が六〇年に結婚式を行い、世界的舞台であるアメリカで成してきたことは、旧約時代と新約時代の関係と完全に一致するのです。内容が同じです。そのようにして、この期間に真の父母の世界的な定着が完了したのです。それで、成約時代を発表したのです。今からは、神様と共に生活するのです。私たち統一教会員は、神様と共に暮らすのです。


成約時代とは何でしょうか。中心である真の父母の家庭が、堕落圏世界において完全に勝利して越えた時を意味するのです。そのようになれば、その環境には「文総裁の家庭をやっつけよう」と言う怨讐はいなくなります。そのような人たちは、闘って負けたのでいなくなるのです。いくら射撃のチャンピオンであっても、オリンピックに出て負ければ、「自分が一番だ」と言うことができますか。自分がもっているチャンピオン杯を譲り渡してあげなければならないのです。


成約時代は、誰について言っているのですか。父母が父母として安着し、家庭が家庭として定着して、その家庭が天下の平和の世界、統一の世界になったとすれば、その家庭に反対するものはありません。障害物がないのです。今、文先生が戦って勝利したということは、家庭環境だけではなく、全世界と天地がすべて動員する中で根を下ろしたということです。それは素晴らしいことですか、素晴らしくないことですか。


成約時代は、家庭に戻っていく時代です。統一は、個人からです。この峠を越えなければ永遠に天国に入っていくことはできません。長子権を復帰することはできません。自然屈服させなければなりません。強制屈服ではありません。説得屈服です。皆さんは、自然屈服されたのですか、それとも強制屈服されたのですか。説得されたので、自然屈服したのでしょう?

このようにして、地上天国と天上天国の家庭的なエデンで成し遂げられたものを、世界のすべての国家が同一の立場で……。何千年もかかったそのような勝利の覇権が、真の父母の家庭をモデルに、家庭を中心として一時に……。金型を押し出すことができる、そのような青写真があるのです。それをすべて配布しなければなりません。どこであろうと、それで押し出しさえすれば、カチャンカチャンと製品が出てくるのと同じように、全世界五十億人類の家庭が家庭的に接ぎ木されることによって、失われた解放の国と天国に帰っていくのです。この時が成約時代、すなわち約束を成す時代です。


今日、歴史的路程においても重要なこととは何かというと、選民圏が生じたということです。この時代になり、世界的途上において、蘇生、長成、完成の三段階の基盤を連結させようというのです。イスラエル民族は蘇生級、キリスト教は長成級、そして統一教会は完成級です。イスラエル圏を中心としたものが旧約時代ならば、キリスト教は新約時代であり、統一教会は成約時代です。

 

千九百七十五

成約時代とは何かというと、成し遂げるということです。何を成し遂げるのでしょうか。個人的に成し遂げ、家庭的に成し遂げ、氏族、民族、国家、世界的に成し遂げるのです。何を中心としてですか。神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を中心として連結するのです。単一血統、単一愛、単一生命の伝統です。このようになれば、サタンは離れていかなければなりません。接ぎ木することによって、サタンの血統的因縁がなくなるのです。


問題は何でしょうか。家庭が完全でなければなりません。家庭的カナン復帰完成時代である成約時代を迎えたので、皆さんの家庭はみ言に従って完成し、定着しなければなりません。そのような時代が来たことを知らなければなりません。ゆえに、そのみ言を聞く時には、それを流れていくみ言として聞いてはいけません。それらのみ言は、先生が生死の境で、死ぬか生きるかという境地で、「このみ言を残していかなければならない」としながら明確に教えてあげたものです。それを知らなければなりません。


第二次大戦直後に、キリスト教文化圏とアメリカを中心とした一つの世界を成し遂げていれば、どれほど早かったでしょうか。アメリカとキリスト教文化圏が世界を支配するその時代に、もし内的に一つになっていれば、どれほど早かっただろうかというのです。そのように見れば、第二次大戦直後は、神様においては歴史上大の希望の一時であり、サタンにおいては 大の危機の時でした。その時に、キリスト教文化圏と、アメリカを中心とした自由世界が統一教会を受け入れていたならば、その時から、霊界の統一圏を地上の統一圏に一致化させていたはずです。これが摂理観です。


今からサタン世界は、どんどん崩壊していきます。見ていなさい。サタン世界は、個人、家庭、氏族、民族、国家が行く方向や中心を、すべて失ってしまいました。しかし、私たち統一教会はすべてを備えていくので、これが交差するのです。昔は、統一教会がサタン世界の支配下にありましたが、これが交差し、反対になるのです。これが安着です。


成約時代とは何でしょうか。サタンの主管圏を越えて成し遂げられる世界だ、ということを知らなければなりません。成約時代は、何をもって完成していくのでしょうか。祝福家庭を通して成し遂げていくのです。それで、アダム家庭や、ノア家庭や、ヤコブ家庭などの家庭が出てきたのです。それから、先生の時代になって、イエス様家庭を編成したのです。

イエス様家庭を編成するのと同じ立場で編成したものが、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭です。四百三十家庭は韓国を代表していますが、この韓国の四千三百年の歴史を中心とした四百三十家庭を中心として、世界の四十三家庭を連結させたのです。七百七十七家庭は、すべての国家を代表し、それから千八百家庭を経て、現在は七千以上の家庭に越えてきているのです。ですから、世界的な足場の基台ができてくるのです。成約時代は、家庭を通して成し遂げていくのです。


千九百七十六

今年(一九九五年)の標語は、「真の御父母様の勝利圏を相続しよう」です。「圏」とは個人的世界版図、家庭的世界版図、氏族的世界版図、民族的世界版図、国家的世界版図、世界的世界版図、天宙的世界版図、地獄と天国の版図です。そこまで先生が統一し、解放してあげたのです。今からサタンは後退します。日がたてばたつほど、すべて衰退していくのです。 エデンにおいて、善悪の出発が兄弟の間で起こったので、世界の人々は、今日「地球村になった」と言っているのです。先生の教えでは、「地球家庭になった」と言っています。地球家庭と地球村は相対的関係です。一方は、サタン世界を代表したカイン的位置であり、お兄さんの位置です。地球家庭は、統一教会のアベルの位置です。これが一つにならなければなりません。


カイン世界は、統一教会に従っていかざるを得ません。家庭を完成しようとすれば、個人を完成しなければなりません。個人を完成することによって家庭理念というものが……。真の男性、真の女性は、統一教会以外にはいません。統一教会は、エイズと関係なく、フリーセックスと関係なく、ホモと関係なく、レズビアンと関係なく、麻薬と関係ないのです。ですから、真の愛を中心として、個人的中心を完成するのであり、家庭的中心を完成するのであり、氏族、世界、天宙の解放圏を完成するのです。そして、神様と真の御父母様まで解放し、孝子の道理、忠臣の道理、聖人の道理、聖子の道理を完成すれば、天上世界と地上世界を自由往来し得る解放がなされるのです。

それが、先生の教えの目的である、人格者になるという道です。結論は簡単です。世界的な解放圏を完成させるために数多くの事情をつづりながら、先生が五十年の生涯││一生です││にわたって迫害の道、あざけりの道、あらゆる追放の道を経てきて、今は、神様が願われた世界的勝利圏を全人類の前に相続してあげることができる時代が来たのです。父母が自らの備えたすべてのものをその子女に代価なく、愛をもって相続する時が来たのです。


地上天国と天上天国が一つになり、そこで神様の真の愛を中心として一致した家庭生活をした人が、地上で暮らしたのちに天国の家庭へ移動していくのです。ですから、個人の救援時代ではありません。

キリスト教を見れば「個人の救援だ」と言いますが、それは違います。家庭救援が神様のみ旨です。堕落は家庭で起きたので、復帰も家庭で成さなければなりません。そのような時代が来ました。今や真の父母を中心として……。今まで、地上の歴史時代にはなかったことです。初めて、新しく定着時代に入ってきたのです。

今年(一九九四年)の標語は、「真の父母と成約時代の安着」です。真の御父母様の家庭が初めて定着するのです。真の父母の家庭を中心として、今まで祝福を受けた家庭を中心として、氏族、民族、国家が編成されるのです。これは世界的な版図になっているので、今から定着時代に入っていくのです。放浪の身ではありません。ですから、体制をつくらなければなりません。

家庭を連合して氏族、氏族を連合して民族、そして民族を連合して国家を編成する時代に入っていくのです。私たちの力で、家庭を中心とした地上天国の基盤をつくらなければなりません。


千九百七十七

成約時代には、霊界を知らなければなりません。先生は霊界を知っていたので、このような迫害を受けても勝利してきたのであり、その世界に拍子を合わせるために、今まで受難の道を歩んできたのです。これを知らなければ行くことができないということを、はっきりと知らなければなりません。


今からは、霊界を知らなければ、成約時代を思いどおりに歩むことはできません。アダムとエバが堕落しなければ、彼らは先に霊界を知っていたのです。神様の世界がどのようになっているのかをすべて知り、そこに拍子を合わせるようになっていたのです。


三) 「世界平和家庭連合」の創立、世界家庭化時代へ

家庭を失ってしまったので、家庭を捜し求めていかなければなりません。その家庭は、世界中のいかなる人でも歓迎することができる家庭とならなければなりません。過去、現在、未来の人、すなわち天上世界にいる人や、未来に来る人など、すべての人が追慕することができる家庭基盤を中心として、「世界平和家庭連合」を定着させるのです。そのようにすることによって、人類の解放圏が成され、平和、幸福、理想、希望にあふれた地上天国と天上天国の世界が到来するのです。


世界基督教統一神霊協会の使命が終わることによって、宗教の使命が終わり、人類史上初めて宗教を必要とせず、救援を必要としない新しい時代へ入っていくのです。「家庭連合」は、家庭を理想家庭につくりあげて、神様の創造理想を復帰完成し、天的理想世界を立てるのです。


家庭が定着しなければなりません。今までの宗教は、個人圏を目標としたのであって、家庭圏を目標とした宗教はありませんでした。すべて家庭を捨てて、出家していったのです。今は、時代が違います。いかなる宗教も個人救援を唱えていたのであって、そこには家庭救援や氏族救援、また国家救援という言葉はありませんでした。私たち統一教会は、家庭を中心として国家救援、世界救援を主張しているのです。


家庭が定着し、世界と通じることができる家庭となってこそ、エデンで願われた神様の創造理想の結実が現れるのです。息子、娘を中心として横的に拡大し、それが神様の願われた氏族となり、それがまた自動的に民族に連結しなければなりません。ゆえに、家庭が重要です。すべてのものは、「世界平和統一家庭連合」で終わるのです。さあ、「世界平和統一家庭連合」と、一度言ってみてください。(「世界平和統一家庭連合」)。その中心は何かというと、家庭です。


「世界平和家庭連合」を成し遂げることができなければ、平和世界は絶対に訪れてきません。これは重要です。家庭がそれくらい重要なのです。平和世界も家庭から始まるのです。

家庭に家族が十人いれば、その家族十人がすべて一つにならなければなりません。一つとなり、お互いが縦横、前後、左右において立体的に和合するようになれば、理想的平和の世界が訪れてくるのです。「世界家庭連合」を完成し、平和の世界を創建しましょう!創建とは、再度収拾して建てようということです。


千九百七十八

今からは「世界平和統一家庭連合」です。家庭が根源地です。家庭を中心として、その家庭に神様をお迎えし、その氏族に神様をお迎えし、その国に神様をお迎えするのです。神様と一体となり得る家庭の理想を完成することなくしては、地上天国はできません。


本然的アダム家庭の世界型版図に加入しなければならない時代に入ってきたので、全世界の人々は、家庭を中心として完成しなければなりません。ここで完成しなければならないこととは何でしょうか。堕落した家庭を、蕩減復帰した家庭にしなければなりません。このことは、「家庭連合」を通して、世界的に、各自が努力して備えなければならないのです。

完成は、アダムとエバがしなければなりません。神様がしてあげるのではありません。また、真の父母がしてあげるのでもありません。これによって「家庭連合」が形成されるのです。これは世界的な組織です。堕落した世界の、アダムの血統を越えるのです。山を越え、坂道を越えるのと同じように、復帰過程を上がっていく途中で失敗すれば、いつでもこれを繰り返すのです。何百万年、何千万年を繰り返すのです。


人間は、夫婦の愛の伝統を立てることができませんでした。父母の伝統を残すことができなかった世の中に、これをすべて実践した「真の父母」の名をもった二人のお方がこの地に現れたということは、民族の誇りであり、歴史の光明です。たとえ天地を与えても換えられない貴い宝物であるということを知って、今日、厳粛にこの内的な因縁を相続し、皆さんの家庭で伝授することを願います。ゆえに、「世界平和家庭連合」が定着しなければなりません。家庭に帰っていかなければなりません。


家庭は、世界を代表することができる平和の道、統一の道を行かなければなりません。すべてのものは、家庭と連合した基準に連結されたものだということを知らなければなりません。今後、素晴らしい家庭は、出世するのです。


これからは家庭中心です。ですから、独りで行くことはできません。今後は、人事も夫婦一体です。夫が長ならば、妻は副責任者です。また、その息子、娘があらゆる実力基準において優秀な場合には、彼らを重要な部署に、家庭的に配置するのです。そのようにして、一族で配置することができるのです。


今後、重要視しなければならないことは、「世界平和統一家庭連合」ですが、そこから世界を忘れてしまってはいけません。世界を忘れてしまえば、平和になってどうするのですか。また、平和を忘れてしまえば、統一をしてどうするのですか。統一がなければ、家庭をもって何をするのですか。家庭は、一つの家庭ではありません。連合の主管がなければ、家庭をもってどうするのですか。すべて関係しているのです。

連合を考えれば、統一を考え、家庭を考え、平和を考え、世界を考えなければならないのであり、世界を考えれば、平和を考え、「統一家庭連合」を考えなければならないのです。一体だというのです。家庭がそのようになってこそ、神様が臨在することができる世界の代表の主人となり、平和の主人となり、統一の主人となり、家庭の主人となり、連合世界


千九百七十九


の統一天下の主人となるのです。そこに神様が臨在し得るのです。


統一教会といえば、「世界平和統一家庭連合」です。そうすれば、皆さんの家庭でも、「世界平和家庭連合」という家庭連合が立てられるのです。サタン的家庭や、中間的な天側の天使長家庭、そしてアダム家庭などをすべて収拾しなければならないのですが、これらは結婚を誤ってばらばらになっているので、結婚を正しく行って完成級に入っていき、統一的な世界へ越えていかなければなりません。このように上がってきた坂道、険しいヒマラヤ山脈が、ここからは平地になっていくのです。そのような時代に越えていくのです。 それで、四十年の峠を越えると同時に「世界平和統一家庭連合」をつくりましたが、それを成し遂げるためには絶対的規約が必要です。その絶対的規約、憲法のようなものが、「家庭盟誓」なのです。「家庭盟誓」という言葉は、歴史にありません。天国に向かう、天国を完成する「家庭盟誓」です。


今までは、中身がありませんでした。それでは、その中身とは何でしょうか。今後出てくる「世界平和家庭連合」を中心として、家庭的理想が実を結ぶことです。家庭の理想は、四位基台の完成です。神様の創造理想とは何ですか。神様のみ旨の完成です。それでは、神様のみ旨とは何ですか。神様の創造理想の完成です。それでは、神様の創造理想の完成とは何ですか。四位基台の完成です。それでは、四位基台の完成とは何ですか。父、母、息子、娘すべてが一つとなり、神様が踊れば共に踊ることです。神様の調子に合わせて踊り、歌うことができることが神様のみ旨の完成です。


第二次大戦以後、キリスト教文化圏は、世界統一を成したその基準を整理し、七年路程の上で世界の方向をつかまなければなりませんでした。

その七年路程に今年(一九九四年)も含まれます。このような時が来たので、四十年目にして「家庭連合」をつくり、すべて平面的に立つことができるのです。ですから、世界統一を成そうとしたのと同じように、この時に家庭さえ一遍に統一されれば、すべてのものを蕩減することができるのです。ゆえに、この盟誓文を唱えようとすれば、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになってこそ初めて唱えることができるということを知らなければなりません。

これが一つにならなければ、サタン世界に属するのです。この盟誓文はその上で暗唱するのです。それゆえに、「家庭盟誓」が出てきたのです。それで、全世界を、「家庭連合」がこの盟誓文を中心として強力に統治していくのです。毎月一日と十五日は、家庭において礼拝を行うのです。二つの組織になるのです。カインとアベルになるのです。


1980 * 千九百八十

近は「地球村」という言葉を言うでしょう?地球家庭時代に向かって入っていくのです。地球村でもありません。地球家庭です! 「地球村」という、その言葉は、今日「家庭連合」が出てきたのと相対的な世界を成しているのです。神様のみ旨を中心として「家庭連合」が出てきたので、世界の環境が相対的に成されなければなりません。これが対等な時代に入ってきたので、一度始めさえすれば一時に世界化される時代が来たのです。先生が話していることは、夢のような話ではありません。


今日、世界は経済圏を中心として一つになろうとしているでしょう?政治圏と文化交流、また経済や知識や権力をもって、力の平準を通してこれを一つにしようとしているのでしょう? しかし、それは違います。世界を一つにする歴史的、統合的な中心方案は、真の愛です。

歴史が行くべき方向はあるのですが、それは経済圏をもって一つにすることはできません。愛です。真の愛を中心として偽りの愛を収拾し、上下を連結しなければなりません。歴史的な真なる方向は一つです。その真の方向に従って個人の人生観、家庭観、民族観、国家観、世界観があり、これがだんだんと広がっていくのです。個人時代、家庭時代、氏族時代、このようにずーっと進んでいく中において、その中央線を貫いているものは真の愛の方向性です。


なぜ再臨主が必要であり、真の父母が必要なのでしょうか。歴史時代において、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へ発展してきたすべての家庭は、真の父母と共に生活したことがないのです。再臨主が来た時に、英、米、仏を中心とした統一世界になっていたとしても、真の父母を中心として、家庭の統一から始めなければならないのです。真の父母を中心として、家庭が連合しなければならないのです。

家庭が一つになれば、氏族は問題ではありません。民族も問題ではなく、国家も問題ではありません。なぜでしょうか。真の父母は、世界的版図の上に来られるのです。世界的版図の勝利的基盤の上に来られるのが、真の御父母様です。このお方は、何をするために来られるのでしょうか。このお方は真の父母ですが、家庭時代の代表の真の父母として来られるのです。過去の氏族的な時代の真の父母として、民族的な時代の真の父母として、国家的な時代の真の父母として連結させなければなりません。


地球村時代を越え、地球家庭時代です。地球家庭時代へと越えていくためには、早急に平準化された基準をつくらなければなりません。世界にそのような機構をつくらなければならないので、今回の首脳会談でも、宗教の国連と女性の機構をつくることを宣布したのです。今、その作業をニューヨークで行っています。有名な学者やトップ層を中心として行っているのです。学者たちを通して、国務省や、政策的方向において誤っていることをコーチしているのです。


四) 家庭盟誓を立てた理由

それで、今年(一九九四年)において五月に入ると同時に「世界平和統一家庭連合」を創設し、それと同時にサタン世界・天使長世界と、アダム世界とをはっきりと区分し、境界線をつくるためのものとして「家庭盟誓」が出てきたのです。この「家庭盟誓」によって、初めてサタン世界と完全に隔離されるのです。


千九百八十一

「家庭盟誓」を暗唱することができる時代が来たということは、歴史的に驚くべき事実です。今までは個人主義的な生活をしてきたのですが、これからは家庭主義的生活に移行していくのです。自分独りではありません。夫が行けば、初から妻はそれに従っていくのです。夫婦が自動的に従っていく生活をしなければなりません。ばらばらになってはいけません。常に統一された、同じ生活圏内で暮らす生活をしなければなりません。

近ごろは電話があるので、手紙も必要ないでしょう?そのような時代が来ました。常に同じ立場で暮らす生活環境を成していかなければなりません。そのようにしなくては「家庭盟誓」のとおりに完成することはできません。盟誓文の誓いは、必ず成し遂げなければなりません。


「家庭盟誓」を暗唱することができるということは、堕落する前の完成したアダムの立場にいるということですが、これはどういうことでしょうか。父母から偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだのが堕落した家庭ですが、皆さんは、堕落せずに完成したアダムとエバの位置にいる真の父母を中心とした真の愛によって生まれた子女なので、堕落していない家庭となるのです。

それでは、「家庭盟誓」とは何でしょうか。それによって、本然的な家庭の権限一切を賦与するのです。堕落したのですが、堕落していない本然の位置に帰り、永遠の原則的基盤の上で氏族が連結され、民族、国家、世界が連結されなければなりません。このようになってこそ、地上天国ができるのです。それゆえに、「家庭盟誓」は、心と体が一つになっていない人には暗唱することはできません。夫婦が一つになっていない人には暗唱することはできません。息子、娘と一つになっていない人には暗唱することはできません。これを知らなければ、盟誓文全体が、すべてばらばらになってしまいます。


「家庭盟誓」は、すべてのものを清算するものです。ゆえに、「家庭盟誓」の第三節を見れば、四大心情圏、三大王権、皇族圏を完成しなければならないといっています。その以下の節は、復帰する順序を組んでつくったのです。ゆえに、「家庭盟誓」は、どのような人が暗唱できるのですか。サタン世界の偽りの父母による、偽りの愛と偽りの生命の因縁をもっている人は、唱えることができません。

本然の世界に帰っていき、神様と堕落していない真の御父母様と一つになり、真の愛で心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになることができる基準に立った人だけがこの「家庭盟誓」を暗唱することができるようになっているのです。


「家庭盟誓」を暗唱することができる人は、完成した家庭の位置に立たなければならないので、心と体が一つにならなければならないということを知らなければなりません。心と体が一つになっていない人には、「家庭盟誓」を暗唱することはできないということを知らなければなりません。心と体が一つになっていますか。堕落したので、心と体が分裂したということを知ったでしょう?偽りの父母、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統なので、これをすべて清算しなければなりません。真の愛、真の生命、真の血統を復帰しなければならないのです。


千九百八十二

「家庭盟誓」と一つになり、家庭に定着すれば、既に自分たちは地上地獄で暮らしているのではなく、新しい世界的な天上天国の世界で暮らしているのです。ですから、「家庭盟誓」を暗唱する人は、昔の地獄世界ではなく、別の世界で暮らしているという気持ちをもたなければなりません。その家庭では、争いがあってはいけません。泣きわめいたりしてはならないのです。真の愛を実践しなければなりません。「家庭盟誓」を暗唱する時は、必ず心と体が一つになり、夫婦が一つになり、息子、娘が一つになった上で唱えるのです。 偽りの愛が始まることによって、心と体が分裂し、夫婦が分裂し、兄弟が分裂したので、蕩減復帰の原則に従って一つになり得る家庭を取り戻すためには、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、兄弟が一つになることのできる位置を再び築かなければなりません。そのようにすることによって、天上天国と地上天国とが連結されるのです。


「家庭盟誓」の徹底化が必要です。「家庭盟誓」を徹底化した人が、祝福を受けて祝福家庭に加入するのです。祝福家庭に加入すれば、間違いなく「家庭盟誓」のとおりに完成した家庭として、天の前に奉献しても恥ずかしくない家庭を、お互いがつくらなければなりません。そのようにすれば、その家庭を中心として、神様の版図が自然に広がっていくのです。天国理想が広がっていくのです。


ほかの国に「家庭盟誓」がありますか。サタン世界のどの国に「家庭盟誓」がありますか。ありません。どこかの国で「家庭盟誓」を立てて、このように家庭全体を代表して誓っていますか。誓いは、実践しなければならないのです。誓いは、成し遂げなければなりません。言葉だけでなく、それを成し遂げなければならないのです。


「家庭盟誓」は、神様を中心として暗唱しなければなりません。ですから、相対にならなければなりません。すべて相対です。心と体が相対になっていますか、なっていませんか。目は二つですが、片方はサタン側として死んだのと同じです。皆さんが見るものは、すべて二種類です。道を進んでいっても、二つの道を行くのです。ですから、常に批判しなければなりません。食べるのも二種類です。天が私を保護することができる、正当なものを食べているのかというのです。世話を受けながら食べるのは、いけないのです。ですから、今から私たちは「家庭盟誓」を暗唱しなければなりません。


きょうは、五月一日(一九九四年)です。今までの宣誓文の前に敬礼を三拝し、「父母様がすべて成し遂げたことを代わりに相続し、新しい盟誓文に移ります」と祈祷しなさい。そして、それを相続し、「このような新しい『家庭盟誓』の時代に移されます」と言って、申し訳ありませんという気持ちをもって祈らなければなりません。盟誓文に悔い改めなければなりません。これからは「私の誓い」と「家庭宣誓」はやめ、「家庭盟誓」を暗唱するのです。祝福家庭でない人も、「家庭盟誓」を一緒に暗唱するのです。一般の人も、すべてここに入っていかなければなりません。

 

千九百八十三

 

二 家庭盟誓の意味と特徴

一) 家庭盟誓の重要性

「家庭盟誓」は、すべての原理の内容を中心として、家庭編成に適した核心的内容を抜粋して記録したものです。そのようなものであることを知って、皆さんは、祈祷する前には、必ず盟誓文をすらすらと暗唱し、現在の自分自身と自らの家庭の状態が盟誓文のとおりになっているか、いないかをたださなければなりません。そして、盟誓文のとおりになっていなければ、すぐにそれを是正していかなければなりません。盟誓文のとおりに完成しなければなりません。過去においては「私の誓い」と言ったでしょう?今は何ですか。

「家庭盟誓」を暗唱すれば、その中にすべてが入っているのですが、今後は「国家盟誓」、「世界盟誓」まで出てこなければなりません。


この盟誓文は、復帰摂理の骨子を抜き出してつくったものですが、どこへ行こうと、毎日これを中心として生きなければなりません。すべての盟誓文において、初の文句は真の愛です。真の愛とは何ですか。自らの心と体を祭物として神様の前に捧げれば、神様まで一つになって私たちに返してくれるのです。自らの心と体を捧げなくては、神様と一つになり、返してもらうことができないのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従する立場で神様の前に捧げるようになれば、神様と一つになり、神様が私たちの前に立たれるのです。そのようにして、万事が天の指示どおりに動くならば、地上と天上天国のすべてのものが成されるのです。 盟誓文を朝、昼、晩の食事の時と、起きた時と寝る時、このように五回ずつ暗唱しながら自分自身を批判し、心と体が闘う基準に連結したものをすべて清算しなければなりません。そして、一つになっていなければ、朝食を食べることができず、また昼食や夕食を食べることができないのです。御飯を食べてはいけないのであり、寝てはいけないのです。盟誓文は、個人的誓いとは異なります。「家庭盟誓」です。


摂理の時、私たちは誓いをするのですが、今は個人ではなく家庭です。家庭がすべての公式であり、根本です。ですから、家庭を代表して暗唱するのです。父親が全体の家庭を代表して暗唱するのであり、母親も全体の家庭を代表して暗唱するのであり、また息子、娘も全体の家庭を代表して暗唱するのです。 第一に、心と体が一つにならなければなりません。第二に、夫婦が一つになるのです。第三に、子女が一つになるのです。どうしてでしょうか。エデンにおいて神様を失ってしまいました。アダムとエバを中心として個人を失い、家庭を失い、子女を失ってしまいました。これを復帰しなければなりません。ですから、「家庭盟誓」は心と体が一つにならなければなりません。夫婦が一つにならなければなりません。そして、子女が一つにならなければなりません。


千九百八十四

「家庭盟誓」の初は何ですか。「私たちの家庭は真の愛を中心として」です。すべて「私たちの家庭は真の愛を中心として」と言うのです。「家庭盟誓」の八大項目の中で、表題は何かというと、「私たちの家庭は真の愛を中心として」という言葉です。真の愛とは何ですか。真の愛というのは、神様の愛と真の父母の愛が堕落しないで一つとなり、真の愛を中心として真の生命、真の血統が連結されたことを意味するのです。


家庭が、すべての団体の根本です。ですから、問題は簡単です。世界の統一は、良心と体が一つになり、夫婦が一つになり、息子、娘が一つになるところから始まるのです。世界の統一はそこから始まるのです。ですから、一番の怨讐は、心の前における体です。体はサタン側です。心と体が一つになりさえすれば、天下がすべて変わるのです。歴史始まって以来今まで、いかなる聖人もそのことを教えてくれませんでした。真の父母が出てきて、初めて教えてくれるのです。

それでは、堕落したのですが、なぜ体が心を引きずり回すのでしょうか。偽りの愛で堕落したのですが、その偽りの愛の力が良心の力より強いので、問題が広がったのです。ゆえに、私たちは、心に神様の愛を注入しなければなりません。「神様を愛する」と言って注入しなければなりません。心と体が一つになれば、神様の愛が注入されるのです。


家庭が必要です。そこで自分のために生きますか、子女のために生きますか、それとも妻のために生きますか。子女のために生きなければなりません。なぜでしょうか。創造原則がそのようになっているからです。世の中の存在原則がそのようになっているからです。

歴史がそのようになっているのです。

神様が創造したのは相対のためです。ですから、相対が自分よりも優れていることを願うのです。優れていることを願うのですが、何パーセント優れていることを願うのでしょうか。一〇パーセントですか。一〇〇パーセントですか。一〇〇〇パーセントですか。永遠パーセントですか。永遠パーセントというのは、無限のパーセントということです。ですから、投入して忘れてしまわなければなりません。一〇〇パーセントだけ投入するのならば、一〇〇パーセントしか出てきません。ですから、投入して忘れ、投入して忘れ、投入して忘れてしまわなければならないのです。


失ってしまったものを再度編成して、天国に一致させてこそ、天上世界で空いている天国が回復されるのです。今、先生は南米と北米を統一しています。南米と北米が統一されれば、韓国と北韓の統一は、あっという間です。それから、天の国を取り戻して立つ時は、その時からは天国の憲法が制定されるのです。皆さんの家庭が唱えている「家庭盟誓」の中から、憲法が制定されるのです。四大心情圏と三大王権、そして皇族圏の内容から憲法が制定されれば、それは公式になるので、誰もがみな知るようになります。そのようになれば、欺くことはできません。


このような原則によって憲法が制定されれば、そのとおりに生活すればいいのです。そのようになれば、教会は必要ありません。そのとおりに生きればいいのであり、国のために忠誠を尽くせばいいのです。国のために忠誠を尽くし、忠臣になり、孝子になり、聖人、聖子にならなければならなかったのですが、そのようになることができなかったので、それを教育するのです。

 

千九百八十五

皆さんには、まだそのような観念ができていないのであり、皆さんの時代においては、昔の観念は変わっていかなければなりません。皆さんの息子、娘、何代かを経て、これを是正しなければなりません。


「家庭盟誓」は、すべて初めに「真の愛を中心として」から始まるのです。復帰の道は、神様と一つになった真の愛の道から出発するのです。故郷に行っても神様を身代わりし、真の御父母様を身代わりしなければなりません。


二) 家庭盟誓は復帰の総論を集約させたもの

「家庭盟誓」は、先生の歴史について述べた言葉です。先生が家庭を編成してきた歴史について述べた言葉だということを知らなければなりません。ですから、初は何ですか。環境でしょう? 再創造歴史です。地上を復帰しなければなりません。一族を救い、その国を復帰しなければなりません。二番目は何ですか。「真の愛を中心として、神様と真の御父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって……」、天宙の代表的家庭です。それは、誰の家庭のことですか。先生の家庭です。中心家庭です。その伝統を受け継ぎなさいというのです。

ですから、家庭では孝子となり、国家では忠臣、世界では聖人にならなければなりません。今までの歴史上の聖人は問題ではありません。「神様の家庭を成して世界と連結させよう」という祝福家庭を取り戻さなければなりません。

天国には、二つの法があります。王宮の法と国の法です。地上天国にも、王宮の法と地上の法があります。この四つの法を、すべて知って守ることができる家庭にならなければなりません。その王宮に入っていっても侍られ、国に行っても侍られ、地上の王宮に行っても侍られ、地上の国に行っても侍られなければなりません。先生は、その道を行かなければなりません。その道において自然屈服させ、尊重される勝利の覇権を復帰しなければならないのが先生の行くべき道です。


皆さんは家庭で孝行し、国で忠誠を尽くし、世界で聖人の道を行き、天宙で聖子の道を行かなければなりません。それが先生の歴史です。皆さんも、四段階の道を行かなければなりません。すべては成すことができなくても、一段階目である孝子になったとしても、その国の救いを受けるのです。一つでもしなければなりません。

数多くの家庭の中で家庭の王座を守らなければならず、数多くの忠臣の中で忠臣の王にならなければならず、数多くの聖人の中で王にならなければならず、数多くの聖子の中でも王にならなければなりません。多くの聖子の中で王になってこそ相続を受けるのです。そのようになって、そこから相続を受けるということが始まるのです。祝福を受けたからといって、その家庭が相続を受けるのではありません。


聖子は、地上のすべての宗教を統治し、神様の代身の位置に行くことによって、家庭を中心とした世界を祝福するようになっているのです。家庭が別々、民族が別々、このようにはならないということを知らなければなりません。そのような位置に立ったので、四大心情圏と三大王権を成すことができるのです。

 

千九百八十六

すべてが祝福の位置を越えることができる位置に立ち、王権に対して東西南北、すなわち十二真珠門の三六〇度方向の、どこにおいても自由に行動することができるのです。ここから四大心情圏をもってくるのです。四大心情圏の中で、聖子の心情圏、聖人の心情圏、忠臣の心情圏、孝子の心情圏を越えることなくしては「四大心情圏を越えた」と言うことはできません。これが「家庭盟誓」の三番です。


四番は何ですか。「真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し… …」、天宙大家族です。世界が兄弟です。一つの血統です。神様のように保護しなければなりません。神様の王宮の座に就いたとしても、この四番を成さなければなりません。天宙の大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成しなければなりません。先生は、そのような心情です。天宙大家族主義者です。自由と、幸福と、統一と、平和を植えつけてあげなければなりません。その言葉は、何を表しているのですか。先生の歴史を表しているのです。先生の歴史が表題です。


頭の中にだけ入れたからといって良いのではありません。平和の世界、幸福の世界だけで暮らすのではありません。天上世界に直行できなければなりません。「真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。前進的な自分たちになりなさいというのです。

世の中がこのように邪悪なのにもかかわらず、ただ座って眺め、寝て休むことができますか。一秒が重要です。一日を、いかに、より復帰していくのかというのです。雨が降ったり、夜になったりすることが問題ではありません。天上世界がすべて壊れて、機能していないのです。ですから、それをするのです。先生がそれをするのです。地上世界を中心として、天上世界を手術して是正するのです。


六番は何ですか。「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。自分たちだけが幸せに暮らすのではないのです。自分だけ幸せに暮らしてはいけないのです。神様は、そうではありません。父母は、そうではありません。息子、娘がもっと幸せになるようにしなければならないのです。四方にすべて連結させる家庭を完成しなければなりません。


七番は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。本然の血統です。本然の血統と連結された心情文化世界です。どこにも、引っ掛かるものはありません。地獄に行こうと、天国に行こうと解放です。これは復帰の総論を越えて……。総論だけではありません。序論から主な内容、そして結論までのすべてを集約させたものが「家庭盟誓」です。先生のこのような話を聞けば、考え方が変わるはずです。今後、国をつくりあげれば、皆さんもその歴史をすべて話してあげなければなりません。そのような内容です。


千九百八十七

最近、「家庭盟誓」の文の八番ができたでしょう。「成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏を完成することをお誓い致します」です。簡単なことです。解放ではなく、解放圏です。皆さんの家だけに行ってはいけません。地上において、皆さんの国と皆さんの世界に、完全に責任を負わなければならないのです。


三) 家庭盟誓の中心思想は「真の愛」

統一教会では、「家庭盟誓」というものを宣布しました。「家庭盟誓」は、一般の人が暗唱するのではありません。「家庭盟誓」は、誰もが暗唱できるものではありません。「家庭盟誓」の八大条項の書き出しは「私たちの家庭は真の愛を中心として」となっています。それが前提となっています。それは何を意味しているのでしょうか。その言葉は、サタン世界と関係がない基盤から話しているのです。なぜ「家庭盟誓」に真の愛を前提条件としたのかというと、堕落がなかったエデンの園の本然の世界に入っていることを主張するためです。


「家庭盟誓」をすべて説明してあげましたか。「家庭盟誓」は、一から八まで「私たちの家庭は真の愛を中心として」という言葉が表題になっています。真の愛とは何ですか。今後、皆さんが真の愛を中心として一つにならないまま霊界に行けば、神様に侍って生活することはできません。


真なる私と真なる家庭を復帰しなければなりません。「家庭」といえば、三代のことをいうのです。祖父母と父母と子女です。これを拡大したものが世界です。それゆえに、どのような人であろうと、父母、夫婦、兄弟、子女が必要です。これは公式です。それを愛することができなかった人は、天国に行くことができません。「家庭盟誓」に出てくる四大心情と三大王権、皇族圏を体恤することができなければ、天国に行くことができなくなっているのです。


「家庭盟誓」の初の部分は何ですか。初は、どのようになっていますか。「私たちの家庭は真の愛を中心として」です。真の愛です。真の愛を中心として成すのです。堕落したので、真の愛をもつことができなかった人は、家庭というものをもつことはできません。それを知らなければなりません。真の愛をもつことができなかった人は、本来、神様の前に家庭をもつことができなくなっているのです。堕落とは何かというと、真の愛が腐っているのです。そうではありませんか。


すべてが相対的関係です。独断的にしてはいけません。そのようにすれば副作用が生じます。原理原則を中心として愛の理想世界を展開し、発展させようとすれば、投入することができる内的因縁がなければなりません。それがなくては、発展することはできません。愛が広がっていくことはできないのです。


千九百八十八

神様を除いてしまえば、真の愛はありません。皆さんは、それを知らなければなりません。自分の父親と母親がけんかをしないで幸福に暮らしているので「真の父、真の母、真の愛だ」。そうではありません。神様が介在しなければなりません。未婚の男女が恋愛をして、お互いが死ぬほど愛し合い、たとえそれが生命を投げ出すような愛であったとしても、それは真の愛ではありません。神様が介在しない場合は、真の愛ではありません。真の愛には、神様が介在しなければなりません。


神様と関係を結び、神様の息子、娘になろうとするならば、神様の血統と、神様の生命と、神様の愛に関係しなくては不可能です。神様の愛と、神様の血統と、神様の良心を受け継がなければなりません。すべて必要です。神様の真の愛も真の愛が必要であり、神様の真の生命も真の愛が必要であり、神様の真の血統も真の愛が必要であり、神様の真の良心も真の愛が必要なのです。それが真の愛というものです。


真の愛とは、天理を立てるためのものです。ゆえに、愛も原理原則に基づくのです。愛は、原理上にあるのでしょう?自由も原理主管圏、すなわち原理上にあるのであって、原理を否定するものではありません。


「家庭盟誓」には、敵という概念がありません。個人の徹底した精神だけを要求するのです。「家庭盟誓」は、そのようになっているのです。探してみてください。怨讐という概念はありません。愛以外の内容はありません。地上天国の内容に適合した、基礎的な柱と同じです。地上天国建設のための基礎公式なのです。


「私たちの家庭は真の愛を中心として」、これによってすべて越えていくのです。真の愛を中心として、すべて越えていくのです。父母の誓い、夫婦の誓い、子女の誓い、血族の誓い、一族の誓い、国家の誓いは、すべて真の愛を中心として越えていくのです。真の愛は、引っ掛かるところがありません。真の愛という言葉は、投入して忘れるということです。


四) 家庭盟誓を基準として生きなければならない

「家庭盟誓」を完成しなければ、天国に入っていくことはできません。キリスト教徒たちは「イエス様を信じれば天国に行く」と言っていますが、天国に行くことはそれほど簡単なことではありません。今、全世界はキリスト教文化圏ですが、天国になっていますか。

地獄の中の地獄になっているのです。地獄に近いのですか、天国に近いのですか。境界線で見れば、境界線を越えていきましたか、越えていきませんでしたか。自らがどの位置にいるのかすべて分かるのです。どの位置なのか、すべて分かるようになっているのです。それで、「家庭盟誓」が出てくるのです。そのような基盤ができて「家庭盟誓」が出てきたということを知らなければなりません。それで、「私たちの家庭は真の愛を中心として」というように、すべてに真の愛が入ってくるのです。真の愛を中心として個人、家庭、息子、娘を一つにして、父母として来られたということを知らなければなりません。


盟誓文には、すべて真の愛が入ってきます。真の愛は、この上で展開されるのです。心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女と一つになったのちにおいてこそ成されるのであって、それ以外には成されません。それができなければ、盟誓文を暗唱できないようにしなければなりません。今まで、個人的に盟誓文を暗唱してきましたが、実際は家庭です。祈祷会をする時は、毎回この盟誓文を暗唱してから祈祷しなければなりません。


千九百八十九


心と体が一つにならなくては、祈祷することはできません。神様を「お父様」と呼ぶことはできません。私たちは、堕落がどのようにしてなされたのかを知っているので、直すことができるのです。


真の愛とは何でしょうか。心と体が一つにならなければなりません。どのようにすれば、一つになることができるのでしょうか。サタンの血統を断ち切らなければなりません。根を抜き取ってしまわなければなりません。それが宗教生活です。修養です。それで、心を中心として体を一つにするのです。体を打って心を強くし、心に体が従ってくるようにするのです。既に良心は、天国に行くことを知っているのです。体を打ってサタンを分立すれば、自然に切り離されるようになっているのです。真の愛といえば、そのようになっているのです。


神様は、心と体が闘いますか、一つになっていますか。一つになることは簡単ですか、難しいですか。世界をひっくり返すことよりも難しいのです。自らの完成は、世界に勝利することよりも、もっと難しいのです。いかにして心と体を一つにするのかというのですが、それは簡単なことではありません。

難しいことですが、それはしなければならないことですか、してはならないことですか。しなければならないことです。そのような難しいところに、先生はハイウェイをつくりました。橋を架け、山にトンネルを通してハイウェイをつくったのです。先生は、先生のためにこのような苦労をする必要はないのです。世の中の人、皆さん、そして世界を救ってあげるために苦労したのであって、私を救うために苦労したのではありません。


霊界と地上において、すべて夢のような話が実現されるという事実ほど、恐ろしく、貴いものはありません。ゆえに、不平を言わずに素直に原理の道、み旨の道を行かなければなりません。それが神様と真の父母の伝統的な考えです。それは、相続しなければなりませんか、相続してはなりませんか。相続しなければなりません。今、先生が「相続してはいけない」と言えば、どのようにするつもりですか。先生がそのように言ったとしても、皆さんは相続しなければなりません。そのようにすれば、たとえ先生が反対し、逃げ回ったとしても、やむを得ず解放してあげざるを得ないのです。


「家庭盟誓」の一、二、三、……。すべてのものが原理原則です。これは、すべて暗記しなければなりません。それを知らなければ、摂理の方向が分かりません。方向が分からなければ、途中で混乱が生じるのです。「家庭盟誓」と、今回お母様が講演する内容は、新しい天宙復帰の大原則として本にして出版しなければなりません。堕落したこの世界において、長子権を復帰し、家庭定着を成して逆に戻っていくのです。それで、家庭という絶対的な権限をもって発展していくようになっているのです。


1990 * 千九百九十

真の愛を成したならば、その責任を全うしなければなりません。無責任な人には、「完成」という言葉は永遠にありません。そうでしょう?責任を負うようになってこそ、初めて完成が可能になるのです。完成というものは、責任のない人とは何の関係もありません。そのようなことをはっきり理解して、夫婦生活を成していかなければなりません。責任を負わないところには完成がないのです。愛というものは、責任的基盤で決定されるものなので、責任を負う限り、そのすべては均一的な結果をもたらします。責任を負わなければなりません。


既に、私は八十歳になりました。八十歳になりましたが、クリスマスの時でも家で過ごしたことがありますか。先日の誕生日も、家で過ごすことができないようにしました。近ごろでは、先生が還暦も解放してきたのですが……。正反対のことをしてきました。今でも、先生は皆さんの世話にはなりません。毎日、毎時間、父母の子女として、真の子女として、忠告したこのすべての内容を中心として考えるのです。私利私欲を中心として考える暇はありません。

毎日、天上と地上の統一に向かって前進的発展を促進化させなければなりません。気合いを入れてあげ、強制的にでも一気に追い立てていかなければなりません。それで、霊界を動員し、霊界にいる先祖を動員するのです。その代わりに、霊界の先祖たちがする活動に、私が負けてはなりません。絶対に負けてはなりません。それで、「私についてきなさい」と言い、寝ながらでも講義し、そのようにしながら寝るのです。先生はそのように生活しています。

み言をすべて話すことができなかったならば、寝ながら話しているのです。あすの朝に説教することも、すべて夜に話しているのです。お母様は、そのような先生の秘密を知っています。夜だからといって、寝る先生ではありません。常につぶやきながら生活しているのです。


一族で、家庭的なメシヤをつくらなければなりません。十二名以上つくり、家庭を中心として自分の一族、孫の嫁まですべて育てることができなければなりません。三代、四代までしなければなりません。そして、何をしようというのでしょうか。自分の一族を拡大するのです。

氏族は、七十門徒を中心として百二十門徒まで編成しなければなりません。イエス様は、百二十門徒を中心としてザカリヤ家庭で一つになり、朝廷のすべての官吏を中心として国の形態を備えて解放しなければならなかったのですが、それができませんでした。それは、氏族的責任です。メシヤとは何ですか。真の父母でしょう?真の父母の家庭、真の父母の愛、真の父母の血族です。


国家メシヤを配置したでしょう?先生は独りでそのような過程を勝利し、その勝利的覇権をもってすべてを収めたので、国家的メシヤを配置したのです。神様が地上に来られ、失ったものを取り戻し、再び主人となることができる相対圏を取り戻すために配置したのです。その相対圏になろうとすれば、その相対世界の家庭に、神様が自由に出入りすることができなければなりません。そのようになれば、家庭の自由圏、氏族の自由圏、国家の自由圏、世界の自由圏が生じるのです。

 

千九百九十一

国家を取り戻し、その国家全体を犠牲にして、その国とすべてのものを売ったとしても世界のために生きるのならば、彼らの貢献した国家が世界の主体国家になるのです。ですから、どれほど深刻でしょうか。 先生が教えてあげたすべての内容は、天国に入っていくことができる鍵です。ここに合わなくては、天国の門を開けることはできません。先生があげる鍵で開けてこそ天国の門が開くのであって、その鍵でなければ開きません。いくら「アメリカの誰々だ」と言っても駄目です。先生の鍵は、本質的な鍵です。たとえ金や銀でつくったとしても、それらの鍵ではいくらやっても開きません。しかし、先生があげた鍵は、真鍮でつくられていて何でもないもののように見えても、さっと開くのです。誰も、そのような鍵をつくることはできません。


神様がこの地上で人間と共に暮らすことができないのは、この統一的見解が家庭において成されていないからです。これが成し遂げられれば、神様が再び来られて暮らすことができるのです。「真の愛」と言えば、「心と体が一つ、夫婦が一つ、子女が一つ」という観念がさっとそこに集約されていなければなりません。この三つが一つになれば、真の愛の家庭は、地上天国と天上天国の出発となるのです。神様と真の御父母様を中心として一つになる時、地上天国と天上天国が建設されるのです。ですから、地上天国はどこから出発するのですか。私と息子、娘からです。家庭からです。


五) 家庭盟誓に対する私たちの姿勢

盟誓文の中の第一番は、皆さんが故郷に帰っていき、神様の創造理想を再び創建しなければならないということです。二番目は何かというと、神様の歴史的な恨を解いてさしあげる孝子になろう、忠臣になろう、聖人になろう、聖子の道理を完成しようということです。イエス様は聖子になるために来られましたが、それを成し遂げることができなかったので、私たちの家庭で、このすべての出発をすることができるようにしなければならない、ということを考えなければなりません。それが私たちの伝統です。


毎日、盟誓文を暗唱し、朝起きた時、朝食を食べる時、昼食を食べる時、夕食を食べる時にそれを考えなければなりません。それから、寝る時に考え、「私は心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになることに精誠を尽くしただろうか」と反省しながら、これを毎日の生活の標準にしていかなければなりません。夫婦同士でけんかをしては、唱えることはできません。「家庭盟誓」を暗唱することができないということが、どれほど息詰まる事実かということを感じることができなければなりません。これは盾です。


寝る時に暗唱し、また起きて暗唱しながら、「今日は何節について考え、そこに合わせて生活し、そのように生活しただろうか」と鑑定する生活をしなければなりません。それができなかったならば、あす、再びその世界に到達できるように……。そのようにして、御飯を食べて大きくなるのと同じ生活的な要素として、天国の生命的な要素を基準要素として、盟誓文を暗唱しながら鑑定しなければなりません。

 

千九百九十二

家庭をもった人が「家庭盟誓」を暗唱することができなければ、偽物です。これは皆さんの家庭を代表した標準なので、ここに一致しないものは不合格であり、脱落です。これを知り、ここに標準となることができるためには、主人である皆さん父母たちは、これをすべて暗記し、細分化して、子女たちに教えなければなりません。そして、周囲の人々もそこに同感することができるように、リードしていかなければならないということを知らなければなりません。


真の良心をもって真の父母を再び見てください。そのような良心をもって父母を愛し、夫や妻を愛し、国を愛し、世界を愛しなさいというのです。真の御父母様に対して、皆さんの態度が絶対的な相対的基準で一つにならなければならない時代に入っていくのです。 真の御父母様の家庭が定着したので、このような相対基盤を中心として、皆さんは完全に一つにならなければなりません。自らの観念があってはなりません。心と体が一つにならず、夫婦が一つにならず、子女が一つにならなくては、盟誓文を暗唱することもできず、先生を「父母様」と呼ぶこともできません。今まで呼んでいた父母は、利用してやるためのものです。先生は、そのような言葉を聞きたくはありません。それゆえに、「家庭盟誓」を徹底化できる基準をもたなければなりません。


真の父母と真の父母の子女たちが真の愛を相続して暮らす世界には、宗教が必要ありません。良心的な世界にならなければなりません。ですから、ここに「家庭盟誓」が出てくるのです。真の父母と一つになった皆さんは、「家庭盟誓」を暗唱する時、心と体が一つにならなければならず、夫婦が一つにならなければならず、子女が一つにならなければなりません。そのようにならなくては、盟誓文を暗唱することができないということを知らなければなりません。


「家庭盟誓」は、すべて「私たちの家庭は真の愛を中心として」という言葉から始まりますが、真の愛は、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女と一つになる、その上で生活することだということを常に考えなければなりません。霊界に行けば、皆さんは、盟誓文にすぐに引っ掛かるのです。誓いというものは、そのように恐ろしいものです。常にそのように生きなければなりません。

父親がこの盟誓文と一つになっていなければ、母親も共同責任を負い、息子も共同責任を負い、個人も共同責任を負うのです。心と体が一つになり、真の愛を中心として一つになった夫婦から、その一つになった心と体の子供が出発するということは自動的な結論です。そうでなければ、家庭に真の愛がとどまることはできません。真の愛がない所に神様が臨在なさることはできません。論理的な結論です。


「家庭盟誓」は、中心に安着した場において、神様と全体が一つになった立場から説いているものです。アメリカが中心ではありません。日本でもなく、先進国でもありません。それらの世界は、ますます悲劇と、悲しみと、苦痛と、怨恨に満ちた世界になって終わっていくのです。今まで、統一教会という所は、地獄のようにも暗く、真っ暗な天地だと思っていたのですが、朝となり、これが反対の世界へ上がっていくのです。

 

千九百九十三

ですから、天国の運勢が……。創造理想とは何かというと、家庭理想です。家庭理想、すなわち四位基台の完成です。四位基台は三代から成ります。三段階に展開したものが四位基台です。神様、父母、子女です。神様とアダムとエバ、そしてアダムの子女たちです。それが本来の公式です。アダム家庭は、公式家庭です。


「家庭盟誓」の文は、真の御父母様が闘ってきた戦勝の記録です。勝利した伝統の記録です。天宙の解放圏を成す時まで、この伝統的事実を自分の生活圏に適用させ、毎日のように自分の生活を批判しながら、相対的実体圏を自らが立てなければなりません。皆さんが盟誓文を斉唱する時、盟誓文を暗唱しながら、盟誓文を中心として常に批判しなければなりません。その言葉を、天から聞こえてくる言葉と思い、私がその実体圏になっているかを批判し、そのようにできていない部分は、削り取らなければいけません。「この悪党、統一教会を滅ぼすために入ってきたのか」という警告状を出さなければならないのです。

それを考えてみたことがありますか。


イスラエル民族が契約の箱をもって四十年路程を歩んだように、統一教会も、「家庭盟誓」をもって一つになり、天国に入っていくのです。イスラエル民族がエジプトから出てきたのが建国のためだったように、建国思想を徹底化させなければなりません。同様に、今私たちには全世界的に国がありません。統一教会には国がありません。それは、どこがならなければなりませんか。韓国がならなければなりません。


三 祝福家庭と家庭盟誓

一) 真の家庭の理想と価値

(1)真の家庭は創造本然の家庭

創造目的の完成は、み旨の完成です。み旨の完成は、四位基台の完成です。このようになるのです。四位基台の完成は何かというと、真の家庭を完成することです。真の家庭には、真の父母がいなければならず、真の男性と真の女性がいなければならず、真の夫婦がいなければならず、真の子女がいなければなりません。これは理論的です。も中心は、個人の目的も真の父母であり、男性と女性の目的も真の父母であり、赤ん坊の目的や兄弟たちの目的も真の父母だということです。真の父母になって息子、娘をもとう、家庭をもとう、このようになるのです。


真の家庭が出てくるためには、真の男性が出てこなければなりません。真の男性とはいかなる人ですか。神様と一〇〇パーセント一つになった男性です。神様の理想と完全に一つになった男性であり、そのような人が神様の理想と完全に一つになった女性と一つにならなければなりません。女性にも心と体があり、男性にも心と体があるでしょう?彼らが成熟してこそ、初めて心と体は一つになるようになっています。男性でも女性でも、心と体がすべて一つになった人が、初めて互いに横的に一つになることができる力を感じるのです。そのようなものが男女の愛です。ですから、男女は初愛を中心として、絶対的に一つにならなければなりません。


千九百九十四

神様が主体であり、私たち人間が客体であるならば、神様が願われる理想的な愛と、人間が願う理想的な愛が安着し得る一つの基準、センターが家庭です。それゆえに、夫とどのように向き合い、妻とどのように向き合うのですか。神様の前に恥ずかしくなく、子女の前に恥ずかしくない夫と妻とならなくては、夫婦の愛を結ぶことはできないという結論が出てくるのです。

お互いに愛し合って愛をなそうとする時、神様が笑うことができ、理想的な神様の愛の安着点、中心点を通して、今後、喜びの子女をもつ資格をもった男性と女性にならなくては、この地上に理想的家庭を立てることはできないという結論が出てくるのです。


理想的な夫婦、理想的な真の家庭は、神様と常に、共に暮らすことができます。ですから、男性は神様の性相、心の立場にならなければなりません。そして、女性は形状となって一つにならなければなりません。このようになったものが、一段階もっと大きくなって一つになるのです。心的な面が性相となり、体的な面が形状となって、この二人がここにおいて初めて実を結ぶのです。それで、神様を中心として心と体の一体圏ができあがるのです。


生命を超越していく愛から、初めて真なる家庭が築かれるのです。真の夫は、自分の妻のために命を懸ける夫です。真なる父母も、自分の息子、娘たちのために、そのようにする父母です。真の男性もそうであり、真の女性も同様です。真の男性と真の女性が出会って真の夫婦となるのでしょう?その真の夫婦から生まれる息子、娘が真の息子、娘です。その息子、娘は、すべて真の息子、娘になるのです。そのようにして成し遂げられた家庭が、真の家庭になるのです。真の家庭においては、神様が中心軸です。その軸を中心として、アダムとエバの家庭に、神様が愛の中心として定着しなければならなかったのです。


家庭を中心として見るとき、夫婦の愛はどのようなものかというと、妻にとって、夫は神様の代身者であり、自らの絶対的な夫であり、今後息子を愛することができる中心存在です。妻は、その夫に対しながらこの世を相対的に感じることができ、相対的に考えることができなければなりません。夫は宇宙に一人しかいないのです。過去、現在、未来を通じて永遠に一つしかない存在です。また、夫にとって、妻は母の代身者であり、世界を代表した絶対的な相対です。世界を代表した娘として、愛の実体として愛することができなければなりません。


真の父母になれば、真の子女が出てきて、真の家庭が出てきて、真の氏族が出てきて、真の国が出てきて、真の世界がここから自動的に生じるのです。そうではありませんか。ですから、一番重要な名前は何ですか。「真の父母」という名前です。「真の父母」という用語が一番重要です。


真の家庭とは何でしょうか。夫婦です。夫婦は、神様の実体対象です。神様の体です。真の愛をもった神様を、皆さんは「お父様」と呼びます。神様が父です。父子関係なのです。父と息子であり、母と娘なのですが、一体です。それを知らなければなりません。縦横を合わせたものなので、そうだというのです。

 

千九百九十五

 

父母が子女のために無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り、子女はその真の愛に無限に感謝するようになっているのであり、父母は大きな喜びをもって、その犠牲の立場を満たすのです。このように、犠牲的な真の愛の力は、授受作用を発展させ、真の家庭で、そして真の世界で、永遠の喜びと平和の関係を結ばせます。このようなところから、永生の理想世界が顕現するのです。 しかし、このような真の愛が欠如した家庭や、国や、世界は、抜け殻の建物にすぎず、むしろあらゆる不信と、反目と、不倫の納骨場所となってしまうのです。人間の純粋な真の愛が成長し、完成する場所が真なる家庭です。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の子女の愛、そして真の兄弟の愛が共に完熟し、実践される真の愛の初舞台が真の家庭なのです。


高の真理とは、どのようなものでしょうか。父母に仕え、真の子女と共に生き、真の父母と真の子女を中心とした真の家庭を中心として、「真の家庭とはこのような家庭だ」と言うことができるものです。さらには「真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界と真の天地とはこのようなものだ」と言うことができるものです。このような「真」という因縁ができなければ不可能なのです。


神様の真の愛の動機により、その対象として造られた人間にとっても貴いものは、真の愛を中心とした真の家庭を成すことです。真の愛は、人間に真の幸福をもたらす根本です。真の愛の中に無限の喜びがあり、無限の自由があるのです。真の愛の中から、永遠の調和が成し遂げられるのです。 真の父母の真の愛を通して神様の真の愛を学びながら、真の兄弟の真の愛を通して真の国と真の世界人類に対する普遍的な真の愛を訓練させる、平和世界の基本核の位置が真の家庭です。それだけでなく、父母と子女の間につながっている真の愛を通して、過去と現在と未来の世代が一貫した真の愛の価値観によって連結されていく、歴史的連結の輪の基本単位も真の家庭です。


家庭を通して、すべての人を愛し得る経験をすることができます。幼い子供から年寄りまで、男性は女性全体を、そして女性は男性全体をそのようにお互いに愛することができる因縁の世界こそ、より生きがいのある理想に近い世界です。ですから、家庭は、理想世界を紹介するための教育場です。


(2)真の家庭は、本然の血統と真の愛が連結されなければならない

神様の究極的、不変の摂理目的は、真の父母を探し立てることです。真の父母は、真の愛の化身体であり、真の生命の種として来られます。真の父母から真の家庭が始まり、この家庭は、復帰されるべきすべての家庭の標本となるのです。


統一教会でいう心情圏がどのように伝授されるのかという問題は、神様の本然の愛を中心とした血統的因縁が連結されなければ、神様を中心とした本然の心情圏は、完全に一〇〇パーセント伝授されないのです。


千九百九十六

神様が中心になって成長したアダムとエバを祝福してあげた場合には、神様を中心とした真の愛と、真の生命と、真の血統を受け継いだ真の夫婦が生じ、真の家庭、真の氏族、真の民族、真の世界へ拡散していったはずです。しかし、人類は、堕落したがゆえに真の父母を失ってしまいました。その結果、偽りの父母が生じ、地獄が生じました。その偽りの父母の歴史を払拭し、再び真の父母の歴史を登壇させることが神様の摂理です。


神様は、真の愛を中心とした真の父母、真の子女、真の家庭、真の国家、真の世界、そして真の宇宙を立て、真の愛の理想によって主管しようとされましたが、サタンが偽りの愛を中心として、偽りの父母、偽りの子女、偽りの家庭、偽りの国家、偽りの世界、そして偽りの宇宙を立てて主管してきたのです。


堕落後に、アダムとエバから連結した人類の血統は、サタン側に属しています。自然世界のすべてのものも同様です。そこで、反対に祝福を受けることによって、すべてのものが逆に帰っていくのです。財産、息子、娘、夫婦が神側に属するようになるのです。

そのようになることによって全宇宙が神様に連結されます。そこから、神様が思いどおりにすることができるようになるのです。そのように帰っていかないものは、サタン側に残ります。すべてのものが神側へ帰っていかなければなりません。財産、息子、娘、家庭、そして先祖まで、本然の位置に帰っていかなければならないのです。


神様の愛を中心として完全な神様の愛が顕現する時には、サタンは現れることができません。それが責任分担の完成です。責任分担を完成した直接主管圏において、愛の因縁が結ばれるのです。そこで、縦的愛と横的愛が連結されるのです。そのようになれば、その縦横の愛を通じて、神様の血統的因縁と血縁が生じるのです。血統が生じるのです。

それゆえに、その血統、すなわち神様の愛を中心として一つになった縦横の愛と因縁を結んで生まれた血統には、サタンは干渉することができません。サタンと因縁がないのです。ですから、心情を受け継ぐためには、純粋な神様の愛を中心とした本然の伝統的血統を受け継がなければなりません。


祝福結婚の儀式は、偽りの愛の因縁を清算し、絶対性を中心とした結婚の神聖な内容と価値の回復を指向します。真の夫婦の愛、真の父母の愛、真の子女の愛を回復するための儀式です。したがって、祝福結婚式に参加する当事者は、純潔と信頼を生命視し、不変の夫婦愛を誓約するのです。その真の愛の基盤の上で、真なる家庭を成し、真なる子女を養育し、生活の中で真の国家と平和世界の実現に献身することを誓うのです。


二) 真の家庭と家庭生活

(1)侍ることによって生活の天国化を実現

神様は、妄想的な神様、観念的な神様ではありません。抽象的な神様ではありません。生活的な主体性をもち、私たちが生活している生活の主人として、常に共にいらっしゃるのです。侍られているだけではありません。共同的な愛を中心として、共同的な生活をしていらっしゃる神様です。夢のような話です。


千九百九十七

神様を心の中に迎えて侍り、私たち人間が体の立場から完全に一つになることのできる起源をつくらなくては、この悪魔世界を清算することはできません。このような観点から見るとき、侍りの時代、すなわち侍義の救援時代だとみなすのです。侍ることによって救いを受けるのです。神様は、あの空の遠く彼方にいらっしゃるお方ではありません。私たちの生活圏内の主体者として、神様に侍らなければなりません。


皆さんは、神様がいらっしゃるということを一日に何度自覚しますか。二十四時間中に、何度、神様がいらっしゃる、ということを感じますか。侍ることによって救いを受けようという人が、二十四時間中の一、二時間程度侍ればよいのですか。空気よりも、切迫して必要なものが神様です。水よりも、切迫して必要なものが神様です。御飯より、もっと貴重なものが神様です。しかし、皆さんはそのように感じていますか。


今から、皆さんは侍る生活をしなければなりません。今までの信仰生活は、信仰によって救いを受けましたが、今後は、侍ることによって救いを受ける時代です。本来、堕落しなかったならば、私たちは、神様に侍ることによって行くべき道を行くようになっているのです。侍るには、皆さんの生活と心で、共に侍らなければなりません。


侍る生活をしなければなりません。希望の天国は迎えましたが、侍って実践しながら生活する天国は迎えていません。すなわち生活的な面において、主体であられる神様を知らないのです。 神様は、宇宙の中心存在であられるので、その近くに行けば、千年、万年、主管を受けたとしても、もっと主管を受けたいと思うのです。神様を中心とした侍る道理がそのようになっているので、今日、私たち人間もそのような位置で主管を受けることができるならば、それ以上の幸福はないという事実を、私たちは考えてみることさえできなかったのです。


皆さんは、侍る生活をしなければなりません。なぜ侍る生活をしなければならないのでしょうか。神様の愛を受けるためだ、という事実を知らなければなりません。したがって、まず神様に侍らなければなりません。神様に侍らなければならないのです。


一日二十四時間の生活圏内で私が見聞きしたすべてのことは、何のためでしょうか。神様のためです。神様のために見て、聞かなければならず、感じるのも、神様のために感じなければなりません。私たちは、地上で生活していますが、天上世界の生活と連結させて生活しなければなりません。


神様が喜ばれ、悲しまれることを常に鑑別しながら暮らす人は、悪人になろうとしてもなることはできず、天の法度に背こうとしても背くことはできません。そのような男性は、どれほどの美人が誘惑しても負けません。そこに同化することができないのです。


千九百九十八

今日、家庭を脱皮する不幸な青年男女がたくさんいますが、その原因は、どこにあるのでしょうか。それは、天倫の法度に一致した愛が失われてしまったからです。ですから、家庭を中心として、その家庭に神様を定着させることができる、天地父母が顕現しなければならないのです。


(2)家庭生活の中心は真の父母

後に残るものは何でしょうか。神様プラス人間、すなわち神人であり、神人の生きる道、神人の生活観です。人生観も同様に神人の人生観であり、神人の世界観です。そして、それは神様に対して人間が漠然と知るといった程度の立場ではなく、人間が離れようとしても、永遠に離れることができない立場です。神様と人間は、本来離れてはいけない立場から離れていったので、離れてはならない立場以上の立場に到達しなければなりません。そのような立場で、神人が一つになった生活的な舞台、世界的な舞台を要求していかなければなりません。


皆さんは、侍義時代、すなわち侍る生活をする時代において、正確な中心をもっていかなければなりません。神様に侍るにおいては法度があります。その法度に背く時は、神様は非常に憤慨されます。子女を愛している父母が、その子女の一言の言葉によって胸に釘が刺さったり抜けたりする思いを味わうのと同じように、神様も、人間を愛していらっしゃるがゆえに、怒りも多いお方なのです。万が一誤れば、神様から怒りを買うようになります。それゆえに、先生も先生なりに、常に神様を喜ばせてさしあげようとしているのです。


皆さんも、皆さんのことを思ってくれる人を訪ねていくでしょう?神様も同じです。その神様を占領できる道は、誰よりも神様のことを思い、神様のために奉献しようとすることです。その人を中心として神様は訪ねていくのです。


人間においては、神様を愛することが第一の戒めですが、愛する時は、死ぬほど愛さなければなりませんか、一時的に愛さなければなりませんか。皆さんは、神様を死ぬほど愛しますか、死ぬほど愛しませんか。たとえ雷に打たれて死んだとしても、愛さなければならないのです。神様を死ぬほど愛さなければなりません。死ぬほど愛さなければならないとすれば、死ぬ前までに、できないことはありません。


この道を行くためには、愚かでなければなりません。忠臣たちは、別の見方をすれば愚かな人々です。少し愚鈍に見えます。熊のような性格をもっているのです(注:熊には愚鈍な人という意味がある)。自分の腕を切られたとしても、「ああ、ここがあまり切られなかった、もっと切りなさい」という、そのような間抜けで愚かな点がなければなりません。

熊や猪は、銃に打たれた時に、動くのに足手まといになる部分があれば、その部分を口で切り落として逃げていきます。死についてはあとで考え、まず邪魔になる部分を切ってしまうのです。そのような、間抜けで愚かな何かがなければなりません。忠臣、烈士は、愚かでなければなりません。少しは間抜けでなければならないのです。

レバレンド・ムーンとは、どのような人でしょうか。一つの芸しかない人です。愚かに、


千九百九十九


ただまっすぐにしか行けない人です。口をちょっと閉じて適当に回っていけばいいのに、なぜしきりに悪口を言われるようにするのでしょうか。それは、多くの人々の反対を受けてこそ、一つの峠を越えていくことができるからです。ところが、皆さんは回っていく考えをしているでしょう?では、どうして世の中のすべてのものを切って、行かなければならないのでしょうか。父と母の愛に引っ張られれば、まっすぐに行くことができないからです。今まで、神様がまっすぐな道を訪ねてこられたので、まっすぐに行かなければならないのです。


神様がそのように寂しいお方であり、孤独なお方であられるので、私が死ぬ日まで、そのみ旨とその願いを一つでも解いてあげ、その分野の一つの基盤でも拡大させ、神様のために生きることができる人を集めることが使命だ、と思って歩んできたのです。

悪口を言われ、むちで打たれても復讐することを知らず、愛で耐えてきたのは、神様の息子として生まれたからであり、そのお方のみ旨を立てなければならない責任があるからです。しかし、この伝統をいかに立てていくかということを考えながら、ふらつき、あるいは腰が曲がり、這いずりながら、「これだけは残さなければならない」としながら闘ってきたのです。


今から、皆さんは真の父母と共に生活しなければなりません。それゆえに、真の父母はおじいさんの立場であり、自らの父と母の立場であり、自分たちは長子の立場だというのです。これが違うのです。三代が共に生活するという結論です。神様が自分と共にいて、真の父母が自分と共にいて、自らの父母が共にいることを感じて生活しなければなりません。「神様はいない、死んだ」という考えはもつことができない時代に入ってきました。


父母の愛を受けようとすれば、何をしなければならないでしょうか。父母が愛する、すべてのものを愛さなければなりません。そのようにしたのちにおいて、初めて愛を受けるのです。家庭でいえば、自分の父母から愛を受けることを願うならば、その息子は、父母がもっているすべてのものを愛したのちに愛されなければならない、ということを知らなければなりません。これをしないで愛を受けようとする人は、どろぼうです。父母が貴く思うものを、すべて自分勝手にめちゃくちゃに引き継いでは、愛を受けることはできないのです。

皆さんは、先生の血と汗の代価をもって買ってきた人々です。先生の体を与えて買ってきた人々です。したがって、皆さんは、先生と同じ仕事をしなければなりません。先生は食口たちを誇りたいのです。このような立場から、公約しましょう。


2000 * 二千

皆さんは、実体の神様の立場に立っている真の父母が恋しくて、泣かなければなりません。しきりに会いたいと思わなければなりません。御飯一膳でも炊き、水でも一杯くんでおき、そのようにしながら侍りたいと思わなければなりません。そのような、切実な心をもたなければなりません。涙が先立つ心情をもっていれば、できるのです。そのようにすれば、先生を中心として心情一致が成され、先生と共に呼吸することによって、先生の人格基準と、それを後ろ盾する先生の過去と、そこに絡まった事情がどのようになっているのかを知るようになり、さらにはそれを相続し、引き継ぐことができるのです。


エデンの園でアダムとエバは堕落して、その堕落圏内で生活したので、直接的な侍る生活をしてみることができませんでした。侍ることができなかった人間には、天国に入っていく資格はありません。しかし、皆さんは、堕落の血統を受けて生活したとしても、復帰の路程を蕩減し、地上で実体をもってアダムとエバが侍ることができなかった真の父母に侍り、神様に侍って生きてから行ったという条件を立てることによって、天国に入っていくことができる資格になるのです。それで、天国の市民権を得るようになるのです。


皆さんが考える神様に対する侍りの生活とは、どのようにしなければならないものでしょうか。神様を一体と思い、真の父母を一体と思い、生活するすべてのものが一体となって、私が生活するときに「このすべてのものは神様のものであると同時に真の父母のものであり、真の父母のものは真の父母の国のものであり、真の父母の国のものになれば、私のものである」という観念をもたなければなりません。

この宇宙も真の父母のものであり、この家も真の父母のものであり、国も世界も真の父母のものであるならば、私は真の父母の息子なので、すべてのものは私のものだ、という結論が出てくるのです。


成約時代には、神様自体が真の父母の姿をして万民の前に現れるようになります。政治によるいかなる力を投入したとしても、負けない偉大な力を統一教会がもっているのは、正にこのためです。生きている神様を私たちが直接目で見て、感覚をもって体恤することができる圏内で、体験を繰り返しながら歩んでいくのが、私たち統一教会の道です。


人間の願いは、真の父母に出会うことです。死の道を行ったとしても、出会わなければならないお方が真の父母です。歴史をすべて失い、時代をすべて失い、自らの子孫をすべて失ってしまう恨があったとしても、真の父母に出会うならば、歴史を取り戻し、時代を取り戻し、未来を取り戻すことができるのです。このようなお方が正に真の父母だということを、皆さんは知らなければなりません。


「チャム・プ・モ(真の父母)」というその名前三文字を思う時、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新しい世界に戻っていくことができる起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させることができる内的な因縁が決定され、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげることができる中心が決定されるのです。したがって、真の父母と共に生き、真の父母の命令を奉じて行動することができるこの驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。


神様を解放しようというのです。真の神様の権威を中心として、理想の境地で人類始祖と共に無限な幸福を褒めたたえながら暮らすことができる中で、侍られながら暮らされるべきだった神様が、このように悲惨になったという事実を知ったので、その神様を私たちの手で解放してさしあげようというのです。

 

二千一

 

これは驚くべき提案です。そのような内容が宗教界から出てきたという事実は、神様にとっては、限りなくうれしい知らせです。福音の中の福音です。このように見るとき、仏教を立てられたお方も神様であり、儒教を立てられたお方も神様であり、イスラム教を立てられたお方も神様であり、キリスト教を立てられたお方も神様なので、すべての宗教が、もろ手を挙げて歓迎しなければならないのです。


皆さんが真の父母と完全に一つになる時、国家があるのであり、氏族もあるのであり、民族もあるのであり、家庭もあるのです。天地のあらゆる栄光の価値を総合した実体基準が、真の父母です。真の父母を世の中のお金と換えることができますか。自分の生命と取り替えることができますか。それゆえに、昔とは違うのです。皆さんがどこに行ったとしても、真の父母に侍るために大韓民国を訪ねてこなければなりません。皆さんの息子、娘も、千代、万代の後孫も、そのようにしなければなりません。それゆえに、統一教会は違うのです。


三) 真の家庭の伝統と家法を正しく立てよう

先生が心配していることは、いかにすれば統一教会の名を後世に残すことができるかということではなく、いかにすれば先生の伝統を受け継いだ人々を後世に残すことができるかということです。ですから、今まで、伝統を重要視しなさいという教育をしてきているのです。 今まで私たちは、いい加減に生きてきたのであり、言葉もいい加減に使ってきました。しかし、今から、私たち祝福家庭も規律を立てなければなりません。腹が立ったからといって、父母が子女を自分勝手に棒でたたき、「この駄目息子」という世俗的な卑しい言葉を使ってはいけません。今からは、すべてが一新されなければなりません。神様を中心として、言葉から、態度から、生活から、一新した立場に立たなければなりません。


個人生活はどのようにしなければならないかということを、はっきり糾明しなければなりません。また、家庭生活はどのようにしなければならないかということも、はっきり糾明しなければなりません。過ぎし日に漠然と生きてきた生活を改め、これからは具体的に生きていかなければなりません。


父母は、子供のために存在します。もし父母のために父母がいるとすれば、「父母」という言葉は出てきません。今後、統一教会の原理を中心として、倫理観が形成されなければなりません。父母は、どのようにあるべきですか。子女を生む父母は、子女のために存在しなければなりません。それが倫理の第一条です。それには、説明が必要ありません。息子のために存在しようとする立場は、不幸な立場ではなく、幸福な立場です。


二千二

皆さん自身は、誰のものですか。父母のものであると同時に、息子のものです。そのようになるとすれば、父母は誰のものですか。父母は、子女のものであると同時に、神様のものです。ゆえに、皆さんは、まず神様のものとなり、子女のものになったのちに、自らのものとなるのです。そのようになる時、初めて完成がなされるのです。ですから、父母を敬うその法度は、地上に残っており、人間生活に残っているのです。ここから、「父母を敬い、子女を愛しなさい」という言葉が出てきたのです。父母がいなければ孤児です。父母の愛を受けてみて、子女を愛してみてください。そのようにして初めて「私」という人間が四方を分別し、上下を分別することができるのです。


伝統を残さなければならず、その次には、善なる立派な子孫を残さなければなりません。小心者の子孫ではなく、強く雄々しい立派な子孫を残さなければなりません。そのようになれば、たとえその国が滅びる運勢圏にあったとしても滅びません。滅びるべき立場から、新しい恩人が現れるのであり、追われる立場から、新しい勝利の旗がついてくるのだという事実を知らなければなりません。残すべきその伝統は、大韓民国だけでなく、万民が喜ぶことができる伝統にならなければならず、そして善の子孫も残さなければなりません。これができなければ、天の前にもっていく礼物がなくなります。


いかにして私たち祝福家庭の息子、娘たちが先生のように生き、そのように三代を生きることができるか、ということが大きな問題です。三代が共に功臣になるならば、天下にいない、あの天上世界の功臣になるのだ、ということを考えてみましたか。ですから、自らの息子、娘を抱き、今から教育して、そのような思想を入れることに精誠を尽くさなければなりません。 未来に対して、どのように暮らすことが、幸せに暮らすことでしょうか。私が幸せに暮らすことが問題なのではありません。子孫を教育しなければなりません。子孫の前に残してあげなければなりません。今まで、統一教会を指導してきた先生自身もそうですが、皆さんもかわいそうな道を歩んできました。避難民として定着することができなかったのです。荒野路程を歩んできたのです。今から、私たちは定着しなければなりません。そして、定着しようとすれば、闘って勝利しなければなりません。カナン七族を滅ぼしたように、戦って勝利しなければ定着することはできないのです。この民族を中心とした闘いにおいて、必ず勝利しなければなりません。


父母は、死んでも、天道は、残していかなければなりません。その家庭は、何のために存在するのでしょうか。自らの子女のために存在するとしても、まず神様のために生き、国のために生きなければなりません。結局は、そのことが自らの子女のために生きる道です。そのようにしてこそ、子女たちは神様の運と世界の運と共にあり、国の運と共にあることができるのです。したがって、祝福されて生んだ貴い子女たちが苦労したとしても、その子女たちに拍子を合わせるのではなく、神様と、世界と、国の運勢に拍子を合わせなければなりません。


二千三

私たちが神様から受けた純粋な血統を、いかにして保有するかが問題です。堕落した血統ではなく、純粋な血統をいかに保存していくのかというのです。彼らのために、心から心配しなければなりません。汚染されていないエデンの園においても堕落したのですから、この罪悪世界できれいになるということは、非常に難しい問題とならざるを得ません。罪悪世界で生まれた父母は、たとえ苦労したとしても、祝福を受けて生まれた子供たちには、汚染されていない環境をつくってあげなければなりません。私たちが犠牲になったとしても、二世たちのために早くそのような環境を準備しなければならない、というのが先生の考えです。急がなければなりません。


習慣的で世俗的な家庭であってはいけません。「今はこうであるが、今後は良くなるだろう」と考えてはいけません。既に完全でなければいけません。現在が問題です。過去と現在が完全であってこそ、未来も完全であり得るのです。このような一日を、エデンの園でももつことができなかったことが、堕落の証拠です。過去と、現在と、未来が一致することができる位置が、理想的な位置です。現在を捧げることができなければなりません。地上の永遠の足場となることができるか、ということが神様の願いなのです。これは、歴史的な総合点です。


イスラエル民族がカナン復帰を成し遂げたのちに滅亡したのは、彼らが既存の環境に同化し、習慣化されたからです。より豊かに暮らし、よく食べて贅沢をする生活にすべての精神を注いだので、滅亡したのです。彼らは、異邦人であっても、相手が金持ちの家ならば結婚しました。また、権力を貪り、知識を好みました。結局、既存のカナン文化に同化され、選民の精神を売り飛ばしたので、彼らは滅亡したのです。


習慣は、も凝り固まった悪い癖です。結婚したのち、皆さんが子供たちを育てながら習慣的な生活をするようになれば、それが体に染みついてしまいます。そのような環境の中では、特別な精誠や祈祷をする時間がありません。子供たちがそばで騒ぎ立てるので、祈祷をする時間がないのです。


私たちは、個人中心ではなく、家庭中心です。だからといって、家庭だけを中心としてすべてのものを清算するのではなく、すべてを連結しなければなりません。したがって、昔、独りで道の生活をしていた時の努力をするだけではいけません。「昔努力していた時の何倍も努力しよう」という決意と覚悟を添付させなければいけません。悪に対して挑戦していく生活は、ややもすれば疲れて後退しやすいのです。家庭をもった時は、独りでいた時の何倍も努力しなければなりません。家庭は、中心をつかんでいる立場です。私たちは、現実を避けることはできません。前後、上下、左右の関係を家庭で完成しなければなりません。過去の信仰形態ではいけません。過去の一方的な信仰態度をもっていてはいけないのです。


二千四

皆さんは、一代のために生きる家庭になるのではなく、世界と永遠のために生きる家庭にならなければなりません。また、愛の基盤を広げ、万民の心情を集めて、ろうそくのあかりをつけ、香をたいて祈りを捧げ、天と地、万民と共同の因縁を結んで生きたのちに死のう、という家庭にならなければなりません。そのような家庭になれば、いかなる苦難が迫ってきても、神様がその家庭を保護してくださるはずです。天が種として残しておくのです。


皆さんは、侍る生活法度を知らないでしょう?これは、まだ教えてあげていません。今後、時になれば、すべて教えてあげようと思っています。侍る時は、世の中のいかなる孝子よりも、歴史上のいかなる忠臣よりも、善を尽くして侍らなければなりません。天下が、このような家庭の規範に頭を下げることができる心情的起源をつくるために行く道が、統一教会の行く道であるということを皆さんは知らなければなりません。


祝福家庭は、家庭の伝統を立て、家法をつくらなければなりません。そして、子女たちの教育基準と家庭の規範をつくらなければなりません。そのようにしなくては、もし父母が誤り、子女たちの追及を受けるようになれば、返す言葉がないのです。

これからは匕首をもって、切るべきところは切り、解剖すべきところは解剖しなければなりません。皆さんの思いどおりにしてはいけません。統一教会は、天国を成さなければならない教会なので、個人ではなく、家庭を取り戻さなければならないのです。家庭生活で模範となることができない人は、世界的な指弾を受けるでしょうし、全天宙的な指弾を受けることでしょう。